③
「楽しそうな計画ね」
びくり! とクロックが強い反応を示した。背筋をしゃきんと伸ばして気を付けをし、目に見えるくらい冷や汗をかいている。その様は道化師のように滑稽で、ルックは思わず吹き出してしまった。
「ルック、俺はもう行くよ」
「了解、道化師」
ルックは韻を踏んで答えた。そそくさと離れていくクロックを見送り、ルックはまだ込み上げてくる笑いをぐっと堪えた。
「道化師なんて上手い表現ね」
クロックを見届けてからリリアンがそう言った。
「落ち込んでいるのかと思って来てみたのだけれど、必要なかったかしら」
ルーンと同じく、リリアンもルックの様子を見にきてくれたらしい。もしかしたらクロックもそうだったのかもしれない。笑ったりしてごめんと心の中で謝罪した。
「僕はいつもリリアンを必要と思ってるけど、今はちょっと本当に酔いを冷ましていただけなんだ。ルーンから聞かなかった?」
「ええ。そのルーンがね、戻ってから少し元気がないように見えたのよ。あ、ルック。さっきから冗談がクロックみたいになっているわ」
さっきからということは韻を踏んだことも含まれているのだろう。なかなか気の利いた発言だと思ったのに、リリアンの受けは悪かったようだ。
先ほどは内心謝ってみたが、やはりクロックみたいというのは良くない。ルックは頭の中でそんなおどけたことを考えた。
「仕方ないんだ。実は今までクロックと話してたんだよ」
今度の冗談にはリリアンも笑った。なんだかんだと言ってもリリアンはクロックのことを気に入っているのだ。クロックを素材にした冗談を言うとリリアンはよく笑う。
「ふふ、そうなの。それは知らなかったわ。それなら確かに仕方ないないわね」
「ルーンが元気ないのは、多分ちょっとした里心だよ」
「そうなの? まあルーンは望んで旅に出たわけじゃないものね」
「はは、そんな深刻な話じゃないよ。ルーンだって旅を楽しんでるよ」
「そうかしら。ルックは旅は楽しい?」
「うーん、目的が目的だから不謹慎な気もするけど、それでも楽しいと思うよ」
「それなら私も嬉しいわ。私もやっぱり旅が好きなのね。リキアに言われたことは本当だったみたい」
サニアサキヤ領主軍軍団長リキアは、リリアンのことを「旅の神に魅入られている」と評した。リリアンが言っているのはそのときのことだろう。
「僕もそしたら旅の神に好かれたのかな? 夢の神といい、こんな普通な僕のどこがいいんだろうね」
ルックは存在する神と存在しない神を並べてそう肩をすくめる。この言葉にリリアンの目が面白がる光を帯びた。
「ルックが普通? それは初耳ね」
ルックはリリアンがからかい始めたのだと分かった。先ほどクロックではリリアンに勝てないと思ったが、自分もかなり真剣に頭を巡らせなければ太刀打ちできないだろう。
ルックはクロックとの会話を思い出し、酔いの残る頭でそんなことを考えた。そして勢い自分なら勝機があるのではないかと思った。
「物知りなリリアンにも知らないことはあったんだね。僕はとっても普通だよ」
「いいえ。それはないわ」
「むしろリリアンの方がよっぽど普通じゃないんじゃないかな? だって僕は勇者アラレルに怖がられないからね」
切り返したルックに、リリアンはさらに面白がるような目を向けた。ルックはその目を見て、リリアンがこの真剣勝負の舞台に上がったのだと感じた。
「あなたはルードゥーリ化をするのよ?」
まずは小手調べなのだろう。リリアンが軽い口調でそう指摘した。
「ルードゥーリ化は仕組みが解明されていないんだ。リリアンだって実はルードゥーリ化をするかもしれないよ」
リリアンはすぐに引き下がり、次の普通ではない点を指摘してくる。
「私は七大国の国王なんて友人を持っていないわ」
それはなかなかとっさに反論しづらい指摘だった。これは以前ルックが自分で言ったことだ。これを引き合いに出してリリアンをからかったことがあるのだ。ルックがルードゥーリ化をすることにリリアンが驚いたときのことだった。最初のルードゥーリ化の話を小手調べだと思ったが、もしかしたらこの流れに誘い込まれたのかもしれない。素晴らしい好敵手だ。
