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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第四章 ~海の旅人~
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 リリアンたちはその場所で夜を過ごした。先にロロが二時間ほど眠り、次にリリアンが朝まで眠ることにした。

 吹き付ける風が強く、壁がない上にほとんど岩肌に近い地面だったが、リリアンはローブを細かくたたみ、それの上に座って眠った。身を隠せるほどの岩が風除けになったので、最悪の野宿ではなかった。


 次の日の朝、男爵クラスのルーメスが二人を迎えに来た。

 伯爵クラスが目覚めたようだ。


 再び集落を訪れると、男爵クラスは一つの家の中へ二人を導いた。

 家の中には仕切りはなく、床は地面を整地しただけのものだった。その整地も完璧ではなく、所々わずかな凹凸がある。明かりは天井に空いた明かり取りの穴から漏れる陽光だけだ。


 その明かり取りからこぼれ落ちてくる光の中に、皺だらけの顔をしたルーメスが座っていた。


 周りには三体のルーメスが立っている。男爵クラスが老ルーメスの耳元へと頭を寄せて、喉を鳴らす。こちらのことを説明しているのだろう。

 老ルーメスがゆっくりと頷き、言葉を返してくる。ロロがそれを通訳した。


「彼、名前と出身地を言った。それから位を。伯爵クラスだ」


 リリアンが人間だとは知られているので、交渉役を任せてもらえるようだ。


「私はリリアン。人間よ」


 リリアンの言葉を訳そうとロロが口を開いたが、少し戸惑ったような表情をする。


「リリアン、人間という言葉、ルーメスの言葉だと、白くて、弱くて、祝福されてなくて、美味な動物、と言う。おかしくないか?」


 リリアンは自分が美味だというのに少し戸惑った。しかしこの場所でその言葉通りに見られることはないだろう。仕方なくため息をついて、ロロにそのまま訳すよう目線で指示した。

 ロロの通訳を聞いて、周りのルーメスが一瞬動揺していたが、すぐにそれも収まる。老ルーメスは微動だにしないでまた頷いた。

 老ルーメスが喉を鳴らす。


「俺たちの目的は、聞いた。だが、歪み広げるのを、やめることできない。だけど俺たちから、情報がほしい、と言った」


 つまり協力はしないが情報を教えろと言うのだ。都合のいい話だが、それだけ彼らも必死なのだろう。

 リリアンは交渉の余地がないか探るため、どのような情報が必要なのか尋ねた。


「ルーメス、大量発生に、ついてだ。どのくらいのルーメスが、来てるのか、どうして、世界が不安定、なったのか、知りたいらしい」


 そこから何かヒントを得ようと言うのだろう。彼らがここで歪みに力を加えている行為は、功を奏してはいない。女のルーメスどころか、男のルーメスも迷い込んでは来ていないのだ。

 そもそも力のある伯爵クラスとは言え、そう簡単にルーメスが通れるほどの歪みは作れないのだろう。もしそれが可能なら、彼らはすでに元の世界に帰っているはずだ。


「それに関しては教えてもいいわ。その代わり一つ教えて。あなたはどうやって歪みに力を加えているの?」


 老ルーメスはリリアンの問いに、実際に歪みを広げる魔法をして見せてくれると言った。

 老ルーメスは目を閉じ、ルーメスにしては低いうなり声を発した。

 うなり声は長く続いて、ふと途切れてはまた長く続いた。

 老ルーメスから、空気に波紋が広がるような何かを感じた。アレーが空気中のマナを集めている気配と似ていたが、それとも少し違う。

 マナを集めているときは、なんとなくそうしていると分かるだけだ。波紋のような形を感じることはない。老ルーメスがしていることは、もっと具体性のある何かだった。


 老ルーメスが魔法を見せてきたのは、言葉で表現することが難しいためだろう。

 行っている本人にすら詳しく言えないことだ。リリアンは正しく理解するのを諦めて、漠然とその現象を捉えた。


「分かったわ。ルーメスがどのくらい来ているかは分からないけれど、毎日数体が来ていると思うわ。ただしこれは大陸中での話よ。例えばこのくらいの集落に現れるのは、このペースでも数年に一度でしょうね。

