『古い戦いのしきたり』①
第四章 ~海の旅人~
『古い戦いのしきたり』
ルックはそれからイークたちと別れ、港区の宿に戻った。
一日ぶりに仲間の元に戻ったら、ロロ以外服装が変わっていた。
リリアンの船酔いはすっかりいいようで、ルーンの買った半袖の短衣を着ていた。普段は袖口の広いヨーテス民族の衣装を着ているので、地味な半袖でいるのは新鮮だった。リリアンの服はコール王国製の緑がかった麻布だ。
「あ、ルックおかえりー。これルックの服ね。アルテスだとローブが必要なんだって。暑苦しいけど一応買ってきたよ」
ルーンは暑苦しいと言いながら気に入ったのか、宿の中なのにローブ姿だった。カーフススの糸で織られた薄手のローブだ。
今朝丸馬車に乗って大通りを見たが、アルキューンのローブは色々な種類があるようだった。最初クロックと歩いた道では濃紺の地味なローブが多かったが、それは西区特有のものらしい。
ルーンの着ていたローブは、白い生地に赤と桃色の模様が絡み合うデザインだ。裾の方でグラデーションの染色がされていて、白から紫を経て黒になっている。
正直かなり派手で、もうすぐ成人を迎えるルーンにはそのローブは幼すぎるように見える。
けれどルックはその恰好を否定しなかった。
ルーンがその色合いを選んだのは、間違いなく誰でもない少女を意識してだ。絡み合う模様が、誰でもない少女のリボンを連想させた。
ルーンにもあの少女へ、何か思うところがあるのだろう。
ルックは自分に渡された服に着替えた。大きさはちょうど良く、仕立てもいい。柔らかな生地は肌触りが良くて、裏地にはカーフススの布が使われている。
色合いは濃紺の落ち着いたものだ。アルテスではこの濃紺が礼儀作法に則った色なのだという。
先に戻ったクロックも、黒い半袖姿になっていた。彼はいつも黒を好んで着ているので、ルーンの見立てに満足そうだった。
ロロだけはいつもと変わらない長衣で、ローブだけサイズが合うものを買ってきていた。
服装が変わると、この仲間で旅をしてきたのだと、なぜかしら強く感じられた。
ルックは全員にイークたちの話をした。そして理の魔法でできることを話した。
「石斧を吹き飛ばすのって、テツがルーメスを吹き飛ばしたのと同じかな?」
ルーンの問いにはテツを見ていないロロが首をかしげたので、クロックが簡単な説明を始めた。ルックは説明をクロックに任せ、ルーンに応じた。
「たぶんそうだと思うけど、あんなにすごい勢いはないよ。あとテツがルーメスの動きを止めたのも、加重の魔法かもね。僕やユキの加重じゃ、とても伯爵クラスは止められないだろうけど」
「理の魔法がというよりは、テツが圧倒的な強さだったようね。けど最後の石斧を圧縮させた魔法は、剣から使える魔法では一番役に立つかしら」
リリアンの言葉にルックは首を振った。
「威力は一番だけど、それほど速くない魔法なんだ。火蛇の方が使えそうだよ。けど一つ無駄になってた宝石が使えるようになったから、収穫はかなりだね」
ルックたちはそれから半月、平和な日々を過ごした。ルックは新しい魔法に慣れるため、何度もロロと立ち合いをした。速さでは全く敵わなかったが、加重の魔法がかなり使えた。
ロロの動きを加重で遅め、そこに加熱した石投を放つのだ。もちろん当てはしないが、ほとんどその流れが決まれば勝敗は決した。
ロロとの試合では、勝率は四割ほどだった。もし片腕と戦う日が来たら、充分に勝機があるということだ。ルックは自分が確実に強くなっていることを知り、手放しで喜んだ。
イークたちは半月の間に何度も訪ねて来た。最初はただ会いに来ただけだったが、二回目からは目的が違っていた。リリアンが彼らに稽古を付けることになったのだ。
