③
ルックは自分が夢の信者だとは知らなかった。だが知らなくても夢渡りの魔法は使えた。夢渡りが使えたのだから、他の夢の信者としての力を使ったとしても不思議ではない。
助かるはずのないルーンが助かった理由は、やはり自分以外には考えられない。死に直面していたルーンのそばにいたのは、他でもない自分だったのだ。そしてあのとき自分をルーンの夢に導いたのは、あの鈴の鳴るような声だった。
あの日からルックは誰でもない少女の夢を見ていない。いや、実際にはほんの数日前にルックは彼女の夢を見ていたのだが、それを覚えてはいなかった。
数日前に誰でもない少女は、ルックに警告を発していた。それはまさに、ルーンの現状に対する警告だったのだ。
ルックはあの誰でもない少女のことを、いまだにただの夢だとは思えなかった。ルックが彼女に感じた大切だという想いは、ただの夢と言うにはあまりに確固たるものだった。
けれどルックには、あの少女が何であるのかは最初から分かっていた。彼女はルックの夢なのだ。そのため彼女は、名前もない、誰でもない少女だったのだ。ルックの生んだ夢なので、彼女はルック自身といって差し支えない。だがやはり彼女はルックとは違う、個だった。ルックとは別の意志を持ち、ルックとは違う考えをする。
ルーンの命をつなぎ止めているのは、誰でもない少女なのではないか。そうひらめいた瞬間、ルックの想いはほとんど確信に変わっていた。
そしてそう考えると驚くほど辻褄が合う。
誰でもない少女がこの一年現れなかったのは彼女がルーンといたためだ。ルーンがドーモンの死を知ったのは誰でもない少女がそれを知っていたためだ。彼女はいつだかルックの夢の中でとても辛そうに泣いていた。あれはドーモンが死んでしまった日のことではないだろうか。ルックがルーンから遠く離れようとしたために、誰でもない少女の力が弱まった。そのためルーンはあんな放心状態になったのだ。いや、それは違うかもしれない。それならルックがドアを開けた瞬間から、ルーンは元気になっていたはずだ。それにこの一年もルックは任務でルーンと遠く離れることがあった。もしかしたら、誰でもない少女はルックが遠くに行ってしまうことを悲しく思ったのかもしれない。それが今度のルーンの症状の原因ではないだろうか。
もしそうなら、誰でもない少女も自分を大事に思ってくれているという事だ。自分の夢だというのに、ルックにはそれがとても嬉しかった。
「僕も自分が夢を渡れるとは知らなかったんだ。ただリリアンに会うため森人の森に行ったとき、リージアに会ったんだ。リージアは知ってる? あの光の織り手・リージアだ」
「ああ、俺は何度もあの方とは話をした。……あまりまた話をしたいとは思わないが」
ルーザーが何か苦々しいものを思い出したのだろう。少し吹き出すように言う。
「俺も城ん中で何度か見たな。シュールはあのときシェンダーにいたから見てないだろう。うらやましいか?」
「ルーザーの話を聞く限り、あまりうらやましくはないな。だがリージアはあのときルックをシェンダーから召喚した方だろう。ルックが突然消えたのには驚いたが、彼女がそれほど偉大な魔法師だというのは疑いようがない。その人が言ったんなら、確かにルックは夢を渡る力があるんだろうな。俺にも少し心当たりがある」
シュールは落ち着いた口調でルックの言葉の信憑性を語った。しかしカイルはそれでもまだ信じられなかったようだ。
「俺が見た限りでは、その人はとんでもない婆さんだったぞ。耄碌したんじゃないのか」
「いや、あの方に限ってそれはないだろう。どちらかと言えば、お前の方が早くぼけそうだ」
ルーザーはカイルをからかう。だが彼にもまだ飲み込めないところはあったようだ。
「ともかく、慎重に事を見た方が良さそうだ。ルックがいる間、あの子が元気でいるようだったら、俺もルックの話を信じよう」
ルーザーが言った言葉にルックが答えようとしたとき、台所からサンドイッチを盛った皿を持ち、ルーンが戻ってきた。
量はたっぷりあるようで、ルックはそれを見て急激に空腹を覚えた。
「それじゃあリリアンは四日もここにいたんだね」
食事を終え、ルックはシュールからリリアンの話を聞いた。四日間ということは彼女との距離は一日になっている。もうじき会えるのではないかという期待が膨らんだ。
「それでリリアンはどっちに行くって言ってた?」
「ああ、ルックがまだ森人の森にいるんじゃないかと、南に発っていった」
