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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第四章 ~海の旅人~
281/354

幕間 ~巨悪片腕(上)~




 どうしてここに来たのか。


 そんなことは彼には分からなかった。

 一度も見たことのない場所だった。見渡すと、色とりどりの髪をした者が無数にいた。見たこともない硬質な服を着ている者もいる。


 辺りを見渡せば、緑の草原が広々と広がり、木々の豊かな小山が見えた。


 人間という生物も初めて見た。これほどの緑も初めて目にした。

 しかし彼は突然飲み込まれてやって来たこの場所がどこなのか、冷静に理解した。そして喜びが体中からふつふつと湧き上がってきた。


 私は食物庫へ来たのだ!


 喜びのまま、彼は近くにいた軟弱な人間に攻撃を加えた。……





 まずいことになった。


 喜びも束の間、人間たちが戦いを挑んできた。最初は大した敵ではないと思ったが、どういうわけか、一人の人間が持つ金の刃物が、なんの抵抗もなしに腕の中を通り抜けた。


 彼は戦慄を覚えた。


 彼ほどではないが、金の刃物を持つ人間と赤髪の人間は、速さも一つ下の位の同族と同等以上だった。

 瞬時に不利を悟って逃げ出した。

 しかし失った右腕はもう戻らない。


 彼はルーメスだ。仮に腕を切り取られても、それだけで致命傷にはならない回復力がある。しかし片腕となれば、当然戦闘には差し支える。しかもどうやら、ここでは火と水の召喚ができない。


 彼はしばらく慎重に行動せねばと考えた。

 しかし少し経つと、どうも人間は皆がみなあのような力を持つ訳ではないと気付いた。そして理解した。髪の色だ。髪の色が茶色か白であれば、人間は大した力を持たない。


 彼は道行く人間を何十と狩り、人間についての情報を得た。しっかりとした言葉はしゃべれないようだが、低い音を発し、意思の伝達はしているようだった。


 彼は北へ進み、緑の豊富な山へ潜り込んだ。平野の国アーティスから、山林の国ヨーテスの西部にたどり着いたのだ。


 彼は元の世界では、ルーメスの一団を従えていた。百人を超えるルーメスがいて、食糧の確保にはとても難儀した。しかしここは飢えとは縁のない世界だった。

 ルーメスは木々も食べる。動物を狩るのも容易い。度々見かけた人間の集落では、大量の食糧が手に入った。時には人間の方から近付いてきて、軽い戦闘になり、食糧が増えた。近付いてくるのはやはり、茶色や白ではない髪の人間だった。


 人間の集落は彼のいた世界よりも文明が発達していた。

 実際にはヨーテスの集落は、アーティスの街に比べればかなり未発達だ。しかし彼はここまで人間の暮らす場所には立ち寄っていなかった。遠目で無数の建造物を見かけはしたが、用心して近寄らなかったのだ。


 彼は山に入ってから、初めて小規模な集落を見つけ、人間を殺し尽くしたあと丹念に調べた。

 家は贅沢にも木製で、大木の樹上に造られていた。一つ一つは大きくはなく、一つの大木に多くて四つほどの小屋があった。

 中には木々を切り倒し開拓したのだろう、地面に家の建つ集落もあった。そうした集落は樹上の集落よりも密集していて、狩り尽くすのが容易だった。


 そうして人間の集落を調べながらしばらくすると、彼は一体の同族を見つけた。呼びかけると、同族はすぐに片膝を地に着け、同族の習わしである恭順の姿勢を取った。一段階目、彼よりも二つ下の位だ。大した戦力にはならないが、片腕がないという不安もあるし、いないよりはましだろうと思った。


 またしばらくして、今度は一つ位が下の同族を見つけた。一人ではない。二人だ。

 彼が呼びかけると、問題なくその二人も仲間に加わった。


 片腕となった彼も、仲間がいるのはありがたかった。一人でいるのが辛いとは思わないが、言葉を交わせる相手がいる方がいい。これだけ食糧があれば、仲間で奪い合うこともない。

 だから彼は、最初に従えた同族が人間に殺されたとき、強い怒りを覚えた。


 彼らが拠点にしていた洞窟に、三十体ほどの人間が襲ってきたのだ。不意打ちをされ手が回らず、目の前で最初の仲間が殺された。憤りのまま、逃げ出した者まで一体残らず探し出し、引き裂いた。彼らは食糧にはせずに、死体をさらしたままにした。


 居場所が特定されたようで、残った仲間と相談し、住処を変えることにした。

 新しい住処は人間の集落だった。森を切り拓いた集落だ。四軒の家が建っていた。


 集落を皆殺しにし、死体を積み重ねた。当面の食糧にするのだ。その後彼は辺りに何か危険なものがないか、仲間二人に探らせた。

 戻って来た二人は、もう一人、彼らと同じ位の同族を連れてきた。


 不思議に思った。明らかに食物庫に来る同族の数が多いと思えた。元の世界にどれほどの数がいたかは知らないが、彼の従えていた一団ほどの群れは見たことがない。その中でも、突然消えた者などはいなかった。そもそも食物庫へ行ったという話など、十年に一度聞くかどうかというようなものだ。

 それがこれほどの数いるとは、思いもよらなかった。


 新しく来た同族は、なんと彼のことを知っていると言った。

 確かに片腕となった彼は、元の世界では大集団の頭として、ある程度名が知れていた。そう不思議なことでもないかと思ったが、良く話を聞いてみると、訳の分からないことがあった。

 新しい同族が言うには、彼はもう何十年も前に姿を消したというのだ。彼は三段階目の祝福を受けていたため、どことも知れない場所で野垂れ死ぬとは思えない。だから食物庫に行ったのではないかと噂されていたという。

 食物庫に行ったことは間違いないが、まだこの世界に来てからは百日ほどしかたっていない。一日の長さが多少違うようには感じられるが、さすがに何十年もたっているとは思えない。

 あまりに奇怪な話だったが、嘘をついているようでもない。

 彼は首をかしげながらも、そのことは謎のままだった。


 さらに時がたち、新しいねぐらにも襲撃者が来た。

 最初に現れたのは、紫色の髪の人間だった。他の人間に比べたくましい体付きだったが、たったの一体で現れるとは笑える話だ。

 彼は仲間の同族に、その人間を捕らえるように命じた。


 しかし人間というのはなかなか知恵が回るようだ。

 彼が仲間を行かせると、紫色の髪が森の中に逃げ込んで行き、すぐ後に別の人間が襲いかかってきた。


 足元に突然、ドロドロとした熱い銀色の液体が生まれた。

 そして赤い髪の人間が駆けてきた。的確に喉を狙って攻撃してくる。身のこなしは一つ下の位よりも勝る。確実ではないが、最初この世界に来たとき襲ってきた一体と同じ人間ではないかと思えた。そういえば、あのたくましい体付きの人間もどことなく見覚えがある。


 落とされた右腕が疼いたような気がした。敵は一体ではない。赤髪の後ろに、紫と桃色の髪の女がいる。

 だが、所詮は人間だ。三段階目の祝福を受けた彼とは歴然とした差があった。赤髪に手傷を与え、後方にいた敵の内一人に致命傷を与えると、人間は赤髪一体を残し逃げ出した。


 赤髪はなかなか手強い相手だったが、すでに手負いだ。負けることはないだろうと考えた。だがどういうわけか、瞬きをしたわずかな間に赤髪が消え失せた。

 しばらく森の中を探したが、到底見つけられそうではなかった。


 忌々しい想いを抱きながら、彼は後方にいた二人の人間を探し始めた。


 致命傷を負わせた一人と、もう一人緑色の髪の人間がすぐに見つかった。緑色の髪の人間は驚いたことに身重だった。拠点にしていたのか、こしらえた水場で水浴びをしているようだった。