もちろん特殊な技法は教えないが、イークたちが本気で向かってくるのをリリアンが迎え撃つことで、イークたちの腕は向上したらしい。
ルックは彼女たちの立ち合いを見なかったが、ルーンに聞くと、イークたちは一度もリリアンに勝てないのだそうだ。
男爵クラスに勝てると言っていた彼らに、リリアンが一度も負けないというのには驚いた。
リリアンがイークたちに稽古を付けたのには理由があった。
リリアンは仲間の中で最もヒッリ教を警戒していたのだ。自分たちよりも名前が売れているイークたちは、確実にヒッリ教にも知られている。
「私自身の修練って意味もあるのよ。あと彼らを鍛えてヒッリ教の数が減れば、私たちにも損はないでしょう? それに彼らでヒッリ教の強さを計ることができるかもしれないわ」
意外にもリリアンは打算的な発言をした。しかし再度の出航を見送りに来たイークたちに、ヒッリ教に注意するよう厳重に言っていたので、本心ではただ彼らが心配だったのだろう。
ある意味でリリアンがイークたちを鍛えるのは、無責任な行動だった。強くなった結果、より危険に飛び込み、最悪彼らが死ぬ可能性もあるのだ。
リリアンのそうした迷いが、彼女のあの打算的な発言を引き出したのではないか。ルックにはそう思えた。
ジェイヴァーとナームが船の点検を終えた次の日、ルックたちは港にいた。ルックたちの見送りに来たのは、イークたちだけではなかった。かなり多くのアルキューンの人たちが、港を出ようとするルックたちに手を振っている。
ルックの噂が広く知れ渡っていたからだ。
しかもそれだけではなかった。ルックたちを囲う人波をかき分け、背の高い老婦人が現れた。彼女は背筋を伸ばし凛とした歩き方で、一直線にルックの元に歩み寄ってくる。
「はじめまして。あなたがルックね」
彼女は名乗り、自分はアルテス女王に仕える文官なのだと語った。
「本日は海蛇を討伐していただいたお礼と、あなた方の船旅の無事を祈りに来ました」
彼女は国の文官でもかなり上位に位置する存在らしい。
なぜ彼女がルックたちの船出の日を知っていたのか。
そんなルックの疑問はすぐに晴れた。
「お婆様」
ヒールがその女性にそう声をかけたのだ。
信じられないことに、ヒールの家は代々王家に仕える高級文官の家だったらしい。
リリアンが珍しく慌てて言った。
「ヒール! どうして言ってくれなかったの?」
ヒールは申し訳なさそうに笑って言った。
「リリアンが遠慮するんじゃないかと思ったんです」
ルックはリリアンの態度を少し疑問に思った。ヒールの家が身分の高いものでも、そこまで慌てる必要はない。自分たちは何も、後ろ暗い行動をしているわけではないのだ。
その疑問には、ルーンが耳打ちをして説明をしてくれた。
「リリアンはすごーくひどくしごいてたんだよ。私も毎回治水を張ってたくらい。他の身分の高い人にやったら、打ち首になってたかも」
ルックはリリアンの鍛練を見てはいない。ルーンが治水を張るほどだったとは思ってもみなかった。治水は大抵の怪我を治せるが、怪我をすれば当然痛い。その痛みにはイークたちは、ただ単に耐えなければならなかっただろう。
リリアンとヒールのやり取りを不思議そうに眺めて、ヒールの祖母が口を開いた。
「今さらどうして私のことなどで驚くのですか?」
リリアンはそれに嫌な予感を覚えたのだろう。恐る恐る尋ねた。
「どういうことかしら」
「ミクとユキはこの国の近衛隊長と司祭長の子ですのよ。それにイークは第一王子なのだし、ヒールや私など市民と変わらない存在でしょうに」
さすがにこれにはルックも愕然とした。しかし横目に映るルーンは、ただにこにこ笑っているだけだった。
「知ってたの?」
ルックが耳打ちすると、ルーンは秘密だったのと笑いながら言った。




