④
「!」
主人が言うと、クロックの表情が一気に険しくなった。
クロックはすぐに宿の中に駆け戻る。そのまま表通りに抜けるつもりなのだろう。ルックも当然後を追った。宿の入り口をクロックが力強く開けると、すぐに聞き覚えのある独特な節の声が聞こえてきた。
クロックは一瞬もためらわず、ルーメスに切りかかっていった。わずかに遅れていったルックは、クロックの爪がルーメスの堅い背に弾かれるのを見た。
「クロック! 冷静に、ルーメスの影を掴んで!」
ルックは叫んだが、クロックがなぜ急いで攻め立てたのかすぐに理解した。ルーメスの前には倒れる母親にすがりつく子供がいたのだ。
ルーメスはクロックの存在を危険視したようだ。子供から目を離し、クロックに長い腕で反撃を振るった。
クロックは右手を添えて爪でそれを受けたが、ルーメスの力は桁が違い、尻餅をついた。
「隆地」
畳みかけようとするルーメスの前に大地の壁が立ちはだかる。ルックの魔法が間に合った。ルーメスの拳が大地の壁に埋まる。そしてそのままの体勢でルーメスは固まった。クロックが抑影でルーメスを掴んだのだ。
ルックは全速力で駆け、万が一にもクロックの魔法が振り払われない内にルーメスに接近した。
ルーメスの首をルックの剣が跳ねる。
しかしルックはまだ警戒を緩めなかった。首だけになって宙を舞おうとするルーメスの目が、かっと開かれたのを見たためだ。
ルーメスの紅い視線は爆発を生む。ルックはルーメスの首が向く方に注視した。首となり舞うルーメスが見上げる、屋根よりも高い位置で爆発が起こった。運良くルーメスの首は人のいない空に向けられていたのだ。
何もない虚空に現れた爆発は、強い光と風を生み出し消えていった。
「いや、驚いた。いろいろどこに驚いていいか分からないくらい驚いたよ」
「そう?」
ルーメスの件が片付き、ルックとクロックは安宿の一室に移っていた。大げさな身振り手振りを加え言うクロックに、ルックはにやりと笑んで答える。
「君が口だけの奴じゃなかったこともそうだな。それにルーメスを見てもちっとも怯まなかった。それからかなりの魔法具を持ってるし、何よりも魔法の使い方がうまい」
クロックはしきりに感心したように言い、だがそこで少し言葉を切って、挑発するような目つきでルックを見やった。
「だけどあの勝負は俺の勝ちだね」
確かにルックはあのとき、もう持ち堪えられそうになかった。だがクロックの言い方はルックのプライドに障った。別に気を悪くしたわけではないが、素直に頷きたくはなくなったのだ。
「僕あの剣を振るのは初めてだったしね。あんなものじゃないかな」
ルックが反論するように言い訳をすると、クロックは少し目を見開いた。
「それはほんとの話か? 確かに剣技は少し冴えないようだったが、剣を持ち替えたばかりだったのか?」
「ううん。持ち替えたんじゃないんだ。今知り合いの呪詛の魔法師に剣を預けてるんだ。この剣はその間の代剣」
「そうなのか。じゃあ本来の剣だったらやばかったかもな」
クロックはどうやらルックのプライドを傷つけないように、気をつかい始めたようだ。見え見えの気づかいだったが、先ほど我が身を省みずに子供を助けようとした所からも、彼が決して悪い人ではないのだとルックは知った。
「どうかな。正直僕も驚いたよ。クロックは間違いなく僕が知ってる中でも指折りの戦士だ。それに何より、クロックが僕に声を掛けた理由だね」
「指折り? 俺以上がそうそういるわけないだろ」
クロックは余裕ぶって笑った。
「でも俺の強さは見ただろう? ルーメスを倒そうと一念発起したっておかしくないさ」
自慢げに言ったクロックは、本当に自分を誇示しているようだった。ルックにはそれが逆に滑稽に見えた。
「ううん。そうじゃなくて、クロックが僕と同じ目的でいるのに驚いたんだ。僕もルーメスを討つための旅をしようと思ってたからね。偶然って面白いね」
「嘘だろ? まさかそんな都合のいい話ってあるか?」
ルックは驚くクロックをおかしそうに見た。
「僕の強さは見たでしょ? ルーメスを倒そうと一念発起したっておかしくないんじゃない?」
ルックは揶揄する。クロックは歳の割に大人びてはなく、ルックの言葉に少し口を尖らせた。
「からかわないでくれよ」
ルックは彼と一緒に片腕を討ちに行くのは悪くない気がした。強さも申し分はないし、性格も釣り合いそうだ。
ルックは拳を出し、クロックに向けた。クロックもそれに応えて拳を合わせる。二人はそれで仲間になった。
クロックは今年で二十だという。五つも年下の相手に釣り合いそうだと思われているとは露知らず、嬉しそうに頬を上げて笑った。
真実の青・ルックの仲間がどんな人物だったかは、語られる物語や小説によって大きく異なる。口伝によって紡がれるうち、彼の伝説は事実からは大きく逸脱したものが増えていくのだ。
しかしどの物語でも、ルックの旅の仲間は五人だったと言われている。そしてそれぞれの呼び名も、どの物語や小説でも共通だった。
旅の女戦士、呪われた少女、鉄の舞姫、異端者、導きの陰法師。
クロックは後の世に導きの陰法師として名を残すことになる。その呼び名から多くの物語では、彼は老いた賢人として語られる。しかしその認識は事実とは大きく異なる。
彼の愚かな導きはこれから幾度もルックたちを戸惑わせ、悩ませることになる。どうひいき目に見ても、旅の仲間の中でクロックを賢人と評価するものはいないだろう。
そしてもう一つ、後の世に伝わらなかった事実がある。
導きの陰法師クロック。彼は後世にも知られる闇の大神官ディフィカの息子だ。
この大陸に迫る危機は彼の母の責任なのだ。だから彼はルーメスを討つことを自分の使命と言ったのだろう。
闇の信者は噂されるような、完全な悪というわけでは決してない。アーティスにとってはディフィカは強大な敵であったし、闇の神が滅びをもたらす存在なのも事実だ。だが、闇の教義でもルーメスが人に取って代わるようなことは望まれていない。恐らくクロックは、本当に自分の使命としてルーメスを狩ろうというのだろう。
彼が闇の信者だったことや、彼の母がディフィカで、この世界の歪みの原因だったこと。そして彼が強い使命感を持っていたこと。
伝説というのが無責任で曖昧なものであったからこそ、これらのことは遠い未来には知られていない。




