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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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 異界は果てしなく不毛な大地が広がる、乾いた世界だ。


 異界と一概に言っても、私のいる時という世界や、精霊界、それぞれの神がいる世界、音の世界、太陽界など、様々な異界があるのだが、ルーメスたちのいる世界は最も人の世界に隣接した世界だった。


 一つ一つの世界を線上に置かれた点に置き換えると分かりやすい。人の世界の点とルーメスの世界の点は隣り合わせだが、五つの神界や精霊界などはもっと離れたところに点があるのだ。


 話は逸れるが、点で書くと分かりづらくなるのは神々の世界だ。五柱の神はそれぞれ世界を持ち、その世界はそれぞれ全て同じ距離を保っている。五つの世界が五つともの世界と同じ距離で存在しているのだ。線上の点で例えるなら同じ距離は二つだ。平面上の点で例えるなら正三角形の角に世界があるとして、三つ。立体で考えるなら正四面体の角で四つ。……そう、人が思い浮かべられるのはそこまでだ。それ以上は私にも想像できないが、神々の世界は五つの世界が五つとも同間隔に存在しているという。


 ルーメスの世界は人からは魔界、妖界、妖魔界などと呼ばれている。しかし人の中でそこを見て戻ってきたものはいない。

 ルーメスの世界は常に食糧が不足している。人が迷い込もうものなら、すぐに補食されてしまうのだ。


 ロロは魔法が使えないため、個体としては非常に弱かった。ルーメスの魔法は主に二つだ。一つは体の再生力を高め、傷を付きにくくする。もう一つはとても繊細な魔法で、こちらの世界で使おうとすると失敗し、爆発を引き起こす。本来ならそれは、精霊界から水や火を喚び出す魔法だった。資源や水の乏しいルーメスの世界では、魔法はなくてはならないものだった。

 生命力、生活力において、魔法が使えないロロは他のルーメスに劣っていたのだ。


 ルーメスの世界にも国は存在する。しかしロロが生まれた辺境では、小規模な群れがたまに存在するだけだ。支配者も統治者もなく、全てにおいて個が尊重される。

 それは自由であると同時に、力の弱い個体は淘汰をされていくということだ。奪い、奪われを繰り返す「自由」の中、弱いということは致命的だった。


 ロロの魔法が使えない体質は生まれつきで、後天的にどうにかなるものではない。厳しい環境で生きるルーメスは多産で、同時に産まれた兄弟は十二いたが、魔法が使えないのはロロだけだった。いつまでも魔法が使えないロロは、気付いたときには親に捨てられていた。ロロは自分の人生を諦めていた。他の個体の縄張りから遠ざかり、妖魔界でも特に貧相な土地で、コケを食べて飢えをしのいでいた。

 生命力の高いルーメスとはいえ、そのときのロロはまだ幼く、次第に体は弱っていった。


 全てのルーメスは一つの神を信仰していて、神から強い祝福を受けるほど、力強くなり、魔法が巧みになる。

 しかしロロは最低限の祝福しか受けておらず、それを良くしようと神の試練を受ける気力もすでになかった。

 遠からず訪れる死に向かって、そのときのロロは動くことすらできなくなっていた。ただ横向けに倒れこみ、時間だけが過ぎていく。

 世界に歪みが生まれ、自分の体が飲み込まれたのにも、特に感慨はなく、それが死の世界への入り口なのだと思っていた。





「あんたいつからそこにいたの?」


 ナリナラはさばさばとした話し口調の女の子だった。茶色い髪を肩まで伸ばし、後ろで小さなリボンをして留めている。そばかすのあるほほに、細い目。将来、お世辞にも美人になるとは言えない顔だが、明るい表情は子供らしく愛らしい。後に歳は十と言っていた。

 服はひらひらとした水色のドレスを着ていた。半袖の、何枚かの布を重ねた洒落たドレスだ。


 こちらの世界に来たばかりのロロには、もちろんナリナラと言葉は交わせない。しかし落ち窪んだほほや、虚ろなまなざしが、言葉以上に雄弁に、ロロの状態を語っていた。


「ちょっと何その顔。待ってて。今家からミルク持ってきてあげる」


 そう言ってパタパタと駆けて、少女は視界の中から消えていった。それを目で追う余裕もロロにはなかった。

 ロロから見れば、突然現れた自分と同じ肌の色の少女が、耳慣れない声を発したのだ。

 彼女の言葉は、非常に低くぼそぼそとしていて、滑稽なほどじれったかった。

 そして身長が異常に低く、そのため産まれてまだ間もないように見えた。ルーメスは産まれてすぐに二本足で立ち上がるので、肌が変色していないせいもあり、ロロはナリナラのことを一歳くらいの赤ん坊だと思った。しかし髪の色が茶色かったのはどういうわけか。


