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金を用意するためサニアサキヤとリキアが立ち去って、ルックは一人で部屋で座って待った。そこに荷物をまとめたリリアンが戻ってきた。
「どんな感じだった?」
リリアンの曖昧な問いに、ルックは曖昧な笑みで答えた。
リリアンが到着した報せを受けたのだろう。そこにリキアが顔を出す。
「今金を用意しているところだが、サニアサキヤがお前と翼竜の話を聞きたいそうだ。食事でもしながら語ってもらえるか? まあ、よもや断らぬとは思うが」
ルックがあまりの大金に恐縮していると、リキアは気付いていたのだろう。揶揄するようにそう言ってきた。
リリアンはそれに疑問の目を向けてきたが、ルックはそれにも曖昧に笑みを返した。
食事は奥の部屋で行われた。ルックたち異国人に気をつかったのか、部屋にはテーブルと椅子が用意されていた。
「ずいぶんな歓待のようね」
リリアンが小さな声で言ってきた。
部屋にはサニアサキヤの他に、彼の妻と給仕をする男女が数人と、三十ほどの男の姿があった。男は洒落た丸い帽子をはすにかけ、背中には男の座高ほどの長さの木の楽器を背負っていた。四角い箱の上に弦を七本張った楽器で、サニアサキヤは彼を吟遊詩人だと紹介した。
「彼は五日ほど前にここに立ち寄られてな。妻が甘い歌声に心を奪われおって、十日ここにいてもらう約束をしたのだ」
食事は贅を尽くしたもので、ルックには食べ方も良く分からなかった。しかしリリアンがカンに固い礼儀はないと言っていたので、開き直って好きなように食べた。
食べながらサニアサキヤの求めに応じて、ルックはダルダンダでの出来事を語った。しかしそれは真実とはもうかけ離れていた。
ルックは嘘を語ったのではない。翼竜がルーメスの形をしていたことを言わなかっただけだ。今さら翼竜との戦いが、翼竜の人形との戦いだったとは言い出せなかったのだ。そしてそれだけでルックと翼竜の戦いは壮大な様相になった。
「翼竜は山のように大きな生物だと聞く。間違いないのか?」
「はい。山とは大げさですが、城のように巨大ではありました」
「城だとしてもだ。お前はあれを地に落とす地割を放ったのか」
リリアンは面白がるような素振りも見せず、ただ淡々とルックの話を聞いていた。それこそがルックには一番こたえると分かっていたのだろう。ルックはどんどんいたたまれない気持ちになってきた。
さらに話はルックが翼竜と和解し、共にルーメスを阻止する約束を交わしたこと、翼竜の背中に乗ってダルダンダを抜けたこと、翼竜の話が終わると、今度は南部猿討伐の話になった。
南部猿の話になるとリリアンがあの黄色のボス猿のことをことさら大げさに説明した。リリアンは語り部もかくやというほど話上手で、リリアンがボス猿の強さを語ったあとは、ボス猿はもう翼竜を遥かに凌ぐ怪物になっていた。
ルックが恨めしげにリリアンを睨むと、リリアンは軽く肩をすくめた。
「ここはカンよ。アーティスじゃないの。そろそろあなたも謙遜をする癖をなおさなきゃ」
ルックは努めてリリアンの語る南部猿を頭の隅に追いやり、できるだけ忠実に南部猿の群れの首を討っていった話をした。
極端な話は一つもしなかったが、ルックはルードゥーリ化をしていたのだ。そもそもの現実が極端過ぎた。そしてそれが先ほどのリリアンの発言のせいで、謙遜をしているように聞こえたようだ。
つまりサニアサキヤたちは、ルックの武功が言葉以上のものだと聞き取ったのだ。
「私には何が起きたのか分からなかったわ。ルックは猿を順番に狩って行ったと言うけど、私の目には猿の群れが突然血の滝を吹き上げたように見えたわ」
ルックの話をリリアンがそう補完した。その場の誰もルックの英雄譚に言葉を失っていた。給仕たちすら手を止めてルックの姿をじろじろと凝視している。
リリアンが残した話の余韻は、一クランほどの長さは続いただろう。その間誰も声を立てようとはしなかった。しかしその沈黙を割るように、弦を爪弾く繊細な音が奏でられた。
芸術家というものは、物事に深い感動を得る感受性を持っている。そしてその感動を、それぞれの芸で形にするのだ。
ルックの話に深い感銘を受けた吟遊詩人が、繊細な弦の音を乱さない、より繊細な声で歌い始めた。
暗い洞窟の中、仲間とはぐれさまよい歩く青き英雄。
歌はそんな始まり方をした。
英雄は果てることない闇をさまよい、ついに見つけた明かりの中に、暗闇よりも恐ろしい巨竜を見つける。眠りを妨げられた巨竜は激した。
そんなくだりで吟遊詩人の声はがらりと変わり、激しくも猛々しい英雄と翼竜の戦闘を、華麗に歌い上げた。
ルックは自分のことが歌にされ、顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしくなった。その恥ずかしさを紛らわすために酒を煽り、次第に酔いが回っていく。
そうしていくと、吟遊詩人の語る自分の姿がたちまち快くなっていった。
翼竜との熱く交わした友情を吟遊詩人が歌い上げると、ルックとリリアン以外のみなは、はばからず涙を流し始めた。ルックも熱い胸で、まるで他人の話を聞くように感動していた。
歌は終わり、みなの惜しみない拍手を浴びて吟遊詩人が胸に手を置き一礼をする。
「見事な歌声ね。まだ聞き足りないわ。南部猿のことも歌にしてもらえないかしら?」
大分酔いの回ったルックは、盛大に悪ふざけをするリリアンの発言にも気が付かなかった。
つぎの日目を覚ますと、事態はもう収集の付かないところまで来ていた。
ルックは酔いつぶれて昨日はそのままサニアサキヤの別邸に泊まったらしい。
朝食の用意が整ったと、従者が彼にあてがわれた部屋へ知らせに来てくれた。
老いた従者の態度がいやに仰々しい。
ルックは昨日の失態を思い出し、それがもうこの屋敷中に知れ渡っているのだと悟った。
朝食は昨日と同じ部屋に用意されていた。居合わせたのは昨日と同じ面々だ。
「おはよう」
ルックは昨日と同じく、リリアンの隣に腰をかけた。
「あらおはよう」
からかうような目をリリアンが向けてくる。
幸いサニアサキヤの出した酒はルックの体に合っていたらしく、二日酔いにはなっていなかった。しかし晴れやかな朝とはとても言い難かった。
満面の笑みを浮かべたサニアサキヤが、彼らに朝食を食べるように促した。あとで聞いた話、カンの公爵が自分より相手を先に食べさせるのは、王族にも等しい扱い方だという。
朝食を終えるとすぐに吟遊詩人が立ち上がった。
「サニアサキヤ、ミライナ」
吟遊詩人はこの館の主夫婦の名を呼ぶ。
「私は昨日の歌を一刻も早く諸国に伝え広めて行かねばなりません。十日のお約束でしたが、どうか今日にも辞退することをお許し下さい」
サニアサキヤもミライナも、その言葉に一も二もなく頷いた。
「ルック、そしてリリアン。またどこかでお会いすることがございましたら、これから織りなすあなた方のお話の続き、どうかお聞かせ下さいますよう」
吟遊詩人はそれだけルックたちに告げると、身軽な体でサニアサキヤの館を出て行った。
吟遊詩人スビリンナ。コール王国出身の元宮廷楽師は、これからルックが嫌でも耳にする名となる。




