『女狩人の苦笑い』①
第五章 ~砂漠の旅人~
『女狩人の苦笑い』
キュイアは自分の数奇な巡り合わせを思い、毎日苦笑いをしない日はなかった。
彼女は元々、ヨーテスの小さな樹上集落に生まれ、集落で一人しかいないアレーの狩人だった。
ヨーテスではアレーの狩人ほど恵まれた生き方はないと言われる。もちろん王族や貴族は狩人とは比べようもないほど恵まれているのだが、それはアレーに生まれたからといってなれるものではない。
ヨーテスでの狩人アレーは、よほど才能がない場合でなければ、人々から尊敬を集める。山菜採りや狩りが主な生活基盤のヨーテスでは、狩人アレーは貴重な戦力だったのだ。
キュイアの生まれた集落でも、それは例外ではなかった。七家族、三十二名しか人口のない集落では、アレーはキュイア一人だった。キュイアは集落の食い扶持を得る最も優秀な狩人だったし、唯一の外敵からの防衛力でもあった。
山菜採りと狩りの他には製糸で収入を得ていた集落だが、暮らしぶりは豊かではない。まだ子供のころ、キュイアが狩りをするようになるまでは、冬を乗り切るのも大変だった。
そんな集落だったため、キュイアはそこで女王のように崇められていた。三十ほどの数とはいえ、みなに敬われるのは当然悪い気持ちではなかった。キュイアもみなを守るのが自分の使命だと思い生きてきた。
だから彼女は、片腕たちが集落へ向かってくるのを見かけ、すぐにみなを逃がして片腕たちに挑んだ。ルーメス大量発生の噂は森深いヨーテスにも届いていて、キュイアも普段から警戒をしていたのだ。
噂に聞くルーメスは、腕の立つアレーと変わらない強さだという。キュイアには人との戦闘経験も、ルーメスとの戦闘経験もなかったが、自分が負けるとは考えなかった。
正直な話、それはただの思い上がりだった。集落のみなにちやほやされ生きてきたキュイアには、現実というものがまるで見えていなかったのだ。
結果キュイアは敗北した。ルーメス一体に傷を負わせはしたものの、ルーメスに同行していた黄緑色の髪の人間に、なす術もなく敗れた。
不甲斐ない自分に絶望した。集落の人々はそれほど森の奥まで隠れたわけではない。自分の敗北がみなの信頼を裏切る行為に思えた。
身の程知らずにも自分は、勝てない相手に戦いを挑んだのだ。もう少し慎重に行動するべきだった。
やり直したいと思っても、チャンスは一度切りだった。
唯一の救いは、自分を捕らえたことで、ルーメスたちが満足をしたことだった。彼らは集落の人たちを探すことはしないで、自分一人を捕虜にした。
彼らの目的は分からなかったが、集落にも大きな損害はない。自分一人の身で済むなら大分ましだと思えた。
ルーメスたちに連れられて行ったのは、森の中にたたずむ壮大な建物だった。山を下りきったところにあるので、すでにここはヨーテスではないだろう。ヨーテスの北は、コールかオラークかフィーンだと聞いたことがある。そのいずれかの国なのだろう。
キュイアを敗北させた黄緑色のアレーが、この建物をヒッリ教の大教会、ヒッリテシアだと語った。
「ずいぶん親切なんだね」
キュイアは嫌みを含んでそう言った。
最初はルーメスの一体を傷付けたことに、彼は激しく憤慨していたが、傷付けたルーメスに何かを言われてからは、態度が柔らかくなっていた。
しかしルーメスと行動を共にするなど、まともな人間のすることではない。そもそもルーメスの言葉を操る人間が、キュイアには薄気味悪く見えた。そのため慣れ合うつもりは毛頭なかった。
大教会に着いてから、キュイアは治療を受け、毎日片腕のルーメスに質問攻めにされた。
ルーメスに情報を与えるのはどうかと思ったが、逆らえる立場でもない。
キュイアは不承不承ルーメスの質問に答えていった。
ルーメスの言葉がしゃべれる人間は、ガラークと名乗った。
片腕のルーメスはそのまま片腕と呼ばれていて、キュイアが傷を負わせたルーメスには一つ目という名が付いた。一つ目は厳めしい顔をしたルーメスで、キュイアが負わせた目の傷のせいで、余計に恐ろしい顔になっている。
集落に乗り込んできた他の二体、髪の長い方が耳無しで、無口なルーメスが口無しと呼ばれるようになった。
四体のルーメスは、みな腰布を一枚巻くだけの裸だった。ヒッリテシア大教会には他にもルーメスがいたが、ほとんどが同じような格好をしていた。
キュイアはルーメスが全員集まるところは見ていないが、最低でも片腕たちの他にも二十体はここにいるようだ。集落から歩いて十日もしない場所に、このような恐ろしい戦力が潜んでいたとは、キュイアは心臓が潰れたような心労を感じた。
この時点で、キュイアは彼らから逃げ出すことを諦めた。大教会に着いてから怪我の治療をしていたが、完治したとしても、とても太刀打ちできないだろう。
キュイアは自分の人生はもう終わりなのだと思って、強い腹立ちを覚えた。せっかく才能を持って生まれたのに、あまりに死ぬには早すぎる。やりたいことがあるわけではないが、まだ生きて喜びや楽しみを感じていたかった。どう譲っても、こんな無様な死に方は認めたくなかった。だがそれを逃れる選択肢が自分の前には用意されていないのだ。それはとても理不尽で、許し難かった。
しかし教会に着いて数日後、ガラークと一つ目がやってきて、彼らは意外な話をキュイアに持ちかけた。
「神の使いはおっしゃいます。このままではあなたは食糧となる、と」
ヒッリテシア大教会には他にも人間がいたが、彼らはみなルーメスを神と崇めているらしかった。ガラークの言う神の使いとは、この場合は一つ目のことだろう。
「また神の使いはおっしゃいます。しばらくは我らに恭順を示し、仲間になってはみないかと。そうすれば命は助かるだろうと」
キュイアは内心のいらだちを膨らませた。自分がルーメスに恭順を示すなど、とんでもない話だと思った。そのくらいならば死んだ方がましだ。
キュイアは一つ目を睨みつけて言葉を返した。
「考えられないね。あんたらなんかに付き従うくらいなら、今すぐ舌を噛みきって死んでやるよ」
この言葉にガラークが目を怒らせたが、一つ目がすぐにガラークに何かを言った。
儀式ばった仕草で、ガラークは一つ目に頭を下げた。
どうやら一つ目はガラークのことをなだめたらしい。ガラークがキュイアの言葉を一つ目に伝え、それから一つ目がガラークに何かを語る。
「神の使い一つ目はおっしゃいました。恭順を示すというのは、相手が自らより強く、反抗する意志がないと示すための行為だと。であるからして、付き従う必要はないと」
さらに一つ目がろろろと喉を鳴らして続ける。
「そしてまたおっしゃいました。人であれ神であれ、命はみな等しく、無駄な死は避けるべきだと。
……なんと心温まるお話でしょう。神の使いたる一つ目にここまで言わせ、よもや断りなどはしないでしょうね?」
ガラークが付け加えてそう言った。どこが心温まるのだと思ったが、穏やかな口調で話したガラークの目は、威圧的にキュイアの反論を塞いでいた。
それからキュイアは片腕に恭順を示し、初めて自分の名を彼らに伝えた。




