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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第四章 ~海の旅人~
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 リリアンの言葉にロロが珍しく声を荒げた。


「待て! お前、俺より弱い。俺が戦う!」

「いいえ。私はルックにはまず負けない。あなたは私より弱いわ」

「違う。ルック、強くなった」

「そうなのでしょうね。それでもそれは私ほどではないわ」


 リリアンは強く断定して説得力を込めたが、ロロは承服しなかった。

 そもそもここの術者に協力を取り付けるのを、リリアンは諦めかけていた。それに危険をおかしてまでここで無理をする必要はないと考えていた。

 そのリリアンならば戦いをしないという結論に達しそうだが、ロロの話を聞いて気が変わったのだ。

 いくら決意を固めた目をしていても、ロロは馬鹿ではない。勝算がなければ戦うとは言わなかっただろう。純粋な体術で戦うルーメスにとって、老いとはそれほどのものなのだ。

 リリアンは今の自分に自信があった。ルーンが考案した新しい技術は、それほどのものだったのだ。


「あなたと戦うのは私よ」


 リリアンは自分のことを指し示し、老ルーメスに言った。言葉は通じないが、リリアンが何を言ったかは分かったのだろう。老ルーメスは初めて顔に驚きを浮かべる。

 その老ルーメスから視線を外し、次にロロの方を見る。ロロの茶色い瞳を見据える。ロロはまだ迷っているようだった。しかしリリアンは言い切る。


「私が戦うわ」


 リリアンには自分を犠牲にするつもりはなかった。その想いを感じ取ったのだろう。決死の想いでいたロロは引け目を感じたように目を伏せた。




 戦いのしきたりは次の朝から行われることとなった。老ルーメスは昨日の真夜中には起きていたらしい。そしてまた今日の昼前には眠りに付くという。眠る時間は丸一日近く、起きる時間は八時間ほどということだ。


「ルーメスの老いは厄介なようね」


 ロロにそんな話をすると、彼はまだあの老ルーメスはましなのだと言った。死が近付くにつれルーメスの眠りは長くなり、数月も眠るようになる。そうしてやがて目の覚めない眠りに付くのだという。

 彼らは今は使われていない家で眠ることになった。昨日はまだ警戒心の強いルーメスたちの気持ちを考え、野宿をしたのだが、神事を行う前に警戒は無用だということだった。


 次の日の朝、まだ空が明るくなりきらない二の刻に、リリアンは起きた。昨夜は一睡もせず夜を過ごしていたロロは、リリアンが起きるとすぐ水を用意してくれた。


「近く、地下水の出る、洞窟あるらしい。案内の男、持ってきてくれた」

「そうなの。案内の男ってあの男爵クラスの?」

「たぶんそうだ。だけど、昨日あの家いたルーメス、全員男爵クラスだ。水持ってきたの、最初に話した、男爵クラスだ」


 男爵クラスは全部で四体という話だったので、男爵クラスのというリリアンの問いは不適切だったようだ。


「ふふ。意外に細かいのね」


 リリアンがからかうと、ロロは困惑したような表情で謝ってきた。


「そうか? 悪かった」

「あはは。ちょっとからかってみただけよ。別に責めた訳じゃないわ」


 水は地下を通った水らしい味がした。リリアンの生まれたヨーテスよりも重たい水だ。口に合わないと思いながらも、久しぶりにアルコールのない飲み物で、身が清まる思いがした。


 戦いのしきたりはそれから一時間後に始まった。集落にいた全ルーメスがその戦いを見にきた。三十ほどのルーメスがいる。この他に狩りに出ているルーメスが六体と、こちらの世界で死んだルーメスが八体いたらしい。

 この集落全員の身を預かる老ルーメスは、どれほど重い責任を負っていたのだろうか。

 リリアンはそんなことを考えた。


 場所は集落を出てすぐの大地だ。集落のある方に三十のルーメスが固まり、反対側にロロが立っている。その中心で、リリアンと老ルーメスは向き合って座っていた。

 開始の合図は案内の男が行うことになった。彼が投げた石が地面に当たったときに開始だ。

 リリアンは剣を抜かず、水のマナを集めた。


 それは私も見たことのない魔法だった。


 リリアンの左目の前に、特殊な揺らめき方をする薄い水の膜が張られた。メガネのレンズのみが浮かんでいるかのようだ。

 ルーンが新しく考案した水の魔法、遅鏡の魔法だ。リリアンはルーンの言われた通りにマナを構成し、この魔法が使えるようになった。仕組みはまるで分からなかったが、レンズを通した左目の視界が、遅くなったように見える。右目は普通の速さなのに、左目だけが遅く見えるのだ。

