⑦
盗賊団の所に寄り道をしたり、小太りの男の襲撃を受けたので、ルックたちがメラクに着いたのは夜になってからだった。太陽は暗い光を地上に降らし、さすがにこの時間から貴族の館を訪ねるわけにもいかず、三人はメラクの街で宿を取ることにした。
夜になっているとはいえ、メラクの街はまだ眠る気配を見せない。ハシラクとは違い、メラクは活気のある街だ。規模もハシラクの五倍ほどはあるだろう。ヒニビスという、香料やお茶に使われる花の特産地で、ハシラクよりも人々の生活にはゆとりがある。街は首都や北西の大都市で売るヒニビスを仕入れるため、行商が多く訪れる。そのため、呑み屋や歓楽街が多い。
スイラク子爵の領地は狭いが、この街の収益でそれなりに豊かな生活を送っているという。
三人は軽く食事をし、赤々亭という宿を取った。木造の三回立ての宿で、広い土地にでっぷりと腰を下ろした、古めかしい印象の建物だ。通りに面した表向きは立派だが、中に入るとあまり広くはなく、奥行きは極端に短い。裏路地の方はほとんどが厩や洗い場に使われているのだ。
「宿の人は相当見栄っ張りなのかな?」
「それもあるかな。しかしそれだけじゃないぞ」
そんな宿の内観を見て、ルックはシュールに尋ねてみた。シュールの物の見方、見識は広く、ルックにいろいろな視点を気付かせてくれるのだ。ルックは期待しながらシュールの話を待った。
「むしろ見栄を張るのは、ここに泊まる中流で下の方の商人たちだ」
「そんなに細かい違いがあるの?」
「ああ。中流の商人は高い高級宿に泊まれるほどの財力はないだろう? だから自分は高級な物よりも趣のある宿に泊まりたいと主張するんだ。中の下の商人は、趣のある宿にも泊まれない。でもここなら、一見趣があるように見える。朝、宿を出たとき通りを行く人に、あまりみすぼらしい宿から出てくるところを見せたくないのさ。ほら、ここならその点ちょうどいいだろう?」
シュールの説明にドーモンがにやにやと笑っているので、どうもこれは冗談らしい。
ルックは呆れたように肩をすくめた。
宿の部屋は二階でベッドがなく、床に直に布団を敷くようだった。狭く、三人のうちにドーモンがいるせいもあって、ぎりぎり眠るスペースがあるといった感じだ。スイラクでは少しいい宿に泊まったので、差は歴然だった。音もほとんど筒抜けで、隣の部屋の会話が聞こえてくる。表の通りを行く人たちの喧騒も包み隠さないようだ。
「眠るまで、静かになる、と、いいな」
ドーモンが言う。ルックも全くもって同感だった。これでは眠るのに苦労しそうだ。
「さて、俺は少し酒を呑みに行こうかな。二、三時間空けるぞ」
「分かった。俺、残る」
「ああ、そうしてくれ。ルックはどうする? 一緒に来るか? ドーモンと残るか?」
「うーん、どうしようかな? 食糧を買い足しには行かないの?」
「ああ、それは明日になってからにしよう」
シュールはあまり酒という物が好きではない。その彼が呑みに行くというのは、情報を求めてのことだろう。ルックは留守番をするよりは面白そうだと思い、シュールについていくことに決めた。
酒場は赤々亭の向かいにあった。安さに重点を置いた庶民的な酒場のようだ。ランプの油も節約しているのか、中は少し暗かった。人の入りはまずまずのようで、ルックたちは奥の方の空いている席に座った。丸い一つ足のテーブルに、赤い塗装の塗られた椅子が四脚置かれている。
「酒と、こっちの子にも酒じゃない飲み物をくれ。あとは何かつまむものだ」
シュールは禿頭の店員に声をかけた。店員は二人の方に近付いてくると、無愛想に問いかける。
「予算は?」
「アーティス銀貨二枚ほどだろうな」
「そうか。五枚なら新鮮な山菜と取れたてのガッチ鳥の卵があるんだが」
「あいにく銀四枚しか持ち合わせがない。しかもうち一枚はフィーンの銀貨だ」
「銅貨はどのくらいある? まけてやっても構わないが」
「悪いがそんなに懐が暖かくはないんだ。少し惜しいがガッチ鳥はまた今度にするよ」
ルックの歳だと滅多にされないが、アーティスの店ではこういったやりとりが珍しくない。実際に飲食代を釣り上げるためではなく、こういったやりとりがアーティス人は楽しいのだ。シュールも銀貨を十枚は持っていたはずだが、そう言って足元を見られないように敢えて銀二枚から提示している。
「いや、せっかく来たんだ。うまいもんを食っていけ。銀四枚と銅貨三枚で出してやるよ」
「はは、そうか。ありがたいな。しかし残念。銅貨は二枚しか持ってないんだ」
