②
町に終戦の報が届いたのは、リリアンたちが訪れてからひと月後のことだった。
「やっと帰れるね」
重傷に苦しんでいたトップだが、その頃にはだいぶ良くなっていた。
リリアンはトップのその言葉に頷くと、ティナ街への帰還をみなに告げた。
誰も戦勝のことは喜ばなかった。しかし全員の顔に安堵が浮かんだ。
それから彼らは町長に礼を言い、アーティーズへ向かった。丸二日、食事と睡眠以外は歩き続けたが、誰からも不満の声は上がらなかった。
彼らはあの日、シェンダーに向かう道中でカン軍と遭遇した。もし休まず順調に進んでいれば、あのような事態にはならなかったのではないか。誰もがそう思っていたのだ。
しかしそれは間違いだった。まだ彼らは運が良かったのだ。
キルクが先触れに行っていたため、アーティスの首都アーティーズに着くと、キス家の長兄だという男が出迎えてくれた。
リリアンから見て、彼は優れた人格を持つ男だった。
リリアンたちに慰めの言葉も言わず、同情もせず、ただ事実のみ話すような口調で言ってきた。
「アーティーズに到着したカン軍は千五百ほどだった。特にアレーの数が五十ほどに減っていた。もしティナ軍と衝突をしていなければ、アーティスは滅びていたやもしれぬ。アーティスを代表し、礼を言わせて頂こう」
リリアンはそれが偽りだと分かった。その後アーティス各地の戦況を聞いたが、仮にティナ軍がカン軍を削っていなくても、アーティスは負けなかっただろう。
しかしキス家の長兄の言葉に、ほとんどのティナ軍兵士は泣き崩れた。自分たちの行いが無駄ではなかったと思えたのだ。
リリアンは彼らに事実を話すことはしなかった。
そしてシェンダーの砦が敵の大魔法により、たったの三名しか生き残りがいない状況になっていたことを知った。
もしも予定通りにシェンダーに入っていたら、ティナ軍は誰一人生き残らなかっただろう。
彼女たちティナ軍は、まだ運がいい方だったのだ。
キス家の長兄はティナ軍をもてなすと提案してくれたが、リリアンはそれを断った。
彼女は一刻も早くティナへ帰りたかった。
ティナ軍はそれから首都を素通りして歩き、ティスクルスの宿で一泊した。
そして次の日すぐに、重い闇が支配するトンネルへ入った。
ティナへ着くと、テスクルスの宿でティナ軍は解散した。リリアンは一人一人に声をかけようと考えていたが、誰にも何か言うことはできなかった。
トップ家を出たアレーは、リリアンを含め二十一人だったが、戻ったのは四人とキルクだけだった。
トップの帰還を喜ぶ人もいたが、泣き崩れる人も多かった。
「あの人も逝ったんですね」
リリアンに中年の女性キーネが声をかけてきた。
彼女はグランの妻だった女性だ。予感でもあったのだろうか。とても落ち着いた口調だった。
「ごめんなさい」
リリアンにはそれだけしか言うことができなかった。
リリアンはトップに一部屋を与えられた。部屋はたくさんあるはずだったが、キルクと同室だった。リリアンの塞ぎように、トップが気をつかったのだろう。
ベッドがテーブルを挟んで二つ置かれた部屋だ。キルクは部屋に入るとすぐ、右のベッドに腰を下ろした。
「お前、泣けないのか?」
キルクが尋ねてきた。泣けないというのは、リリアンの心を正確に捉えている発言だった。どれだけ泣きたいと思っていても、リリアンは一粒の涙も流せなかったのだ。
「あなたも泣いていないわ」
「俺は見えないところで泣いたんだよ」
キルクは色々とリリアンに話しかけてきた。しかしリリアンはその言葉が、どれも頭に入ってこなかった。
キルクが泣いたというのが、それほどリリアンにはショックだったのだ。
リリアンはつぶやくように言う。
「キルク。ごめんなさい」
「はは。謝んなって。誰が悪いだなんてことねぇだろ?」
おどけて笑うキルクに、リリアンは真剣な目を向ける。
「だけどあなたはウィンのことが……」
