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一方そのころ、シャルグたちのいるハシラク鉱山の詰め所では、一人のアレーが訪れたことに騒然となっていた。
「シュールっていう人がここにいるって聞いてきたんだけど、いるかい?」
詰め所はアレーの出入りが激しく、ドーモンほどの大男が訪ねてきてもそれほど注目はされない。しかしそのアレーの場合は違った。
そのアレーというのは、赤髪と紫髪の二人連れのうち、赤髪の男の方だ。
「間違いねぇ。あれはアラレルじゃねぇか」
「あの人が勇者アラレルだってのかい? 始めて見たが」
「すごい、本物をこんな近くで見られるなんて」
「シュールってどっちのシュールだ?」
「ばかだね。あの臆病者の訳ないだろ」
全員が賭事をそっちのけで、突然現れた有名人のことを囁き合った。
勇者アラレルは、シュールとシャルグの幼なじみだ。首相ビースの子供で、十年前の戦争を勝利に導いた男だ。
敵国のカンの大将軍を電光石火で討ち取り、崩壊しかけていたアーティスの軍を立て直し、奪われた拠点の全てを取り返し、敵軍を追いだした。
実際にはシュールとシャルグの助力はかなり大きかったが、事情があって二人の手柄もアラレルの手柄として公表している。そのため彼の名声はアーティスでは揺るぎないものになっている。そして一年前ティナで開催されたトーナメント形式の武芸大会で、文句なしの優勝をした。彼の人気はとても高く、ティナで描かれた似顔絵が高値で売られているほどだ。
しかし彼はティナの画家が描くほど精悍な顔ではない。間延びした顔が、よく言えば人当たりの良さそうな雰囲気を作っている。
「隣にいるのがあのドゥールって奴か? どうってことなさそうな奴だよな」
訪れた二人に聞こえないよう、誰かがそうつぶやいた。
アラレルの隣にいる男は、紫の長髪を後ろで一つに束ねていた。狂ったような目をした優顔だ。特徴的なのは、アレーにしては珍しい筋骨たくましい体つきを持っていることだ。ゆったりとした短衣と、柔らかい外套で身を包んでいるが、彼の体つきの良さは一目瞭然だ。
マナを使った戦闘では、筋力にあまり意味はない。ひと昔前、まだマナで体を動かす術が開発されていなかった時代なら、彼ほどの体つきなら当代きっての戦士だっただろう。しかし今の時代、筋肉を付けているアレーは、その分マナで体を動かすのが苦手なのだと見なされる。
彼の実力はあまり広くは知られていない。十年前の戦争にも参戦していないし、一年前に開催されたティナの武芸大会でも好成績は残さなかった。
しかし一匹狼で単独行動を好むと噂されるアラレルが、なぜか彼とだけは共同で任務にあたることがある。そういったことでドゥールの名も多少知られていた。
外の騒然とした空気に気付いたのだろう。奥の部屋からシャルグが顔を出した。
シャルグはドゥールとアラレルをひと目見ると、驚きの表情を示した。
「シャラ、少しの間ライトとルーンを頼む」
部屋の中にそう声をかけると、彼は目線だけでドゥールとアラレルに外に出るよう合図した。
彼もすぐに二人を追って詰め所を出ようとする。しかしその前に一瞥、興味津々で見守るアレーたちに視線を投げた。
付き合いの短い彼らも、シャルグが盗み聞きを許さないと言ったのが分かっただろう。
外に出ると、ドゥールがすぐに声をかけてきた。
「なぜシャルグがいるんだ? メラクに行くと書き置きを見たが」
「敵にかなりの使い手がいる」
それにシャルグは短くそう答えた。アラレルはそれならなおさら、なぜシャルグが向かわないのかと疑問を浮かべていたが、ドゥールはそれで全てを理解したようだ。
「そういうことか」
「どういうこと?」
「つまりルーンとライトにお守りが必要だったということだ。危険な任務には連れていけん上、時期が時期だからな」
時期が時期。そう言われ、ようやくアラレルの顔にも理解の色が浮かんだ。
「ははは。しかしお前。口数が少ないにもほどがあるぞ。幼なじみにも伝わらないのは問題だろう」
ドゥールはたしなめるように言う。それにシャルグは苦笑を返した。ドゥールはシャルグよりも十以上は年上なのだ。最初に会ったときはシャルグがまだ十四のときだ。今でもシャルグのことが大人には見えないのだろう。
「それで、かなりの使い手とはどれほどの者だ?」
ドゥールは探るような目つきでシャルグを見た。圧倒的な興味が伺える。
「俺とドーモンが取り逃がすほどの者が二人いた」
その端的な説明に、ドゥールは狂ったような目を子供のように輝かせた。
「早く片づけてきて正解だったな」
これは前の仕事をという意味だろう。ドゥールは顔の片側だけで大きく笑んだ。それを見たアラレルが肩をすくめる。
「任務中三回も僕と試合したんだよ? 飽きない人だね」
アラレルはドゥールをからかおうとした。しかしアラレルもシャルグと同じ歳で、ドゥールの余裕を消せはしない。