本当に運の悪いすれ違いだ。もう一日早く着いていれば、苦もなくリリアンと会えただろう。森人の森は広い。見つけだすのはかなり困難だ。
居間にはヘイベイの鍛冶屋から戻ったシャルグと、ルーンもいた。シャルグはいつものように無口で、二人の話にじっと耳を傾けていたが、おしゃべりなルーンはいろいろと話に口を出してきた。
「おかしいな。私リリアンと会った記憶が全然ない。一度見てみたいと思ってたのに、悔しいな」
ルーンは特におかしな様子もなく、元気だった。元気すぎるという事もない。自然な様子だった。
今日ルックはここで一泊するつもりでいた。シャルグは夕方の内に城に戻るということだったが、ルックが戻ったので一緒に晩ご飯を食べて行くことになった。
「ライトに土産話を作っていこう」
シャルグはかすかに笑ってそう言った。
カイルとルーザーはギルドに寄って、そのままどこか外で食事をするつもりだと言っていた。
四人の食卓はとても明るく、ライトへの土産話は充分だった。
「ルーン」
シャルグが城へ戻り、シュールが食器を片しているときに、ルックはルーンに話しかけた。
「どうしたの? そんなまじめな顔しちゃって」
「まじめな話をしようと思ってね。ルーンはもしかして、本当の所を知ってるんじゃない?」
ルックはルーンの言葉に少し笑みを見せたが、またすぐに真剣な顔に戻った。
「やだ、まさかルック、私のことが好きだったの? 当然気付いてたけどね」
だがルックのまじめな顔に、なおもルーンは冗談を言った。
「僕が露ほども知らないことに気付いていたんだね。ねえ、ルーン。まじめな話なんだ。もしそうだとしたら、何で僕を止めなかったのさ」
ルーンはまじめに答える気がないのかとも思ったが、ふつと真剣な顔になった。
「私もそうじゃないかと思ったよ。けど、まさかルックがそんな力を持ってるなんて思わなかったの。当たり前じゃない? 今まで一度もそんな片鱗見せてなかったじゃない。確信もないのにルックの未来を妨害できなかったの」
ルーンはチームで唯一の女の子で、みんなルーンには気をつかっていた。よそよそしい訳ではなく、ある意味特別大事にされていたのだ。その中で、ルーンはルックやライトよりもわがままが言えた。そのためいつもは子供らしく、悪く言えば自分勝手な所もあったが、元々彼女は思いやりのある人だった。自分がチームの誰かの足を引っ張ることになるのは不本意だったのだろう。
「そっか。それなら良かった。僕はまたてっきり、ルーンが死にたがってるのかと思ったよ。けどそれなら話は簡単だね。
ルーン、本当に本当にまじめな話なんだ。茶化さないで聞いてね。僕と一緒に行こう」
「まさか、ルーメス退治なんて危険な旅だよ。ルックがここにとどまってよ。……私もルックの邪魔はしたくないけど、私じゃ付いていっても邪魔になるわけだし」
ルーンの答えの裏には、ただのわがままではないものがあった。彼女はルックの邪魔もしたくなかったが、ルックにそんな危険な旅に出てほしくないのだろう。
「でも、誰かがやらなきゃ、ルーンだってアラレルたちの話を聞いたでしょ? ルーメスは賢いんだ。しかも事態は日に日に悪化してるって。もしもっと多くのルーメスが来て、一団を作られたりしたら、どうなると思う? 一体でも多くのルーメスを討たないと。
それにドゥールの行方も気になるでしょう?」
ルックは優しい声音でなだめるように言った。ルックはルーンの言いたいことは分かっていた。
ルーンも自分の反論が無駄だとは分かっていた。もしルックが危険な旅に出るなら、自分が付いていくべきだとも思っていた。治水の魔法は必ずルックの役に立つはずだ。だがそれでも、どうしてルックでなければいけないのか。そんな思いが彼女にはあった。
ルックではなくても、世界には強い戦士はたくさんいる。あえてルックが危険に身をさらさなくとも、危機的な状況が訪れるとは限らない。世界がそんな予断を許さない事態だとは分かっている。少なくともルーンはそのつもりだった。だが、自分の大事な人がこれ以上失われるのを見たくない。たとえわがままであっても、起こるかもわからない世界の危機より、ルックやライトや自分の周りにいる人が余程重要だった。
ルーンのそんな思いは、決してドーモンやドゥールのために来るものだけではなかった。ルーンの過去には、ルックたちの誰も知らないものがあったのだ。