「確かにライトは普通じゃないね。だけどアーティスには『国王の友人は普通であってはならない』なんて法律はないんだ」
「へえ。そうだったの。てっきりライト王の幼なじみは普通じゃない子から選んだのだと思っていたわ。だってあなた、夢の旅人の子孫だそうじゃない」
ルックは弱味を突かれて少し言い淀んだ。その隙にさらにリリアンが畳みかける。
「せめて出自くらいは平凡だったらまだ普通と言い張れたかもしれないわね」
恐ろしい追撃に、余裕の表情を意識しながら、内心必死で打開策を考えた。しかしそれほど間を置く訳にはいかない。間を置けば置くほどリリアンの猛攻が続くのだ。
「ザラックの子孫なんてたくさんいるかもよ?」
「リージアの魔法剣を受け継いだ家の話を他に聞いたことがあるのかしら?」
「ないけど、僕たちが知らないだけかもよ」
「ええ、つまり私たちが知っている子孫はあなただけなの」
「確かに僕はザラックの子孫かもしれないけど、大賢者ルーカファスは五十人の子供に看取られて逝ったっていうから、リリアンだってルーカファスの子孫かもよ」
「そうね。つまりあなたは、ザラックに加えてルーカファスの子孫かもしれないってことね」
完敗だった。ルックは万全な構えのリリアンには微塵も勝機がないのだと思った。それからつくづくクロックは無謀な男だと考えて、自分で笑ってしまった。
「あはは。おかしい。やっぱりリリアンは僕なんかよりずっと普通じゃないよ。良い意味でね」
負けを認めたルックの笑顔には、リリアンも優しい表情を向けた。こういう表情をすると童顔がさらに幼く見えるのに、やはりリリアンはどこか達観をしていた。
そんなリリアンが本当におかしく思えて、ルックはひたすらに笑い続けた。
「楽しそうだ。なんの話だ?」
そこに今度はロロがやってきた。大笑いをしていたので近付いてきたのに全く気付かなかった。背の高い赤髪は興味を持った目で楽しげに笑うルックとリリアンを見下ろしていた。
「僕とリリアン、どっちが普通の人じゃないかって話」
笑いを飲み込んでルックが答えると、ロロはしばらく二人のことを見比べた。異世界生まれのロロにはどちらがより普通と見えるのだろう。ルックは好奇心を抱いてロロの言葉を待った。
「二人とも、普通でないな」
ロロの結論にリリアンが疑問を呈した。
「あら、どうして?」
異端者はにやりと笑みを見せた。それは確かに何かを含んだような笑みなのに、どこか爽やかさを感じさせるものだった。そして余裕を持った声でロロは言う。
「二人、とても小さいからだ」
誰を否定するでもないその優しい冗談に、リリアンがくすくすと声を漏らしながら笑い始めた。ルックもじわじわと笑えてくる。確かにロロから見ればこの旅の仲間はみんな小動物のようかもしれない。
しばらく笑っていると、ロロもろろろと声を出して笑い始めた。それは少し調子を合わせたような笑いだった。ルックたちが笑ってばかりで会話にならず、困らせてしまったのだろう。
「ロロはどうしてデッキに来たの?」
ルックは優しい仲間に気を使って聞いた。リリアンも同じ事に思い至ったのだろう。ルックの質問に重ねて尋ねる。
「宴会は退屈だったかしら。ロロはあまり飲んでいなかったわよね?」
「ああ、それ違う。俺、笑わないようにしてた。俺の笑い、ジェワーとナームに変だ。一人じゃない、俺楽しい。けど、笑わないの、少し疲れた」
ジェイヴァーたちにはロロがルーメスだとは話していない。二人を信用していないわけではないが、さすがに事が事なのだ。一般的な観点からすれば妖魔は悪だ。長く一緒にいることになる二人にだからこそ、余計なもめ事を起こさないために隠していた。
そのためロロは船の上では常に笑いを堪えていた。酒をあまり飲まなかったのも、酔いで笑ってしまわないようになのだろう。
ルックはロロのために飲み直すことに決めた。船に積み込んでいる荷車から酒を持ってきて、ここで三人だけの酒盛りをするのだ。
それはジェイヴァーの開く宴会ほど笑い溢れるものにはならないだろう。しかし落ち着いた二人と酒を交わすのは、それはまたそれで楽しいのだろうと思った。




