⑦
「ふふ、負けたみたいね」
リリアンはあっさりと負けを認め、長剣を鞘にしまった。するとビーアもヒューと小さく鳴き、リリアンを狙うのをやめた。
「悪い冗談だよ」
ルックは少し怒ったような口調で言った。実際それはルックの本音だ。そう、結局の所、リリアンの剣には殺気がなかった。何度か切り結ぶうち、ルックもそれに気がついていた。
「ふふ、ごめんごめん。少しはルックが本気になれるかなって思ったのよ」
「やっぱり僕の力を試してたんだね。むしろあんなこと言われて、ショックで本気が出せなかったよ」
「うそ? ほんとにごめんなさい。そんなにショックだった? ふふ、私も捨てたもんじゃないわね」
「笑い事じゃないよ!」
ルックはリリアンの言いように、今度こそ本気で腹が立ってきた。上手く整理の付いた想いではないが、とても理不尽に思えた。
「ごめんなさい。そんなに怒らないで。私にだっていろいろ考えがあったのよ」
リリアンはルックが怒っているのにも関わらず、どこか余裕でそう笑んだ。そう言われてしまえば、もう怒ってはいられない。
「二度とやらないでよ」
「あら、二度も騙されるつもり?」
リリアンはなおも平然と言う。こうなると、感情的になった方が負けだ。ルックはまだ言い募りたい気持ちをぐっと抑えた。そこでルックは、なぜか怒りではない激しい想いがこみ上げてきた。ほとんど無意識の内に、ルックはリリアンを抱きしめていた。少し背伸びをして、リリアンの頭を自分の肩に引き寄せた。
「え、ルック。ほんとにごめんなさい。そんなに気にするなんて思わなかったのよ」
ルックも自分の行動に驚いて、思わず顔を赤らめそうになったが、リリアンがうろたえるのを見てにわかにほくそ笑んだ。
少しリリアンから体を離し、ルックはにやりと笑みを向ける。まるでリリアンがうろたえたことも計算の内で、リリアンを抱きしめたのだというように。
本当に困ったような顔をしていたリリアンが、それを見てぷっと吹き出した。
「やられたわ。こっちの方も私の負けよ」
ルックも言われて笑い出す。
「あはは、でもさっき、リリアンは何度も僕を殺せたはずでしょ? とても勝った気がしないよ」
「そうね。五回は見逃してあげたかしら。余りに弱いんで驚いたくらいよ」
「うそ? 五回はないよ。せいぜい三回くらいだし、しかもそれも決定的だとは言えないくらいだよ」
「いいえ、決定的じゃないのも含めたら、十回はくだらないわ」
「それはうそだよ!」
ルックは先ほどの絶望から解放されたせいもあり、少しはしゃぎ気味にそう返す。二人はここで昼食を取ることに決め、リージアから分けてもらった干した芋を二人で食べた。芋は辛味が染み込んでいて、噛む度に味が口の中に広がった。一つがなかなか飲み込めず、固い芋を噛んでいるだけで腹が膨れてくる。
「けどビーアには驚いたわ。まさか意志を持っているわけじゃないんでしょう? そんなに自由自在に動くものなの?」
「僕は何もしてないよ。リージアが何か仕掛けをしていたんじゃない?」
「ヒュー」
自分のことが話題になっていると気付いているのか、ルックの肩に乗った鉄の小鳥が、高く細い声で鳴いた。
「リージアね。森人たちに英雄視されている理由が分かるわ」
リリアンは以前、森人の森で暮らしていたことがあるという。リージアの話はそのとき聞いていたのだろう。
ルックは芋を噛みながら、先ほどの自分の行動について思い返していた。
どうして僕はリリアンを抱きしめたんだろう。
ルックは母親に抱かれ幸せそうにする子供を思い浮かべ、苦い想いを抱いた。
クロックは頑固者のクォート相手にかなり手こずっていた。クォートは闇と同じことを自分がやっているのを、間違いだったと判断したらしい。クロックが来てから、一度も歪みに手を加えようとしている気配がない。クォートを説得するため、クロックはクォートの家に滞在していた。クォートは終始剣呑だったが、クロックを直接的に追い出そうとはしなかった。
「飯を作りましたよ。こう言うと安心されるようなので言いますが、毒は盛らないでおきました」
