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ルックはそれから、テツに込めてもらった理のマナを集めてみて、それをただ放出するように放った。
何もマナを組み替えずに放つと、大地や鉄の魔法ならつぶてが生まれる。木は植物の生長を速めさせ、水なら水泡で、火ならそのまま灯がともる。影の魔法は放出した辺りを少し陰らせ、光の魔法は明るくさせる。普通なら何かしらの現象が起こるものだが、理のマナは何も生み出さなかった。
リリアンたちはかなり長風呂をしているようだ。そんなことをやっていると、リリアンたちよりも先にクロックが戻ってきた。
「お、戻ってたか。荷車はどうだった? いいのはあったか?」
クロックの声音は何かを警戒しているような雰囲気があった。しかしルックはクロックとルーンのやりとりを知らず、クロックが何を警戒しているかは分からなかった。
「あったよ。他にもいろいろ買った。確かに荷車があると思うと欲しい物はたくさんあるね。あ、そうだクロック。もし良かったら今から鍛練に付き合ってもらえないかな?」
クロックはほっとしたような表情で頷く。
「ああ、構わないよ。俺ももう少し強くなれそうな気がするし、ちょうど良かった。君の剣も戻ったわけだし、あの日の決着を付けるとしよう」
クロックは挑発的に笑み、すぐにいつものように戻った。ルックは少し訝しみながらも、早速とクロックを連れて宿を出た。
「じゃあ良さそうな人はいなかったんだ」
「ああ、やる気があったとしても、正直あの程度の奴らなら足手まといだね。ここで一番腕が立つって奴と試合したんだが、話にならなかったよ」
「あはは、クロックが相手じゃね。もうこの辺でいいかな?」
ガンベは首都やシェンダーの港街ほど広い街ではないので、二人は町を出て、広野で試合をすることにした。ガンベの周辺もやはりアーティスらしい豊かな草原が広がっていた。南側には大きな農耕地があるので、ここは町の北側だ。
「ああ、そうだな」
クロックは言うと、背中に背負った爪を下ろし、左手でそれを握った。ルックも鞘を地面に置いて、剣を持つ。二人は数歩距離を取り、始まりの合図もなしに、クロックがルックに襲いかかってきた。
ルックは冷静に下段に構えた剣を振り、駆け寄ろうとするクロックを牽制する。クロックがいったん距離を置く。ルックは得意の早打ちで放砂を打つ。大量の砂が舞い、二人はお互いの姿が見えなくなった。
ルックは数歩後ろに下がると、剣へとマナを溜め始めた。鉄のマナと、火のマナが溜まる頃、放砂が晴れる。
「!」
放砂が晴れると、ルックは辺りの光景に目を丸くした。黒い影の集団に、ルックは完全に包囲されていたのだ。数は十六。しかも厄介なのは、クロックの姿が見えないことだ。恐らく影のどれかに擬態しているのだろう。
ルックは影の魔法師に対する認識を改めた。
影法師の群れが、どれも人間のような動作でルックへ駆け寄ってくる。ルックはマナを集め地面に手を突く。
「地震!」
ルックは力強く吠え、辺りの大地を大きく震わせた。ルックも動けなくなるほどの振動だ。だが一つを除いて、影はその振動を物ともせずに駆け寄ってくる。クロックの影法師はどういうわけか実体があるらしいが、それでも実際に攻撃を加えられるほどの物ではない。ガンベへの道中でクロックが語った話だ。地面の揺れに足を取られた影法師以外、警戒をする必要はない。
今回は鍛錬のために来たので、ビーアは置いてきた。地震の魔法と空を飛ぶビーアはかなり相性が良かっただろう。
