⑦
ルーンは一人少なくなったカジノの警備を、それでも通常通り続けていた。ヤマの突然の死には驚きを感じたが、かと言って自分に何ができるわけでもないのだ。
私にとって、ルーンには少し共感しがたい考え方がある。
ルーンは自分の周囲とそうでない人間を、明確に分けて考えている。内側の人間に対しては当然の事ながら、守りたいと考えている。ルーンが治水の魔法を生み出したのは、こういった思いが強かったためだろう。
ここまではいい。
しかしルーンは外側の人間に対しては、例え死んだとしても悼む気持ちがほぼない。少なからず誰もがそういった考え方をしているのだろうが、ルーンのそれはとても極端だ。
違う世界から覗き見ているだけの私が、このようなことを思うなどおこがましいことだけれど、ルーンは外側の人間に対して、寒気がするほど無関心なのだ。
彼女も明確に意識しているわけではないだろう。ただルーンにとっては、人の命は平等ではなかった。
少しシュールと面識があったヤマだが、ルーンにはまだ内側の人間ではなかった。ヤンダヤンガ商店のダンバースに憤りを感じはしたが、ヤマが死んだことには同情の念もなかった。
その日の仕事は特になんのもめ事も起こらず、平和に過ぎた。しかし日が大分陰り、そろそろカジノがお開きになるというころに、赤髪の四角い顔をした髭面が、ルーンを探しに走ってきた。
カジノはまだそれなりに賑わっていたが、その賑わいを押しのけ、大音声でザッツがルーンを呼んだ。
「ルーン! このカジノの中にルーンはいるか?」
突然名前を呼ばれたルーンは驚いて身を強ばらせた。呼応するように頭の上でビーアがばたつく。とっさに知らないふりをしたいと思ったが、他の警備仲間の目が即座にルーンの元に集まり、手遅れだと悟った。
四角い顔をした髭面は、安堵の表情でルーンの元に歩み寄ってきた。敵意はなさそうなので、ひとまずは安心した。
「お前がルーンで間違いないな? 実はクロックが大変な傷を負っているんだ」
ルーンは目を見開いた。そういえば今日クロックは、ボルトの真剣勝負に向かったはずだ。そうすると彼がそのボルトなのだろうか。とにかくこうしてはいられない。ルーンは仕事が終わるのも待たず、急いでザッツの案内するクロックの居場所へ向かうことにした。
ザッツの住処とカジノでは、歩けば十クランはかかる距離だった。往復で一時間はかかる。しかしザッツは出て行ってから、ほんの五クラン程で戻ってきた。自身追われる身でありながら、マナを使った走法で駆けてくれたのだろう。
「クロック!」
ルーンの悲鳴のような声が聞こえた。それで目を開けると、自分の肩に目を釘付けにした、緑色の髪の少女がいた。
「おじさん! 綺麗な水を用意して」
ルーンは大きな傷を見慣れているのだろう。すぐにきびきびとザッツに指示をし始めた。ルーンがザッツをおじさんと呼んだのをからかってやろうと思ったが、舌が上手く回らなくてただ唸っただけになってしまった。
右腕に全く感覚がなかったが、ルーンが来たからにはもう安心だろう。そう思うと、クロックは再び強い眠気に襲われた。少し意識を保とうと抵抗を試みるも、効力はなかった。
ルーンがクロックの元に駆けつけた頃、ちょうどルックはフエタラの街へたどり着いた。
本来一日がかりの道程だったが、マナを使って二時間程で走破してきた。アーティスと違って、ごつごつした地面は走りづらかったが、ルックはまだマナを余らせていた。
しかし街中だとルックの速さは危険なので、そこからは通常の歩みで拠点にしている宿に向かった。
ここフエタラ街ではララニアのような騒音はない。何もないここまでの道中よりは賑やかだったが、それでも落ち着いた街だった。
街を行く人はそれほどいない。海側の方ではまだ往来も多いらしいが、この周辺は住宅が多いので、日が暗転したこの時間には住民はあまり出歩かないのだ。
とはいえ歩くのが困難なほど寂れているわけではない。太陽は暗い光しか降らせていないが、フエタラの街にも街路灯はある。道行く人の表情までは見えないが、いることに気付かないほどは暗くない。
そんな街を歩いていると、ルックの前方から、背の高い人影が歩いてきた。
狭い道ではないし、わざわざ近くをすれ違う必要はない。しかしその人影はルックの方に向かっているようだ。
ルックは少し訝しく思いながら、その人影にそのまま近づいていった。背の高い男で、顔には大きな火傷のあとがある。紫の髪で、腰には一本の剣がさげられている。絶対ではないけれど、まず間違いなく戦士だ。だがルックにはその男に襲われる理由はない。何か尋ねたいことでもあるのだろう。
「すまない、人を探しているのだが」
案の定、男はルックのそばまで来ると、そう声をかけてきた。
ルックは少し警戒しながら、男の言葉の続きを待った。
「三本の刃を背負った、黒髪の男を探している。左肩に傷を負っていると思うのだが、見なかったか?」
