⑤
リリアンが何気ない動作で素早く腰の剣の剣帯を外した。
ルックたちを呼び止めたのは、ダンバースだったのだ。
ルーンが小声で囁いてくる。
「ルック。ダンバースは厄介な組織の人らしいの。敵に回すと何されるか分かんないから、大人しくしててね」
ルックはその物言いに眉をしかめた。まるで自分が猛獣かなにかのような言われようだ。
しかしルーンの言いたいことは分かったので、ルックは苦笑しながらもうなずいた。
「どうかしたの?」
リリアンが代表してダンバースに応じる。
ダンバースが現れたからだろうか、心なしか通りの人たちが遠巻きになり始める。
しかしダンバースは敵意はないというように、両手を肩の位置で開いて見せた。
「この間の件は悪かった。あんときは気が立ってたからな。そっちの子に言われたとおり、荷車の件は完全に俺に非がある」
意外にも殊勝にダンバースは謝ってきた。言い方も傲慢なようでも裏があるようでもない。
リリアンも拍子抜けしたように目を丸くしている。
「それなら、荷車は簡単な補修で直ったわ。気にしないで」
リリアンの言うとおり、荷車はクロックが片手で簡単に補修をしてしまっていた。
クロックの特技は少し意外だったが、考えてみれば彼は相当器用なのだろう。料理も片手で難なく行うし、彼の武器もそうでなければ扱えない物だ。
「それなら良かった。それとてめぇらに一つ忠告させてくれ。てめぇら、ジェイヴァーの客ってことはあれだろ? ルーメスを倒して回ってる奴らなんだろ?」
「ジェイヴァーの客だとどうしてそうなるの?」
「野郎が前に賭場でそんなことを言ってたんだよ」
「そういうこと。それで私たちがルーメスを倒していると、なぜ忠告を受けるのかしら?」
「ああ。それはちょっと長い話になんだが、場所を変えねえか?」
リリアンはダンバースの話を聞く気になったらしい。ダンバースの誘いに乗り、彼の商店が持つ酒場へとついて行くことになった。
「どうしてわざわざ話を聞くんだい?」
道中ダンバースに聞こえないように、クロックがリリアンにそう問いかけた。
「もしかしたらヒッリ教の話かもしれないわ。そうでないとしても、ルーメス退治の旅にルーメス以外の脅威があるというなら、聞いておいて損はないわ」
リリアンの説明を横で聞いたルックも、それでなるほどと思った。
「ああ。そう言われると、それは確かに気になるね」
クロックもリリアンの説明が腑に落ちたようで、それ以降はなんの疑問も述べなかった。
ダンバースに案内された酒場は、思っていたよりもだいぶ格式高い酒場だった。
広い酒場で、一つ一つのテーブルがだいぶ離れている。さらに昼間で客の入りも多くないのに、酒場の中央にあるステージで、金管楽器を用いた演奏が奏でられていた。
ルックにはそれがどの程度の演奏なのかは分からなかったが、少なくとも耳に心地いい音色だと感じた。
「この間の詫びも兼ねてる。ここの代金は気にするな」
ダンバースは席に付くなりそう言った。彼はボトルでワインを注文し、給仕が注いだワインを、一番最初に口にした。
「いい店ね。カンはキーン時代の高度な文化を、最も濃く受け継いでいると言うけれど、まさにそれを感じさせてくれるわ」
いの一番にワインを飲み出したダンバースを見ると、リリアンの態度が急激に軟化した。それでルックも、毒など入っていないと示してみせた、ダンバースの気づかいを理解した。
「こんなのは金を積んじまえばどこでだってできることだ」
ダンバースはまるで気分を害したかのように言う。そのためそれが謙遜なのか、照れ隠しなのか、本当にそう思っているのかは分からなかった。
「そう。言われてみればそうなのかもしれないわね。それであなたの忠告の意味を聞かせてもらえるかしら」
リリアンはダンバースの機微には拘らずに話を促す。
ダンバースはまた一口ワインをすすり、落ち着いた声で話し始めた。
「今この街に、頭の触れた人間がいる。そいつがルーメスを退治する人間を殺そうとしていやがるんだ。
てめぇらはビックスカスで起きた事件を知ってるか?」
「ビックスカス? 確かカンの南部の町よね?」
「ああ。南部といってもこのフエタラよりは北だが、その町がルーメスに襲われやがった。それもルーメス四体の部隊だ。とんでもない惨事になるところだったが、ヤマっていうアレーが町半分を焼き尽くすのと引き換えに、そのルーメスらを倒したんだ」
ヤマという名前にはルーンがぴくりと反応した。ダンバースはそれに目ざとく気付く。
「そっちの子供は知ってるようだな。ああ、そういえばてめぇ、あのカジノで警備をやってたな。ヤマもこの町に来ていて、カジノで警備をしていた」
「ヤマってダンバースが殺したんじゃないの?」
ルックはルーンの発言に目をむいた。事実なのかどうかは知らないが、とても本人に直接聞く話ではないと思ったのだ。
