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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第一章 ~伝説の始まり~
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『小さな笛の音』①

   第一章 ~伝説の始まり~


『小さな笛の音』





「ルック、ライトご飯だよ! 早く起きないと私が全部食べちゃうよ!」


 金物の鍋蓋を、お玉でカンカンと叩く音が響いた。けたたましい金属音に負けないよう、少女の精一杯の大声が重なる。どちらの音も夢を追い払うには充分で、耳が痛むような気がした。

 そんな決して快適とは言えない朝、ルックは目覚めた。


「ルーン、朝からその音は辛いよ。もう起きたからやめてよー」


 ルックの左隣のベッドで、ライトが眠そうな声で抗議した。ルックは不快感に顔を歪めながら、起きたことを示すためにかけ布団をはぎ取った。


 布団から出たルックは、少し癖のある髪質に盛大な寝癖をつけていた。目の覚めるような青髪も、見事に台無しになっている。無地の半袖で、麻布の寝間着を肌に直接着ている。ズボンは藍に染められたゆったりとした物を、腰紐で縛っている。

 伝説に残るよりはかなり普通の顔だ。目は髪と同じく青く、宝石のような深みと輝きがある。その満ち足りた輝きからは、もう難しい深い傷を持っていることなど見つけ出せない。


「これいいな。今度から二人が起きてこなかったらこうしよう。早く着替えて出てきてね」


 ルーンは深い緑色の髪を持つ、ルックと同じ歳の少女だ。いたずらな明るく大きい瞳が特徴的だ。

 ルーンはすでに寝間着姿を着替えていて、いろんな汚れの付いたエプロンを着ている。中に着ている服は、質素なシャツに短いズボンで、もう一年半もせずに十五の成人を迎える少女にしては、少しはしたない格好のようでもあった。けれどそれは、アレーの戦士としては普通のことだった。マナを持たない人よりも、なにかと激しい動きを強いられることの多いアレーには、女性らしい長丈の重たいドレス姿は邪魔なのだ。

 ルーンは小柄な体をひるがえし、お玉と鍋蓋を持ったまま隣の部屋へ移動していった。


「あーあ、シャルグもあれの餌食になるみたいだね」

「あはは、だね」


 少し意地悪そうな笑みを浮かべて、ルックはライトに話しかけた。ライトは優しい少年で、困ったように笑って同意する。


「世界に名を轟かす黒影も、きっとあれには苦戦するだろうね」


 ルックはそんな軽口を叩きつつ、ベッドの中から起き出した。

 彼らの部屋はわりと殺風景な部屋だった。ベッドが三つ並ぶ壁にはガラスの張られた窓があり、反対側の壁に先ほどルーンが出て行ったドアがある。暖炉やテーブルはなく、わずかな収納スペースが、ドアの隣にやはり三つ並んでいる。

 彼らの仕事は一般的な家庭と比べれば稼ぎがいい。しかしアーティス人特有の性格のためか、彼らはあまり贅沢を好まない。ベッドも、それにかけられた手織りのシーツや布団も、長い間使い古された庶民的な物だった。唯一窓に張られた透明なガラスだけは高価なものだが、贅沢品とまでは言えない。


 この部屋で一番贅沢で高貴で精緻な作りをしているものは、間違いなくルックの隣にいる金髪の少年だった。

 ライトは、優しい顔をした、やはりルックたちと同じ歳の少年だ。金色の髪で魔法は使えないが、歳の割に体術の優れた剣術使いだ。彼の名はルックの物語にも登場するし、彼の人生がそのまま吟遊詩人の歌になることもある。なので聞いたことがあるという人も多いだろう。

 彼は吟遊詩人が歌うとおり、非常にきれいな顔をしている。目も鼻も口も輪郭も、どれ一つその均整を崩す要素がなく、色白の肌にはにきびもしみも一切ない。きらきらと輝く目は少し大きめで、年齢以上に幼い顔立ちだった。

 ただ彼は吟遊詩人に歌われるようには、堂々とした気品を持ち合わせてはいなかった。どこか臆病そうな、というよりは、自分に自信がない人に見られがちな、棘のない優しい表情をしていた。まだこれからどうとでも染まっていきそうな、ぼくとつな雰囲気でもある。


 彼はベッドから這いだして、脇の壁に固定されていた金色の剣を手に取った。金色の剣は抜き身で、ライトはそれを慎重に腰に結びつけた。

 ここは彼らの家の中だし、取り立てて危険があるわけではない。ただ彼らのような人命を奪うこともある戦士は、武器を手元に置いておくものだ。そう大人たちから教育されている。


 二人は急いで簡単な身支度を整えると、部屋を出て、おいしい朝食の香りがする居間へと入った。

 居間は五つのドアがある大部屋で、中央には大きな楕円形の長テーブルが置かれていた。テーブルの周りには意匠も大きさも様々な、七つの椅子が並べられている。テーブルにはパンとシチューとサラダが四セット並べられていて、それぞれの食器の前には木製のスプーンがあった。テーブルの中央にはお茶の入った銀のポットが置いてある。注ぐときに蓋が開くように作られていて、比較的手の込んだ値の張る品物に見える。それだけがテーブルの上で異様に高価な物なのは、それが依頼の報酬に貰ってきたものだからだ。テーブルの上に直に置かれたパンの隣に、陶器のコップが置かれている。


