⑧
リリアンと合流したルックは、詳しい説明もせず宿に向かった。宿にはもう仲間が全員戻っていた。
「今すぐ宿を変えたいんだ」
ルックはここでもまだ事情を話さず、仲間全員で別の宿へと移った。次の宿に決めたのは、ジェイヴァーのいる宿だった。
宿の部屋に入ると、そこでようやくルックは緊張を解いた。
「ルック、説明をもらえるかしら」
荷物の増えた彼らが宿を変えるのは、それなりに手間の掛かる行動だ。リリアンが全員を代表して理由を求めてきた。
ルックはことの成り行きを全員に話した。
「そんな訳だから、あのまま宿にいるのは危険かと思ったんだ」
「はぁ、良くそんなに頭が回るもんだね。しかしまさかヒッリ教の信者が二人もこの街に来てたとはね」
クロックが呆れたように言う。
「本当に得体が知れなかったんだ。ロロでもあの一瞬で僕の後ろには回り込めないよ」
「そうね。私もそこが一番の問題だと思うわ。ロロよりも確実に速いなんて、思い出すのはあの伯爵クラスかしらね。ヒッリ教がルーメスと同じように強くなるなら、ボルトが男爵か子爵クラスで、そのハンタクというのは伯爵クラス以上ということになるかしら」
ルックはリリアンの分析に、伯爵クラスの恐ろしさを思い出した。あの二股の木の下で戦ったルーメスは、一昼夜で大きな街を滅ぼせるのではないかと思える強さだった。思わず身震いをする。
「俺、それ正しいと、思う。俺より位、高くなる、体、作り直される」
ロロの発言に全員の注目が集まった。いまいちみんな意味が分からないでいると、ルーンが確認するように聞いた。
「体が作り直されるって、赤ちゃんになっちゃうってこと?」
そんな馬鹿な話はないとルックは思った。ルーメスの詳しい生態は知らないが、見た目は人間とそう変わらないのだ。赤子に戻るなんてことが起こるとは、想像もつかない。
しかしロロは頷いて肯定する。
「そうだ。人間も、それと同じなら、ルックの話、納得できる」
もしそれが人間にも起こるなら、ハンタクは見た目が子供でも、実年齢はもっと高いということになる。それならあの年齢にそぐわない口調も頷ける。
ルーメスの生態というよりは、ルーメスの神の力なのだろうか。考えてみると、ルック自身夢の神の力でルーンの命を支えているのだ。闇の大神官ディフィカも、人間の限界を遥かに超える力を持っていた。神の力というのは人の理解が及ぶものではないのかもしれない。
彼らはジェイヴァーとナームに同じ宿になったことを報告した。ハンタクたちヒッリ教の信者に出くわす可能性もあるので、ほとんど宿からは出ず、大人しく出発の日を待った。
仲間全員でこれほどの時間を持て余すのは、旅を始めてから初のことで、ちょうどいい機会だったのかもしれない。
彼らは親睦を深め、結束を固くした。
そして四日後、ついに出航の日がやってきた。
ルックはヒッリ教から上手く逃れられそうだという安心感と、船で海へ出ることへの期待感を持った。
船出の日は、ナームが一の刻に起こしにきた。まだ太陽が明るくなり始めてすぐの時間だ。
「これから出発して、船に荷物を積んで、軽く食事をしたら出航する予定だよ」
季節は暖季になっていたので、この時間でも気温は穏やかだった。
一年の後半は暑くなる。大体の年では、今が一番暑い時期だ。
大陸の南部は気温が低いため、ルックはそれほど暑いというのを感じたことはない。これから向かう北部は、どれほど暑いのだろうか。
この街に来て始めて船着き場に来た。船着き場の朝は早く、たくさんの人が船へと荷物を積んだり、長い航海を送る人たちを見送りに来ていたりした。
海から暖かい風が吹き込んでくる。潮の匂いが鼻につく。
約束通り酒を運んで来た商人たちがすでに何人かいて、全員で手分けをしてジェイヴァーの船に積んだ。
「話には聞いていたけど、ずいぶん小さい船なんだね」
ルックは隣で酒樽を右脇に抱えるクロックと、そんな話をしていた。
周りに停まる船は、ほとんどが一般的な家十軒分ほどの大きさがある。しかしジェイヴァーの船は、せいぜい三軒分の大きさだ。
「ああ、そうだね。だけど俺はそれより、帆が見えないことが気になるんだけど」
クロックはルックに不安そうに返した。
「帆がないと問題なの?」
ルックは航海の知識などは全くないため、そんなことを尋ねた。
大海に浮かぶような舟は、とても人の手だけで漕ぐわけにはいかない。小さな舟とはいえ、ジェイヴァーの船でも、仮に手で漕ぐとなれば十人以上の人手が必要だろう。
一般的な船ならば、帆で風を受け、風の力で進むはずだ。港に停まる他の船は、例外なく帆が畳まれている。
しかしジェイヴァーの船には、帆どころか帆柱もない。
「まさか俺たちが漕ぐっていうんじゃなきゃ、帆は必要だろうね」
クロックの説明に、ルックは不安を感じた。元々ジェイヴァーの提示した金額は安すぎる。船乗りが二人だからと納得していたが、何か裏があるのだろうか。
「まさか。少なくとも僕とルーンは船の漕ぎ方なんて知らないよ?」
「安心してくれ。俺も知らないよ」
クロックは気取った口調でそうからかってくる。彼はジェイヴァーを信頼しきっているので、ルックほど真剣ではないようだ。
「それは安心したよ」
ルックはクロックに聞く無駄を悟り、自分の荷物を積んだあとにリリアンに尋ねた。
「リリアン。帆がない舟は大分珍しいみたいなんだけど、何か知ってる?」
ジェイヴァーとナームは船の最終点検をしているところで、ここにはいない。その中で最も情報を持っていそうなのは、やはり彼女だ。
「仮に帆があったとしても、あの二人だけで操船はできないわ。何か別の手段で船を進めるんだと聞いたけれど、それは教えられないそうよ」
「そっか。まさか僕らが手で漕ぐんじゃないよね?」
「あはは。そんなはずないわ。仮にアレー六人で漕いでも、帆船ほどは速く進めないわよ。ジェイヴァーが快速船だと言うからには、何か特別な仕掛けがあるんじゃないかしら」
リリアンも思い付かないその仕掛けなど、知識のないルックには分かるはずもない。
ルックは仕方ないと諦め、黙々と荷物を運んだ。
荷運びは戦闘やマナを使って走ることよりも、かなりマナを消費する作業だった。ロロだけは純粋な力で運んでいたのでそれほど大変そうではないが、全ての荷物を運び終える頃には、他の面々は疲れきっていた。
そこにジェイヴァーがやってきた。
「お、終わったみてえだな。船ん中でナームが食事を作ってる。案内してやるよ」