半月の滞在でクロックは大分クォートに慣れてきて、そんな嫌味を言うようになっていた。
「そこに置いておけ」
クロックが最初に料理を作ったときは、クォートは一口も口を付けなかった。だが、クロックがクォートに料理を作り始めたのは何も嫌がらせからではない。クォートの食事を見て、さすがにいてもたってもいられなかったためだ。
クォートの家の食物庫は裏の庭にあり、そこには半月に一度訪ねてくる商人が、大量の食料を入れていく。
クロックがいる間にもその商人は一度訪ねてきたが、商人の持ってくる二振りの剣に、クォートが硬化の魔法をかけてやることで対価を支払っていた。
商人としてみれば、ティナで売れ残った食料を魔法剣に変えられるのだ。割の良い仕事だろう。
商人が持ってくるのは、地面に落ち土が付いた干し肉や、形の悪い野菜が多い。クォートは、なんとその食物庫にある野菜や干し肉を、調理もせずにそのまま口に運んでいたのだ。
土の付いた干し肉はもちろん、野菜の泥も軽く叩くだけで、腹に入ればいいと言うように、時々思い出したように食物庫に行き、乞食の様に食らうのだ。商人が親切で定期的に食物庫を清掃していなければ、クォートは食中毒でとっくにあの世に行っていただろう。
料理好きでもなんでもないクロックが、見るに見かねたのも当然だと言えた。
クロックが二度目にクォートに料理を作ったのは、例の商人が街に戻ってすぐだった。クロックは最初の食事を口にしてもらえなかったことにかなり不機嫌だった。クォートはあろう事かクロックの料理を鼻で笑い、食物庫に行き、生の野菜を音を立てて食べ始めたのだ。
正直かなり屈辱的だった。なのでクロックは今度は、食物庫に鍵をかけ、その鍵を闇の口の中に隠してしまった。
クォートは怒った。
商人がまた来るのは九日から十日後だ。流石に何も食わずに耐えきれる長さではない。クォートはちょうどそのとき、一つの研究にある終止符を打とうとしていた。そのため街へ駆けて食料を買いに行く時間は惜しかった。第一金をどこにしまっておいたか、探し出すのも煩わしい。食物庫を壊そうかとも思ったが、それも後々面倒になる。
そんなことを瞬時に考えたらしい。そして嫌々クロックの作った料理の皿を受け取ったのだった。
何よりもの決め手は、空腹だったクォートの前で、良いにおいのする料理を、さも美味そうにクロックが食べ始めたことだ。
「毒など入っていませんよ」
「こんなものを食って、俺が贅沢になったらなんとしてくれる」
クロックにとっては、クォートはそれほど嫌な存在ではなかった。ぶっきらぼうで凄みのある人ではあったが、不思議と憎めない可愛さがあると思った。眉間の皺が母と同じ様なのに、母よりも隙が多かったためかもしれない。
だがクロックには使命があり、ルックとの待ち合わせもあった。そうまでここに長居はできない。
クロックは相変わらず気を許してくれない男を見て、そろそろ潮時だと感じていた。何もクォート一人の力がそこまで重要なのではない。
クロックはぶつぶつと呪文を唱え、闇の口を生みだして、その中から食物庫の鍵を取り出した。そしてそれを湯気の立つ料理の横にかたりと置いた。
「行くのか?」
珍しくクォートの方からクロックに声を掛けてきた。クロックは少し嬉しく思ったが、諦めるようにため息を吐き出し頷いた。
「冷めない内に食べてください。あと、できれば来年のテスのメスに、あなたの力を最大限に高めていただきたい」
クォートは憮然とした表情を崩さず、黙って考え込んでいた。
「ああ、あと、たった半月でも、不器用な親父ができたみたいで楽しかったですよ」
クロックは本心からそう言った。だが内心クォートにこの想いは分からないだろうと思った。
「ふん、俺の息子がそんなに生意気であるわけがない。だがお前の料理は悪くなかった。おかげで以前の生活には戻れそうにない」
クォートはさも厭わしげにそう言い放つ。クロックはごくわずかにだがクォートにほめられたことに目を丸くし、はにかむようにうつむき加減で笑みを見せた。