「あれ、シャルグいないのかな」


 テーブルに用意された食事を見て、ライトが言った。

 彼らは子供三人と大人四人のチームだ。しかし依頼で別行動になることが多いので、七人全員揃うことはめったにない。今日は大人二人が仕事に出ているので、五人での朝食になる予定だった。それなのに食卓に並ぶ料理は四人分だ。


 そこに、ルックたちから見て左のドアから、非常に大きな男が現れた。雲を突くとはまさにこのことで、背はルックの二倍近くあった。身に蓄えた脂肪も半端ではなく、藍色の散切り頭は丁寧に櫛付けられている。目が細く垂れていて、無表情でも笑っているように見えた。大男には似合わないエプロン姿で、たくさんの布をつなぎ合わせたぼろのような服を着ている。


「あ、ドーモン。今日は四人しかいないの?」


 それを見たルックが、大男ドーモンに声をかけた。


「おう。シャーグ、いない。城、行った」


 ルックの言葉に反応し、舌っ足らずな野太い声がそう答える。


「そっか、城からの依頼があるんだ。どんな仕事だろう?」


 ルックは内心の期待を抑えきれず、うわずった声で言う。

 幼い頃強くなりたいと思い、努力を重ねてきたルックだったが、このところは明らかに伸び悩んでいた。

 魔法も剣技もまだ成長途中だったが、マナを使った体術には多分もう伸びしろがない。そしてアレーの戦闘で一番重要になるのが、そのマナを使った体術なのだ。こればかりは才能が物を言うので、努力ではどうしようもなかった。


 しかしルックは今改めて強くなりたいと願っていた。


 十日前、ライトがフォルの資格を得て、大人たちから金色の剣を渡された。

 それは何代か前の国王の時代に出土した古の魔剣だという。

 その魔剣はルックの大剣以上に常軌を逸したものだった。簡単に言うと、その魔剣はあらゆる物を斬り裂けるのだ。木材や鉱石などはもちろん、鍛えた鉄すらもその剣はいともたやすく断ち切った。金色の剣が抜き身のままなのは、鞘すらも斬り裂いてしまうからだ。ルックとライトが剣の稽古で手合わせをするとき、数年前から剣を合わせてはいけないという条件付きで試合をすることがあった。それは元々ライトがこの剣を所有することが決まっていたからだったのだ。


 ライトは純粋に新しい剣を喜んでいた。しかしルックはその剣がライトに贈られたのは、ただ事ではないと気が付いていた。

 古の魔剣というのは、今は失伝している呪詛の魔法が籠められた魔法具だ。二千年から三千年ほど前の、まだアレーがマナ使いと呼ばれていた時代。その時代には現代でも再現できていない特別な魔法具製造技術があった。もう増えることのない古の魔法具は、気軽にただの戦士の子供に持たせる物ではない。


 そしてルックとルーンの二人は、シュールからこのチームが結成された理由を教えられた。ライトが次期国王なのだと知ったのだ。

 それを知った今だからこそ、この国を守るために自分はもっと強くなりたいと思っていた。


 しかしシュールが選ぶギルドからの依頼は、危険の少ないものが多かった。それは重たい荷物を運ぶだけだとか、隣町へ移動する行商の護衛だとか、ルックにとっては退屈な仕事だった。そこへ来て国から直接の依頼となると、奇形の動物退治や、反抗勢力の鎮圧など、非日常的な緊張感のある仕事が多い。

 ルックはそういった仕事をこなして行くことで、自分の腕を磨けると考えていた。


「じゃあこれからまた忙しくなるかもしれないんだね。今のうちに剣の点検をしてもらおうかな」

「だな、ルック、そうするといい。ヘベーに、よろしく」


 ドーモンがそう言うと、ドーモンの影から笑い声が聞こえた。巨漢の影で全く見えなかったが、ルーンもそこにいたようだ。彼ら御用達の鍛冶屋ヘイベイのことを、ドーモンがうまく言えなかったのがおかしかったらしい。

 ドーモンも笑われることには慣れていて、楽しげなルーンを見下ろしにやりと笑んだ。

 ルックとライトは残りの朝食の準備を手伝い、四人で食卓に付いた。体格の通り、ドーモンの前に並べられたパンやシチューの量は多い。


「じゃあ今日も一日平和でありますように」


 ルーンが大分簡略化した朝の挨拶をし、ライトがみんなに飲み物を注いだ。

 ルックはライトが注いでくれたヒニビス花のお茶をすすり、パンをシチューにつけて食べ始めた。大男ドーモンは、意外にも料理が好きだった。ドーモンの得意なシチューは香り立ちがよく、具材も味が良く染みて、ルックの大好物だった。朝早くルーンが買ってきた焼きたてのパンは、口に含んだ途端に甘く香り、シチューの雑多な味に隠されたほのかな苦味によく合った。しゃきしゃきと歯ごたえのあるサラダをよく噛み飲み込んで、口の中の味が整うと、塩味のある花のお茶を一口すする。


「シャルグはいつ頃戻ってくるの? ドーモンは聞いてる?」


 国教シビリア教の教えで、食卓は楽しく会話をしながら囲むものだという考え方がある。ルックは話の種にドーモンにそう問いかけた。


「遅くならない、と、言ってた。ドゥールとシュール、いない。難しい仕事、ないといい」


 この頃街には戦争の噂が絶えない。ドーモンもおそらくそれを危惧しているのだろう。真摯な表情でそう答える。ルックもドーモンの口調からそれに気づいて、一抹不安を覚えた。しかしやはり、自分の腕を磨けるような、少しは骨のある仕事が来たらいいと思った。

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