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「キュイアとはどういった意味なのですか?」
名乗ったあとに、ガラークが尋ねてきた。ルーメスの中で片腕だけは人間の言葉を理解していたようだが、他のルーメスには名前ですら翻訳しなければ伝えらない。彼らは発話の方法からして、人間とはまるで違うのだ。
姿形は人間と大きくは変わらない。
ルーメスは肌が灰色で、目と髪が紅い。唇は気味の悪い紫色で、大抵の人間よりも背は高かった。
ガラークも大柄な方だったが、一番小柄なルーメス、ヒーラリアという女のルーメスよりも背は低い。
しかし体の作りは、猿よりもなお人間に近い。背の高いことを除けば、骨格はほとんど人間のものと変わらないだろう。
それなのに言葉の発し方はまるで違うのだ。
人間は喉から出た声を、舌と歯と唇でコントロールし言葉を紡ぐ。対してルーメスは、喉自体で声を刻み、その刻んだ音一つ一つの高低で意志を伝えているようだった。
「キュイアは『クユイ』と『ア』に別れる。クユイはヨーテス民族の古語で温かな食事と言う意味で、アは普通に、続くという意味だよ」
キュイアは少し独特な名付けられかたをしていた。古語と現代の言葉が混ざる名前は珍しい。しかも古語の方は単語そのものではなく、それが訛ったものだった。
ガラークはしばらく悩んだ後、キュイアの名前を一つ目たちに伝えた。
ガラークの言葉のどの部分が自分の名前だったのかは分からなかったが、その場にいたルーメス二体は、ガラークの通訳になぜか感心した顔をしていた。
恭順を示したことにより、キュイアは一つ目と同室になった。今までは鍵のかかる窓のない部屋に閉じ込められていたので、ルーメスと同室でも少しは気が楽になった。光籠の魔法で明かりはあったが、狭い部屋の中で何もやることがないのは、自然の中で育ったキュイアには窮屈だったのだ。
キュイアは毎日一つ目が語るルーメスの言葉を聞いた。まだ部屋から自由に出ることは許されてなく、一つ目はキュイアの監視役だったようだ。
一つ目の部屋には窓もあり、広さも今までの部屋の二倍はある。しかしただ捕らわれているだけのキュイアには、一つ目の声を聞くくらいにしかやることはなかった。
数日もすると、キュイアは人間の言葉で一つ目に語り返すようになった。言葉での意志疎通は全くできなかったので、大げさなジェスチャーをするようになった。
言葉は通じなくても、誰かと話すということは心労を和らげる効果があるようだ。
閉塞した環境から解放されたキュイアは、次第に一つ目には心を許すようになった。
実際に一つ目は相手を気づかうことを知っていて、それほど邪険にする対象とは思えなかった。一つ目は自分はほとんど寝ないからと手振りで示し、一つしかないベッドをキュイアに譲ってくれた。一つ目が寝ないときでも、キュイアが寝るときには光籠の魔法がかかった壁石に布を被せてくれた。
食事が済んだあとは、給仕係の人間が持って返りやすいように、盆の上に食器をきれいに重ねる。みなに甘やかされて育ったキュイアよりも、よっぽど行儀は良く見えた。
少し前に片腕には、ルーメスは討ち取るべき存在だと語ったが、キュイアは一つ目を知る内に、その考えを改めた。
慣れてくると、キュイアは一つ目の監視なしで大教会の中を歩き回れるようになったが、ほとんどの時間は彼と一緒に過ごした。訳の分からない宗教家たちよりも、一つ目の方が人間らしくさえ見えたのだ。
「そういえば、なんでここの人間はお前たちを神の使いだなんて言ってんの?」
一つ目は頭の回転が早いのか、この頃にはキュイアの言葉を、複雑すぎなければ理解できるようになっていた。
キュイアの言葉に一つ目は肩をすくめる。そしてにやにや笑いながら、俺らが大きいからさ、と言った。キュイアも一つ目と話し続けたために、簡単なルーメスの言葉は分かるようになっていた。
一つ目の返答にキュイアは笑った。そしてルーメス相手に冗談をかわす自分を、ひどく滑稽だと感じて苦笑いをした。
そんな日々をしばらく過ごしたある日、キュイアは一つ目にある提案をされた。難しい話になると見越したのだろう。通訳のためガラークが部屋に呼ばれていた。
一つ目が所々分からない言葉を話すと、ガラークが目を見開いた。信じられないと言うように一つ目を見返していたが、一つ目はただそれに頷いた。
「神の使いはおっしゃいます。あなたには神の試練に耐えうる精神が宿っていると。そしてそれなので神の試練を受け、自分たちのように祝福を受けてはみないかと」
通訳をされても意味の分からない発言だった。
「祝福ってのはなんだ? 人間の私がルーメスの神なんかの試練を受けてなんになるのさ?」
神なんかとガラークの前で言ったのは失敗だった。一つ目には気軽に口の悪い発言もできたが、ガラークはそれに免疫がなくて、顔を赤らめて今にも爆発しそうだった。
神は意志なき存在だ。否定をするのも肯定をするのも彼女の自由だ。
一つ目はガラークに向かってそう諭した。キュイアの失言をかばってくれたのだろう。ガラークは深呼吸をして怒りを静めた。
キュイアはこれ以上ガラークの気を逆なでしないよう、言葉を選びながら問う。
「それで祝福ってのを受けると、私はどうなるの?」
一つ目が喉を鳴らし、ガラークがそれを通訳する。
「神の使いはおっしゃいます。祝福は生きるために強い力を授けて下さる。偉大なる力を得た者は、あらゆる困難を乗り切ることができると」
ガラークの訳はキュイアが聞き取った内容とは少し異なった。ガラークの方がルーメスの言葉に詳しいが、一つ目の言葉を好意的に捉えようとしすぎているようだ。
キュイアの聞き取った内容は、ただ単に、祝福を受ければ戦闘力が上がり、危険が遠のくという程度のものだった。
ガラークの通訳にキュイアが違和感を感じたのに気付いたのだろう。一つ目と目が合うと、彼は苦笑いを返してきた。
キュイアは自分の力が強くなるということについて、しばらく考えてみた。
彼女は自分の集落という狭い場所でだが、誰よりも強い存在だった。ガラークに敗れるまで、子供のときから誰にも負けたことはなかった。素早い狼や大きな熊、奇形の鹿や、色々な動物を狩ってきたが、自分にできないことはないとまで思っていた。自分自身を誇りに思って生きてきた。
キュイアは今年で十八だ。十八年間も自分の力を疑わずにいた。今さら自分より強い存在が現れたとして、それを認めたいとは思えなかった。
しかしガラークの他にも、片腕やハンタクという少年は、確実にガラークよりも強いと聞いている。片目を傷つけたとはいえ、一つ目も本来キュイアより強いのだろう。
キュイアの誇りは傷ついていた。
しかし自分が強くなれるのであれば、自分が弱いと認める必要はない。それに将来的に片腕に復讐することができるかもしれない。
一つ目のように分かり合えれば、片腕とも案外うまくやれるのかもしれないが、選択肢は多くあった方がいいだろう。
「いいよ。分かった。その祝福ってのを受けることにする。ただし、私はそれでこの教団の一員になる気はないし、いつまでも捕虜でいるつもりもない。それでいいな?」
ガラークはキュイアの言葉に不機嫌そうな顔をしたが、一つ目は笑顔で頷いた。