 身ごもった緑色の髪の人間は当然弱く、逃げようとする背を爪で裂き、首の骨をへし折った。

 もう一人の人間は息も絶え絶えで、わざわざ殺す必要性も感じなかった。

 彼はそれよりも仲間の元へ駆けつけるべきだと考えた。もし赤髪が逃げたのではなく、あの三人を標的にしていたら、万が一にも討ち取られないとも限らない。


 だが彼の心配は杞憂に終わった。仲間の同族はすぐに見つかり、一人はかなりの手傷を負っていたが、命に別状はなかった。追っていた紫の髪の人間は、崖下へと落ちたという。底の知れない崖で、まず命は助からないだろうと思われた。


 仲間二人に手負いの仲間を任せ、赤髪に警戒するように伝えた。

 そしてもう一体の紫色の髪の女を探した。


 しかし結局、赤髪ももう一体の人間も見つからなかった。身重だった緑色の髪の腹が裂かれていたので、赤子を連れて逃げたのだろうと彼は判断した。




 人間に認知されたねぐらは、また大群で襲われる危険がある。

 そもそもこの豊かな食物庫であればねぐらを固定する必要はないと、仲間の一人が提案した。

 彼はその提案にもっともだと思い、山を離れた。


 山を降りると、元いた世界ほどではないが、荒涼とした土地にたどり着いた。ここでも人間の集落はすぐに見つかり、飢えとは無縁だった。

 長く一カ所にとどまるつもりはなかったが、そう頻繁に移動する必要もなく、彼らはしばらくその集落で過ごした。


 仲間と話し、彼を頭に群れを作るという目標を持った。

 万が一人間が徒党を組んで襲ってきても、仲間が多ければ心強い。

 彼はかつての仲間たちを思い出し、この世界でならばあれ以上の集団が作れると考えた。そのためには、まずは女の同族が必要だろうと思った。


 仲間を探し始めてすぐ、女の同族が見つかった。一番下の位だが、かなりの修練を積んだ気配があり、じきに祝福の試練を受け位を上げるだろうと思えた。


 彼女が仲間に加わり数日がしたころ、拠点にしていた集落に一体の人間が現れた。黄緑色の髪の、肉付きが良く、食いでがありそうな大きな人間だった。


 遠目で近付いてくる人間を見かけたときは、警戒はしたが、ただの食糧だと思った。しかし良く見える位置まで近付いてきて、片腕は驚いた。


 黄緑色の髪の人間は祝福を受けている気配があったのだ。しかも、二段階目の祝福だ。

 灰色の肌ではない。それだけならばルーメスにいないとも限らないが、髪の色が紅くない者はルーメスには存在しない。

 間違いなく人間なのに神の祝福を受けているとは、信じられなかった。


 警戒を強くし、仲間全員で彼を迎えると、さらに驚くべきことが起こった。

 人間が地に片膝をつき、同族が示す恭順の姿勢を取った。そしてなんと、彼らの言葉で語りかけてきたのだ。


 あなたたちのは揺らぎの神の使いでか?


 かなり発声は怪しく、間違えた言葉も多いが、意味は理解できる。揺らぎの神の使いとはかなり違和感のある言い方だが、同族は全員、揺らぎの信者で間違いない。


 片腕は肯定の意を伝えた。


 人間は強い信念と名乗った。片腕たちにとっては奇妙な名前だった。

 不思議なのは、上の位の片腕ならばまだしも、二段階目の祝福を受けた三人の仲間や、一段階目の祝福しか受けていない女の同族にもその人間は恭順を示した。


 強い信念は近くに仲間がいると言い、片腕たちを引き合わせたいと言った。

 片腕は初めて人間という生物に、強い興味を抱いた。


 強い信念について行くことにし、仲間たちと歩いた。道中強い信念が言うには、すでに十数名の揺らぎの神の使いを見つけ、彼らの拠点に迎え入れているらしい。

 揺らぎの神の使いとは揺らぎの信者ではなく、自分たち同族のことを指すのだと片腕は理解した。強い信念は自らを揺らぎの神の信者だと言ったのだ。片腕たちにはどちらも同じ意味に思えたが、強い信念には明確な違いがあるようだった。


 揺らぎ。それは片腕たちにとってなくてはならない存在だ。元の世界には水場がほとんど存在しなかった。神の祝福により、魔法で水を喚び出さなければ、とても生活などできない。


 だから彼らにとって神と言えば揺らぎを指し、強い信念が言う揺らぎの神とは、かなり違和感のある言い方だった。

 片腕が強い信念にそう指摘すると、食物庫には神と呼ばれるものが多数存在するのだと聞かされた。

 片腕はその説明で理解したが、仲間は首をかしげていた。神と揺らぎは同じ意味の言葉であり、揺らぎの神とは、揺らぎの揺らぎや神の神とも取れる言い方だ。多数の神がいることと、言い方が妙なことがひも付かなかったのだ。


 揺らぎと同等と考えられている存在がいて、そういった存在を人間は神と呼んでいる。だから、区別をするために揺らぎの神というのだと、強い信念は説明を重ねた。


 片腕は彼らの言う揺らぎの神の使いに、自分よりも位の高い者がいるか尋ねてみたが、強い信念にはそこまでは分からないという。どうやら強い信念は相手の位を読み取ることができないようだった。

 片腕は自分が三段階目の祝福を受けていると説明し、仲間たちを指差し、何段階目なのかを教えてやった。すると驚いた様子で、強い信念と手を組んだ同族には、一段階目の祝福を受けた者しかいないと告げた。


 一日がかりで歩いた先で、強い信念の仲間と顔を合わせた。

 強い信念に会ったとき以上の驚愕を片腕は得た。

 引き合わされた人間は、片腕より上の四段階目の祝福を受けていたのだ。


 背はかなり低い。産まれたての同族ほどの背だ。普通であれば人間の子供だと思うところだが、四段階目の祝福を受けているのなら、そうではないだろう。


 片腕はとっさに恭順の姿勢を取ろうとしたが、人間に恭順を示すのを躊躇した。そして迷っている内に、なんのためらいもなく四段階目の祝福を受けた人間が片膝を地に付けた。


 四段階目の祝福を受けていれば、確実に片腕よりも強い。例え体の貧弱な人間でも、触れることすらできないだろう。しかし、人間にとっては祝福の度合いは問題ではないのだろうか。強い信念も、女の同族が一段階目だと伝えてからも、女に対して恭しい態度を取っていた。


 強い信念は仲間の名を、志を持つ、と紹介した。それが名であれば、志を持つ者と言うべきだろうと思われた。それならば同族にもある名前だ。片腕は強い信念が正しく言えなかったのだろうと思った。


 志を持つ者はルーメスの言葉は分からないようで、強い信念が会話を繋いだ。

 志を持つ者は、争いではなく、手を組みたいと申し出てきた。

 片腕にとっても、四段階目の祝福を受けている者に争いは望めない。否応なくその申し出を受けた。




 片腕たちは、志を持つ者と組んだ同族と合流することになった。その同族たちはここよりも北東にかなり行ったところにいるらしい。

 だがその前に、もう一人の同志と合流をしたいのだと言った。そのもう一人は人間の街にいるので、しばらくしたらまた落ち合う約束を交わした。


 強い信念と志を持つ者が去ると、仲間全員で今後の方針を話し合った。この機に逃げることも考えたが、片腕たちにとっても、十数人いるという同族と合流するのは悪い話ではない。女のルーメスも数人いるという。それに人間にも祝福を受ける者がいるなら、人間の情報をもっと得るべきだと考えた。そのために友好的な人間と手を組む価値は大きい。