 ルーメスは産まれ落ちたときから、誰もがルーメスの神の信者なのだ。闇の信者が髪を黒く染めるのと一緒で、ルーメスの神は信者の頭髪を紅く染める。ロロは産まれたばかりの赤子も含め、紅くない髪というものを初めて見た。


 しばらく経つと、少女が駆け足でロロの元に戻ってきた。手には木製の皿とスプーンがあった。

 皿には白い液体が入っていた。少女は倒れこむロロの口に、スプーンでその液体を入れてきた。

 重みのある舌触りで、甘い味だった。

 ロロは今まで食べたことのない、とてもおいしいその液体に、ふと食物庫という言葉が頭に浮かんだ。

 世界の壁を越えた向こうに、豊富な食糧で溢れる夢の世界があるらしい。そう、いつだか兄弟たちが話をしていた。ここがその食物庫なのだとロロは悟った。


「ど? 少しは元気出る?」


 なんと言ったのかは分からなかったが、少女の表情は心配をしてくれているように見えた。


 少し元気を取り戻したロロは辺りを見回す。見たこともないほど緑豊かな木が見えた。空は青く、鳥が群れをなして飛んでいる。


 ロロは体を起こした。わずかな食料で回復をしたのは、さすがはルーメスの体力だ。

 しかし空腹は続いていた。ロロは手近な木に歩み寄り、葉をむしって口に入れた。


「ちょっと! そんなの食べたらおなか壊すって」


 少女が少し大きな声で何かを言ってきた。そしてすぐにまた駆けていき、戻ってくると茶色く角のない、やわらかそうなものを持ってきた。


「パンあげる。こっち食べなよ」


 少女はまた何かを言ってそれを差し出してくる。どうしていいか分からずロロが固まっていると、少女は首をかしげて、その茶色いものをちぎって口に入れた。最初は赤ん坊かと思っていたが、知恵はあるようだ。その茶色いものが食べ物であるとロロにも分かった。

 少女は再びそれを手渡してくる。恐る恐る口に入れてみると、驚くほどにうまかった。

 ロロが驚いた顔をすると、少女はにんまり笑った。


「おいしいでしょ?」


 先ほどの白い液体といい、茶色い柔らかな物といい、ここでの食べ物は豊富なだけでなく、非常に美味だ。

 他のルーメスにとっては人間や動植物の豊富さだけを指しての呼び名だったが、ロロは別の意味も含めて、ここを食物庫なのだと認識した。

 ロロは感謝の意を表すため喉を鳴らした。


「もしかしてあんたしゃべれないの?」


 少女はまた何かを言った。意思は全く通じていなかったが、ロロは久しぶりに誰かと会話をしたのをとても楽しいと思った。

 少女ナリナラにとっては、もちろんロロがルーメスだとは思ってもみなかっただろう。肌の色は白く、目も茶色い。赤い髪は珍しいが、見ないわけではない。背の高い普通の人だと思ったのだ。


 ナリナラは余裕のある家庭の子供だった。地方とはいえ領主の子供だったのだ。今は領内にある別邸に遊びに来ている最中だった。父親は誰かと会談するのだと言っていたが、ナリナラはそれに全く興味がなかった。なので別邸の近くで一人遊びをしていた。そこでロロに出会い、彼を貧しい農奴なのだろうと思った。まさか話ができないとは驚きだったが、いい遊び相手を見つけたと思った。


「ね、あんたに言葉教えてやろっか。言葉。分かる?」


 ナリナラはまず自分のことを指差して、ナリナラと言った。

 それから木を指差して、地面を指差して、空を指差して、いろいろな単語を教え始めた。


 ロロは少女が何をし出したのか理解した。もしもっとちゃんと会話ができるようになったら、どれだけ楽しいだろうと想像した。ここでは灰色でない皮膚が差別の対象にならないらしい。もしかしたら本来こここそ、自分がいるべき場所なのではないかと思った。

 ルーメスは人と変わらない知恵を持つ生物だ。心も人と変わらなかった。ずっと一人だった彼は、ずっと寂しかったのだ。この大陸で彼は妖魔と言われるような存在だったが、そんなことはロロは知らず、ナリナラの教える人の言葉をことさら熱心に習い始めた。


 夜になると、ナリナラは家に戻っていってしまった。別れ際に何か言った言葉は、まだロロには何だったのかよく分からなかった。

 ルーメスにとって人の言葉はかなり分かりづらかった。何よりも一つ一つの単語が遅いのだ。彼らはルーメスの言葉の二倍近く時間をかけて話す。それがまどろっこしく思えてしまうのだ。しかし言葉を音にするのはより困難だった。彼らは非常に低い音で、舌を細かく使う。それは喉でほとんどの音を作るルーメスには、難解なことだった。

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