ルックは男の言葉に思わず目を見開いてしまった。三本の刃を背負った黒髪。間違いなくクロックのことだ。彼が負傷していると聞いて驚いたのだ。
しかしルックは、それで知らないふりができなくなったことを悟った。
「それなら僕と同じ宿に泊まっています。彼がどうかしたんですか?」
ルックは警戒心を高め、真実が湾曲して伝わるように受け答えした。クロックはカン軍の元大将軍の子だ。誰かに恨まれていないとも限らない。真実を話すにしても、男が敵ではないと見極めてからの方がいいだろう。
「本当か」
男はそう言うと、少しの間何かを考えたようだ。それから続けて言葉を発する。
「実は先ほど彼と手合わせをしたのだが、そのとき思わぬケガを負わせてしまって、見舞いに行こうかと考えたのだ」
なるほど。そうすると彼はクロックの依頼主、ボルトなのだろう。
ルックはそう判断した。それから即座に、男の言葉が真実なら、彼が見舞いに行く必要はないと思った。ルーンがいれば大抵の傷は治せるのだ。そして男がクロックに手傷を負わせたというのに、全くの無傷なことに気付いた。それほど強い戦士なのだろう。それならばクロックは、彼を仲間に引き入れようとしたはずだ。
しかし同時に、それらのことを自分が知っていると、まだ男に明かすわけにはいかないと判断した。男の話が真実だとは限らないのだ。
「そうだったんですね。それなら宿まで案内してもいいですけど、見舞いをしたところでどうかなるんですか?」
ルックはそこで、一つ芝居を打ってみることにした。人が人を心配する気持ちが分からない、想像力の乏しい人間を演じたのだ。その言葉にはボルトも答えに窮したようで、かなりの間が空いた。
「どうということはないが、俺には少し医療の心得があるのだ」
もしここでボルトと話しているのがルーンだったら、この時点でボルトが嘘をついていると見抜いただろう。理論ではなく、少しの間や、声音からそれを感じ取っただろう。
しかしルックは、ルーンのように勘が良くはなかった。
「ああ、それなら彼は仲間に医術師がいるらしいので、必要ないと思いますよ」
ルックはボルトの発言に矛盾がないと思い、さらに演技を続けた。
「むしろ今訪ねたら、逆に邪魔になるかも。また別の日にした方がいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな。そうしたら後日訪ねることにしよう。そしたら今日は、宿の場所だけ教えてはくれまいか?」
ルックは未だにボルトに警戒心を持ってはいたが、その発言には断る理由がなかった。分かりましたと言って、ボルトの前を歩き始めた。
二人で並んで歩く道中、ボルトはルックに問いかけてきた。
「時に、その彼はクロックと言うのだが、仲間がいるのか?」
ルックはなぜそれをボルトが知りたがるのか、不思議に思った。
「実は、彼に仲間にならないかと誘われたのだ。だから少し気になってな」
ルックが不思議に感じたのに気付いたのか、ボルトは続けて理由を語った。
「うーん、宿に泊まっていたのは五人か六人だったと思います」
ルックは曖昧に答えた。
「そうか。そのものたちはみんな何色の髪だったか?」
「アレーかキーネかってことですか?」
ボルトは奇妙な質問をしてきた。ルックはすぐに聞き返してから、二つのことに気付いた。
一つは、彼がルックの嘘や芝居を、完全に信じ込んでいるということ。そしてもう一つは、彼がただ者ではないだろうということ。
「そうだ。できればなんの魔法師かも知りたいのだが」
「ああ、そういえば珍しいのですが、僕が見たのは全員影の魔法師でしたよ」
ルックは何食わぬ顔で嘘をつき、ちらりと後ろを歩くボルトを覗き見た。予想通り、ボルトの顔には驚きの色はなかった。
ルックはクロックから、闇の宗教についてをある程度詳しく聞いていた。闇の洗礼を強く受けた者は、みな髪の色が黒く染まるという話だ。
ルックは今まで生きてきて、五人のグループが全員黒髪だったなどという話は聞いたことがない。普通ならここは関心を示すところだ。しかしボルトは明らかにそれを予測していた。それはつまり、ボルトはクロックが闇の宗教だと、そして闇の宗教がどういうものなのかも、知っているということだ。
「正直な話、僕は彼らが気味悪いんですけど、あなたはなんの仲間に誘われたんですか?」
ルックはボルトの反応をうかがうために、さらにそう質問をしてみた。ルックを信じ切っていたのだろう。警戒心が全くなかったボルトは、火傷のある眉根をひそめ、重い口調で正直に答えた。
「信じがたいことに、神の使いを殺すつもりだというのだ。彼らはそうしなければ人間が滅ぶと考えているらしい」
「そんな相手を見舞うんですか?」
ルックはついに、ボルトの話に矛盾を見いだした。ルックの問いに、ボルトは口ごもった。




