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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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 乾いた髪を丁寧に櫛付け、リリアンが部屋に戻ったのは一時間ほどが過ぎてからだった。


「あ、リリアン。ルックが起きてるよ。なんかちょっとご機嫌ななめみたいなの」


 部屋に戻るとルーンがすぐにそんなことを言ってきた。リリアンの胸が跳ね上がる。やはりルックは自分に幻滅しているのだろうか。

 リリアンは恐る恐るルックを見やった。


 ルックは起きてはいたが、まだ完全に調子がいいわけではないのだろう。壁に寄りかかって座り、気怠げな表情をしていた。背から大剣を外し、足の上に置いている。リリアンの目線に気付くと、青い瞳がまっすぐリリアンに返された。

 ルックは困ったように笑って、すぐに目を伏せてしまう。

 ロロとカイルも心配しているようで、黙ってことの成り行きに注目していた。リリアンは冷静になるよう自分の心に叱りつけ、ルックに近付いていく。

 どうするべきか、どう言葉をかけるべきか、リリアンはなんの計画も持っていなかった。ルーンはご機嫌ななめだと言ったが、ルックの様子は落ち込んでいるように見えた。


「僕もお湯をもらってこようかな」


 突然ルックがそう言った。まるでリリアンが近付くことを避けたかのようなタイミングだった。


「そうね。気持ちよかったわよ」


 冷静さを装ってリリアンが答えると、ルックは剣を杖にして立ち上がる。自分の荷物を袋ごと持って、部屋を出て行ってしまった。

 ビーアが高く一鳴きして、ルックのことを追って行く。


「どうされたんですかね? 本当に怒っていらっしゃるのでしょうか?」


 ルックが去るとすぐカイルが口を開いた。誰もすぐには答えられず、沈黙が訪れた。


 フエタラでまとまりかけたチームの絆に、再び暗雲が立ち込めている。リリアンはそんな気がした。それも今度の暗雲は自分が引き連れてきたものかもしれない。

 リリアンは助けを求めるように年長者のロロを見た。しかし生涯ほとんどを孤独で過ごした異端者に、リリアンを助けるすべなどあるはずがなかった。

 どんなに達観し世慣れていたとしても、リリアンは十六の若さだ。国によってはまだ成人ともみなされない年齢なのだ。不安に苛まれて思考が鈍くなっていく。


「ルック、怒ってなかった。落ち込んでる」

「うん、そうだよね。あのアニーを割ったら、もっとルックは怒るって思ってたんだけどな。落ち込んでるとしたらルードゥーリ化したことにかな? そういえば私、ルックがルードゥーリ化についてどう思ってるのかって、聞いたことない」


 リリアンは一年と少し前のことを思い出した。ルックと初めて出会って、アラレルにリリアンが殺されそうになったときだ。

 ルックはアラレルを脅した。リリアンを殺すことで自分がルードゥーリ化をするとアラレルに悟らせたのだ。そのときの様子は、ルックがルードゥーリ化を忌んでいるようには思えなかった。むしろ冷静にそれを自分の一部と見ていたように思う。

 そうしたらリリアンの思いもよらない何か別の要因が、ルックの態度にはあるのだろうか。


「湯を沸かすのに時間があるでしょうから、少し話を聞いてくるわ」


 リリアンは再び部屋を出て、近付く騒音に向かって急な階段を降りだした。

 ルックは湯浴み場の前の待合所にいた。商人たちの姿はすでになく、長い絨毯の上にはルック一人があぐらをかいている。

 やはりルックは浮かない顔で、リリアンが近付いてきたのにも気付いてない。肩に止まるビーアも静かだ。


「ルック」


 呼びかけてみるとルックはゆっくり顔を向けてきた。


「隣にいいかしら」

「もちろん」


 断られるかと思ったが、ルックは足を伸ばしてリリアンが来やすいようにしてくれた。


「ごめんなさい。私あなたの気持ちを考えずにあの宝石を割らせてしまったわ」


 ルックの隣に座るとすぐに、リリアンはそう謝った。


「ううん。そのことはいいんだ。実際ああでもしなきゃ、最悪の事態もあったと思うしね」


 リリアンは薄情なようだが、ほっと胸をなで下ろした。少なくとも嫌われているということはなさそうだ。しかしルックのこの様子をそのままにするわけにはいかない。リリアンはルックの手を握って質問を重ねた。