 指定の場所で幾日か待った。用心のため、人間は襲わず、動物や木や草を食べて腹を満たした。

 強い信念と志を持つ者は結局二人だけで片腕たちに合流した。彼らの同志は見つからなかったらしい。


「やはりあの青髪の青年が怪しい気がしますね」

「青年? ああ、アーティスではあの年頃で成人するのだったか。どうだろうな? 私はそれほどの矛盾は感じなかった。確かに指定の宿にはいなかったが、旅のアレーだ。予定が変わることもあるだろう?」

「そうでしょうけど、同じアーティス人ですからね。なんとなく交渉のしかたが不自然というか、気になったんですよ」


 祝福を受けた人間は、人間の言葉で色々と話し合っていた。


 それから彼らは数十日を歩き通した。だが片腕たちにとってはかなり遅いペースだった。人目を避けて道のない場所を進んだせいもあるが、とにかく人間は良く眠るのだ。そして寝るとなかなか起きようとしない。数十日で稼いだ距離は、せいぜい片腕たちにとっての十日分ほどだった。

 だが強い信念が言うには、このペースでも人間にとっては速い方らしい。


 強い信念たちに案内された地は深い樹海だった。めったに人が訪れるような所ではなく、大樹林の国と偉大なる戦士の国との国境沿いだと言われた。

 片腕は国という言葉を聞いたことがなかったが、仲間の一人がそれを知っていた。彼が生まれた場所は国という大集落だという。片腕が百人の群れを率いていた話をすると、辺境の生まれだったのかと尋ねられた。

 片腕は辺境の意味も分からなかったが、あまり無知なのは沽券にかかわると思い、それには曖昧に答えた。


 樹海を三日進むと、木を切り拓いた場所に大きな建造物があった。その建造物は森の中に似合わない、石造りだった。


「やっと着いたな。ようこそおいで下さいました。ここが我々ヒッリ教の大教会、ヒッリテシアでございます」


 志を持つ者が何かを言い、強い信念がそれを訳した。


 揺らぐ教の大教会、揺らぐ大教会とは、かなり妙な名前だと思った。


 揺らぐ大教会は名前とは異なり、かなり洗練された建物だった。外壁は見事に切り出された、四角い石を積み重ねて作られている。内部はいくつにも区分けされていた。

 片腕が生まれた辺境ではまず目にすることはないほど、その建物は大きく、国で生まれた仲間も王の住む城より大きいと言った。王というのも知らない言葉だったが、大集落の頭という意味だという。なんとその仲間が暮らしていた国の王は、六段階目の祝福を受けているという話だ。

 そんな恐ろしい存在とは絶対に関わりたくないと、片腕は思った。


 揺らぐ大教会には話の通り、一段階目の祝福を受けた同族が暮らしていた。数は二十七。強い信念たちがいない間に増えたらしい。片腕たちが加わり、数は三十二になった。やはり異常な数に思えた。

 同族はすぐに恭順を示してきて、片腕はこの一団の頭になった。


 揺らぐ大教会には人間も暮らしていた。数は五十体ほどだ。全員が茶色と白でない髪の色の人間だった。その内五体が一段階目の祝福を受けていて、三体が二段階目の祝福を受けていた。


 強い信念は建物の中を一通り案内し、片腕たちにそれぞれ個室を割り当てた。他の同族は大体五人で一部屋の割り振りだったので、片腕たちは優遇されているようだ。

 人間は同族よりも殺し合うことが少ないらしく、文明が発展しているようだった。山の集落でも感心していたが、この教会はその比ではない。建物も手の込んだ造りだったし、椅子は大きな石ではなく、木を加工したものだ。さらにその上に、布で鳥の羽根を包んだ物が置かれていて、座り心地がかなり良かった。

 明かり取りの窓も、透明な素材がはめ込まれている。


 同族に引き合わされた次の日、片腕の部屋へ、大柄な人間が話をしたいとやって来た。元からの仲間四名も一緒にいた。仕立てのいい服を来ていたので少し戸惑ったが、大柄な人間は強い信念だった。片腕にはまだ人間の見分けがつきにくかったのだ。


 呼び出された先はかなり広い部屋だった。中にはこの大教会にいる、祝福を受けた信者が全員揃っていた。


「神の使いたちよ。お集まりいただき恐縮にございます」


 片腕たちが椅子に座ると、志を持つ者が何かを言った。ルーメスの言葉を話せるのは強い信念だけのようで、すぐに彼が通訳をした。


「改めて紹介させていただきます。私はヒッリ教の神官長、ハンタク。二十八人、いや、おそらく今は二十七人だろうな。二十七人いるこの大陸の神官をまとめている者でございます」


 片腕は部屋の中を見渡した。部屋には様々な髪の色をした人間が、全部で十人いた。

 片腕の目線に気付いたのか、志を持つ者が注釈を入れた。


「ああ、ここにいる中で神官は、私とガラークを含め五人だけでございます。この大陸にはここと同じような教会が、あと四つ存在していまして、それぞれに二人ずつの神官が在籍しております。そして現在この教会に在籍する十四人が、今は様々な目的のため旅に出ております。

 さて、お気付きのことと思われますが、私たちは数が少ない。この大陸にはおよそ四から五千万の人間がいると言われておりますが、私たちの数はたったの二百にも達しません」


 志を持つ者、ハンタクの言葉に片腕は頷いた。この世界にはとにかく人間が多いのだ。神官が二十七人と聞いたとき、真っ先に思ったことはハンタクの言うとおり、数が少なすぎるということだった。


 片腕がなぜそこまで数が少ないのかを問うと、すぐに強い信念が翻訳をする。


「神の使いはおっしゃいます。なぜそのような数しかいないのか、と」


 片腕はただ尋ねただけだったのに、なぜかハンタクが萎縮したようだった。


「お許し下さい。私たちの力が及ばず、人間は我らヒッリ教を邪教と定めているのです」


 片腕は驚いた。ハンタクは確かに恭順の姿勢を取ったが、今の今まで、それは人間が自分たちの習わしを誤って解釈しているためだと考えていたのだ。だから実際には、まだ片腕はハンタクが自分よりも下にいる存在だとは考えていなかった。

 そのハンタクが、自分に対して謝罪をしたのだ。


 謝罪は同族にとって、格上の存在に対してしか行われない行為だ。同格の者にすら謝罪はしない。当然自分の過ちを認めることはあるのだが、許しを求めることはしない。彼らにとって許しとは、上位の者から下位の者へ、下げ渡されるものだからだ。


 正直に、自分の立場で許しは与えられないと言おうか、片腕は迷った。しかしあまりにも状況がつかめていない。片腕は右腕の切断面をさすった。


「神の使いはおっしゃいます。話を最後まで聞こう、と」

「は。我らもこの事態を由々しき問題だととらえております。神を悪だと言う人間は、粛正するべきだとも考えております。ですが、全てを粛正して回れば、いずれ我らは反撃に合い、すりつぶされる事でしょう。今現在も我々は迫害され、隠れ潜むため人里離れたこのような地に、教会を持っているのです」