しかしダンバースは気を悪くもせず、ルーンの質問に変わらない口調で答えた。
「確かに喧嘩はしたが、あの程度でいちいち人なんて殺さねえよ。俺にとってはあんぐらいは日常茶飯事だ。それにあいつはビックスカスを半分、そこに住む人間ごと灰にしたやつだぞ。とても真面目に事を構える気にはならねえよ」
町を半分灰にするとは、あまりにも信じがたい話だった。おそらくだいぶ尾ひれのついた噂なのだろうが、ダンバースはそれを信じ込んでいるようだ。
ルックはふと思い至って、ロロに目を向けた。ロロはルックの視線の意味に気付いて言う。
「俺、ビガス行く途中、そこ通った。町、半分焼けてなかった」
「あ? そうなのか? ちっ、考えてみりゃこの話を聞かせてきたのは奴だったな」
話の流れから、奴というのはダンバースの言う頭の触れた人間のことだろう。リリアンが確認をするように言った。
「その奴っていうのは、もしかしてボルトって名前じゃないかしら」
ダンバースが目を丸くする。
「知ってんのか? なら話は早えな。そいつには絶対に関わるな。それと、ルーメスを倒して回っている事を、この街では口外するな」
ダンバースの話にはどこにも矛盾はなかった。本当に彼は親切心からルックたちに話をしているのだろう。
ルックはダンバースの幼なじみジョイスが、正義感が強いと言っていたのを思い出した。
しかしダンバースはジョイスが言うように、狂っているようには思えない。
「分かったわ。ご忠告どうもありがとう。ところであなたは、ボルトについてどのくらいのことを知ってるの?」
リリアンはボルトがすでに死んでいるとは言わず、ダンバースに問いかけた。ダンバースを疑ってはいないが、信じてもいないのだろう。ルックはリリアンの微妙なさじ加減を観察しながら、ダンバースの説明を聞いた。
「奴はふた月ほど前に突然、親父の商店に訪ねてきた。あ、親父ってのはヤンダヤンガ商店の元締めで、俺の実の父親だ。
それで奴は腕の立つアレーを探してると言ってきたらしい。親父は俺と俺の幼なじみを紹介した」
「幼なじみっていうのは、この間のジョイスかしら?」
「あいつと話したのか。あいつはアレーじゃねえ。紹介されたのは別のだ。まあ、その場にジョイスもいたんだがな。
それでだ、ボルトの奴は俺らにどれほどの腕前かを聞いてきた。俺の幼なじみはそれに、ルーメスを一人で殺したとほらを吹いたんだ。まあ実際ほらだったかどうかは分かんねぇが、それを聞いたボルトの態度が一変した。それまで奴は、ぼーっとしたでくの坊に見えたんだが……
気付いたときには俺のだちの首が飛ばされてやがった。
もちろん俺はぶち切れて、奴に殴りかかった。だけど奴は、悠然と意味の分からない祈りをつぶやきながら、俺を無視した。俺は本気で殴りつけたんだが、奴のどこを殴っても鉄皮の魔法に跳ね返された。
祈りが終わると、奴は俺に向き直った。胸くそ悪い話だが、俺はそのとき死ぬんだと思った。だが奴にとって、俺なんてまるで眼中にはなかったんだ。
奴は俺にヤマというアレーを知らないかと尋ねてきて、どういう訳か、ジョイスがそれに答えた。幼なじみが目の前で殺されたってのに、やけに興奮したように、ジョイスはヤマを探すのを協力すると言いやがった」
口は悪かったが、ダンバースは良識のある人間に見えた。嘘を言っているようにも見えない。
ルックはジョイスに深く関わらなかったことを、また違う意味で良かったのだと考えた。狂っているのはダンバースではなく、あの枝のような男、ジョイスの方だったのだろう。
ダンバースはそれからジョイスに押し切られる形で、ボルトと何度か接触をしたらしい。そしてヤマというアレーを探すことを強要されていたという。
「俺はカジノでヤマと会っちまったが、ボルトには言わなかった。だが本当ならあの時点で忠告してやれば良かったんだろうな。俺と会った次の日に、ヤマは誰かに殺されたらしい。
まあ、つまりだ。ヤマってのもかなり腕の立つアレーだったんだが、ボルトに殺されたんだ。関わらないでいられるならその方がいいだろうって、そんな忠告をしたかったんだ」
ダンバースはそう話を締めくくった。彼はヤマと喧嘩をしたという話だったが、ヤマが殺されたことには少し責任を感じているのだろう。だからこの話をしてくれたのだと、ルックは思った。
「一つ聞いていいかしら?」
一段落着いたところでリリアンが言った。
「ボルトに仲間はいたのかしら?」
「仲間? いるらしいような話は聞いたが、この街にはいねえと思う。ヤマをやったのはきっと奴一人だ」
「そう。ありがとう。仲間がいないようなら問題ないわ。あなたの幼なじみの仇は、このルーンが取ったから」
悠然と笑うリリアンに、少しの間ダンバースはきょとんとした顔をしていた。