 なぜ左右でズレが生じないのかも分からない。しかしこの視界にさえ慣れれば、リリアンの動体視力は飛躍的に上がった。


 推測だがこの魔法は、水のマナを使い、時の世界から流れ込んでくる「時間」を歪める魔法なのだろう。ルーンがその着想を持った経緯は分かるが、それを魔法に利用するなどとは、大賢者ルーカファスですら思い付かないことではないだろうか。


 それからもう一つだ。リリアンは体内にあるマナを意識した。いつものようにタイミングとコントロールを操るのではなく、もっとこの技法は革新的なものだった。

 ルーンの考案したその新しい技術は、体内のマナで魔法を作り、体を動かすというものだ。ルーンは体術の魔法と呼んでいた。

 リリアンには体内のマナで魔法が使えるとは、考えも付かないことだった。しかしルーンの考案した構成に練ると、体内のマナが増幅したかのような感覚を覚えた。

 まだ慣れない魔法なので、タイミングとコントロールを合わせるところまではできていない。しかしそれでも、漲るマナはロロとも同等の速度を可能にした。


 つまりリリアンは今、最強の勇者アラレルを確実に超えた境地に至っているのだ。


 案内の男が石を空高く放った。


 リリアンは感覚を研ぎ澄ませ、石が地面に着くのを待った。


 石が落ちた瞬間だ。伯爵クラス、老ルーメスが目の前にいた。いつ立ったのか、いつ地を蹴ったのか、いつ両腕を振り上げたのか、リリアンには見えていた。

 体を反らす。そのまま後ろの地面に手のひらを突く。振り下ろされた両手が地面を打つ。リリアンは腕のバネで後退しつつ、水魔を放つ。

 轟音がして、水の厄災が立ち上る。老ルーメスがそれに飲まれた。リリアンは足から着地し、さらに氷擲を放つ。水魔が消える。その中にいる無傷の妖魔に、氷擲が飛来する。狙いは喉だ。しかし老ルーメスがその氷擲を睨むと、氷の粒に火炎が点る。火炎はそのままリリアンへ向かう。リリアンは左へ跳んだ。それをしかし火炎が追撃する。


「水砲」


 リリアンが手を差しだし、水の砲を放った。蒸発音と共に、水砲も火炎も消える。

 老ルーメスが動いた。リリアンは左目の端でそれを捉えた。


 速い!


 右目では捉えられないほど、老ルーメスは急加速した。

 リリアンに大量の水が降りかかる。とっさに出した水壁を、老ルーメスが砕いたのだ。

 間一髪。水壁が遅れたら敗北していた。わずかにでも遅れたらだ。老ルーメスは地に倒れた。彼は故意に水壁を砕いたのではないのだ。急加速は、彼でも制御しきれない速さだったのだ。


 リリアンは分かった。彼は勝負を急いでいるのだ。彼はすぐさま立ち上がる。そこに三本の氷柱を放った。腕を合わせ喉と目を守る老ルーメス。氷柱は彼の体に砕かれた。

 勝負を急いでいるのは、おそらく老いのせいだろう。しかし彼には隙がない。老ルーメスがリリアンを睨む。紅い目がカッと開かれる。リリアンはそこで初めて剣を抜く。二本差した剣の内、短い方の剣だ。


