⑥
サニアサキヤの狙いは明らかだった。
ルックたちが南部猿と戦闘をし、最悪破れたとしても、南部猿の数は減るだろうし、自分の懐は痛まない。
もしかしたら自分がアーティス人だと気付かれていて、強気な要求をしてきたのかもしれない。
今ルックはサニアサキヤの館の庭にいた。上の空でリキア軍団長と試合をしながら、クロックの忠告を思い出し、苦々しく思った。
ルックは新しい剣で、気迫のこもって見えるリキア軍団長の剣を受けた。軽く遅い剣戟に、ルックはため息をついた。間違いなく本気ではないだろう。ルックにサニアサキヤ軍は大したことがないと思わせ、万が一にも依頼を断らないようにしようというのだ。
人でなしと罵ってやりたい衝動にかられながら、ルックは受けた剣に力をこめ、リキア軍団長を弾き飛ばした。
「充分です」
ルックはそう言って剣を鞘に収める。
試合を見物していたサニアサキヤに、リキアが右手の親指で印を切った。何かそういう決まり事なのだろう。
「うむ。さて、リキアの実力は分かっただろうな。今度の依頼だが、お前たちの実力からして成し遂げられそうか?」
サニアサキヤは成し遂げるという部分をことさら強調して言った。いや、ルックがそう感じただけだろうか。成し遂げるとは、アーティスで特に好まれて使われる言葉だ。フォルキスギルドで育ったルックは、そうまで言われて引き下がるわけにはいかなかった。
「はい。大したことはないようですね」
せめてもの抵抗で、ルックは最大限嫌みを含んでそう返した。
ルックはサニアサキヤに十日の準備期間をもらった。十日もあればロロも戻って来るはずだ。
一つ気がかりだったのは、クロックとリリアンの仕事が今日で終わるので、新たな依頼を受けてしまわないかだ。ルックはサニアサキヤの館を出ると、マナを使った走法で、フエタラの街まで駆け出した。
クロックは肩から大量の血を流しながら逃げていた。速さで敵わないことは知っていたので、前方に闇の口をいくつも作り、逃げる道を短縮し、それを補った。
「おお、神よ」
ルーメスを討伐し、世界を救う旅をしないか。そんな話を持ちかけたとき、ボルトは確かにそう言った。
クロックは全く警戒をしていなかった。その途端に、ボルトに肩を斬られた。危うく腕を切り落とされるか、そのまま心臓まで二つに割られるところだった。クロックはとっさに闇の口を開いてその中に逃げ込んだ。クロックが闇に受けた洗礼は浅く、ダルクのように国を超えて闇の通路を生むことはできない。闇の入り口と出口はせいぜい十歩分程度の距離だ。しかし闇の通路は便利なもので、ほんの数歩でその十歩分を抜けられる。
難を脱したクロックの耳に、「闇の信者か」というボルトのつぶやきが聞こえた。
クロックはひとまず安全と思われる距離を稼いで、人気のない裏路地に入った。それから肩の傷口を見た。
ひどく斬られた肩は、すぐにも治療が必要なのは明らかだった。痛みも相当だ。
突然ボルトに斬られるとは、予想もしていなかった。一体ボルトという男の目的はなんだったのか。クロックは一呼吸置くと、ボルトが何者だったのか考えようとした。しかしすぐに当面の問題は別にあると気付いた。一人では止血すらろくにできないのだ。
治療を受けるならルーンのいるカジノに向かうべきだ。しかしルーンと二人のときにボルトに見つかったら、ルーンの命まで危なくなる。
宿に戻ってリリアンと合流し、それからルーンの元に向かうのが良いだろうか。しかしリリアンが戻っているかは微妙な時間だ。もし血のあとを辿って宿を見つけられたら、袋小路になる。
街を出てルックやロロを探す時間もないだろう。
クロックは自分が窮地に陥っていることに気付いた。
「どの選択でも危険な賭けになりそうだな」
クロックは独り言を言った。
痛みと流血で、クロックの声にもいつもの気障な響きはなかった。また、思考も上手くまとまらず、次第に考えること自体難しくなってくる。
「クロック?」
しかし運はクロックに味方した。クロックは聞き覚えのある声に呼びかけられた。まさかと思いながらそちらの方を見ると、なんとそこにはザッツがいた。かつて自分を弟のようだと言った、カン第一軍アレー部隊の隊長だ。
「ザッツ!」
