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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第四章 ~海の旅人~
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 ルックはクロックの意図は分からなかったが、大蛇が全身で暴れ出しそうな気配を見せ、聞き返す時間はないと悟った。

 ルックは一足飛びに船首のクロックのところまで移動した。


「しっかり抑えててくれよ」


 クロックは続けて、階段室の下へ声を飛ばした。


「ロロ! 発進だ!」


 ロロが中継して、大声で「合図だ」と言った。ジェイヴァーに向けて言ったのだろう。

 ジェイヴァーが伝声管に怒鳴る声がわずかに聞こえた。


 少しの間をおいて、船が猛加速をする。大蛇の身体に突っ込むのかと思ったが、クロックがぶつぶつと小声で何かをつぶやきながら前方に右手を伸ばす。すると船の進行方向に突然大穴が開いた。黒い、トンネルの入り口のような穴に船は突き進んでいった。

 クロックも自分も飛ばされないように、ルックは必死で踏ん張りながら穴を凝視した。

 穴に入ると、一面が真っ暗な闇に包まれた。海も空もない深い闇だが、なぜか船やクロックの姿は暗くならずに見えた。自分の体も闇に包まれているようではない。

 そしてすぐにまた視界が開け、なんと船は黒い大蛇を後方に置き去り、海の上を走り抜けていた。


 大蛇との距離はそれほどではないが、船はかなりのスピードで大蛇を引き離していく。

 だが大蛇はすぐに船を追いかけ始めた。目のない大海蛇が、ルックを睨んでいるように思えた。少しすると海蛇は海中に潜るが、それ程深くは潜らず、うねる長い影が船を追いかけてくるのが見えた。ビーアが影に絡みつくように飛び、度々海中へくちばしを突き立てている。だが大蛇はそれに構わず船を、ルックのことを追いかけてくる。


 ナームペクタス号が加速しきり、ルックとクロックはなんとか何にも掴まらずに立てるようになった。


「追ってくるようだね。どうする?」


 クロックが問う。船がこの速さで動いていれば、魔法は使えない。手の前に溜めたマナが端から後方に流されてしまうのだ。剣にマナを溜めればある程度は使えるが、剣だけで生み出す魔法の規模では、海蛇にダメージは入れられないだろう。

 逃げ切れるように祈るしかなかった。


 ルックはとりあえずクロックを船内に戻し、一人でまた船尾に立った。

 船と海蛇の速さはほぼ同じだった。引き離せも追い付かれもしない。

 ドーン、ドーンと船の出す音が、通常時よりも頻繁に聞こえる。けたたましい音を立てる船と無音で迫り来る海蛇。両者のレースは一時間も続いた。

 体力が尽きてきたのか、ルックの負わせた傷が響いたのか、徐々に海蛇の速度が落ち、距離ができていく。

 ルックはブリッジのジェイヴァーへ報告に行く。

 ブリッジにはルーンとクロックとロロもいた。ルックが逃げ切れそうだと報告すると、全員が安堵の表情を浮かべた。


「私、リリアンにも教えてくるね」


 ルーンが去ると、ふと船のけたたましい音が止んだ。船の音が止んだということは、船の推進力が止まったということだ。海蛇が迫り来るこの状況で船が動かなくなったら、あまりにも致命的だ。ジェイヴァーが目一杯に目を見開き、伝声管を開けて怒鳴った。