 どうして世界が歪んだかは、人間の闇という神に仕える神官が、何かの術を失敗したからだと聞いたわ。同じことは多分もう起こらないでしょうね」


 リリアンは老ルーメスを諦めさせたくて言った。ロロが訳し終えると、リリアンは続ける。


「大量に訪れているルーメスは、人間に毎日狩られているわ。歪みに巻き込まれたルーメスは身の不幸を嘆いているでしょうね」


 リリアンの言葉に周りのルーメスが動揺を示した。しかし老ルーメスにはその色はない。

 老ルーメスは目を開け、ロロを見上げる。ロロと老ルーメスが短く言葉を交わした。


「彼は俺に、だから、歪み止めようとするのか、と尋ねた。俺、この世界が、好きだからだ、と答えた」


 老ルーメスは眠りに落ちたかのように、再びじっと目を閉じる。しばらく考えていたのだろう。ゆっくりと目を開けると、揺るがない表情で再び喉を鳴らした。


「彼は、もうこのような機会、ないなら、やめること、できないと、言った」


 リリアンは眉をしかめる。どうやら先ほどのリリアンの発言が、余計に彼の意志を固めてしまったようだった。

 リリアンは歯がゆい思いをしながら、もう引き下がろうと考えていた。老いてはいても相手は伯爵クラスだ。無駄に気を逆なですれば危険だし、リリアンも彼らが譲れないだろうとは最初から分かっていたのだ。

 しかしそこで、老ルーメスのそばに立つルーメスの一体が、何か異を唱えたようだった。さらにそれに追従して、案内をしてくれた男爵クラスも何かを言う。

 ロロに目を向けるが、通訳はしてくれず、老ルーメスに目線を向けている。返答を待っているのだろうか。

 老ルーメスが声を荒げた。その様子に、反論をしたのだろう二体が沈黙する。彼らの目には悲しむような、哀れむような、複雑な感情が見て取れた。


「ロロ?」


 状況が分からず聞くと、ロロが寂しげに答えた。


「彼ら、もう諦めよう、と言った。充分に生きた、と」


 リリアンは言葉に詰まる。ふと思い出したのは、南部猿を倒した後のルックの落ち込みだった。


 人間とルーメス。違う生物だが、そこに存在する感情は変わらない。集落の存続、子孫繁栄を諦めようというのだ。自分たちはここで滅びようと。

 それを勧めるということは、どれほど残酷に見える行いだろうか。

 リリアンはあのときのルックの気持ちが、今になってようやく分かった。


 老ルーメスが立ち上がった。老いてはいても背筋はしゃんと伸び、体躯は屈強だった。

 老ルーメスがロロに何かを告げる。ロロはそれにしばらく黙考し、言った。


「リリアン。俺、彼と戦う」


 リリアンは目を見開いてロロを見る。戦うとはどういうことか。リリアンが尋ねると、ロロは言う。


「ルーメス、古い戦いのしきたり、ある。戦って、生き残った方に、全員従う」


 ロロは迷う同族に、何を感じたのだろうか。決意のこもった眼差しをしていた。

 ルックやルーンなら「古い戦いのしきたり」という言葉に、フィーン時代の騎士の物語を思い浮かべただろう。


 フィーン時代後期の騎士は、決闘という手段を用いて大きな戦争を回避していた。実利よりも栄誉を重んじるフィーン大帝国では、そのたった一人と一人の勝敗に、争いの結末を委ねることができたのだ。

 ルーメスの古いしきたりとはそれに似ていて、しかしそれよりもなお重たい意味のあるものだった。


 騎士の決闘とは試合だ。試合の方法はいくつかあったが、ほとんどは馬上での槍術を競うものだった。落馬するか槍を落とすかで勝敗が決する。

 落馬などで命を落とすものはいたが、槍は刃を丸められていて、死者が出ることはまれだった。

 魔法師部隊が主流だったフィーン時代の後期では、騎士とはすでに敵を殺すものではなく、神に儀式を捧げる聖職のような色合いが濃かったのだ。


 ルーメスの古いしきたりも神事だ。しかしルーメスの戦いに勝敗を決するルールはない。誰の目からも勝敗が着いたと認められるまで戦いは続く。

 ルーメスは武器を持たない。しかし皮膚や骨は硬い。ルーメス同士の戦いは、相手の喉を狙う攻撃が主体となる。そして喉への攻撃は、致命傷になることが多い。

 そのためほとんどの場合は死が勝敗を決する。

 そして勝った方も無事ですむとは限らない。先に死んだ方が敗者となるだけで、勝者がその後死なない保証もないのだ。


 リリアンはそこまで理解したわけではない。しかしロロの眼差しに、彼女の嫌いな色合いを見つけた。


「ロロも男なのね」


 リリアンはため息をつく。ロロの目には英雄を気取り、自分の勇ましさに酔いしれているような、そんな色合いがあったのだ。

 もちろんロロにそんなつもりはないのだろう。ただリリアンから見れば、それは自覚がないだけで、なおたちの悪いことだった。


 リリアンはこのような目をした人間を何人も見てきた。全て男性だったわけではもちろんないが、圧倒的に割合は多かった。男なのねという発言はそこから生じたものだ。


 そしてリリアンはこの目を見る度、喜んで毒を食らった青髪の少年の目を思い出すのだ。


「ロロ。あなた最近ルックと試合をしているわね。ルックは勝率が四割くらいだと言っていたけれど、それに間違いはない?」

「ああ、そのくらいだ」

「それならその古い戦いのしきたりとやらは、私がやるわ」

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