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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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 ナリナラの家はかなりの大きさだった。小高い丘に赤い屋根の家が建てられていて、その一軒だけで百人は寝泊まりできそうな家だった。白い石を組まれてできていて、頑丈そうだ。もう何年も風雨に耐えてきたのだろう。古ぼけた印象がある。


「ここ数年は使用人を少なくしてるんだ。だから掃除が行き届いてないところがあるけどね」


 キラベアがそんな説明をしてくれた。

 ロロは帰るとすぐに、ビルに小間使いの仕事を習い始めた。その間、ナリナラがロロの部屋を用意してくれるという。塀がないので丘とつながっている庭には井戸がある。ビルは水の汲み方や、朝から夜までのスケジュールや、家でのルールを丁寧に教えてくれた。

 彼の話はいちいちが機知に富み、どんな話でもあきずに聞けた。


 そのあとはニンダが試合を申し込んできた。もちろんロロは負けることはなかったが、ニンダは負けても前向きで、一戦一戦確実に腕を上げていた。


 食事は他に三人いた使用人と、ビルとニンダと一緒に食べた。使用人とニンダの家族とでは一緒の食卓には付かない決まりなのだそうだった。ナリナラと一緒でないのは寂しかったが、みんなとても気さくで明るい人たちだった。


 ロロの主な仕事はナリナラの世話だった。たとえばナリナラのドレスは一人で着られるものではないようで、その手伝いをしたり、何かナリナラがほしいものがあれば、買い出しに行った。

 ロロは家では一番立場が低かった。ナリナラに用がないときは、他の使用人の手伝いをした。


 ナリナラには歳の離れた弟がいた。まだ三歳になったばかりで、産まれたばかりのルーメスよりもかなり小さかった。彼は背の高いロロが少し怖いらしく、そばに寄ると不機嫌になった。こんな小さな人をロロは見たことがなかったので、本当はもっとかわいがりたかったのだが、自重した。


 ナリナラの母は恰幅のいい女性で、台所仕事は彼女の仕事だった。台所仕事をするというのは、やはり領主の妻では珍しい。こういったところにもナリナラの家庭の特殊さが見える。

 ロロはその手伝いにも時々かり出された。手際よく食材を扱うナリナラの母の手は、見ていて綺麗だった。彼女にそれを言うと、こんなおばさんをからかうなと言って、剛胆に笑った。


 ナリナラはビルが学問を教えるとき以外は、大抵暇を持て余していた。そういうときは、ロロは彼女に連れられて遠乗りをした。左右に大きな車輪が付いた人力車で、領内のいろんなところを回った。人力車を引いて軽く走ってやると、彼女はとても喜んだ。外では一緒に食事をしてもいいらしく、眺めのいいところに着くと二人で持ってきた食べ物を食べた。

 最初に会ったからでも、命を救われたからでもなく、彼女といるのは楽しかった。彼女のさっぱりとした物言いは、ロロの性に合っていたのだ。


 そんな日が何月も続いた。略奪者の襲撃もなく、縄張りを侵した者との戦闘もない。飢えも乾きも縁が遠く、こんな平和な日々が続くことをロロは不思議にすら思った。

 ロロは自分が人間ではないことは話さなかった。この世界で人間でない自分が、異端者だということは分かっていたのだ。異端者だとすると、元の世界と状況は一緒になる。明るいナリナラや、キラベア、ニンダ、ビル、別邸の使用人メシャール、ナリナラの母ニコラ。彼女たちに嫌われるのは、想像するだに恐ろしいことだった。

 しかしロロが普通ではないことは次第に彼らに知られていった。


「おい、お前さ、まさか背が伸びてやしないか?」


 試合のあと一息ついているときに、ニンダが言った。ロロはまだ少年だったので、背が伸びるのは当然だった。標準的な大人のルーメスは、ロロよりもまだ頭一つ背が高い。


「俺、たぶん伸びた。ニンダの服、合わなくなった。だから、長衣しか、着られない。これも、いつまで着られるか、分からない」


 だいぶ話し方がうまくなったロロはそう答えた。すねが見えるようになった長衣は、少し不格好だった。


「待てよ。まだ伸びる気なのか? というよりお前いくつなんだよ? その背なんだからてっきり成人しているものだと思ってたが」

「成人?」

「ああ。十で脱幼、二十で成人といって、少年期、青年期、大人と分かれるんだ」

「そうなのか。前、ビル、俺の歳聞いた。だけど、一年の数え方、違った。俺の歳、分からなかった」

「へえ。一年の数え方が違うと歳が分からないのか?」


 ニンダはビルと違い学はない。不思議そうに聞いてくる。ロロはそれにコクリとうなずいた。ロロはこちらの世界で一年以上を過ごした。時の数え方も体感して覚えていたので、自分がだいたい十二から十六くらいだろうと思っていた。しかしそう伝えるよりも分かりやすい言い方をすでにロロは学んでいた。


