⑥
彼女は集落から見えないように岩陰へ隠れる。ロロも岩陰に招き入れ、小声で告げた。
「ロロ。私はあんな建築様式は見たことないわ。こっちで古い建物が一番多いフィーンでも、あれよりはしっかりと設計された建物しかないわ」
フィーンは非常に古い歴史があり、数千年も前から建つ建造物もある。フィーンの帝都にある聖堂は三千年の歴史があるというし、最古の建物と言われる「船呼びの灯台」は、六千年の歴史を持つらしい。どちらも一度見たことがあるが、緻密な設計の元に建てられたものだった。
リリアンはそんなことをロロに説明する。
ロロは自分の知る妖魔界の遺跡は、三千年ほど前のものだったと語った。
リリアンはロロから詳しく妖魔界の歴史を聞いた。孤独な異端者は全ての歴史を知るわけではなかったが、少なくとも現在の妖魔界では、家はしっかりと設計をしてから建てるものらしい。
「ルーメスが大量に現れるようになったのは、クロックの母親が儀式を失敗した一年半ほど前からよ。あなたたちはその期間であれだけの集落は作れるかしら?」
リリアンの問いにロロが考え込む。
「俺、家建てたこと、ない。だけど、石を切り出して、家の形造る、きっと時間かかる。あそこ七つの家がある。たぶん難しい」
「そう。そうしたらあそこにあるのは、今回の大量発生以前に来たルーメスが建てたものってことね」
リリアンはそう結論づけた。そして言いながら一つ重大な問題に気が付いた。
「ロロ。あなたこの世界の歪みを修正するようなことはできないわよね?」
ロロも同じことに思い至っていたのだろう。神妙に頷く。
ここにいるルーメスが歪みを抑えているのか広げているのかは分からない。しかしどちらにしろ、ロロより上位の存在がいる可能性が高いのだ。子爵クラスのロロの上ならば、あの二股の木で戦った伯爵クラス以上ということだ。
リリアンはそこで一度深く考えた。
クロックの話では、ここにいる存在の力はクォートよりは強く、リージアよりは弱いという。どちらもどれほどの力があるのかは分からないし、それが戦闘の強さには結びつかないとは思う。しかしある程度の目安にはなる。
伯爵クラスの上は、侯爵、公爵クラスと続く。子爵クラスと伯爵クラスの間ほどの差はないらしいが、確実に強さが違うらしい。これは以前ロロが話していたことなので正確な情報だ。
リリアンはルックのように明確に根拠を求めるたちではなく、感覚で事実を捉える。そこまで考えてここにいるのは伯爵クラスだろうと思った。
戦闘になっても勝てる見込みはありそうね。
そして彼女はそう判断していた。二股の木の下では絶望的に見えた伯爵クラスだが、リリアンはアルキューンまでの船中で、ルーンからある技術を二つ提案されていた。イークたちとの訓練で試してみたが、その技術はかなり使えそうなものだった。今の自分なら伯爵クラスとでも戦える自信があったのだ。
「ロロ。ルーメスの言葉は数千年前から変わっていないか分かる?」
ロロが確かな口調で言う。
「ああ。ずっと、変わってない」
だがふと思い直したようにそれに付け加える。
「少なくとも、一万年くらい」
リリアンはそれを聞いて覚悟を決めた。
「そうしたらまずは交渉よ。たぶんあそこにいるルーメスは、人間のことは良く知らないはずよ。いきなり食糧にしようとは思わないはず。私がローブを被って髪を隠せば、たぶん子供のルーメスだと思われると思うの」
「俺たち、神の祝福、度合い分かるぞ?」
「あ、そうだったわね。まあけどあの集落はもう何年も孤立していたのだと思うわ。そこは上手くごまかせないかしら?」
「ああ、できるかもしれない。
交渉、上手くいかない、と、どうする?」
「歪みをどうしようとしているかは、先に確認をしておいて。広げている場合は、倒せそうなら相手を倒すわ。だけど無理はしない。クロックの話が確かなら、ここの力はそこまで大きくないのよ。命をかけるほどではないと思うわ」
話はまとまり、二人は集落に向けて再び歩み始めた。
「リリアン、俺、集落の入り口で、大きな声出す。驚くな」
ロロはルーメス流の礼儀なのだと語った。そして言葉通り、集落の入り口では甲高く響く雄叫びを上げた。
すぐに集落の家々から、複数の人影が飛び出してきた。リリアンの予想していた通り、出てきたのは皆、灰色の皮膚を持つルーメスだった。
数は十五。全員男のルーメスだった。今まで見たルーメスは、男は腰に皮革を巻いていて、女は袖のない貫頭衣を着ていた。しかし現れたルーメスは皆、布の一枚も身に付けていなかった。