 全く意味が分からなかった。そもそも揺らぎとは意志を持つものではない。悪でも邪でもないのだ。逆に言えば善でもない。人間がどう言おうが、信者の数が少なかろうが、何が問題だと言うのだろうか。

 片腕は仲間の顔をうかがった。仲間もやはり、意味が分からず戸惑っているようだ。


「神の使いはおっしゃいます。続けろ、と」

「もちろん、神の使いを弑する邪悪なる者は、粛正をしております。ですが何分手が足りず、また情報も不足しております」


 どうやら彼らは同族を殺す人間を殺しているらしい。片腕には仲間ではない同族が殺されたからといって、相手を殺す理由はないと思えた。だが、ハンタクの考えは次第に分かってきた。


 位に関わらず、彼らにとって同族は崇拝の対象なのだ。どうしてそのような考えになったのかは理解に苦しむが、この揺らぐ教という者たちは、本当に自分たちに従おうというのだ。


 片腕は理解するとともに、内心でほくそ笑んだ。

 この豊潤な世界であれば、同族が殺し合う必要もない。ハンタクを利用し、敵対する人間を皆殺しにすれば、この世界は同族にとっての楽園になる。


 そして彼は、世界が歪みこちらに飛ばされたとき、気付いたことがあった。自分の存在が歪みを不安定にさせ、霧散させるのだ。

 そのため三段階目の同族は、山一つ分ほどの歪みがなければ、こちらには来られないだろう。そしてそんな大きな歪みなど、そう起こるはずがない。さらに三段階目と四段階目の間には、天と地ほど存在に差がある。四段階目以上の同族は、まずこちらには来られないと考えていいはずだ。

 つまり、彼が上手くハンタクを利用できれば、この食物庫の王になれる可能性があるのだ。




 この会談は一日中続いた。しかし人間の言葉はじれったく、また間に通訳を置いているため、話した内容はそれほど濃くはない。

 だが片腕は現在この食物庫に起きている事態を把握することができた。


 大きなものは二つだ。

 一つは世界の境界が大きく歪んでいること。

 もう一つはそれを抑えようとする者たちがいること。


 理由は不明だが、この世界の歪みが一年と少し前から大きくなっているらしいのだ。そのため現在はかなりの頻度で、同族がこちらの世界に飲み込まれてくるらしい。


 今が勢力を拡大させる好機であるのは間違いがない。

 だが闇という邪教徒が世界の歪みを止めようと画策しているらしい。闇の信者を抑える必要もあるというのだ。


「現在居場所の特定できている闇の大神官は、クラムという男だけでございます。他にダルクとディフィカという者がおりますが、直接的には歪みを抑えようとはしていません。私が感じる歪みを抑えようとする大きな力は、全部で七つ。その中でクラムの住む場所で行われているものが圧倒的に大きく、同等の力は感じ取れません。

 ですからとりあえずは、ダルクとディフィカは放置しておいて問題ないかと考えております」


 ハンタクはそのように言っていた。

 実際にはダルクとディフィカも、クラムと交代で歪みを抑える儀式を行っているのだが、ハンタクはそのことは知らなかった。全てクラム一人の力によるものだと考えていたのだ。当然片腕にもそのことは分からない。

 そもそも片腕には、世界の歪みを抑えようとする力など、どうして感じ取れるのかが理解できなかった。揺らぐ教でも感じ取れるのはハンタクだけだという。


「クラムの強さは未知数です。一人の神官が実際に現地へ足を運び、クラムと遭遇したのですが、戦闘をすることなく逃げられてしまったとのことで」


 片腕は闇という神は初めて聞いた。もしそれが揺らぎと同等のものならば、人間とはいえ油断ならないと考えた。


 確かにこの食物庫の王となるためには、現在では戦力が足りないようだ。だがその闇の大神官が歪みを抑えきるようならば、戦力の拡大は望めなくなる。

 しかし、もしも闇の大神官が自分を越える強さなら、今の戦力で打ち倒すにはやはり心許ない。

 結論として、闇の大神官は今はまだ放っておくべきなのだろう。最悪世界の歪みが収まったとしても、普通に子供を増やせばいいのだ。

 同族は厳しい環境を生き抜くために、多産だ。一度に十から二十の子を産む。この食物庫であれば、その子供がほぼ全員大人になるまで生きるだろう。そうすれば時間はかかるが、戦力は増強させることができる。

 ならば闇の大神官はとりあえず捨て置いて、今はできる限り同族を探し出し、仲間に引き入れるべきだ。


 片腕はこの世界の王となった自分の姿を想像し、ふつふつと湧き起こる笑いを飲み込んだ。




 片腕はルーメスの中では、とても慎重で、おごりの少ない性格だった。だからこそ数の力を知っていた。そうでなければ、ロロが生まれたのと同じ個が尊重される辺境地帯で、百もの一団を率いてはいなかっただろう。


 私は二千年後に生きた人間だ。

 二千年後は、すでにルーメスの大量発生は収まっていて、広い大陸で年に一体現れるかどうかという、珍しい災害になっていた。そのため私はルーメスに遭遇したことはない。

 だからロロを見るまで、ルーメスの心の中を覗けるとは思ってもいなかった。


 けれど覗いてみて分かった。ロロ以外のルーメス、特に片腕の思考は人間とはまるで違う。

 時の世界にいる私に疲労などはないが、片腕の心を覗いたあとは、とてつもない疲労感を覚えた。片腕の心は、人間のものとは全く異質だったのだ。


 片腕の心の中には、一切の愛がない。仲間に対しても価値を見いだしていただけで、そこに愛はなかった。失った右腕に対しても、ただ不便だと考えただけで、惜しむ気持ちがなかった。


 だからこそ確信できた。

 片腕はロロとは違い、純粋に人間の敵なのだ。

 片腕はルックの冒険譚には必ず登場する。そしてどの冒険譚でも、必ず巨悪と語られる。

 なぜ人間と深く関わり、人間の心を知り得たはずの片腕が巨悪と語られるのか。それは間違いなく、片腕の心に愛がないためだった。




 片腕は情報を欲した。この世界を征服し王となるために、まずは情報が必要だった。

 ヒッリ教からの情報だけでは、偏りがある可能性に思い至ったのだ。

 さらに強い信念の通訳はたどたどしく、誤った解釈になる危険性もあった。

 そのため片腕は、人間の言葉を良く聞く努力をした。仲間との行動を避け、常に強い信念をそばにおき、志を持つ者と会話をした。その努力は実り、彼はたったのひと月で、人間の言葉がほぼ理解できるようになった。


 理解できるようになると、強い信念、ガラークの通訳が、やはり穴だらけなことが分かった。彼は集めたルーメスの世話役を任されることで、自然にルーメスの会話を覚えたそうだが、決定的に語彙が少ない。例えばガラークは、殺すも弑するも粛正するも、同じ言葉で訳した。

 確かに命を奪うという意味では、どれも同じだ。しかしルーメスの言葉は同じ命を奪うでも、なぜ奪うのか、相手は格上なのか、同格なのか、格下なのか、どれほどの時間をかけたのか、そういったことなどで選ぶ言葉が変わる。

 ガラークの訳ではどんな命を奪う行為も、格下の相手を、食べるために、時間をかけず、無感動に、殺す、という意味合いの言葉が使われていた。ルーメスが人間を殺す理由のほとんどがそれのため、自然にその言葉を学んだのだろう。


