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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第四章 ~海の旅人~
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「リリアン、剣どうする?」

「樽の中に入れておけるかしら? 私はもう一度海の中に入るわ。なるべくボートが流れ落ちないように操るつもりだけど、ロロも注意して見ていて」


 ロロが頷いてオールを手にしたのを見ると、リリアンはまた海に戻った。

 水繰の魔法はそれほど大した魔法ではない。水壁や水剣など高密度の水を生む魔法に比べれば、使うマナの量はごくわずかだ。

 しかしそれも操る水の量による。海面を山のように持ち上げるのだ。そこまでの水量となると、リリアンでも並大抵のことではない。

 まだ海が動き始めもしない内から、リリアンの額に汗が浮かぶ。リリアンは体の周囲にマナを集め続ける。リリアンの意識からはボートもロロも消え、ただ海だけが見えた。


 徐々に海面が高くなっていく。山なりに持ち上がる海で、ボートが落ちないように頂上を平らに保つ。思っていた以上にそれが大変な作業だった。

 高くなればなるほど操作する水の量は増える。息をすることすら忘れるほど、リリアンは集中していた。


「もう少しだ。頑張れ」


 ロロの声が聞こえた。それを励みに、リリアンは集中力を振り絞る。

 そこでリリアンの右肩をロロが掴んだ。ロロは崖に左手を掛け、リリアンを右手一本で持ち上げた。


 体が海面から出ると、海にできた小山が崩れ落ちて行った。水の音とは思えないほどの轟音を伴い、数瞬で小山が崩壊する。

 リリアンはロロに助けられながら、崖の壁面にぶら下がった。まだ足はかけられていないが、ここまで来ればあとは問題ない。リリアンは体のマナを操作して、自分の体を引き上げる。


「休まないで、平気か?」

「ええ。私たちはしがみついているだけでもマナを使うのよ。なるべく早く登り切りましょう」


 アレーには凹凸のある岩肌ならば登るのは訳がない。しかしそれはマナが尽きていなければの話だ。崖上はまだ遥かに先だ。

 リリアンとロロは少しも休まず、黙々と崖を登った。風がかなり強かったが、着実に二人は体を持ち上げていく。リリアンはルックを連れて来なくて正解だったと思った。リリアンよりも体術の劣る彼は、この道程にはかなり苦労をするだろう。二人でも崖上まで登るのには三時間もかかった。


 崖上に着く頃には、リリアンの体力も限界だった。たった三時間だけでこれなのだ。リリアンはアーティーズ山の絶壁に半月もしがみついていたという男の伝説を思い出し、確かにその男が狂人と呼ばれるに相応しいのだと思った。


 崖の上の地面は比較的平坦で、わずかにだが草も生えている。海側から見ると、平坦な地面は五十歩ほどの幅がある。その先はそびえ立つアルテス山脈の岩山だ。そしてここから左の方を向くと、山肌に寄り添うように石造りの家々が見えた。まだかなり遠いが、ここまで来たらあとはもう歩くだけだ。

 崖下では、海はだいぶ静かになったようで、豆粒のようなナームペクタス号が移動しているのが見えた。


「少し休もう」


 ロロがそう言って背負った酒樽を下ろした。そして中からハムの塊を取り出した。

 ロロはハムの塊を指で一口大にむしり、リリアンの口元へ持ってきた。リリアンが開けた口にハムを入れてくれる。

 こんな世話の焼き方は大陸中を旅したが見たことがなく、リリアンは思わず笑ってしまった。

 ロロは今までほとんど独りで生きてきたのだ。おそらくこれはロロがたった今思い付いたやり方なのだろう。

 リリアンは体の海水が完全に乾くまで休んだ。


「帰りはまたここを降りるのよね。降りる方が苦労しそうね」

「ああ、だな」


 そう相づちしてからロロは背負ってきた酒樽に目を向ける。


「ちょっとリリアンは、入らない」

「ふふ。それは残念」


 充分に体を休ませると、リリアンは立ち上がった。これからあの集落に向かうのだ。敵対することになるかもしれない。リリアンは気を引き締めた。

 集落まではまだかなりの距離がある。ロロと並んで半日歩いて、リリアンとロロは一度野宿をした。ロロは眠らなかったが、リリアンには眠りが必要だった。身を隠す物もない中での辛い野宿だった。

 次の朝からまた歩いた。そして昼頃、集落の全容が見える位置までたどり着いた。

 リリアンとロロは大きな落石を見つけ、そのそばで一度立ち止まり集落を眺めた。


 大きな集落ではない。家の数は七つだ。全てアルテス山脈から切り出したのだろう、石造りの建物だった。形の揃わない石を組み合わせた不格好な造りをしている。

 外に出ている人はいないようだが、廃墟ではない。いくつかの家にまだ乾燥しきっていない動物が逆さ吊りにされている。首を落とされているが、鹿や岩狼のように見える。


「狩猟で暮らしているのかしら?」


 このような未開の地に集落があるというのは信じがたいことだった。海の恵みを受けられるようなら、漂流した人々が漁村を作っているとも考えられる。しかしここは海からは隔絶された崖の上だ。

 リリアンがまず思ったのは、水の確保をどうしているかだ。アルテスは乾いた土地だ。アルテス砂漠よりもさらに太陽に近いここに、水があるとは思えなかったのだ。


 北北西にある太陽が土地を乾燥させる。長い大陸の歴史上、誰もが疑わずに信じていたことだ。しかしそれは真実ではない。アルテス砂漠を作り上げたのは太陽ではなく、渦を巻き砂を舞わせる太陽風だった。アルテス山脈を越えた太陽風がアルテス南部で逆巻くことでアルテス砂漠は出来上がったのだ。だから風が山を越える前のこのアルテス山脈北側には、少なからず水が存在する。木々を育むほどのものではないが、山脈の南側よりは潤った土地だった。


 そのことを知らなかったリリアンだが、周囲にあるわずかな草を見て、ここが不毛の土地ではないのだろうと結論づけた。


 次にリリアンが考えたのは、建てられた家の大きさだ。全ての家には動物の毛皮がかけられていたが、大きな鹿の皮を三枚ほどもつなぎ合わせた高さがあったのだ。

 クロックの話ではアルテス山脈の巨人はもっと東に住んでいるということだったが、はぐれた集落があったのだろうか。


「リリアン」


 ロロが何かに疑問を持ったようで、不思議そうな声で尋ねてきた。


「あの家の建て方、とても古い。あれ、遺跡か?」


 リリアンはロロの疑問に、逆に疑問を感じた。


「建築様式の話かしら? あなたが前来たときはあんな建物が多かったの?」


 問い返してからリリアンは、嫌な予感に背筋が冷えた。


「違う。あれ、妖魔界に、ある遺跡、と似ている」


 不毛の土地でないにしろ、恵まれた環境ではないここで、人間は生きられるだろうか。家の入り口がとても高く造られているのはどうしてか。


 リリアンは嫌な予感を強くした。

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