「おいおい、まさか金貨でも持ってるんじゃねえだろうな? ちっ、じゃあ銅貨は二枚で構わねえよ」
シュールの完全勝利だった。負けた男の方もただやりとりを楽しみたいだけなので、そう気を悪くした風ではない。
こうした気質がアーティス人にあるため、質素な暮らしを好む彼らだが、それを贅沢を嫌うと言うか、ただ単にケチと言うか、意見の分かれるところだ。
出された戦利品、ガッチ鳥の卵は確かにうまかった。特殊な製法で味を染み込ませた茹でた卵を、殻からほじるようにして食べるのだが、ガッチ鳥の卵本来のコクと味付けの塩分が程良くからみ、またしっかりとした白身と粘りけのある黄身の食感が楽しく珍味だった。
「ガッチ鳥の卵はアラレルの好物なんだ。昔シャルグと三人でガッチ鳥を捕まえに冒険に行ったのを思い出すな」
アラレルはシュールとシャルグの幼なじみで、今もとても仲がいい。彼らの家にも頻繁に訪れているので、ルックとも親しかった。ルックは赤髪の勇者を思い出してにやにや笑った。
「それじゃあどれだけおいしかったか上手く話せるように練習しとくよ」
シュールは声を立てて笑った。
それからガッチ鳥の卵に舌鼓を打ちながら、ルックはシュールに尋ねた。
「それで情報収集に来たんでしょ? どうやって集めるの? そもそも何の情報がほしかったの?」
「ん? ああ。スイラク子爵についてちょっとな。メラクなら酔いの回った奴と親しくなって直接聞くのがいいだろうな。もう少し待って加減の良さそうなのを当たるつもりだ」
「情報収集にも土地柄があるの?」
「ああ。ハシラクの様な陰気なところなら、黙って耳を澄ませていた方がいい。余所者に身内の話をしたがらないからな」
「そっか」
シュールは酒があまり好きではなく、子供たちには一滴も飲まそうとはしないが、自分はどれだけ飲んでも酔うことがないらしい。酒場での情報収集にはとても適している体質だ。
しばらく雑談を続けていると、シュールは酒杯を飲み干して立ち上がった。
「それじゃあ行くとしようかな。退屈なようなら宿に戻っていていいぞ」
ルックはシュールの言葉に頷いた。ガッチ鳥の卵がまだ残っていたので、ルックは食べ終わったら宿に戻ろうと考えた。シュールは酒場の隅、赤い顔で飲み合っている初老の二人組のところに歩いていった。酔っていないはずなのに、千鳥足を装っている。
ガッチ鳥の卵を食べ終える頃、ルックは酒場の外から笛の音が聞こえるのに気付いた。高く細かい旋律で揺れる軽い音色の笛だ。
ルックは酒場を出ると笛の音のする方を探してみた。アーティス人は元々山岳民族で、離れたところに笛で合図を送る習性があった。そのため平地に下りた今でも、楽器と言えば笛というくらいありふれたものだ。しかしこんなふうにか細い音の笛は珍しい。それで興味を惹かれたのだ。
音の元はすぐに見つかった。酒場の脇の細い路地で、外壁に寄りかかって笛を吹く男がいた。羽付き帽子から長い襟足を除かせる、しゃれた男だ。
歳は三十過ぎだろう。目を伏せて小振りな笛を口にあて、細かく指を動かしている。
物乞いのたぐいではないようで、小銭を投げ入れる物は見あたらない。ただの趣味で吹いているのだろう。男はとても楽しそうに笛を吹いていた。帽子から除く襟足が金色で、アレーであることが分かった。
彼はルックの目線に気付いたようで、演奏を止めてルックを見る。
「やあ」
彼は気安げに声をかけてきた。見られていたから、軽く挨拶をしてきたというところだろう。
「こんばんは。珍しい笛だね」
ルックは人見知りをしながらも、その笛吹に話しかけてみた。ルックは内向的ではなかったが、ルーンのように誰とも分け隔てなく話せる社交的な性格でもない。しかしこのときは笛吹に対する好奇心が勝った。
「そうだろうね。僕の生まれたところではありふれたものだけど。気に入ったのかい?」
少し気取ったしゃべり方は、あまりアーティス人らしくはなかった。彼の生まれたところというのは、どこか外国なのだろうか。彼の吹いていた笛も、アーティスに良くある大きな角笛ではなく、銀色の金属で作られた小さな笛だ。
「うん。きれいではないけど、軽快な音だから気になったんだ」
「ああ。こっちの笛の音は優美だからね。君はこのメラクの子かい?」
少年らしい気づかい下手なルックの発言に、笛吹は気にする素振りを見せずうなずいて、質問をした。メラクの子かと聞いてきたということは、彼はここの人ではないのだろう。
「ううん。アーティーズから仕事で来てるんだ。おじさんはどこの国の人?」