 言葉を覚えてから、片腕は正確な情報を集めるため、男爵クラスの仲間三人と通訳にガラークを連れ、人間の集落に乗り出した。揺らぐ教、ヒッリ教ではない人間を捕虜にし、情報を引き出そうと考えたのだ。


 大教会の北はオラークという国で、比較的大きな村や町が多い。この大陸で二番目に土壌の良い国だと聞かされた。

 南はヨーテスという国で、山の中に名もない小さな集落が無数にあるという。


 片腕は迷わず南に向かった。

 南に向かえばすぐにヨーテス山脈だ。道のない山を登るのはガラークにはかなり大変なようで、ペースは遅い。ガラークは足手まといだが、人間の集落に着いたら、誰をさらえばより情報が入手できるか、見分けてもらわなければならない。我慢強くガラークのペースに合わせた。


 三日もかかりたどり着いた集落は、七つの家が二本の大木の樹上にある、小さな集落だった。


 片腕は三人の仲間に指示をし、ガラークを残して二手に別れ、大木に巻き付くように作られた階段を駆け上った。

 家の戸を蹴破る。

 片腕は大して警戒もせず家の中に乱入した。

 家は一部屋のみの間取りだった。家の隅に絨毯が敷かれていて、そこには湯気を立てる料理が並べられていた。


 人間はいなかった。

 片腕は次の家に向かった。しかし次の家にも人間はいなかった。

 いつ気付かれたのか、集落は全員が逃げ出した後だった。


 三日も要した襲撃が不発に終わり、片腕は不快な想いを抱いてガラークのいる地点まで戻った。

 人間がいなかった旨をガラークに伝える。ガラークがあれこれと拙い言葉で尋ねてきたので、片腕は家の中の状況を語った。どうでもいいようなことを尋ねられ、忌々しい気持ちが膨れ上がった。

 腹いせにガラークを殴り倒したい衝動にかられたが、同族の言葉を語る貴重な存在だったので自重した。


「どこかで私たちの行動が見られていたのでしょうね。逃げ出してからはそう時間が経っていないと思われます」


 ガラークが人間の言葉でそう言った。早口で所々言葉が理解できず、片腕の腹立ちは増大した。最後に戻って誰もいないと報告した仲間を、片腕は無言で張り倒した。

 同族ならばこのくらいでは死なないが、ガラークたち人間は脆い。そのための完全な八つ当たりだった。ガラークは腹立つ片腕を恐れたようで、一歩後ずさりをした。

 その滑稽で醜い様を見て、片腕は溜飲を下げた。


 殴られた仲間は片腕に対し恭順の姿勢を取り、黙って耐えていた。

 彼も不平不満はあるだろう。片腕も低位のときに理不尽な扱いを受け、腹に憎悪を抱えながら耐えたことがあった。片腕は位が上がった際に、真っ先に理不尽な扱いをした上位者を殺した。

 片腕は左手を差し伸べ、膝を突く仲間を立たせ、気づかう言葉をかけてやる。

 万が一彼の位が上がったときに報復を受ければ、右腕のない自分が不利になるかもしれないと考えたのだ。


 打算的な片腕の行為に、殴られた仲間は畏敬の眼差しを向けてくる。彼は国生まれのルーメスで、片腕とは価値観が微妙に違う。片腕が思っていた以上に、気づかってやったことは効果があったようだ。


 そのときだった。

 立ち上がった仲間の後頭部に、突如短刀が突き刺さった。

 片腕は短刀が飛来した方を見やり、火を喚び出す魔法を使った。この世界では火は喚び出せないが、見た場所を爆発させる事ができる。

 爆発させたのは近くに立つ老木だ。

 頭に短刀を投げつけられた仲間は、怒りに吠え、老木の元に駆け出した。固い皮膚と頭蓋に守られ、傷は浅かったようだ。


 片腕が生み出した爆発は襲撃者にダメージを与えはしなかったらしい。襲撃者は老木から近くの木に飛び移る。そして駆け寄る同族へと再び短刀を投げた。

 同族はその短刀を腕で払い、襲撃者のいる木に体当たりをした。

 めきめきと音を立てながら木が倒れ出す。そこからさらに襲撃者は別の木に飛び移った。そして倒れる木に気を取られた愚かな同族に、また短刀を放ち、同族の右目を突き刺した。

 同族は悲鳴を上げ顔を押さえてうずくまる。

 片腕は間抜けな同族に嘲笑の念を抱いたが、これにガラークが怒りを示した。


「繁茂っ!」


 割れた声でガラークが叫ぶ。突如、襲撃者の乗る木が弾けるように急成長した。木に突き飛ばされるように襲撃者が落下した。そこへガラークが駆ける。一段階下、男爵クラスの仲間と変わらぬ速さで、ガラークは襲撃者に迫り、地面に着地した黒い髪の女を殴り飛ばした。


 手加減をしたのか、襲撃者は死んでいなかった。しかし動ける状態でもなさそうだ。腹を押さえて苦しんでいる。

 ガラークは女の状態を一瞥すると、目を刺された仲間の介抱へ向かった。

 仲間の目は手の施しようがない状態だった。片目となった仲間が、残った目で忌々しげに女を睨んだ。

 女を爆発させようとしたのだろう。

 しかしそれを片腕は止めた。

 ガラークに女を治療するように命じ、片腕は帰還することにした。


 捕虜にした女は、あの集落の狩人だったらしい。人間は歳の取り方が違うようで年齢は分からなかったが、老いは始まっていないように見えた。狩りの途中近付く自分たちに気付き、集落の人間を逃がしたあとで片腕たちに襲いかかってきたのだ。

 ガラークがなぜか、襲撃を予測して警戒すべきだったと落ち込んでいた。

 片目となった国生まれの同族は気のいいたちだったようで、そんなガラークを慰めていた。

 片腕にはその同族の気持ちは分からなかった。


 ルーメスといっても、性格はそれぞれで大分違う。

 主に片腕のような辺境生まれのルーメスは、個を尊重することが多く、血のつながりも希薄で、兄弟で争うことも多い。そのため他人に気を許すことは少なく、厳しい性格のことが多い。

 しかし片目となったルーメスが生まれたのは、妖魔界に三つ存在すると言われるルーメスの国だ。特に片目のルーメスはその中でも最も豊かで、奪い合いの少ない国で生まれた。

 そのため片腕に恭順した二段階目の三体の中で、片目のルーメスだけが他者を思いやる心を持っていた。


 その彼にしても人間はただの食物でしかなかったが、ルーメスの言葉を話し、自分と同じ階位のガラークのことは、同族と同等のものだと捉えていたのだ。だからガラークには同族に対するように、思いやりを持って接していた。

 目を潰した捕虜の人間を忌々しいとは思っていたが、ガラークがこれ以上気に病まないように、許すことにしたのだ。

 ガラークもその思いやりを理解していて、片目のルーメスには打ち解けた態度だった。




 捕虜の女の遅いペースに合わせ、八日がかりで大教会に戻った片腕たちは、捕虜の女がある程度回復するまでさらに三日待った。

 捕虜の女は腕に自信があるようだったが、三十人を越える同族や、自分を圧倒したガラークを前に、抵抗する意志はないようだった。

 片腕がこの世界の情報を提供するように言うと、大人しくその言葉に従った。

 最終的に女は食糧にする予定だったが、どういうわけか片目にされた仲間が異を唱えた。ガラークと相談をしていたようで、ガラークからも恭順を求めてみてはどうかと諭された。

