⑥
真実の青について語る上で、このダルダンダでの出来事を欠かすことはできない。ここでの出来事だけが一つの歌にされることにもなる。そしてまだぎこちない仲間だった彼らが、ここで一つの伝説を共有した意味は大きい。
「とりあえずは西側から探索しましょう。西側が一番歩きやすいわ」
ルーンとビーアが麓の周囲を探索しに去ると、リリアンがまずそう提案した。人がいるとしたら歩きやすいところの方が可能性も高い。合理的な提案だった。
だがそこで、クロックが片耳を摘まんで、リリアンとルックに指示をした。
どうしたの、と、小声で問いかけようとしたルックも、すぐにそれに気づいた。山腹の方から、赤い蛇が近付いてきていたのだ。もしかしたら最初からそこにいたのかもしれない。山と色のよく似た蛇だった。そして蛇は普通の蛇ではなかった。ジューゴー蛇という、大人しい尾の短い蛇だが、大きさが尋常ではない。蛇が動き出したため、地を這いずる音が響いて、リリアンもその存在に気づいた。
「ちっ、ばれたか。あのでかさ、まず間違いなく奇形だ。油断するなよ」
マナに恵まれすぎた動植物は、奇形と呼ばれる存在になる。ある奇形は異常な形に体を変え、あるものは巨大化をする。そして奇形の動物に共通して言えることで、それらはみな気が荒いのだ。大人しいジューゴー蛇でも、彼らが襲われる危険性は充分にあった。むしろ、こちらに向かってくる様子はとても友好的には見えない。
蛇の大きさは大木ほどもあった。長さはそれほどないが、形がそこまで歪でない奇形は非常に動きが速い。
「逃げる? 戦う?」
リリアンの問いにはルックが答えた。
「本気で追われたら、逃げきれないんじゃないかな」
「決まりだな。迎え撃つぞ」
クロックは背中から爪を取り出し、構える。ルックも大剣を構え、マナを集め始めた。大剣は灰色に染まっている。唯一武器を取らなかったリリアンは、水のマナを集め始める。
「私の魔法にはあまり期待しないで。どういうわけか、ダルダンダはあまり魔法が上手く使えないのよ」
リリアンは言いつつ、蛇の頭上に複数の氷柱を生んだ。尖った氷が、蛇の頭に落ちて行く。しかし蛇は思った通り驚異的な速さだった。これほどの巨体でなければ、視力強化をしたルックにも追いきれない速さだっただろう。氷柱は蛇には当たらず、地面に刺さった。そこでリリアンも剣を抜いた。
蛇は氷柱を避けると、怒声を上げて迫ってきた。巨体を思いっきり彼らにぶつけてくる。三人はそれぞればらばらになってそれを避けた。
クロックは避けきったあとにすぐに踏み込み、器用な爪で、蛇の鱗の隙間を狙って突きを出す。爪は蛇に深く刺さったが、蛇の巨体からすればかすり傷だろう。しかも蛇の筋肉が収縮したためか、クロックの爪が蛇の体から抜けなくなった。蛇のしっぽがクロックに向かって振るわれた。ルックが前に出て、クロックを襲おうとする尾と剣を合わせた。
蛇の力はものすごかった。そして鱗もずいぶん硬いのだろう。ルックは全力で蛇のしっぽを押し返そうとしたが、逆に数歩分後ろに押されてしまった。
ルックとクロックの苦戦を見たリリアンが、瞼のない蛇の目を狙って短刀を放った。リリアンの投げた短刀は目にも止まらぬ速さで、的確に蛇の右目を貫いた。そのときようやくクロックが爪を抜き、ルックとクロックは蛇から飛び離れる。目を貫かれた痛みに、大木のような大蛇が暴れ出す。
「危なかったな」
クロックがぼやく。確かにあと少し引くのが遅れていたら、暴れ回る蛇の下敷きになるところだった。
蛇は怒り狂って襲い来るかと思ったが、根が臆病なジューゴー蛇だからか、そのまま山の上へと逃げ帰っていった。
「ルック、なんであのときわざわざ剣で受けたんだ? 君なら隆地で充分間に合っただろう?」
