⑨
ルックの窮地を敏感に感じ取ったのだろうか。突然空から鉄の鳥が飛来して、ボルトに向かって体当たりをしたのだ。
「ビーア!」
ビーアの攻撃は固い鉄の音に阻まれた。とっさに鉄皮で身を守ったボルトだが、ビーアの存在には目を丸くしていた。
そしてビーアが現れた次に、小さめの土像に乗ったルーンが現れ、ルックの隣に並んだ。
「ルーン、何をしに来たのさ?」
ルックは慌ててルーンに問いただした。ビーアは羽ばたいて上空に舞う。
「何をしにって、ルックこそなんて話をしてるの? まさかこんな人にクロックを差し出すつもり?」
ルックは気付いた。ルーンが土像の魔法を発動させているということは、しばらく前からルーンは近くでルックたちを見ていたのだ。ボルトを騙すための虚言が、ルーンをも騙してしまったらしい。
「ルックというのか? これはどういうことだ」
静かだが怒気のこもった声でボルトが言った。さきほどルーンがクロックを差し出すと言ったのだ。ルックがクロックと仲間だと、ボルトも気付いてしまっただろう。
ルックは内心、考えのないルーンに憤慨した。土像に乗ったルーンは確かに戦力になるが、それでもボルトを相手にするには不十分だ。ルックとルーンでは、鉄の魔法師にダメージを与える手段が乏しすぎる。しかしそれを言い募る局面でもない。
ルーンはひどく憤っているようだった。ルーンは土像を操り、ルックに断りもなくボルトに向かって駆け出した。
あまりに突然で対応が遅れた。土像の魔法に速さで負けることはないルックだが、追い付いて止めるとなると話が違う。
ルックは大慌てで地面に手をつき、ルーンとボルトの間に隆地を放つ。ルーンはこれを予想していたようで、すぐに土像の走らせる方角を変え、右回りに隆地を避けた。
「ビーア!」
ルックは鉄の鳥に命じた。ビーアはルーンの盾となるべく、上空から下降を始めた。
ルーンが隆地の影に回り込もうとする。彼女がルックの死角に入る直前、拳を大きく引きつけるのが見えた。
ルックは祈った。ルーンのあの攻撃は明らかに溜めが大きすぎる。ボルトが受け損ねることはないだろう。確かにルーンも弱いとはいえアレーだ。本気で拳を繰り出せば、熊のような怪力で叩きつけることができる。それをまともに受ければ、人間など一溜まりもない。しかし、相手は鉄の魔法師だ。それも全身を鉄皮で覆える、とんでもない魔法師なのだ。ルーンの攻撃は間違いなく失敗に終わる。そして、問題はそのあとだ。
そのあとに来るはずのボルトの痛烈な反撃を、ビーアが守り切れるかどうか。
一度でも防いでくれれば、自分が追いつく見込みも出てくる。
いや、追いつかなければならない。
ルックにはもう、ただ祈るしかなかった。
隆地を放ってすぐ、ルックもルーンを追って走りだしたが、土像に乗ったルーンは思いのほか速かった。……
嫌な想像がルックの頭に蔓延した。ルックも右回りに隆地を避け、ルーンとボルトを視界に捉えた。
「え!」
あまりに予想外な光景に、ルックは思わず間抜けな声を上げた。
ルックが見たのは、首をあらぬ方向にひねり、自分が死んだことも理解していないかのような表情の死体と、それを憮然と見下ろすルーンの姿だった。
クロックやルックにして強敵と認められたボルトは、あまりにもあっけなくこの世を去っていた。
「私には帰空の魔法がかかってるんだよ? ルック、忘れてたの?」
ルーンはボルトを倒した種を教えてくれた。言われてみればそうだ。かつて闇の大神官ディフィカの絶望的な魔法から仲間を守るため、ルーンは自分に帰空の魔法をかけた。その効力はまだ失われていないのだ。だからルーンの拳はボルトの鉄皮を打ち消す。ルーンには鉄の魔法師に決定打を与えるすべがあったのだ。
しかしボルトがルーンの攻撃を、鉄皮で受ける保証はなかった。もしただ拳をかわされただけだったら、死んでいたのはルーンだったかもしれない。
ルーンは自分が危機的状況だったとは気付いていないようだ。
ルックはルーンに小言のようにくどくどとそれを説いた。
「あ、なーんだ。ルック、リリアンと合流してからやっつけるつもりだったんだ。私てっきり勘違いしちゃった」
しかしルーンは、ルックの心配などどこ吹く風で、別の話題を振ってきた。
ルックはあとでクロックとリリアンに報告をして、一緒に咎めてもらおうと考えた。
「そうだルーン、クロックがケガをしているみたいなんだ。すぐ探さないと」
「それはもう大丈夫。今からクロックのところに行こ」
幸運にも、すでにルーンはクロックと会っていたようだ。ルックは胸をなで下ろし、ルーンの案内に従って歩き始めた。ちなみにボルトの死体は、すでにルックの魔法で埋葬してある。
クロックのいる場所は、宿からは少し離れているようだ。数クラン歩いてから、ルーンは大通りを右に曲がった。
ルックはふと、嫌な予感を感じた。なぜかというと、いつもおしゃべりなルーンが、終始無口だったためだ。
ルーンの治水も万能なわけではない。傷の程度によっては手遅れということもある。それにここはカンだ。アーティスと違って水が豊富な国ではない。治水に十分な水が確保できなかった可能性もある。
思えばルーンは自分が弱いことを知っている。いつもなら進んで前線で戦おうとはしない。それなのにルーンは先ほど、明らかに攻撃的な怒りを帯びていた。
「ルーン、珍しく無口だね?」
ルックは不安に耐えかねて問いかけたが、ルーンはルックのことを振り返り、眉根を上げて笑うだけだった。
やがてルックは明らかに廃墟と分かる、蔦の絡まった家にたどり着いた。そしてルックの予想は、残念なことに現実のものだった。
命に別状はなかった。しかしルーンの治水をもってしても、クロックの左腕は助からなかった。
ルックたちを出迎え安心した顔を見せたクロックの左腕は、肩から垂直に床へ、ぶらりと垂れ下がっていた。