「三回で自制をしたのが不満だったか?」
「まさか! そんなはずないから」
少しやり返しただけで本気で慌て始めるアラレルに、ドゥールは声を立てて笑った。アラレルはアーティスの武威の象徴だ。そのため隠されているが、彼はあまり賢い方ではない。それもかなり控えめに言ってだ。ドゥールはかねてからそれを面白がっている。
「行ってくれるか?」
最後にシャルグがそう確認をした。それが聞くまでもないことだとはシャルグにも分かっていた。ドゥールは同じアレーチームなのだし、勇者アラレルは友人の窮地を見捨てるような選択肢を持たない。
二人は口々に当然だと答えた。
シャルグが、シュールが発ったのは昨日だと告げると、二人は早速メラクに向かい駆けだした。一歩一歩が長い、マナを使った走法だ。その走法なら、半日掛かりのメラクへの距離も、数時間で走れるだろう。
シャルグは二人がたまたまここを訪れたことに感謝した。おそらくシュールも、これほど心強い増援は考えつかないだろう。
アラレルはもちろんのこと、ドゥールの方もそれほどの男ということだった。
茂みに身を隠したまま、シュールは思わず舌打ちをした。敵の要塞を目の当たりにしたためだ。
メラクの西にある森の中で、小振りな砦がスイ湖を背にして建てられていた。あまり大きくないのは、敵の数が多くない証だろう。
しかしその要塞は、扇状に防壁が設けられていて、一つしかない門はなんと跳ね橋になっていた。
防壁の周りの木は切り倒され、跳ね橋の前には壕まで用意されている。
どう魔法を駆使しても、一昼夜でできあがる砦ではない。スイラク子爵はそれほどの期間彼らを見逃していたのだろう。
大地の魔法師がいれば、普通の防壁なら簡単に崩せる。しかしまず間違いなく、防壁には帰空の魔法が掛けられている。触れた魔法を消滅させる、呪詛の魔法だ。
近くまで寄って見てはいないが、この分だとおそらく、壕にも溶水が仕掛けられているだろう。溶水は水に掛ける呪詛の魔法で、触れた肉体や骨が液体に変えられてしまう。歴史上の偉人、鉄人ミリストが遺した恐ろしい魔法だ。
もし要塞というのが、木でできたバリケードを連ねた程度の物なら、ドーモンの棍棒が容易く破壊できた。しかしこれでは、敵と戦うこともままならない。
自分とドーモンとルック。その戦力でこの要塞は攻略できない。
シュールはなるべく音を立てないようにして、茂みの中から抜け出した。そしてそのまま踵を返した。
シュールは帰り道で、どうして敵があれほどの要塞を築いたのかを考えた。
もし敵がアーティスの戦力を殺ぐ目的で来ているなら、要塞を築かず、数日おきにねぐらを変えた方が効率的だ。要塞を築く時間が節約できる。
確かに堅固な要塞だが、位置が分かれば打つ手はある。大きさからして、次の戦争に備えての拠点というわけでもないだろう。
それにキーネ二人はまだしも、中途半端なアレーを連れてきているのはどういうわけか。
シュールには今度の敵の行動に、何か裏がある気がしてならなかった。
シュールが宿に戻ったのはまだ日の明かりが強く残る時間だった。
ドーモンと警戒態勢で待っていたルックは、シュールの姿を見るとぱっと明るい顔をした。
「シュール、良かった。早かったんだね」
ルックの明るい出迎えに、暗い表情で戻ったシュールも笑顔を取り戻した。
「要塞はどうだった?」
「ああ。奴らには会わなかったが、要塞は見てきた。かなり堅固な要塞だった」
「そっか」
ルックはシュールの説明に肩を落とした。それならば援軍を呼びにアーティーズまで戻らなければならない。
「なら、どうするんだ? 危険、良くない」
ドーモンが真剣な目でシュールを見つめた。シュールもその目線を真摯に受け止める。
ここで援軍を呼びに戻るということは、犠牲者を増やすということだ。しかも、まだなんとも言えないことだが、敵の目的はもっと大きな何かかもしれない。
ここで身を退くのはシュールにも罪悪感があるだろう。ドーモンはそれを分かった上で、シュールの決断を後押しするような発言をしたのだ。
「ああ。一度戻って討伐部隊を編成する。今度の件は俺たちだけの手では余る」
せめてスイラク子爵の私兵というのが、もっとまともな戦力ならば戦えたかもしれない。しかし子爵の私兵は、門番をしていた二人以外は皆キーネで、門番の二人にしても、ギルドから仕事をまわしてもらえなくなり、今の職に就いているのだという。
「なら、急ぐな。ルック、支度しよう」
ドーモンが元気良く言った。あと彼らにできることは、一刻も早くアーティーズに戻り、ビースに報告することなのだ。その前向きな発言に、ルックも暗い表情をするのはやめた。
「分かった。急ごうね」
ルックの仲間、ドゥールは、仲間の中で一番の変わり者だった。