揺れが収まると、ルックもクロックも立ち上がった。影法師を維持する無駄を悟ったクロックは、すべての影法師を消し、自分の擬態もやめている。二人はほぼ同時に地を蹴り、お互いの距離を一気に埋めた。クロックの爪と、ルックの大剣がぶつかった。力比べではルックに分があるため、クロックはルックの剣を流し、爪を器用に動かし、喉を狙ってくる。
ルックは深くしゃがんでその爪を避け、立ち上がる勢いで肩から体当たりをした。
「うっ」
クロックはうめき声を上げて後退する。その際咄嗟に爪を振り下ろし、ルックの肩に傷を負わせていた。
ルックは肩の傷は意に介さず、すぐにクロックに詰め寄っていく。先ほどの体当たりは綺麗に決まった。しばらくクロックは息もできないはずだ。ルックの剣を受けようとするクロックの動きは弱々しかった。しかしクロックはそこで、ルックの目に陰目を放った。目が慣れるまでの一瞬、ルックの視界が奪われる。シャルグもよく使う魔法だが、それよりもかなり強い影が目に張り付いたらしい。ルックは飛び離れつつ、剣を振るってそこから火蛇の魔法を放った。鞭のような火がクロックを襲う。クロックは飛び上がって避けようとするが、火蛇の魔法はルックが思っていたよりも、強く、速かった。クロックは避けきれず、足を火蛇で焼いた。
「うおっ」
火傷の痛みに、クロックは呻いた。ルックは冷や汗をかきながら、戦闘を止め、クロックの元に駆け寄った。
「大丈夫?」
「大丈夫なわけないだろ。さすがにあんなのは避けきれない。かなり痛むが、ちょっとしばらく歩けるか分からないな」
「ごめんね。あんなに剣の威力が大きいとは思ってなかったんだ。取りあえず宿に戻ろう。ルーンがいれば大丈夫だから。歩けそう?」
クロックの火傷は酷く、結局ルックはクロックを背負って街に戻った。宿ではルーンとリリアンが楽しげに話をしていたが、クロックの様子を見るなり、すぐに緊迫した様子になった。
「何があったの? クロックも、ルックの肩の傷もただ事じゃないわよ」
リリアンに言われ、ルックは初めて自分の肩の傷に意識を向けた。確かにあまり血が流れてはいないが、ざっくりと切れた傷は重傷だった。
「ちょっとクロックに稽古を付けてもらおうと思ったんだけど、失敗しちゃったみたいなんだ」
「失敗って。あなたはまだしも、クロックの傷は治るかどうかも分からないわよ」
リリアンの心配はもっともだったが、治水を知っているルックはそれには少しも焦らなかった。そのためリリアンは少しいらぬ勘ぐりをしたようだ。
「まさかあなたたち、仲違いでもしたの?」
「いや、違うが、この傷の痛みを思うと、本当にそうしようかと思うな」
息も絶え絶えといった感じだったが、クロックはそんな冗談を言った。
負傷した二人は、宿の風呂場に行き、治水の魔法を掛けられた。治水の効力にはリリアンもクロックもただひたすらに驚いていた。
「信じられないわ。こんな魔法があるなんて」
リリアンは言って、そこで一年前の戦争のときに、ビースが言っていた切り札という言葉を思い出した。
「ルーン、あなたまさか一年前の戦争のとき、スニアラビスにいなかった?」
ルーンの肯定の言葉を聞いたリリアンは、ビースの切り札はあなただったのね、と、感慨深げにため息を付いた。
「信じられないな。もう全くの元通りだ。まさか君、ヘビットの子じゃないだろうね」
「ヘビットって?」
「オラークとかで信仰がある、医療の神の名前だ。まあ、ヘビットの子は男の子だったと思うから、人違いだろうね」
クロックは負傷を負ったのにも関わらず、どこか上機嫌だった。
リリアンは今回のことが、この仲間に暗い影を落とす要因にならなかったことに、ほっと胸をなで下ろしていた。
「とりあえず二人とも無事で良かったけど、これからは仲間内での手合わせは厳禁よ。二人とも、もう少し自分の力を知るべきね」
リリアンが最後にそう結論を出した。