「それならどうして落ち込んでるの? みんな心配してるわよ」

「落ち込んではないよ。少し考え事をしていただけなんだ」

「どんなことを考えてたの?」


 手を握ったことにルックは意外そうな顔を向けて来た。大切な人の手を握るのはヨーテスだけの習慣だっただろうか。そんなことをリリアンは考えた。


「南部猿は人間に危害を加えていたんだ。それがどうしてそうなったのかなって」


 ルックがそう考えた理由を掘り下げて尋ねてみると、ルックはぽつぽつと語り始めた。

 リリアンには少しも思い至らなかったことだが、ルックは南部猿を討伐したことに、後悔の念を持っていたようだ。

 彼はルードゥーリ化をしたとき、あの集団の奥にいた母猿と子猿まで狩っていたのだ。ルードゥーリ化で異常な力を得ても、ルックの理性はそのままだ。つまりルックはルック自身の意志で、母猿も子猿も狩るべきだと判断したのだ。


「最初はボスの奇形、っていうか、アレーの猿だよね。あれの指示で人を襲ってるって思ったんだ。

 だけど多分それは違うんだ。確かにボス猿と黒い猿がいたから、あの小さな森であれだけ大きな群れができたんだと思う。けど人を襲うようになったのは大群になって力がついたからじゃないんだ。別の理由があったんだと思う。

 最初から気になってたんだけど、あの森には猿と鳥以外の生き物がいなかったんだ。生存競争に負けたんだろうね。つまり猿は食べるものがなかったんだと思う。だから人を襲ったんだ。

 だけどそうだとしたら猿にとっては生きるためにしてたことだよね? それで僕たちは人のために猿を討伐したんだ。

 これってカンがアーティスに攻め込んだ状況とよく似てる気がするんだ。カンは土地が貧しいから、アーティスから略奪しなければこれ以上の生活は望めない。

 同じことだよね。人が人の生活を守るために、猿たちを殺したんだ。ほら、猿って頭がいいって言うでしょ? だから猿たちにも感情はあったと思う。ある意味で彼らは、人とそんなに変わらなかったんじゃないかな」


 ルックの話し方は少しキルクのそれに似ていた。酔うとキルクはよくこのような話をしたが、そういったとき彼はとても落ち込んでいた。ルックは否定したが、やはり彼も落ち込んでいるのだろう。


「確かに猿は他の動物よりも感情が顕わね。そう考えると、猿なんて人とそう変わらないのかもしれないわね」


 しかしリリアンにはこの問題の解決案は到底出せそうもなかった。猿はもう倒してしまったのだし、今後も同じようなことがあれば、また猿は滅ぼされるのだろう。せめて彼らが本当に人と変わらない程度に知能が高ければ、不可侵条約を結ぶか、協力関係を築くこともできる。しかしそんなことは所詮仮定の話でしかない。


「森人やアルテスの巨人やルーメスや、ヨーテスにも妖精がいるんだよね? 一体しかいなくても翼竜もそうだし、……

 なんだろ。ここまでは考えられるんだけど、この先まで考えようとすると、何を考えていいか分からないんだ」


 ルックの考える哲学的な難題は、リリアンにもなんとなく想像できた。しかしその先はおぼろげで、とても考えがまとまるようではなかった。

 結局ルックの悩みは時間と共に解決するのを待つしかなさそうだった。


 リリアンはそのあともお湯が運ばれて来るまで、ルックとこのことを話し合った。それでルックの気が少しでも晴れればと思ったのだ。

 ルックは次第に明るい口調になっていった。

 ルックが湯浴み場に入るのを見送ると、リリアンは軽くなった心で部屋へ戻っていった。


 誰もいなくなった待合所に、黒い厚手の絨毯が残った。

 私は時の中から見るともなしにその絨毯を見ていた。

 人によってはルックの悩みを時間の無駄だと思うだろう。実際に答えの出ない悩みなどする必要はないと言える。

 しかしだ。

 異世界から傍観するだけの私には、ルックよりも客観的にものが見える。そして時の中からは心の中まで覗き見られる。そのためリリアンよりも主観的に、今回のルックの悩みを考えられた。

 そんな私にはこう思えるのだ。

 ルックが悩むことこそが、この問題に対する答えなのではないかと。


 しばらくするとルックが湯浴み場から出てきた。身を清めた彼はだいぶ晴れやかな顔付きになっていた。

 ルックは髪が乾くのも待たず、そのまま彼らの部屋へ向かっていった。

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