 大教会ヒッリテシアには食糧が豊富にあり、特別人間を食べる必要もない。恭順をするなら別に構わないかと考え、片目の仲間の要望を受け入れた。


 女は片目の仲間とガラークに説得をされたのか、数日後に恭順を示しに現れ、片腕はその恭順を受けた。

 女はヨーテス北部の樹上集落で生まれた、無階位のキュイアと名乗った。

 片腕も自分の出身と位と名を返したが、ガラークは片腕たちの名前を訳せないらしい。出身と位のみを女に伝えていた。

 ガラークが人間の言葉に置き換えられる名前は、カンで仲間に加わった女のルーメスのものだけだった。その女はガラークに多幸人、「ヒーラリア」と呼ばれていた。同族の名前は古語を元にしたものが多く、彼らにしても意味を知らないことが多い。その中でヒーラリアだけは意味の分かる名前を持っていたのだ。


 ガラークはルーメスの発声を操れるので、片腕たちのことも名で呼んでいた。しかし他の信者やキュイアはそれでは区別が付かないため、しばらくすると主だった仲間には愛称が付くようになった。

 片腕はそのまま片腕と呼ばれ、片目となった同族には一つ目という名が付いた。二段階目の祝福を受けた残り二人も、ぼさぼさの長髪を耳無し、あまりしゃべらない方を口無しと呼び名を付けられていた。

 同族は名に強いこだわりがあるものだが、人間が呼べないのならば仕方がないと、その呼び名を受け入れた。


 片腕は女狩人キュイアから人間の情報を聞き取り、今後どのように動くべきかを思案し始めた。

 ヒッリ教から得た情報は、思った通りかなり偏見のある情報だった。

 キュイアは、ルーメスは人間の天敵で、見つければ駆逐するものだと語った。こちらの世界にもルーメスと匹敵する人間は多く、中でもアラレルという人間の一行が、次々に同族を狩っているということだった。

 片腕は食物庫を征服する障壁の一つとして、アラレルという名を胸に刻んだ。

 アラレルの名はハンタクたちも知っていた。


「おぞましく許し難い愚者です。しかしクラム同様、強さが未知数なので、我々も手を出すのをためらっております」


 ハンタクはキュイアが語る勇者という言葉は使わなかった。

 だが片腕の警戒心は、そう必要なものではないと分かった。


 大教会に、オウと名乗る若い神官と、ローブを深く被った従者が帰還した。片腕たちはその二人に面通しをするため、ハンタクに呼ばれた。

 オウを最初に見たとき、片腕は身構えた。以前襲ってきて、突如消えたあの人間に見えたのだ。だがよく見れば、オウの方が背が高く細い。赤い髪の色と髪型以外は似ていなかった。


「二股の木にはそれらしき奴は見当たらなかった。

 今回は森人の森まで見に行ったが、あそこにいる奴を粛正するのはこの俺でも大変そうだ。森人のアレー一人と戦闘になったが、森に紛れてほとんど姿を見せねえ。あんなんがうじゃうじゃ出てきやがったら、手に負えねえな」


 オウはどうやら、歪みを止めようとする人間を始末するため、大陸中を渡り歩いているらしい。

 ヒッリ教の人間は、この大教会を拠点にし、様々な任務で世界に出ていた。そしてこの教会に様々な情報を持ち込むらしい。

 片腕と面通しをしたあと、オウはハンタクに旅の報告をしていたのだ。片腕もオウの報告を注意して聞いていた。


「そうか。ならば森人の森はしばらく手が出せなさそうだな。コールもやっかいだが、そちらの方がまだやりようがあるか」

「ああ、俺もそう思うね。あと、朗報もある。ここにいらっしゃる片腕が、愚者アラレルを退けられたって噂だ。生死は定かじゃねえが、最近はアラレルの話を聞かねえから、死んだんじゃねえか?」


 片腕は自分がすでにアラレルと戦っていると聞いて驚いた。そしてすぐに、先ほど思い出した赤髪の人間に思い至った。

 あれがアラレルなのだろう。あれが退けた人間の中では最も強かった。しかしそれなら、そこまでの脅威ではない。

 片腕はそんな話をガラークにしゃべらせた。


「は、さすがは片腕。神の使いの手を煩わせたことは恥ずかしく思いますが、我らが大敵を討っていただけたこと、ありがたく思います」


 神官長ハンタクがそう言うと、その場にいた人間が全員、片腕に向けて恭順の姿勢を取った。


 慎重な性格の片腕だったが、ついに彼らの恭順を信じる事にした。同族にするようにその恭順に許可を与えてやった。

 片腕はそんな彼らに、この世界をルーメスの世界にする考えを伝えた。ヒッリ教の人間たちは全面的な協力を、嬉々として申し出てきた。

 それから念のため、アラレルが戦闘の途中で消えたことや、紫色の髪の女を取り逃がしたこと、崖から落ちたたくましい男の話、確かに死亡を確認した二人の人間のことを伝えた。


「逃げたって女は森人のシーシャでしょう。アラレルの子を連れて帰還しやがったと聞きました。

 男はドゥールって戦士で、ボルトのように全身を鉄皮で固めて戦う戦士だそうです。谷に落ちたってことなら、ドゥールの方はくたばってねえかもしれません。

 確実に討ち取られた二人ってのはヒリビリアという森人と、カーナかユリマという呪詛の魔法師でしょう。

 アラレルが消えたことはすいませんが、俺にも分かりません」


 オウが言うボルトという名前には聞き覚えがなかったが、ガラークが補足を入れた。最初に合流する予定だった同志のことで、すでに殺されているだろうと言った。


「ボルトが死んだっていうのかよ? あんなんどうやったら殺せんだ」


 ボルトはヒッリ教の中でも上位の戦士だったらしい。オウがかなり意外そうにそんなことを言った。


「死んだかどうかは定かじゃないんですが、まあ状況的に見て間違いはないでしょうね。あのルックという青年のことも、警戒するべきだと思います」


 ガラークが言うと、ハンタクがそれに反論をする。


「ガラークはこだわるな。私にはただの子供に見えたが。

 まあいい。

 片腕。私からあなたが王となるため、障害と思われる者たちをご説明差し上げてよろしいですか?」


 ハンタクが伝えてきた内容は、かなり濃いものだった。片腕がこの世界の王になる目標を伝えたため、知る限りのことを話したのだろう。

 まず話し始めたのは、世界の歪みを抑える七つの力のことだ。


 一つはティナという最南端の地にある何かで、まだ正確な確認はできていない。


 次に森人の森にいる森人。おそらくはリージアという伝説的な呪詛の魔法師の仕業だろうとのこと。


 次にアーティスにある二股の木。これは全くの謎だそうだ。


 次にダルダンダという山に棲む、黒の翼竜。これも正確に確認してはいないが、手を出せる相手ではない。翼竜の絵を見せられたが、妖魔界にもいる生き物だった。片腕は実際にその姿を遠目で見たことがあった。途轍もない巨体で、関わるべきではないと思えた。


 次にヨーテス東部の未開地にいる、闇の大神官クラム。


 次にコール王国の首都。これは大学という機関が怪しいと踏んでいるようだ。


 最後にフィーン帝国の高山。ここはそもそも人間が足を踏み入れるような場所ではないらしく、調査は難航しているらしい。


 歪みを抑える力は人間とは限らず、二股の木などはそれ自体が歪みを抑えているのではないかと語った。


 その後で語ったのは、同族を狩る人間たちのことだ。

 これはかなりの数いて、とても全ては覚えきれず、またハンタクたちも把握しきれてはいないという。かなりの強者もいるだろうと思われ、彼らも慎重に対処しているようだ。


 その中でも特に際立つ存在が二つあるらしい。黒髪の二人組と、最北の国アルテスで活動しているイークとその仲間だ。


 イークというのはかなり詳細まで把握していた。元々名の知れたチームだったらしい。男一人、女三人で活動していて、積極的にルーメスの情報を集め、討伐を繰り返しているとのことだ。


