『丸馬車の旅』①
第五章 ~砂漠の旅人~
『丸馬車の旅』
リリアンが船に戻ってから、ルックたちはすぐにアルキューンへと戻る船路についた。
ルックはロロから崖上で起こった出来事を聞き、リリアンのあまりの強さに愕然とした。
「リリアンに、俺、たぶん勝てない」
ロロですらリリアンをそう評価した。
キルクからリリアンの話を聞いていたルックは、リリアンが強くなったということに、複雑な気持ちを抱いた。
リリアンはやはり自分たちのことを守ろうと考えているのだろう。それは自分もそう思っているし、ルーンもクロックもロロも、仲間のことは守りたいだろう。
しかしリリアンの場合は、そのことに無用なほどの責任を感じている気がする。もしも仲間の誰かに何かがあれば、その責任感はリリアンを必要以上に責め立てるだろう。
ルックたちは危険な旅をしている。自分たちがかなり強いという自信はあったが、それでも誰も死なないという保証はない。
もしものことがあった場合、リリアンは今度こそ耐えられないのではないか。ルックはそんな不安を持った。
しかし自分がもっと強くなれば、もしものときもリリアンの負担を軽減できるかもしれない。
ルックにはリリアンの責任感は、リリアンが持つ類い希な強さから来るものではないかと思えた。強いからこそ、守らなければならないと思うのではないかと。
例えばアラレルは、アレーチームを組むことを嫌って、いつも単独で依頼を受けていた。もともとはチームも組んだらしいが、組んだ仲間はみな死んでしまったらしい。魔法の使えない彼は、舞い込む危険な依頼や暗殺者から仲間を守れないことを恐れていたのだ。
アラレルのように敵なしの強さを持つリリアンも、やはり仲間を守れなかったときに責任を感じてしまうのだろう。
しかしルックがリリアンよりも強くなれば、もしも仲間の誰かが死んだとして、リリアンはルックのことを責めることができるかもしれない。それはリリアンの悲しみを分かち合うことができるということだ。
もちろん誰も死なない方がいい。しかし楽観視をしても仕方がない。
ルックはリリアン以上に自分が強くならなければならないと、心の中で誓いを立てた。
帰りの船旅はひどい嵐に見舞われた。
ナームペクタス号はそれでも前進し続けたが、山のような大波を上り下りするため、ペースはかなり遅くなった。
船の揺れもひどくなり、デッキに出ることはとてもできない。
嵐は十日も続き、二日目からクロックが船酔いを訴え出した。クロックは船に乗ったことが何度かあったらしいが、嵐は初体験で、船酔いも初めてだったようだ。具合の悪さに弱気になっていた。
「もしここで俺が死んでも、俺は良くやった方だよな?」
ルックはクロックのそんな発言を聞いて、かわいそうだが少し笑ってしまった。
ルーンがリリアンとクロック二人をまとめて面倒見ることになった。揺れがひどく、歩き回ることもできないので、リリアンとクロックはルーンの部屋にこもることとなった。
ロロがルーンの手伝いに奔走され、今度もルックは手伝わせてもらえなかった。ジェイヴァーとナームも忙しそうで、ルックは一人やることがなかった。
ルックは部屋でひたすらマナを集める訓練をして過ごした。
嵐を抜けると、だいぶ船は沖に流されていた。大陸が見える位置まで戻るには、それからまた十日も時間がかかった。
ここで問題になったのが食糧だった。もともとアルテス北部の目的地で食糧を調達できるという期待もあって、アルキューンからの往復分を少し超えるくらいにしか用意していなかったのだ。
頼みの綱はビーアだったが、どうしてかビーアはルーンの頭の上から離れたがらなかった。彼女はルーンが依頼しなければ、ルックの指示すらも聞こうとしてくれなかった。
「ビーアおねあい、おなかすいたうよー」
もう一つ気がかりだったのは、ルーンの呂律が怪しくなっていたことだ。体力の衰えなどはなかったが、いつもは早口なルーンがとてもゆっくり話すようになり、それでも正しい発音はできなくなっていた。
誰でもない少女の力が弱まっているのか、それともルーンの死がより近付いてきたのか、ビーアがルーンから離れたがらないのは、そのルーンの不調が関わっているのだろう。
アルキューンに戻ったときには、出航からふた月が経っていた。
また恵みの庭亭で宿を取った彼らは、今後の予定を考え直すことにした。
宿の部屋で会議を始めると、すぐにクロックが口を開いた。
「ルーンの状態をなんとかできる可能性は、コールの大学にもあるとは思う。だけど全てを知る者の方が間違いなく確実だろうね。少し遠回りになるが、俺は先に全てを知る者の方へ行きたいと思う。
みんなはどうだい?」
誰からも反対意見は上がらなかった。ルーンだけはどこか申しわけなさそうな顔をして笑っていた。
「僕もそれでお願いしたいな。けどそうすると、ジェイヴァーたちとはここで別れることになるね。ボートを買う時間も惜しいし、お金だけ渡しても許してくれるかな?」
「ええ、ジェイヴァーもルーンを心配していたから、たぶん許してくれると思うわ。それと馬車も買った方が良さそうね。それとラバも。つくづくあなたが鱗を高く売りつけたのは正解だったわね」
リリアンはそれから細かく必要なものを上げていき、その日の内に手分けしてそれらを買いに出かけた。
馬車とラバの購入を任されたルックは、港区の市場で思わぬ情報を聞いた。
ルックはどこで馬車を買っていいか分からず、市場の通りの入り口で、果物の露天を開く主人に声をかけたのだ。
「あ? 馬車なんてアルキューンで買えるわけないよ。砂漠を行く丸馬車だろ? あれは車輪がコルタ鋼でできてるから、アルテスの東部じゃないと売ってないんだ」
主人は誠実そうな中年のキーネで、嘘を言う理由もないだろう。
コルタ鋼は主にフィーンのオルタ山地で取れる鉱物だ。オルタ山地はまさにルックたちの目的地で、そこまで行って馬車を購入する意味は全くない。
馬車なしでは砂漠の道程は辛いだろう。ルーンも今は元気だが、またいつあのうつろな状態にならないとも限らない。
丸馬車はどうしても必要だった。
ルックはイークたちなら馬車を貸してくれるかもしれないと考え、アルテスの王宮に向かうことにした。
アルテス王宮はアルキューンの西寄りにあり、ルックのいた場所からはそこまで遠くない。それでも西区よりは向こう側にあるので、ルックはマナを使った走法で移動することにした。
人気の少ない道を選び、西区を十五クランほどで抜け、ルックはアルユト区に入った。イークたちは以前ここに住んでいるとは言っていたが、アルユト区はルックの故郷、首都アーティーズでいう、一の郭にあたる区だった。
立ち並ぶ家々は明らかに権力者の家で、大きく豪奢だった。アルキューンの他の区と同じく、家は全て南南東を向いている。どの家も少なくとも三階建てで、塀に囲われていた。そして塀の中には広い庭を持っていた。
全ての家にはガラス製の窓が張られていて、ドアの前には何か意味があるのだろう、丸く太い柱が立てられていた。柱には馬や魚などの絵が描かれている。
一つ一つの家の間隔が広いためだろう。道には街路灯が立てられていた。まだ日中なので分かりづらいが、街路灯はやはり淡く青い光を放っているようだ。
季節は海にいる間に寒季をまたぎ、再び暖季に入っていた。アーティスの暖季よりもはるかに暑く、王宮に着くころにはルックは汗ばんでいた。