クロックは驚きのあまり、逃げ隠れする身であるとも忘れてそう大声を上げた。ザッツは一年前に会ったときと変わらず、短い髭を顔中に生やし、彼も相当驚いたのだろう、目を見開いてクロックの顔を見ていた。
しかしザッツはすぐに驚きから立ち直ったようだ。肩からの流血に気付いてくれて、その場で自らの外套を破り、傷口に巻きつけてくれた。
「何があったのだ? お前ほどの戦士がこうまで深手を追うとは」
手当てをしながらザッツに聞かれると、クロックは苦笑いをした。
「最近じゃやたら俺より強いやつに会うんだ。傷を負ってばかりいるように思うよ」
「こんな裏路地にいるということは、逃げてたのだろう? とりあえず俺の住処に来るか?」
願ってもない申し出だった。ザッツの元に隠れさせてもらい、リリアンが帰っているはずの時間まで待とう。それかザッツにルーンを連れて来てもらうのも手だ。ザッツの住処というのは、この裏路地の先にあるらしい。
「ザッツはこの街の出だったのか? あのときは慌ただしく別れてしまったけど、生きていて良かった」
クロックは状況が好転したのもあり、少し余裕を取り戻してそう言った。ザッツはそれに自嘲ぎみに笑う。
「確かに生きてだけはいるな」
クロックは首をかしげたが、その意味はすぐに知れた。
ザッツに案内されたのは、苔のむした煉瓦作りの建物だった。煉瓦には余すところなく蔦が巻きついている。ザッツが家ではなく住処と言ったのは、ここが見たままの廃屋だったからだ。
「俺はなんとか生き延びて戻ったのだが、戻った途端に敗戦の責任を負わされてな。なんとか逃げ出してここに隠れ住んでいるんだ」
「なんだって? 敗戦の責任なんて、俺の母のものだろう?」
「その母君がどこにいるとも知れぬのでな」
嫌みな発言だが、ザッツはさして気にしていないのか、豪快に声を立てて笑った。クロックは申し訳なく思ったが、負い目があって深く問うことができなかった。
「と言ってもここに来たのはつい数日前のことだ。前の住処は見つかってしまってな。あ、見つかってというのは、逃げ出す際に止む終えぬ事情があって、俺は今は手配中になってしまったのだ。仲間が一人いるんだが、そいつが上手く俺が街から逃げ出したことにしてくれて、ここに移ってきた。今連中は血眼になって街の外を探しているだろうよ」
「そんなことがあったのか。何というか……」
クロックはザッツの転落ぶりに言葉が見つからなかった。ディフィカがいなければ部隊長ではなく、大将軍になっていたのは彼だったかもしれない。しかし今では犯罪者の烙印を捺されている。
「なに。俺は俺で今の生活を楽しんでいる。そんな顔をするな。ちなみにお前は王の記憶に残っていなかったようでな。手配はされていないから、そっちの方も心配するな」
そんなクロックを気づかって、ザッツはそう言葉をくれた。クロックは頭の上がらない思いでザッツの住処に足を踏み入れた。
仲間が一人いるという話だったが、今は外出中らしい。廃屋の中は、前の家主が残していったのか、古びた絨毯が一つ敷かれているだけの部屋と、あとの部屋にはもうなにもないそうだ。
「一度肩の傷口を巻き直そう。強い酒もあるから、消毒もした方がいいな」
ザッツはそう提案をしてくれた。確かに肩に巻いた外套はすでに血がにじみ出ていて、巻き直す必要がありそうだった。しかしこの傷は付け焼き刃の消毒や手当てだけではどうにもならないだろう。
「本当にすまない。けどそれよりもザッツ。ちょっと頼まれてくれないか? 実は俺の今の仲間に、凄腕の医術師がいてね。今はミッツ家のカジノに働きに出ているんだ。呼んできてもらえないか?」
ザッツはその申し出には少しためらいを見せた。どういった理由でためらったかは分からなかったが、しかしすぐに頷いた。
「分かった。何という方だ?」
「ん? ああ、そんな大層な呼び方をする人じゃないよ。ルーンって十四の女の子だ」
「そうなのか? まあとりあえずは急いで行って来よう」
クロックはルーンの治水に驚くだろうザッツを思って、少しにやけた。しかしそこでふいに大きなめまいがして、もう意識を保つのも限界だと悟った。ザッツと会えた喜びに忘れかけていたが、肩の痛みが再び強く叫び声を上げ始めている。
意識が混濁し始めた。ふとザッツに会えたことは、ただの夢想だったのではないかという気がして、にわかに目を開けると、ザッツが慌てて家から出て行く姿が見えた。