 黒髪の二人組は、大陸中どこにでも現れ、とても人とは思えない移動速度だという。そのことからハンタクたちは、その二人組が闇の神官だろうと予測していた。


 邪教闇。この世界で人間に力を与える神は、確認が取れている中では揺らぎと闇だけらしい。キュイアに聞いても、闇は邪教だと言った。


 片腕はハンタクの説明が一段落着くと、闇についての説明を求めた。

 闇はオラーク西部にある、テスキーンという廃城を拠点に活動している。邪教と名高い教団だが、オラーク西部は無法地帯で、野放しにされている。

 廃城テスキーンには、アインという神官長がいるらしく、数十の神官と数百の信者を育てているらしい。

 ヒッリ教はその信者の中に数名の間者を送り込んでいて、闇に関する情報はかなり持っていた。だが世界の歪みが強くなってから、その間者たちからの情報が途絶えているそうだ。

 テスキーンの他に、闇の大神官が三名いて、それぞれ大陸のどこかに拠点を設けているという。その拠点が判明しているのはクラムという大神官だけとのことだ。


 ハンタクの話を聞き終えた片腕は落胆した。そして内心に強い怒りを芽生えさせた。

 この食物庫の王になる。片腕が掲げた目標は、かなり達成しづらいという結論に達したのだ。少なくともかなりの時間が必要だろう。

 片腕はそれほど若いルーメスではない。辺境で百人の一団を築くのに、生涯の大半を費やしたのだ。これから生まれるルーメスが大人になり、その中から二段階目に上がる者が出る頃には、確実に老いが始まっているだろう。

 平民クラスのルーメスでは、強い人間に勝てない。しかし男爵クラスになるのは待てない。


 片腕は歯噛みした。

 だが片腕は、この世界の王になることを諦められなかった。生涯をかけて築いた群れが、こちらの世界にはない。片腕の群れは、彼のいた辺境地帯では恐れられる存在だったのだ。

 その頭だった自分が、人間ごときに怯えて暮らすのは耐え難い。

 狭い世界で王だった片腕は、食物の溢れるこの世界に来ただけでは満足できなかった。


 私はこの世界を制し、王となる。


 片腕は決意を固めた。




 片腕は無謀とは縁の遠い存在だ。現在の戦力では不安が多いことは分かっていた。大教会にいる平民クラスに、大陸中から同族を探し出してくるように命じた。人間との争いは避け、目立たないよう行動することも厳命した。

 平民クラスの中で、ヒーラリアだけは残した。彼女には試練を受けさせることにした。位を上げるための神の試練だ。

 試練は適性のない者が行えば、気が触れたり、意志を失うことが多い。また何も起こらないこともある。だが大教会の平民クラスのうち、ヒーラリアだけはそろそろ男爵クラスになってもいい頃合いだった。


「片腕。神の試練に耐えうる資格とは、どのようなもんなんですか?」


 オウが尋ねてきた。

 片腕はまじまじとオウを眺める。


 試練に耐えられるかどうかは、存在の大きさによる。存在の大きさは強さとは違う。大体は歳とともに大きくなっていくものだが、場合によっては困難を乗り切ったときなどに急激に増大する。また存在が小さくなる者もいる。存在の大きさとは、ルーメスにとっての徳のようなものだ。

 漠然とした概念で、どう伝えるべきか片腕は悩んだ。


「神の使いはおっしゃいました」


 ガラークに簡単な説明をすると、いちいち言う決まり文句を述べ、オウに伝えた。

 片腕はただでさえ人間の話し方をまどろっこしく感じていたので、通訳を終えたガラークにその決まり文句をやめるよう言った。ガラークは「承知しました」とすぐに従った。

 ガラークに訳させた説明には、オウは良く分からなそうな顔をしていた。ガラークは思慮の深いところが見受けられたが、このオウは頭が悪いように思えた。


「そしたら、俺はどうですかね? そろそろ一つ上の位に上がれそうかという意味ですが」


 オウに尋ねられたことは、片腕も切り出そうとしていたことだった。先ほど良く見てみたところ、オウにはその素質があったのだ。片腕はオウにも試練を受けさせることにした。


 オウは喜んで二つ返事に承諾したが、ヒーラリアは試練を受けることを渋った。

 彼女は試練を乗り越える自信がないようだ。


 上位者といえ、神の試練を受けることは強制できない。試練は心の内で行うもので、はたから見ても実際に行っているかは分からない。

 もし強制したとしても、試練に挑んだが何も得られなかったと言えば、上位者にもそれが本当か嘘かは分からないのだ。


 片腕は最初の仲間五人でヒーラリアの部屋に集まり、彼女を説得することにした。

 片腕は人心を掌握することが得意だった。ヒーラリアの意見を聞き、なぜ不安に思うのかを洗い出し、それを一つ一つ説き伏せていった。

 一つ目が説得を手伝い、ヒーラリアをおだて、彼女に自信を付けさせた。

 自分のやり方とは違うが、一つ目のやり方も効果的だと片腕は思った。

 ただ一つ目は打算的に説得をするのではなく、本心からヒーラリアをおだてているようだ。真似できない方法だろうと、冷静に判断した。


 ヒーラリアは最終的に試練を受けることになった。

 日時を明日の朝と定めた。ヒーラリアの部屋から出ると、一つ目が話しかけてきた。


 キュイアに試練を受けさせてみないか。


 そう言われ、片腕は意外に思った。

 いつの間に打ち解けたのか、一つ目は捕虜のキュイアと大分親しくなっていたようだ。ガラークとも仲が良いようだし、国生まれのルーメスとは特殊なものだと片腕は感じた。


 次の日の朝、オウとヒーラリアとキュイアが、大教会の中にある聖堂と呼ばれる部屋に集まった。


 聖堂はかなり広い部屋で、ルーメスの中でも大柄な片腕の背、三つ分の高さがあった。

 部屋は半球状になっていて、天井と壁は繋がっていた。そしてその面すべてに、精密な彫り物が施されていた。細かい絵が無数に彫り込まれている。それは馬などの四足の動物や、鳥や爬虫類を抽象化した絵だった。

 あれほどの高さに彫り物をするのは、かなり苦労をするだろう。片腕は人間のこだわりには呆れたが、確かに見栄えはかなり良かった。


 試練には片腕とハンタクと、通訳のためガラークが立ち会った。今はガラーク以外の五人で、聖堂の中央に輪になって座っている。ガラークはハンタクの後ろに立っていた。

 ハンタクにも立ち会わせたのは、試練に失敗した者が暴れ出す危険があるためだ。もしもオウが自分と同位になって暴れ始めたら、抑えきれるとは限らない。そのためハンタクの力が必要だった。


 最初に試練を受けるのはキュイアだ。ルーメスは生まれたときから、一段階目の祝福を受けている。だから一段階目の祝福を受け取る方法などは知らない。なのでその試練についてはオウに説明をさせた。


「まずは揺らぎの神を強く信じろ。アレーのマナと一緒だ。揺らぎの神は人の心の中に必ずいらっしゃる。そんで膨大な量の力をお持ちだ。イメージとしては心の中に海があるみてえな感じだな。