「だけど俺、そのとき、気付いた。俺、少年だ。そう言ったら、少し、分かりやすい」

「少年? そんなわけないだろ。そしたらナリナラより年下ってことになるんだぞ」


 ロロのその発言はすぐにニンダからビルに伝えられた。ビルもそれにはやはり目を見張った。食事がすんだ後、三人はそのことについて話し合った。


「少年ってことは当然大人ってことはないわな」

「まあ事実背が伸びてるんだから大人ではないんだろう。だけどナリナラより下でこのでかさはないだろう?」

「いやいやニンダ、ナリナラより下かは分からないって。こいつがこの国で生まれたって確証もないんだ。フィーン帝国なんかでは、二十までは少年と呼ぶこともあるらしいからな。お前さんは大人になるまで半分は過ぎてるだろう?」

「ああ。俺、そうだ」


 博識なビルの問いかけに、ロロはうなずく。それで少しニンダは安心したようだ。


「そうか。二十前のやつなら大人と変わらない背があるからな。ってことはロロはフィーンの生まれなのか?」

「さあ、それはどうだろ。フィーンはこの国と歳の数え方は一緒なんだよ。俺もあれから調べてんだが、ロロが六百四十歳だっけか? そんな歳の数え方をするところはまだ見つかってないんだ」


 実はロロはまだ大人になるまではかなりあったのだが、それは言わないでおいた。ロロが人間でないとばれると思ったのだ。しかしこのままここにいれば、背がどんどん伸び続けるのを見られてしまう。まだ大人が遠い年齢なのだと、いずれは分かってしまうだろう。

 ロロはこの平和な世界に来て初めて、言いしれぬ不安を感じた。


「六百四十? そんなじいさんじゃないだろう?」

「ばか。歳の数え方が違うんだって」

「は? なんで?」

「俺、今もう七百歳くらいだ」

「ええ?」


 不安を押し込めロロがニンダをからかうと、ニンダは訳が分からないようで、顔をしかめて考え込んでしまった。


「あれ? ってするとあれから一年ちょっとで六十も歳が増えたのか?」


 ビルのこの鋭い問いかけには内心焦った。そうやって逆算すると、ロロの年齢が今露呈してしまう。


「良く、分からない」


 ロロはとっさにそう言った。言葉が不自由だったことが幸いして、ビルはロロのその嘘には気付かなかったようだ。


「そうだよな。そうするとロロは今、十四くらいになっちまうもんな。ちょっとそりゃないわな」


 ビルは瞬時にそう計算した。ロロは背中に嫌な汗をかいた。


「はは、それはそうだな。こんなでかい十四歳はいるわけない」

「いやいや。ニンダ、それは少し違うよ。世の中には背の高くなる病気もあるし、アルテス山脈には異常に背が高い民族がいるらしい。逆に森人の森には背の低い民族が住んでいるしな。十四だとしてもこの身長があり得ないわけじゃない。ただ、ロロはお前さんを負かすほどの武術の達人なんだろ? お前さんがそんなガキに負けるわけないってことさ」


 ニンダはその説明にうなずいた。言われてみればという顔をしている。


「そうなのか?」


 ロロはビルが言う大きい民族のことが気になった。もしそんな民族がいるなら、ロロが大きすぎるという不安もなくなる。


「あ? どの部分に関してだ?」

「大きい民族、いるのか?」

「ああ。いるっちゃいるが、お前さんのお仲間ではないと思うぜ。そいつらはみんな毛深いらしいからな。まあ、中には個性的なやつがいたのかもしれないけど」


 からかい混じりのビルの言葉に、ロロは余裕の笑みを返した。もしビルの言うことが本当なら、自分の年齢を正直に明かしてもいいかもしれない。ロロはそんなことを考えた。しかしそれはもう少し様子を見てからでもいいだろう。まだ時間はある。


「俺の仲間、お前ら。他に、いらない」

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