特殊な生い立ちを持つ彼は、物心付いたときには盗賊団に育てられていた。しかもハシラクにいるような落伍者の群れではなく、流れ者が集まった本格的な盗賊団だ。そのため彼は、識字率の低くないアーティスでは珍しく、読み書きが苦手だ。
ドゥールはまだ赤子のときに、アーティス中央の農村で、盗賊団の戦力にするためさらわれた。
彼が髪を紫色に染めたのは、まだ言葉もしゃべれない一歳のときだった。絶対というわけではないが、髪を染めるのが早い子供ほど、優秀なアレーに育つ可能性が高い。それで盗賊団に目を付けられたのだ。
実際彼は筋骨たくましい外見とは裏腹に、魔法の腕は相当なものだ。特に自分の皮膚の一部を鉄の固さにしてしまう鉄皮という魔法は、彼がこの大陸でも随一だろう。
彼の戦闘スタイルは、全身を余すことなくその鉄皮で固め、絶対的な防御で肉弾戦を挑むというものだ。素手や剣使いにはまず勝機はない。速さが重視されるアレーの戦闘で、全身を鉄に変えたドゥールに敵うものはそういない。
しかし彼が変わり者であるというのは、その独特な戦闘スタイルによるものだけではない。
彼はまだ少年だったある日、自分の命題に気付いたのだ。と、この言葉は彼自身の言い回しを借りたものだ。
彼の命題というのは、自分が最強の生命体であること。
精霊や翼竜など、種として人間よりも確実に上回る存在を含めて、自分は最強であるべきだ。なりたいとか、ならなければいけないではなく、そうあるべきだと彼は感じているのだという。
そのため彼は自らにドゥールという名前を付けた。盗賊団は、少年時代の彼にまだ名前を付けていなかったのだ。
ドゥールというのは、実在する生物で最も強いとされる「ドゥーリ」から取った名だ。並び称されるルーメスが多大な破壊力を持つのに対し、ドゥーリは生きているのに死ぬことがない生命体だ。
彼はドゥールという名が最も自分に相応しいと考え、そう名乗るようになった。
彼は自分のいた盗賊団を壊滅させ、ドーモンと出会い、放蕩の旅に出た。その旅の途中で最強の勇者の噂を聞きつけ、十年前の戦争の終わる頃、アーティスへと戻ったのだ。
彼は今ハシラクの採掘場からメラクまでの道を一時間と少しで駆け抜けてきた。本当はマナを使った走法は安全な移動方法ではない。マナの消費が大きく、疲弊したところを盗賊に狙われでもしたら一巻の終わりだ。実際ドゥールは今、とても戦闘ができる状態ではない。
しかし隣にいるアラレルは涼しい顔をしている。彼がいるから、マナを使った走法で移動してきたのだ。
「さてと、じゃあどうやってシュールと合流する?」
「はは。ドーモンがいるんだ。街で聞き込めばすぐに分かるさ」
ドゥールは高めの声でおどけたように言った。
「そうだね。それは思いつかなかった。それじゃあ僕は西に回るよ。また後で」
ドゥールとアラレルは二手に分かれ、道を行く人に声を掛けていった。メラクはハシラクよりも活気のある街で、皆快くドゥールの問いに答えてくれた。
「でかいって、お前さんよりでかいのか? さあ俺は見てないな」
「それって三人組かい? 空き地で男の子を訓練してるのは見たわよ」
「ああ、チーチの奴が噂してたな。スイラク子爵のところに使いに行ったら、相当弾んでくれたとか。朝には宿を出たらしいぞ。チーチは赤々亭って宿の小間使いだ。そこの角を曲がった通りにある宿だ」
「ああ、あの大きい人の。おいチーチ、確かあの人たちは別の宿に移るんだったよな? なんか聞いてるか?」
「あ、俺直接は聞いてねぇよ。でも東のビビって宿にそれっぽいのがいるって噂は聞いたぞ」
情報収集はとんとん拍子に進み、そこまででドゥールはアラレルと合流することにした。
赤々亭を出ると、手直にあった木に飛び乗り、そこから民家の屋根に飛び移った。メラクは無計画に広がった街なので、高いところからでないと人探しも困難だ。ドゥールは西周りに回ったはずのアラレルの赤い髪を探した。
程なくしてアラレルは見つかり、ドゥールは屋根から飛び降りた。通常の駆け足で道を走り、アラレルと合流する。
「早かったね。もう居場所が分かったの?」
アラレルは目撃談はみんなしていたが、居場所につながる情報はなかったのだと言った。
「日々の善行の賜物だな」
ドゥールはにやりと笑って言った。
「うん。精進するよ]
アラレルが肩をすくめる。
それから二人はビビの宿まで歩いて行った。ビビは大通りには面していない宿だった。二人が宿の見える位置まで来ると、ちょうどシュールたちが宿から出てくるところだった。
「どうやら間に合ったようだな」
ドゥールはアラレルの方を見ずに、独り言のようにつぶやいた。シュールたちは荷物をまとめていて、戦闘に向かおうというようではない。
「シュール!」
ドゥールは叫んだ。シュールたちもそれでドゥールとアラレルに気づき、目を丸くしていた。
「予定変更だ。荷物を置いてこい。すぐに敵を討伐に行くぞ」
ドゥールは良く通る甲高い声でそう宣言した。