 その力をほんのわずかにすくい取れ。揺らぎの神の御力は絶大だ。絶対に取りすぎんなよ」

「取りすぎたらどうなんの?」

「二度と意識が戻らねえ」


 オウの説明は概ね正しいように思えた。だが意識が戻らないよりも、狂う可能性の方が高いのではないかと思った。もしかしたら人間と同族で起こる現象が違うのかもしれない。

 キュイアは元々悪い目つきをさらに厳しくし、ガラークに言った。


「おい、一つ目に伝えてくれ。そんな危険なこと、私にはやる意味がない。私が片腕に恭順ってのをしたのは、あくまで自分のためだ。命までかける義理はない」


 キュイアの言いぐさには、ガラークは呆れたような表情を返していた。片腕にとってはキュイアの言葉は意外でもなんでもないことだ。元々同族の恭順などはそのようなものなのだ。

 だがこの言葉にハンタクとオウが目くじらを立てた。

 ハンタクは威圧的な雰囲気で立ち上がり、キュイアの髪を掴んだ。そしてその黒髪を引っ張り、キュイアの顔を自分の方へ向けた。


「女。今すぐに発言を訂正しろ」


 片腕は内心でどっと汗をかいた。今ではハンタクが逆らわないと理解していたが、本能が圧倒的に格上の存在を恐れたのだ。

 発言を訂正するように言いながら、ハンタクは今にもキュイアを殺すかのように見えた。

 それを決死の想いを目に宿した一つ目が制止した。

 よくもこの恐ろしい怒りの前で行動できたものだ。片腕ですら動けなかった中、一つ目は喉を鳴らしてハンタクを説得した。一つ目の言葉をガラークが慌てて訳す。


「神の使い一つ目はおっしゃいました。その女を離し、許してほしいと」


 使わないように言った口上だったが、ガラークはあえてその言い回しを使った。その判断は正しかっただろう。怒りに震えていたハンタクがはっと目を見開き、一つ目に対して恭順の姿勢を取った。


「は、出過ぎた真似をいたしました」


 オウもそのハンタクの様子を見て、怒りを鎮めたようだ。

 怒りを向けられたキュイアは、強かなことに悪びれもせずハンタクを睨みつけていた。ハンタクがただの子供に見え、恐ろしさが分からなかったのかもしれない。

 しかしどうやらこの騒動でキュイアの気が変わったらしく、試練を受けることになった。


 一つ目がキュイアならば試練に危険はないと諭し、キュイアはそれにあっさりと頷いて言った。


「ああ、受けてやるよ」


 怒りのままに試練を受けると言った女は、確かに祝福を受けるに値する存在感が感じられた。

 この分なら平民クラスの祝福を失敗することはないだろう。


 キュイアが輪の中央に入り、目を閉じた。後ろから、一つ目がキュイアの両肩に手を置いた。後で聞いたところ、国ではたまにこうして試練を補助することがあるそうだ。試練を補助することができるなどとは、片腕は知らなかった。一つ目の行動が試練を汚す行いに見え、このときは少し不快感を抱いていた。


 だが試練が終わると、その不快感は綺麗に忘れてしまった。

 無階位のキュイアが二段階目、男爵の祝福を受け取ったのだ。段階を飛ばすなど信じられないことだった。ハンタクたちも驚いていたので、人間特有の祝福の受け方でもないのだろう。

 少し朦朧としていたようだが、キュイアは意志を保っていた。狂ったようでもない。彼女は試練を乗り切ったのだ。


「さすが神の使いの見立てだ。そんな女が試練を成功するなんてな」


 オウが感心したようにそう言っていた。


 次に試練を受けたのはヒーラリアだった。彼女はまだ不安そうにしていたが、輪の中央で静かに目を閉じ、滞りなく試練を終わらせた。

 初めての試練を乗り越えた彼女は、自分の手を不思議そうに眺めていた。

 最後にオウが輪の中央に入った。


「オウ。お前が子爵の祝福を受ければ、教団で私に次ぐ戦士となるだろう。失敗は許さない」


 ハンタクの言葉に、神妙な面持ちでオウが頷いた。

 オウの試練は時間がかかった。片腕も自分の試練を思い出し、オウが全身全霊をかけて挑んでいるのだろうと考えた。

 しかし日が明るさを失い始め、それでもオウは動かなかった。

 いや、気付けば試練自体は成功していた。オウは確かに子爵の祝福を受け取った気配があった。だが意識が戻らないのだ。

 ハンタクが舌打ちをした。


「ガラーク。剣を貸せ。私がオウの命を洗い流す」


 試練が失敗することはままあることだ。ハンタクも覚悟はしていたのだろう。態度は冷静だった。

 片腕は子爵クラスの戦力が手に入らなかったことを、残念に思った。だが男爵クラスは一人減って二人増えたのだからプラスだ。

 こんなものだろうと思考を切り替えた。


 当面は平民クラスが仲間を引き連れて来るのを待とう。


 そう思って聖堂を立ち去ろうとした片腕を、一つ目が呼び止めた。

 一つ目は片腕に、どうしてオウの意識に呼びかけないのか問いかけてきた。

 呼びかけるとはどういうことか問い返すと、一つ目は左目を丸くした。片腕が国の常識を知らないように、一つ目も辺境の常識を知らなかったのだ。一つ目が言うには、同格以上の者ならば試練の手助けができるとのことだった。


 片腕は一つ目の指示に従い、座ったまま動かないオウの肩に手を置いた。

 やり方を聞きさえすれば簡単なことだった。オウの中の揺らぎを探り、その中で移ろうオウの意識が感じ取れた。

 片腕はオウの意識がどこにあるのか、感じてやるだけで良かった。

 オウもすぐに、意識を片腕が感じていることに気付き、何事もなかったかのように目を開けた。

 自分の意識がどこにあるかさえ分かれば、揺らぎから抜け出すことが可能だ。ただ片腕が意識を感じたと気付けなければ、オウは目を覚まさなかっただろうと、一つ目は説明した。


 最終的に無事、全員の試練が終わった。戦力はかなり上がっただろう。

 オウはそのあとすぐに、ローブの従者を連れてティナ半島に向かった。ティナで歪みを抑える存在を探り、可能であれば粛正するようにハンタクが指示したのだ。

 オウは自信満々に、探るだけでは終わらせないと言い切った。


 一つ目と耳無しと口無しの男爵クラス三人と、新しく男爵クラスになったヒーラリアとキュイアは、片腕の指示でアルテスに向かった。仲間を集めつつ、イークのアレーチームを殺すよう命じたのだ。

 キュイアは人間を殺すことに同意しなかったが、無力化させればいいと説得し、無理やり一つ目に押し付けた。


 ハンタクとガラークはコールに向かうと言った。片腕も彼らについていくことにした。オウの従者が着ていたようなローブを羽織り、フードを深く被って全身を隠した。




 巨悪片腕はついに動き出した。大陸中が片腕の恐怖に震えるようになるのは、これからしばらくしてからだった。

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[気になる点] >そのため三段階目の同族は、山一つ分ほどの歪みがなければ、こちらには来られないだろう。そしてそんな大きな歪みなど、そう起こるはずがない。 あれ? 片腕は戦争中だからわかるけど じゃロ…
[気になる点] >この大陸にはおよそ四から五千万の人間がいると言われておりますが >『五本足の熊』① >百人に一人程度の割合でしかアレーは生まれない つまりアレーは四から五十万くらいいる 7大国があ…
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