「おいおい、そりゃいつの話だって。そんなもんは全部、ダーミヤのおっさんに投げ飛ばされちまったよ」
キルクから懐かしい仲間の名前を聞いて、リリアンは少しだけ笑った。
「とにかくそんな話は無しだ。これからのことだけ考えてこうぜ。……なぁ、俺たちゃまだ若いんだからよ」
それはダーミヤの口癖だった。「お前たちゃまだ若いんだからよ」と、ダーミヤの声が聞こえる気がする。リリアンは少し困った顔で頷いた。
リリアンはそれから、久しぶりに深い眠りに落ちた。
次の朝目覚めると、キルクがすぐに言った。
「なぁリリアン。なるべく早くまた旅に出ようぜ。
今度はどこに行くかな。ヨーテスを抜けてコールなんてのはどうだ? そういえばダーミヤを埋めた場所に、そろそろ酒のなる木ができてる気がするんだ。見に行こうぜ」
キルクは陽気な声で言う。本当に陽気な気分でいられるはずもないのに、リリアンを元気づけようとしてくれているのだろう。
「キルク。ごめんなさい」
リリアンは親の死んだ七歳のときに、キルクに拾われた。彼はリリアンの重い過去を笑い飛ばした。いつもおどけて笑わせてくる彼に、子供時代のリリアンは落ち込む暇がなかった。
彼がもしもいなければ、自分はどうなっていただろう。
そのキルクに気をつかわせているのが申し訳なかった。しかしもう彼と一緒にいることはできない。
「もう私には、誰も守れるとは思えないの」
この言葉に、キルクが怒った。彼は目を丸くしたあと顔を赤くし、リリアンへと詰め寄ってきた。胸ぐらを掴み、リリアンのことを持ち上げる。
「誰が、いつ、守ってくれなんて言った!」
キルクは投げ捨てるようにリリアンを突き飛ばす。ベッドに落ちたリリアンは、キルクの顔を見てはっとした。
気の強そうなつり目から、涙がこぼれ落ちてきたのだ。
リリアンは出会ってから初めて、キルクの涙を見た。
それから彼は荷物をまとめだした。そして一言だけ言った。
「お前はもう旅をするな」
キルクは出て行った。キルクが立ち去ったドアを呆然と眺め、リリアンは全てを失ったのだと思った。
それからリリアンは彼を見ていない。一年ほどしてルックから話を聞くまで、ずっと彼のことは気がかりだったが、探しに行く気力は湧かなかった。
キルクが出て行って一時間ほど、リリアンはただベッドに腰掛けうつむいていた。
そこにノックの音がする。
「リリアン、ちょっといいかな?」
トップの声だ。
キルクが一人で旅に出ると伝え、心配して来てくれたのだろう。トップはリリアンを椅子に座らせ、もう一つの椅子をリリアンの前まで引きずってくると、彼自身もそこに座った。優しい目つきで見つめてくると、口を開く。
「リリアンにお願いがあるんだ」
てっきりキルクの話だろうと思っていたが、そうではなかった。
「リリアンにトップ家の護衛をしてもらえないかな?」
「護衛?」
「うん。また新しい人を何人か雇うつもりなんだけど、ほら、この屋敷は今どんよりしてるから、明るい雰囲気の人をたくさん雇いたいんだ。
でもそうすると、何かあったときの防衛力が不安だから、リリアンに頼めないかなって」
リリアンは不思議だった。
なぜトップにしろキルクにしろ、自分より辛いだろう人たちが、こんなに優しくいられるのだろう。本当なら指揮官だったリリアンのことを、なじったとしてもいいはずなのに。
「私は、またあなたのことを守れないかもしれないわ」
しかしトップやキルクにしてみれば、リリアンはまだ、たった十五歳の少女だったのだ。どれだけ戦士として強かったとしても、心まで強くなるわけではない。そう思われていたのだろう。
トップの目には、年上としての余裕が見て取れた。
「別に大丈夫だよ。アレーがたくさんいる屋敷を襲おうなんて人、そうはいないだろうからね。リリアンは良かったら、みんなの先生をしてもらえないかな?」
気負いなく言うトップの言葉に、リリアンは敵わないと悟った。
ウィンが好きになったのも分かるわ。
言葉にはせず、そう思った。




