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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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 猿たちを封じていた地震が止んだ。

 ルーンの魔法は失敗していたのだ。そもそもリージアほどの魔法をアニーの中に籠めるなど、無理があったのだ。

 自由になった猿たちがルックたちの元に駆けつけてくる。


「ルック逃げて!」


 いつでも冷静なリリアンが声を張り上げた。そして猿たちの前に立ちはだかる。黄色い猿も動き出す。勇ましく猿を迎え撃とうとするリリアンの背は、ルックの目にはとても儚く見えた。


 ルックは知らなかった。ルックに背を向けたリリアンがどんな表情をしていたかを。

 リリアンまで失うわけにはいかないと、混乱する頭の中で思った。猿たちの動きはひどく緩慢で、黄色い猿すら驚異的なスピードでは動いていなかった。


「ああ」


 自分以外の全てが緩慢に見え、自分の身に起こっていることを察し、ルックの喉から嗚咽が漏れた。ルーンのおかげで自分はリリアンを守れるのだ。そう思った。




 リリアンはルーンからアニーの秘密を聞いていた。そしてルーンがその魔法を考え付いた理由も、その魔法がどのような効果を生み出すのかも。

 ルーンがアニーに籠めた魔法は幻影という魔法だった。幻影は水鏡に似た魔法だ。水鏡はリリアンも得意とする魔法で、事実とは別の姿を見せる効果を生む。つまりアニーに封じられていたのは、ルーンを呼び出す魔法ではなかったのだ。

 そう、その魔法とは、死体となったルーンの幻を生み出すものだった。


 ルーンはルックが勝手な解釈をすることまで計算していた。仕上げにリリアンがルックの誤解を助長させる発言をした。


 最初に聞いたとき、ずいぶんと悪趣味な魔法だとは思ったが、それの効力は絶大だった。


 ルックの気配が黒を纏った。リリアンは初めて見る現象だったが、間違いないだろう。それこそがルードゥーリ化だった。


 リリアンはルックの前に立って猿を迎え撃つ体勢を取った。ルックは自分を守ろうとするだろう。小さくほくそ笑むと同時に、少し申し訳ない気もした。


 次にリリアンの目に映ったのは、今まで目にした中で最もおぞましい光景だった。

 血飛沫が舞い上がった。それに少し遅れて滝のような轟音が聞こえた。血飛沫がその滝のような音を立てたのだ。一匹の猿の血飛沫ではない。黄色い猿も、その他の猿も、見渡す限り全ての場所の猿が首を失い、胴体から血を吹き上げたのだ。

 二度も戦場に立った経験があるのに、その光景のおぞましさには吐き気を覚えた。

 後ろからどさりという音が聞こえた。リリアンは振り返る。ルーンの姿が幻だと気付いたのだろう。黒い気配を失ったルックが、幻のルーンの前で横たわっていた。


 ルックは驚くことに、新しい返り血は一つも浴びていなかった。ただルックの手にした大剣が、剣先から鍔まで血に染め上がっていた。


 リリアンはルックに近付くと、まず悪趣味なルーンの魔法をかき消した。砕けたアニーを払いのけるだけで、簡単にその幻は消える。もともと良く見れば服以外はとても現実味のない、出来の悪い幻だった。良くこれで騙せたものだ。

 リリアンは次にルックの手から大剣を取り上げ、流水の魔法で血を洗い流した。流水の水分が消えるのを待ってから、その剣を一度木に立てかけてルックを背負った。


「ごめんなさい」


 ルックに辛い気持ちを与えたことや、彼ばかりに負担を負わせてしまったこと。

 気を失ったルックにリリアンは懺悔した。

 どこへ行っていたのか、ビーアがルックの肩へ舞い降りてきた。

 リリアンは立てかけた剣を再び手に持ち、ロロとカイルを残した広場に向かった。




 ロロにとっては猿が相手だといって、侮る気持ちはなかった。しかし黒毛の猿はその心構えを持ってしても驚くべき相手だった。

 速さは三段階目の祝福を受けた自分と変わらず、野生の柔軟性は人間やルーメスとはかけ離れた動きを猿に与えている。

 何よりも黒毛が持つ大剣がとてもあしらいづらい。ルーメスは武器を使った戦闘はしない。体のどこかで攻撃してくるのだ。生まれる隙の大きさが全く違う。

 猿の表情は読めないが、攻撃をしてくる手を緩めるつもりはないようだ。元々敵の攻撃を避けることは得意なロロだが、それも一つ位が下のルーメスまでの話だ。同位のルーメスとは戦ったことがない。細かな傷が体のあちらこちらにできていた。


 隣ではヒルドウが的確に援護をしている。ロロの動きを一切邪魔せず、まるで自分の動きを読んでいるかのように投擲の攻撃を合わせてくる。

 しかし猿はその投擲やロロの打撃を、しっかりと見た上で回避していた。同じ程度の速さの敵と何度も渡り合ったことがあるかのようで、黒猿は明らかに戦闘慣れしていた。

 リリアンとルックが大群を追ってから大分経ったが、戦闘は膠着状態になっていた。


 だが次第にロロはこの戦闘が楽になってきていた。

 予想外な猿の動きにも、大剣という武器のあしらい方にも、かなり慣れてきたのだ。

 そして慣れてきたロロはあることを思っていた。


 もしも相手が同位のルーメスだったら、またこのような膠着状態が続くのだろう。つまりもしも相手が片腕だったら、これでは討ち取ることができない。


 全てを飲み込もうとするヒダンの笑みを思い出した。気丈に振る舞うその姉ジーナを思った。


 このままではだめだ。彼らのために自分は片腕を討つと決めたのだ。

 この黒い猿にも自分は勝たなければだめだ。


 猿が大剣を大きく振りかぶり、飛び跳ねながら叩きつけてくる。


 要はとても簡単なことなのだ。この猿よりも速く、力強く動けばいい。この戦闘慣れした猿が対処しきれない攻撃を繰り出せばいいのだ。自分が強くなればいい。黒い毛並みの猿も、同位の片腕も寄せ付けない完全な強さを身に付ければいい。


 戦闘は速さと力強さだけではない。そう学んだが、しかしその二つはやはりとても重要な要素だ。


 力強く、素早い動き。それで全てを凌駕するのだ。自分は誰よりもそうでなければだめなのだ。


 戦闘の終わりが見えたのか、ヒルドウが身の緊張を解いて息をついた。

 地面を蹴りつけロロは踏み込む。猿が大剣を振り下ろすより速く、ロロの体が猿に密着した。猿が慌てて剣を引き戻そうとした瞬間に、ロロはわずかに身を引いた。

 黒い猿との開いた隙間に、ロロの長い腕が振り払われた。猿の顔よりも大きな手の甲が、猿の顎を強かに打つ。猿は横向に吹き飛ばされた。その猿を追ってロロが駆ける。とどめの蹴りが猿の腹を強打した。猿の体は光る泉を縦断して岩場にぶつかる。


 弾力もない岩場に猿の体が張り付いたように見えたが、やがて猿の体は岩から剥がれ、泉の中へと落ちていった。

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