蛇が去ると、クロックが少し真剣な目でルックに聞いてきた。確かに隆地で受けた方が圧倒的に危険は少なかっただろう。
「だってリリアンが魔法が上手く使えないって。思いの外小さい隆地が出たら、意味がないと思ったんだ」
「そうね。私もあのときはあの判断で正しかったと思うわ」
ルックの答えには、リリアンも賛同してくれた。リリアンは蛇が振り落としていった短刀を拾って鞘に収めているところだった。だが二人のその発言に、クロックは信じられないというような顔をする。
「本気で言ってるのか? まさか君たちは魔法の仕組みを知らないのか? ダルダンダはここに住む翼竜のせいで、水のマナが極端に少ないんだ。だから大地も乾いているし、リリアンも魔法が上手く使えないのさ。ルックの大地の魔法には影響はないはずだよ」
「そうなの? 私はてっきり、ダルダンダもアーティーズトンネルみたいに、不思議な力が働いているのだと思っていたわ。前に来たときは私以外魔法を使う人がいなかったから、全く気づかなかったわ」
「常識だろ? それとも違うのか?」
クロックは少し世間ずれた様な発言をした。クロックは仲のいい普通の人間はほとんどいない。常識という物には疎いのだ。
「ははは、常識だと思ってたことが常識知らずだね。でもそれなら、リリアン以外は魔法が使えるんだね」
「悪かったな。どうせ俺は常識がないさ。でもまあ、俺やルックは問題ないはずだ。むしろここでリリアンが、あの氷柱ですら使えたことは驚きだな」
三人はそれから、蛇が戻ってこない内に、その場を離れることにした。
山の西側は確かに歩きやすかった。道とまでは言えないが、明らかに人の手が加えられた形跡があるのだ。地面は均されていたし、急な登り道には、歩きやすいように段が設けられている。
「昔ダルダンダの西側には町があったそうよ。キーン時代の話だけど。その町はこの山から石を切り出していたそうなの」
リリアンはそのことにそう説明してくれた。
山の中腹辺りまで入り、三人はそこで食事をすることにした。ガンベで仕入れた干し肉をかじっただけで、とても満腹にはなれなかったが、ほとんど休みもせずに山の奥へと登り始めた。
ダルダンダは少し歩くとすぐに崖に当たり、足場は極端に悪かった。崖登りとは言わないまでも、一歩踏み違えれば、崖下へ落ちていきそうな危険な道が続いた。
リリアンとクロックは体力があるらしく、そんな道でも難なく進んでいるようだった。しかしルックは、体力的には二人に劣り、次第に足下への注意がおろそかになり始めた。
「少し休まない? ちょっと疲れてきたよ」
「ええ、そうね。私もそれに気付いてあげられないくらいは疲れてきたわ。もう少し行くと、確か洞窟があったと思うの。そこで休みましょう」
リリアンの言うとおり、しばらく行くとそこにはそれなりの広さがある洞窟があった。高さはリリアンがようやく立っていられるくらいしかなかったが、クロックもルックもそれほど背が高くはないので、窮屈ではなかった。むしろ狭かったとしても、崖の隙間を縫う道よりは、精神的には楽だった。
「リリアンはこんな所まで登ってきていたんだな。この先はどんななんだ」
「残念ながら、ここで私たちは引き返したのよ。食糧がもたなかったの。山なら狩りができると思って、そこまで多くは持ってこなかったのよ」
「そっか、確かにここじゃ、動物がいたって狩りなんて無理だよね」
ルックは言って、背中の大剣を抜いてマナを集め始めた。
「どうした?」
突然のそのルックの行動にクロックが問う。別段戦闘になりそうだという気配はない。
「ちょっと保険をかけておこうかなって。足を踏み外したとき、最悪鉄の魔法が使えれば助かるかもしれないし」
「ああ、それはしておいた方がいいね。この中じゃルックが一番どじを踏みそうだ」
「言うね。クロックが崖から落ちたら笑ってあげるよ」




