⑦
なかなかの速さだ。並みのアレーとそう変わらないだろう。しかしルックの右に展開していたカイルがかすかに動くと、突然猿の喉に三角の刃が突き立った。
猿が仰向けにどうと倒れる。猿の群れの中から怒声のような一際大きい鳴き声が聞こえた。突撃の号令だったのだろうか。しかし猿たちが動き出す前に、祝福の泉にリリアンの魔法が放たれる。
泉の中にいた猿数匹を巻き込み、木々よりもはるかに高く水の柱が立ち登る。
渦巻く水魔の騒音に、猿たちが浮き足立った。
ルックとロロがその瞬間に駆け出し、次いでリリアンも地を蹴った。カイルはその場で投擲を投げて複数の猿を倒していく。
「全員離れすぎないで」
ルックはそれだけ言うと、大剣を振り回し、できるだけ多くの猿に傷を負わせていった。ルックの肩からビーアが飛び立ち、猿の目や喉などに鉄のくちばしを突き刺し始める。
ロロは長い腕で数匹の猿をまとめて吹き飛ばす。ロロの力で吹き飛ばされた猿は、そのままそこで動かなくなる。リリアンは長剣を細かく動かし、的確に一匹一匹数を減らしていた。
猿の群れから再び大きな鳴き声が響く。浮き足立っていた猿がその声に呼応して、戦意を高めたようだ。
「集まって!」
ルックの号令にすぐさま仲間はひとかたまりになった。
それぞれの背をそれぞれに任せ、次々に襲ってくる猿を死骸の山にしていった。
防戦はルックの期待通り鉄壁だったが、状況はそれほど芳しくなかった。最初の突撃で倒せた猿がそれほど多くなかったのだ。そして猿の数も予想以上に多かった。まだ猿の残りは百を超えているだろう。ひとたび誰かが崩れれば、たちまち絶体絶命になる。
幸い猿は武器の使い方がむちゃくちゃで、あしらうことは簡単だった。剣でも斧でも槍でも、刃の付いた棒としか思っていないようだ。しばらく戦っていると猿の動きにも大分慣れてきた。しかし終わりがないかのような防戦に、身も心も疲弊してくる。
実際リリアン以外の三人は大分苦戦していた。
ルックは剣技に劣っていたし、この状況では魔法も使えない。ロロは武器を持っていないため猿の攻撃を受けることが難しく、かなり際どい攻防を強いられている。ヒルドウの先見の才も、このようなただ守り抜くためだけの戦闘では、力や速さを補うためのものでしかなかった。
唯一全てに隙のないリリアンだけが余裕を持っていたが、死角にいる三人の戦闘を手助けできるほどではない。
ビーアも樹上からなげうたれる短剣や石を払いのけるので精一杯だ。
どれほどの猿を斬っただろうか。再び猿の中から大きな鳴き声が上がると、ようやく雨のような猛攻が止んだ。
ルックたちも陣形を解いて状況を確認する。全員無傷だったが、カイルの消耗が激しいようだ。あのまま猿たちの攻撃が続けられていたら危なかっただろうが、猿たちとしても打ち倒せない自分たちに焦りが芽生えたのだろう。そしてその数も無限というわけではない。気付けば動ける猿の数は三十程度まで減っていた。
ルックは剣に溜まっていたマナを使って、火蛇の魔法を放った。数匹がそれに呑まれる。
一度やり始めてみると、決していい気持ちのする仕事ではなかった。戦場のように猿の死骸が積み重なり、血や内臓の匂いが不快に鼻を刺す。
何よりも猿たちがあまりに哀れに思えた。
盗賊行為は確かに人の暮らしを脅かしているが、相手は猿なのだ。善悪の区別など付かず、説得をすることもできない。だから殲滅させるよりない。そうは分かっていても、言わばこれは悪意のないものたちを虐殺しているに等しい。
ルックの火蛇を恐れたのか、猿たちが一斉に後退を始めた。
追わざるを得ない。
だがそこで一匹の猿が彼らの前に立ちはだかった。他の猿よりも数回り大きい猿だ。背筋を伸ばせばルックよりも大きいだろう。毛色も違う。他の猿が茶色の毛並みなのに対して、この猿の毛並みは黒かった。
