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幕間 ~シュールの手記~





「シュール、この国を救って頂いたあなたに、またこのような依頼をすることをとても心苦しく思います」


 それは後にアーティス第一次大戦と呼ばれる大戦の一年後のことだった。悲惨な戦争の戦後の処理がひと段落ついた頃で、シュールが十五歳のときだ。


 青年会の集まりが終わった後、シュールは王城のある一室に呼び出された。彼を呼び出したのはこの国の頂点に立つ男だったが、とても低姿勢で深い思いやりの感じられる物言いだった。


「いえ、この国のお役に立てるのなら喜んで」


 シュールは最大限の敬意を払い、丁寧な口調で受け答えた。しかしそれはこの場合の社交辞令でしかなく、嫌な予感を感じて慌てて断りを入れた。


「ですが、俺は戦争に参加する前、終戦後に結婚をする約束をしました。ですから」

「分かっております」


 しかしシュールの言葉は男の落ち着いた声に遮られた。


「ですがこの依頼はあなたにしか頼めないのです」


 柔らかな物言いではあったが、そこに男の強い意志が感じられた。彼は皺の見え始めた顔をじっとこちらに向けてきて、本当にシュールを信頼しているのだとその瞳で語ってきた。彼を尊敬するシュールは、それを心の底から嬉しく感じてしまい、苦笑いした。


「卑怯な言い方です。偉大なあなたに頼られれば、俺に断るすべはないでしょう」


 シュールは内心で大きくため息をついた。


 俺がこう答えることも、最初から計算されていたのだろうな。


 この部屋に入ってからまだそれほど多く語ってはいないが、男の言葉遣いや間の取り方、表情や声のトーン、目線まで、全てが計算され尽くされているのだろう。

 無計画でこの部屋に来たシュールには、とても太刀打ちできるはずがなかった。

 シュールがこの時点であきらめることすら、男は分かっていたかもしれない。しかしそれでも、男の持つ深い情愛の念だけは疑いたくなかった。


「この依頼の期間は、最長で九年になります」


 しかし男が最初に告げた言葉で、シュールは男にそんな情愛など欠片もないのではとつい疑ってしまった。


「九年後には彼女も俺も二十四です。まさかそれまで彼女を待たせろと言うのですか?」


 シュールの反論に、男は黙って頷いた。


「そうして頂きたいと思っております」


 一切の言い訳をしない男に、シュールは深い事情があるのだと悟った。


「最短ではどのくらいなのですか?」


 一縷の希望を求め、シュールは聞いた。しかし男の回答は望みを打ち砕くものだった。


「最短で、次の戦争が始まるまでです」





 シュールの参加する青年会は、首都アーティーズにいる見識のある若者たちの集いだった。

 戦前から定期的に集まり、国の行く末や他国の動向について語り合っていた集会だ。

 その集会の参加者全てが、カン帝国の暴君サラロガは、再びアーティスに攻め行ってくるだろうと予想していた。


 今回の戦争は奇跡に奇跡を積み重ね、ようやく痛み分けに近い形で敵を退けたのだ。アーティス国は首都を含む中央部と西部の五つの街を焼かれ、国王をはじめ一人を除く全ての王族を失った。満身創痍のアーティスからカン帝国が軍を退いたのは、ただ勇者アラレルの存在を恐れたからでしかない。今度は勇者アラレルへ対策を立て、より万全な体勢でこの国を落とそうとするだろう。

 アーティス国を滅ぼしてしまえば、カン帝国は多額の戦争賠償金を支払う必要がなくなる。それはあまりに必然的だった。

 だから次の戦争でシュールが生き残れる保証はどこにもない。


 俺もそうだが、あいつだって死ぬかもしれないんだ。


 シュールは結婚を約束した女性を思いながらそう考えた。

 しかしあの後に聞いた依頼の詳細は、確かにどうしても他の誰かに任せるわけにはいかないものだった。


「強い戦士か。心当たりはあの二人か?」


 幼なじみのシャルグは、愚痴混じりの長いシュールの話を黙って聞き終え、短くそう言った。


「ああ。さすがに俺たちだけじゃ不安だろ? もう少し年長の仲間もほしいと思ったし、実力的にも彼らなら申し分ないからな」


 シュールはまず何名か信用が置けて実力のあるアレーを選定するように言われた。これにはかなり悩んだが、実力も人間性も頭脳も兼ね揃えた人物など、そうは思い浮かばなかった。

 シュールはその内の一人をこっそりシャルグに決めていた。今さり気なく彼を「俺たち」とひとまとめにしたのに、シャルグはぴくりと片眉を動かしたが、黙って見逃してくれた。


 シュールの受けた長期的な依頼の内容は、信用の置ける実力者数名と、適当な子供一名でチームを作り、そのチームにさる高貴な子供を秘密裏に迎え入れてほしいというものだった。


 アーティスではアレーチームがアレーの子供を戦士に育てるのは珍しいことではない。シュールも十歳から十三歳まではそうしたチームに所属していた。

 シュールを育ててくれた女が、シュールが十歳のときにチームを立ち上げ、そのチームが戦士を教育することを第一目的としたチームだったのだ。そのチームにはシュールの他にアラレルを含む三人の子供がいた。