「ナーム! おいナーム!」


 返事はなかった。船の速度が急激に落ち始める。


「誰か機関室へ行ってくれ。ナームが気絶しやがった!」


 クロックがすぐに駆け出す。船はナームの魔法で動いていた。おそらくナームは限界までマナを使い果たして、気を失ったのだ。


 ルックはデッキの上に戻った。


「ヒュー! ヒュー!」


 警戒するようにビーアが鳴いていた。もう海蛇はすぐそこにまで迫っていた。


 海蛇が頭をもたげ、海上に姿を現した。

 ルックは破壊された口に向かって、宝石のマナ一つで石斧生み、投げつける。海蛇は口内に石斧が刺さると、また甲高い悲鳴を上げた。


 耳をふさぎながら、ルックは大剣にマナを補充する。

 今度は溜めていた鉄のマナで鉄槍を生む。ドゥールの作る鉄槍よりは大分小さいが、石斧よりもこっちの方が鋭利だと考えたのだ。

 その鉄槍を投げようとして、ふとルックは思いついて鉄槍を火のマナで熱した。持ち手も鉄なのでルックの皮膚が焼かれたが、構わず高温の鉄槍を投じる。


 効果があった。

 熱さに驚いたのだろう。海蛇は鉄槍が刺さると身悶えをして追跡を止めた。だがすぐに海水がかかり、鉄槍が冷やされる。

 ルックは急いでまた火のマナを溜め始めた。

 勝機が見えた。

 火のマナで大岩の石投を熱せば、かなりの威力になると思えたのだ。けれど剣のアニーにマナが溜まるまで、なんとか時間を作らなければならない。


 徐々に速度を落としていた船は、完全に停止した。

 海蛇が上空からルックへ襲いかかる。受けきれる大きさではないが、ルックは決死の思いで大剣を構えた。


 海蛇の突撃を大剣で受ける。ルックは大蛇に押し込まれ、階段室の外壁へとても激しく押しつけられた。苦しかった。だがまだ救いはあった。上顎を破壊していなければ、飲み込まれて終わっていただろう。海蛇に元々歯がなかったのも幸いだった。

 ルックは剣のマナ二つで、蛇の口の奥へ大量の石投を放った。

 蛇は体内に入った石投に驚き、ルックから離れた。

 だが距離はわずかしか開かない。マナで生んだ石投もすぐに消える。海蛇は再びルックに向けて襲いかかる。


「はーっ!」


 ルックにしては珍しく、かけ声を発した。それほど必死だったのだ。

 火のマナを溜め終えたルックは、赤く熱せられた大岩を投じ付けた。


 どういうわけか、普段の倍近いの速さで大岩が飛んで行き、海蛇の頭部に思い切りぶつかった。


 効いた!


 ルックは胸の中で快哉を叫んだ。

 海蛇は大岩に押され、弧を描いて海上に押し戻される。

 ルックは再び火のマナを溜め始め、海蛇を追おうとした。だが、体に力が入らなかった。突然体内が燃えるように熱くなり、強烈なえずきが込み上げてくる。


 咳き込むと同時に、ルックは大量の血を吐いた。先ほどの海蛇の体当たりが、ルックに甚大なダメージを与えていたのだ。


 闘争心をかき立て、海蛇へ意識を向けようとするが、抵抗虚しく徐々に視界が暗くなっていく。

 ルックは階段室の壁に寄りかかったまま、崩れるように気を失った。




 不思議な夢を見るのはいつぶりだろう。


 ルックは日だまりの中にいた。暖かく、とても優しい日だまりだった。ずっと前にもこの中にいたような気もしたが、思い出せない。


 ルックは辺りを見回した。

 そこは概念的な場所だった。

 地面も空もなく、周りには何もない。太陽も見えないのに、ここは確かに日だまりの中。温かい安心感の中だった。

 色は存在したが、ルックの知る何色にも似ていない色に覆われていた。


 ルックはすぐにここが夢の中だと理解した。夢の中なら、また彼女に会いたい。そう思った。


 ―――だめ。今はルーンのそば……


 消え入るようにか細く、鈴を鳴らしたような声がした。




 声がした。




 期待を込めて辺りを見回したが、そこには誰もいなかった。


 そうだ。彼女は、今はルーンの命を支えているのだ。


 ルックは寂寞とした想いを感じながら理解した。

 ルックは目を閉じて黒髪の少女を思い浮かべた。長く流れる髪には、赤とピンクのリボンが巻き付いている。白く滑らかな肌。みずみずしく潤う赤い唇。

 そして何よりも心に残るのが、彼女の少し勝ち気な瞳だ。深い緑の色をした、形のいい瞳。


「ずっと一緒にいようって言ったのに」


 ルックはわがままを言ってみた。

 ルックの声は概念的な景色に反射して、複雑な山びこをしてからふつと消えた。


 彼女から答える声はなかった。

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