それからそのルーメスの中から代表して一名が前に出てきて、ロロの前で片膝をつけた。ロロは少し戸惑ったような雰囲気だったが、男を立たせルーメスの言葉で話を始めた。
リリアンはルーメスの会話がとても不自然に思えた。とにかく話す方と聞く方が目まぐるしく変わるのだ。
ロロと男の会話は数クランで終わり、ロロがリリアンの手を取った。
無骨で硬い手だ。ロロは他のルーメスと違い魔法が使えないので、酷使し続けたことで硬くなったのだろう。
ロロは無言でリリアンの手を引き、リリアンも逆らわずにそれに従った。
二人はそれから集落から充分に距離を取った場所で立ち止まった。集落に向かう前に相談をしていた、大きな岩が落ちている場所だ。
「どうだったの?」
そろそろいいだろうと判断し、リリアンは問う。先ほどのやり取りの説明を求めたのだ。
「ああ。いろいろ、分かった」
ロロはほんの数クランしか会話をしていなかったが、ルーメスの言葉は人間の言葉よりも伝達量が多い。あの短期間でほとんど知りたかったことが分かったらしい。
「あいつら、俺より、四千年前のルーメス。食物庫来たの、三百年前だ」
「そう」
時間の計算が合わないのは、こちらとあちらの世界で時間の流れ方が一定ではないためだろう。これでクロックの言っていたことが裏付けられた。
つまりロロはもう、ナリナラやビル、ニンダといった、かつての友には会えないと再確認されたのだ。リリアンはロロの気持ちを慮って短く相づちを打った。
しかしロロはもう覚悟ができていたのだろう。眼差しを揺らさずに先を続ける。
「あいつら、頭、伯爵クラスだ。あそこには、いなかった。今、寝ていると、言った。
俺たち、頭が起きてから、また来てほしい、と、言われた」
「ルーメスは大した時間寝ないわよね? 待つのではだめだったの?」
「頭、老い始めている、のだと思う。老いたルーメス、長く寝る」
リリアンはそこでふと、今まで見たルーメスが、全て若い見た目だったのを思い出した。ロロにそのことを聞いてみると、ルーメスの場合、一生のほとんどは若い見た目でいるのだという。
「大人、なるまでは、大体二十年だ。それから、四百年くらい、老いは始まらない。老い始めると、数年で死ぬ」
「人間よりもかなり長生きなのね」
そして死ぬときはあっという間だということだ。しかしルーメスは厳しい環境で生きるため、実際には老いる前に死ぬ者の方が多いらしい。
「他のルーメスは平民クラスだったの?」
「俺と、話してたやつ、男爵クラスだ。他に三体、男爵クラス、いると言ってた」
「そう。それは敵対するとしたらかなりの戦力でしょうね」
リリアンは不安を感じ暗い声で言ったが、ロロはそれに首を振った。
「あいつら、俺に恭順をした。今は、敵対しない」
「あの最初の膝をついた動作かしら。あなたの色が差別の対象にはならなかったってこと?」
「そうだ。四千年前、差別なかった、らしい。それとリリアン。あいつら、人間気付いてた」
「え、私が人間だと気付いていたってこと?」
「そうだ」
ロロが言うには、妖魔界にも人間が迷い込むことがあるらしい。迷い込めばすぐに食糧とされてしまうためロロは会ったことがないが、話していた男爵クラスは一度だけ見たことがあるらしい。
「それは厄介なことになるかもしれないわね」
「いや、リリアン。逆に良かった、かもしれない」
疑問の眼差しを向けると、ロロは続けた。あのルーメスの集落には女がいないらしいのだ。
元々ルーメスの女は男に比べ数が少ない。あの集落は妖魔界にいたときから共にいた仲間同士らしく、祭事で男女が別れていたときに、男だけが集団で歪みに飲み込まれたらしい。
そして長い年月が流れ、女のいない集落は滅びようとしているのだという。
もしリリアンが女のルーメスだと思われていた場合は、話はこじれただろうとロロは言った。
「そう。それじゃあそれが、世界の歪みに手を加えている理由なのね」
「ああ、そうだ。俺たち、世界の歪み、止めたいと、伝えた。それで、伯爵クラスが起きるの、待ってほしい、と、言われた」
リリアンはあの短い会話で、これほどの情報をやり取りしていたことに驚いていた。
あの集落は世界の歪みを広げ、女のルーメスを呼び込みたいのだ。集落の存続がかかっているのだ。切実な望みだろう。
そしてリリアンは理解した。彼らにはもうあとがない。伯爵クラスは老い、余命は長くとも数年だ。そして新たに伯爵クラスになれそうな子爵クラスのルーメスがいない。他の若い見た目のルーメスも、それほど長い時間が残されている訳ではないのだ。
「分かり合うことは難しいかもしれないわね」
リリアンはそう予想した。そしてそれは的を射た予想だった。