大陸にはほとんど人種の差はないので、見た目だけでは他国人かどうかは判断できない。しかし文化や風習の違いはあるので、ルックには直感的に笛吹が他国人だと分かった。
「おや、するどいね。この国の生まれじゃないって分かったのかい? 僕はヨーテスのクックカっていう森の町の出さ。ヨーテスには行ったことがあるかい?」
「ううん。アーティスの外はティナくらいしか。おじさんは良くヨーテスを出るの?」
「いや。それほどでもないよ。今回は仕事で仕方なくね。本当は故郷に家族がいるし、人と話すのが苦手なたちなんだ。だから外に出るのは嫌なんだよ。君は話しやすそうだけど」
笛吹は少し気障な仕草で髪をかきあげ、ルックのことを笑顔でおだてた。慎ましいアーティス人にはあまり見られないその仕草が、舞台を見ているような気持ちにさせた。
「ほんとに? とても苦手そうには見えないな。僕も人見知りをするんだけど、おじさんはなんか話しやすいから」
「はは、そうかな」
その笛吹は自分で言ったとおり話すのはそれほど得意ではないのだろう。少し会話に間が空くと、また笛を口にあてた。
まるで幼い子供が駆け回るような、落ち着きのないメロディーは、やはりアーティス人の感性には合わないようだった。しかし男がとても嬉しそうに笛を吹くのは何となく心地よかった。
「君も吹いてみるかい?」
笛吹はしばらくすると、ルックに笛を手渡した。銀色の小さな笛は、ルックの手にもすっぽり収まる。恐る恐る口を付けて息を吐き出すと、あまり高くない音がかすれながら響いた。ルックは音を出すのに、たくさんの息が必要なことに気が付いた。
「すごいね。僕の子はまだ七つだけど、音を出すこともできないんだよ。君には笛吹の才能があるのかもね。笛にいくつも穴が空いてるよね? それを押さえながら吹くと音が変わるんだ」
ルックは試しに人差し指で穴を押さえて、また息を吹き出す。先ほどよりも高い音が鳴った。穴は後ろに二つと、前に四つ空いていた。同時にいくつかの穴を押さえると、また音が変わって、多彩な音が出る。
ルックは、先ほど笛吹が指を細かく動かしていたのを思い出して、真似をして吹いてみた。押さえる穴の数によって、笛の吹きやすさは変わった。
安定した音色が出せる楽器ではないのだろう。だから笛吹の演奏も、必然的に落ち着きのない軽快なメロディーになっていたのだ。
「ははは、君は笛の女神に愛されているね」
揶揄するように笛吹におだてられるのには、ルックは少し照れてしまった。もちろんルックはただ音を出しただけなのだが、笛吹の大げさなおだては、軽い口調で嫌みがない。
ルックが笛吹に笛を返すと、彼は再び音を奏で始めた。ルックはつい先ほどよりも、その軽快で落ち着きのないリズムが好きになっていた。
しばらくそうして笛の音を聴いていると、酒場からシュールが出て声をかけてきた。
「なんだルック。まだいたのか。スイラク子爵についておもしろい話が聞けたぞ。子爵はここ最近やけに羽振りがいいらしい」
シュールは脇道の笛吹には気付かずにそう言ってきた。笛吹はシュールの声が聞こえたようで、それを聞いた瞬間にはっとした顔になる。
ルックはシュールに返事をするより先に、その仕草が気になって首をかしげて笛吹を見た。それでシュールも角に誰かいると気付いたようで、しまったという顔をした。
「君、もしかしてとても大きな友達がいるかい?」
笛吹がそう言ったのに、ルックも目を見開いた。そんなことを知っているとするなら、彼はあの小太りの男の仲間だということだ。
そのルックの反応を見た笛吹は、即座に路地の奥へと駆けだした。逃げ出したのだ。慌ててルックのそばに来たシュールも、男の後ろ姿を見たはずだ。マナを使った走りではあったけれど、それほど男は速くなかった。誘いでなければ、敵わないと悟って本当に逃げたのだろう。
「ルック、今の男は?」
シュールは問いかけてきた。ルックはかなり驚いていたが、すぐに冷静さを取り戻して的確に情報を伝えた。
「スイラク子爵の羽振りがいいというだけで俺たちのことに気付いたんだ。スイラク子爵と奴らは繋がっていると見て間違いがない。それと敵がヨーテス人だと分かったのは大きな収穫だ」
ルックが一部始終を話すと、即座にシュールがそう言った。ルックたちにとっても敵に情報を与えてしまったが、こちらが得た情報の方が遙かに価値がある。
「でかした。大手柄だ」
ルックは普段、シュールにほめられるのは好きだった。しかしルックはあの男に好印象を持っていた。どこか素直に喜べなかった。