『合流』①
第三章 ~陸の旅人~
『合流』
ティナ半島南部。そこは大陸中で最も不毛な土地だった。大陸最北の大砂漠、アルテス砂漠よりも緑がない。輸入した木を植えても、ここでは一年と経たずに枯れてしまう。
ティナというのはとても不自然な土地だった。大地は海よりも遙かに低い位置にあり、周囲はアーティーズ山のある北部以外は滝に囲まれている。それも海から流れ落ちる滝だ。常に気の遠くなるほど大量の水が流れ落ちているが、ティナは決して海に沈まない。なぜ沈まないのか、その原理は誰にも解明されていない。神ですらその理由は知らないのだという。
そんな土地であるためか、ティナでは植物が育たない。植物が育たないため家畜もいない。アーティスから絶えることなく食糧を輸入しているのはそのためだ。
ティナの南部は決して砂漠ではなく、潤いのある土があるのだが、緑という緑はここにはなかった。むしろただ延々と土がむき出しで続く様は、砂漠以上に荒廃して見えた。
クロックはルックと別れた後にここに来ていた。彼はもっと緑豊かな土地で育ったので、このような場所は殺風景だと思った。
芸術家の多いティナは家々や街中の彫像などで、目を楽しませてくれる場所だ。しかし南部になると住む人もまれになり、やはり寂寥感があった。
ティナ南部に住むのは大抵は世捨て人だ。輸送代が高くなるため、北部に比べて南部では食料の値段も跳ね上がる。そして緑のない土地というのは、どうしても人にとって落ち着かない思いを与えるのだ。
クロックはそんな寂しげな土地にたたずむ、一軒の二階建ての家の前にいた。何度かドアを叩いたが返事はない。
留守なのか、開けるつもりもないのか。どうすべきだろうと考えていたクロックは、ふと家の中から薪のはぜる音を聞いた。そんなものが響くほど、この場所はとても静かだった。
「いるんじゃないか」
大陸最南部のここは寒く、しかも今は寒季だ。クロックは身を切るような寒さのために思わず文句を言った。
だがそのつぶやきに答える者はいなかった。
コンコン。
クロックはかじかむ手で再び戸を叩いた。案の定、中から返事はしない。クロックはそこまで気が長い方ではないようで、次第にいらいらしてきた。そして口の中で何かぶつぶつとつぶやくと、右手を戸に添えた。
突然戸に、黒い大穴が空いた。穴は向こうをのぞき見ることはできず、中にはただ闇があった。
「失礼するよ」
クロックはその闇の中に足を踏み入れた。一瞬視界が闇に包まれ、次にクロックが見た物は、足の踏み場もなく散らかった家の中だった。
クロックの背にはドアがあり、やはり黒い大穴が口を開けている。その口はクロックを吐き出すと、むにゃむにゃと歪んで、しぼんでいった。そしてわずかな点すら残さず消えた。
「帰れ」
クロックが中に入ると、気難しげな声が聞こえた。見ると部屋の中にはゴミの山に埋もれるように、一人の壮年の男がいた。部屋はとても無造作な作りで、中にはしきりになる壁がない。一階をまるまるぶち抜いた、かなり広い部屋だった。
暖炉の周り以外はこれでもかと言うほど散らかっていた。壁にははしごが掛けられていて、それで二階へは上がるようだ。
男はクロックが誰かも問わず追い返そうとした。クロックは少しむっとなって言い返す。
「断る」
男の強気に少しも引かない、簡潔な答えだった。それは男の気を捕らえたらしく、彼はのっそりとクロックに顔を向けた。濃い緑の髪の、厳しい顔つきの男だった。眉間に寄せた皺の深さは、クロックの母、ディフィカを思わせた。
「闇の者。死をも覚悟の上とあらばお前の話を聞こう」
つまらない用だったら殺す。そんな物言いだ。しかしクロックは少しも怯まなかった。元より彼には大義名分があったのだ。
「あなたは魔学者クォートですね。頼みがあって参りました」
クロックはそこで口調を改めると、男のことをクォートと呼んだ。男は否定する素振りを見せず、先を促すように一瞥をくれる。
「まず確認なのですが、あなたはここ最近、世界の歪みに力を加えていらっしゃいますね」
「だからどうした。まさかそれを止めに来たと言うのではなかろうな」
クォートは声にすごみを加える。彼はクロックのことをひと目で闇だと見抜いた。闇というのはそれだけで悪だと思われがちだ。クォートにもやはり偏見があるのだろう。
魔学者クォート。彼は若い頃にコールにある大学で、天才の名を欲しいままにした男だ。もしクラムが進化を止めていなければ、世界に名を轟かせていただろう。呪詛の魔法師で、半生はマナが世界に与える影響についての研究に身を捧げてきた。今この辺境地に隠遁している理由は知られていないが、世界の歪みに力を加える、つまり歪みを正そうとしているという事は、今でも類い希なる天才なのだろう。
「滅相もございませんよ。どのような方法で力を加えているのかは分かりませんが、打ち合わせをしに参ったのです。あなたも他にあなたと同じ様な試みをしている力は感じるでしょう?」
「ああ。特に大きいもので七、小さいものも含めれば三、四十はあるだろう」
「さすがです。では話が早い。その中でも最も大きい力が、私の仕える闇の大神官らのものです」
クロックの言葉にクォートは疑念の表情を向けてきた。彼にとっては正義に思えることを闇がしているということは、どういうことなのか。そう思っているのだろう。
「いくら闇でも、この大陸をルーメスの物にしたいとは思っていないということです」
クォートの心を見透かすように、クロックは言う。だがその言葉もクォートはすぐには信じようとしなかった。
クォートはクロックの微かな動きも見逃すまじと、なめるような視線を向けてくる。
クロックにはなんの後ろめたいものもないが、その視線にはあまりいい気がしなかった。少し身を強ばらせ、しかしすぐに諦めのため息を吐いた。闇とはこんなものだ。それにはもう慣れていたはずだ。
彼は決して人とは分かり合えないことを、わずかだったが寂しく感じた。