「奇形ね」
マナに恵まれすぎた動物は、姿形に異常をきたし奇形になる。しかしこの黒い南部猿は、体が大きなだけでいびつな姿ではなかった。
人間の奇形であるアレーもいびつな姿にはならない。一説によればマナを御する頭脳が人を奇形にさせないのだという。だとすれば、頭のいい南部猿なら同じ法則が当てはまるのかもしれない。
ルックたちは群れを追うことは諦め、奇形の動きを警戒した。
少なくともルックは最大限に警戒していたのだ。しかしなにが起きたのかは全く理解できなかった。
ルックの右隣にいたカイルがルックの目の前に小太刀を突き出した。黒い南部猿が手にした大剣が、その小太刀を強かに打ち付けた。
一瞬の出来事だった。もしもカイルがいなかったら、この場でルックの命は尽きていただろう。ルックは黒い南部猿が動いたことすら気付けていなかった。
「な!」
リリアンも驚愕の声を上げる。黒い南部猿がその間にも嵐のように大剣を打ち付けている。カイルは無心の表情でそれを全て防ぎ切っていた。
ルックは驚きの表情を張り付けたまま跳び離れる。
尋常ではない。
本気のアラレルと変わらないほどの連撃を、武器の扱いがむちゃくちゃな南部猿が繰り出しているのだ。
リリアンが横から氷柱の魔法で南部猿を狙うと、猿は後方へいったん距離をおいた。横から見ていたルックの目は、あまりの速さに南部猿を見失った。もといた位置から今いる位置まで、南部猿が空間を渡ったかのようにまで感じた。
ロロが南部猿に駆け寄り、重い張り手を打ち出す。ロロの動きもルックには追うのがやっとだが、南部猿はそれを見てかわした。
全身からマナが吹き出ているかのような動きだ。アラレルやライトの動きに似ている気がした。けれどその動きよりもさらに速い。ロロとも対等の速さだった。
「まさかこんな化け物がいるとは! リリアン、ルック、ここは私とロロが請け負います。お二人とビーアは群れを追って下さい!」
カイルは言うとロロに加勢するため南部猿に駆け寄る。
驚異的なことに、二人がかりの攻撃を南部猿は巧みにかわし続ける。
ルックはリリアンと目を合わせた。リリアンが頷く。
この場は南部猿の動きが見えるカイルと、対等の速度を持つロロに任せた方がいい。ルックとリリアンはいても足手まといになりかねない。
それならばむしろここで黒い南部猿を二人に抑えてもらい、手薄になっている群れを討ちに行くべきだ。
ルックもリリアンも迷いなく足を踏み出した。
猿の群れが逃げたのは祝福の泉の奥だ。リリアンを先頭にして駆け足で二人は森を進んだ。途中一度だけ樹上から猿が飛び降りてきたが、ビーアがルックの肩から舞い上がり、その猿の喉を正確に貫く。
二人は猿が地面に落ちるのも確認せずに、先へと向かう。重なり合って響く、猿の鳴き声が聞こえてきた。声は少し先から聞こえる。移動はしていなかった。猿の群れが近い。ルックは大剣にマナを溜めた。火と鉄と大地のマナが一つずつ溜まる。
視界が開けた。そこはむき出しの岩場だった。直径三十歩ほどの大きな岩場に、南部猿の大群がいた。
ルックは地面に剣を突き立てた。
「炎上!」
岩場の猿が密集している辺りに火の柱を見舞う。リリアンも少し遅れて地に手を突いた。無言のまま放たれた水魔が、さらに猿の群れに追い討ちをかける。
ルックは突き立てた剣をそのままに、腰から長剣を引き抜く。このまま混乱する猿にさらに痛手を負わせようと考えたのだ。
だが、そこで突然ルックの四方から、特大の氷柱が襲いかかってきた。何が起こったのかルックの理解が追い付かなかった。
辛うじて氷柱を避けると、ルックはすぐにリリアンの方を確認した。リリアンが氷柱を放った理由を確認しようと考えたのだ。リリアンが首を振っている。目は驚愕に大きく見開かれていた。そしてリリアンはルックの後ろを指差した。