「グロロロォォォ」


 老ルーメスがほえた。その瞬間、リリアンを目掛け、水の鳥が飛び出して来た。大きい。鷹のような鳥だ。水の鳥は意志を持つように、避ける先へ追いかけてくる。

 流水の魔法を浴びせる。しかし水の鳥は意に介さない。流れる水が水の鳥に飲み込まれる。


 リリアンは焦った。鳥は顔を目掛け飛んでくる。殺傷力は先ほどの火炎より低いだろう。しかし水の魔法が消される。左目の遅鏡が奪われたら、それは敗北と同じだ。

 短刀の腹で鳥を叩いた。鳥の首を蹴り上げた。だが水の鳥は形を失わない。


「氷柱」


 鳥を串刺しにした。それでも鳥は止まらない。体を割り、氷柱を抜ける。

 老ルーメスを見る。彼はその場から動かず、水の鳥に集中している。

 再び水の鳥が迫る。リリアンはそれを左に避け、短刀を投げた。あらん限りの力を込めた。老ルーメスの喉に向かって、短刀が飛ぶ。

 老ルーメスは少しだけ屈み、短刀はあごに当たった。わずかな傷、それだけ残し、短刀は止まる。

 鳥はいよいよ、リリアンのことを追い詰めた。避けられない。短刀を投げた反動で、体勢が崩れたのだ。

 水の鳥を受け止めようと、手を差し出す。そして触れた瞬間、一か八か、水操を放った。


「ギュッ!」


 驚いた。水の鳥が鳴いた。まさか本当に生きていたのか。水操は効いていた。

 水操で、水の鳥は霧散した。

 老ルーメスを見る。消耗したのか、肩で息をしている。彼はまたほえた。水の鳥が再度生まれ、襲い来る。

 水の鳥を払う。その瞬間に水操で霧散させる。無駄を悟ったのだろう。老ルーメスは駆け寄って来た。体の前に手を構え、リリアンを打つ。細かく何度も打ち付けて来る。その全てを、リリアンはかわした。

 頭の脇を、何十回も、巨大な拳が行き過ぎる。反撃の隙はない。


 鋭い攻撃に、絶望的に硬い皮膚。老ルーメスは強かった。リリアンの想像以上に、本当に強い。

 しかしまだ、リリアンには奥の手があった。勝つすべはある。しかしそれには、マナを集める時間がいる。


 リリアンの奥の手は三つ。内の一つは特大の水魔だ。しかしそれは、以前伯爵クラスに通じなかった。残る二つ、どちらでもいい。それさえ使えれば可能性がある。そうは思うが、好機が見いだせない。

 遅鏡に回したマナが、尽きかけてきた。急がなければ、勝機は完全に消える。

 リリアンは距離を取りたかった。だが拳を避けるだけでも精一杯だ。

 拳は速く、とても重い。一撃でもくらえば、負けが決まる。

 少しずつ後退させられる。マナが溜められない。右に跳ぼうと踏み込む。しかしできない。動きを読まれ、回り込まれる。

 突然紅い目が光る。リリアンは慌てた。大きく後退する。リリアンのいた場所が爆発した。爆煙を割り、老ルーメスが再び肉薄してくる。

 剣を抜く間もなかった。リリアンはまた、拳を避けるので手いっぱいになる。疲れはないのか、拳の雨は止む気配がない。


「!」


 前触れはなかった。突然、体術の魔法が、限界を迎え、消えた。


 負ける。


 いや、負けるのではない。このままでは死んでしまう。

 リリアンは身を深く沈める。地面に手を触れ、そして思いっきり後ろに跳んだ。突然の変化に、しかし老ルーメスは対応してきた。リリアンを追うため、彼は足を踏み出した。


 かかった!


 老ルーメスが転倒した。跳び離れる前、地面を凍らせていたのだ。

 マナを溜め始める。一心に、集中力を高めた。

 しかし、それだけでは足りない。老ルーメスはすぐに起き上がろうとする。

 長剣を抜く。リリアンはそれを投げた。そしてわずかにマナを消費して、魔法を放つ。

 老ルーメスは駆けて来た。投じた剣を払いのけ、なお駆けようと踏み出してくる。だが、剣の陰に潜ませた、氷のつぶてが襲いかかった。

 彼は身をねじり、そのまま地面に転がった。そしてにわかに立ち上がる。紅い目が、立ちすくむリリアンを見た。

 爆発が来るかもしれない。そうリリアンは思った。しかし、ここで飛び離れれば、勝機はどの道消える。賭けるしかない。

 リリアンはそのままマナを集め続けた。

 賭には勝った。老ルーメスは爆発を生む選択をしなかった。地が割れるほど強く踏み出し、老ルーメスは駆けてくる。距離が詰まり、老体は垂直に、リリアンの頭を蹴り上げた。蹴りはリリアンの顎に当たって、……


 リリアン! と、ロロが悲鳴を上げた。老ルーメスの重たい蹴りに、人間が耐えられるはずはない。ロロはそう思ったのだろう。そしてそれは間違いではない。

 だが老ルーメスの蹴りは、彼女の頭をすり抜けた。彼女の姿に波紋が広がる。それはまるで、水鏡に石を投げ入れたかのように。……


 そして「古い戦いのしきたり」は終わった。


 老ルーメスの喉もとに、リリアンの氷の短刀が突きつけられていたのだ。


「私の勝ちよ」


 リリアンが宣言をした。彼女の奥の手は間に合ったのだ。誰の目から見ても、リリアンの勝利は疑いようもなかった。

 しかし戦いを見ていた面々は、一体何が起こったのかは分からなかっただろう。正面にいる老ルーメスも、ただ目を見開いて愕然としている。


 リリアンはその反応に既視感を感じた。

 そしてリリアンは、最後にこの魔法を使った日のことを思い出していた。

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