 国では戦争孤児も増えていたため、青年会でも最近子供の面倒を見始めたというメンバーが複数いた。


「連絡は取れるか? この前のフォルの試験に参加していたんだろう?」


 シャルグはよくフォルの試験監督の仕事を受けている。そこで彼らがフォルの資格を得たと、シュールはついこの間聞かされていた。


「ああ。可能だ」


 彼らはシュールとシャルグを気に入ってくれていた。だからフォルの試験でシャルグと再会したなら、確実に彼らは連絡を取る手段をシャルグに伝えただろうと予想していた。そしてその予想は正しかった。


「そしたら案内を頼む。まずは二人に会って話してみたい」


 シュールは一時間ほどシャルグと会っていたが、このときシャルグが言葉を発したのは二回だけだった。

 それでもシュールは、シャルグが全てを飲み込んだ上で協力を惜しまないでくれるだろうと確信していた。





「シュール、シャーグ、久しぶりだ」

「ほう、シュールも大人の顔付きになったな」


 シャルグに連れられて四の郭の宿屋に行くと、大きな一室にその二人はいた。

 背の高いシャルグすら見上げるほどの巨漢がドーモンで、不敵な笑みを浮かべる狂った目をした優顔がドゥールだ。

 実際の年齢は知らないが、ドーモンは三十代の中頃で、ドゥールは二十代の後半に見える。

 二人は大陸各地を旅していた放蕩者で、先頃このアーティーズに身を落ち着けることにしたらしい。


 シュールはまず、詳しい事情を話さずに二人にチームを組まないかと誘った。


「実はシャルグと二人で今仲間集めをしているところなんだ。二人ともフォルの資格を取ったってことは、この街で仕事をするつもりだったんだろう? 俺たちと一緒にやる気はないかな? 家も用意できるし、自分で言うのはなんだが、俺は一応ギルドからかなり信頼されているからな。仕事には困らなくなるぞ」


 シュールの提案に、元放蕩者の二人はなんの抵抗もせずに承諾をした。


「俺たち、信用まだない。シュールと一緒、きっと助かる」


 ドーモンは舌っ足らずで喋るのが苦手だった。しかしシュールは彼が思慮深い人物だと知っていた。


「ああ、腕は一流のつもりなんだがな。こればっかりは放蕩者の辛いところだ」


 辛いと言いつつ余裕の笑みでドゥールは同意した。

 シュールとシャルグは以前、本気でこの二人と戦ったことがある。そこでドーモンがシャルグに勝ち、シュールがドゥールに勝ったことで引き分けとなった。どちらも接戦の上での辛勝だった。

 ちなみに戦闘は真剣な殺し合いだったはずだが、終わったあとなぜかドゥールが一緒に飲もうと誘ってきて、シュールはこの二人と友誼を結んだ。

 クセの強い二人だったが、決して頭は悪くなかった。シュールはそれほど酒が好きではないが、彼らと交わす酒は楽しいものだった。


 実力も頭脳も申し分ない。あとは彼らが信用の置ける人物かだ。

 シュールは二人に事情を打ち明ける前にまず確認をした。


「一応先に聞いておくが、フォルキスギルドは傭兵としての側面もあるんだ。またこの国が戦争になったら、そのときも二人は俺たちの味方をしてくれるか?」


 これはとても軽々しくは扱えない問題だ。戦争に参加したがる者などいるはずがない。少なくともシュールは戦争というものをそう捉えていた。


「俺、シュールもシャーグも、気に入ってるぞ。二人戦う、なら、俺も戦う」

「ははっ、だそうだ」


 シュールはあっさりと快諾する二人に、逆に不安を覚えた。戦争というものを理解していないのか、それとも戦争を歓迎するような狂人なのか。そのどちらであってもシュールの目的には相応しくないと考えた。

 しかし軽く請け負った二人の目には、確かな覚悟を感じられた。言葉は軽くとも、そこには甘さのひとかけらもなかった。

 シュールは二人から感じる覚悟を前に、前回の戦争へ参加を決めた自分が、どれほど甘い覚悟だったのかと打ちひしがれる思いだった。




 シュールは二人に事情を打ち明けた。シュールはこの国の首相ビースから、戦死した前王陛下の実子、ライトを育てて行く依頼されていたのだ。

 長い拘束期間だけではなく、成人して間もない自分に子供を育てられるのか、そもそも未来の国王にどう接したらいいのか、シュールは様々な不安を感じていた。

 しかしそんなシュールの不安に気付いて気づかってくれたのだろうか、話を聞き終えたドーモンがドンと胸を叩いて笑った。


「俺、ドゥールも、子供好きだ。任せろ」


 ドーモンの言葉に虚を突かれたシュールはきょとんとした顔をした。子供好きかどうかなど、全く考えていなかった。だが言われてみればそれは大事な要素の一つだったのだ。

 馬鹿みたいな顔をしていただろう自分に、ドゥールが大笑いをした。つられたのか、今まで何も喋らないでいたシャルグまで笑みを見せた。


 こうして彼らは一つのチームになった。




 シュールは先の戦争ではアラレルを旗頭にし、アラレル軍の現地での作戦行動全てを組み立てていた、有能な軍師だった。

 軍師と言っても首都にはすでに戦える大人がおらず、子供や若者ばかりの軍で一番ましなだけだったと自分では考えている。今にして思えば相当運が良かっただけで、何度も危うい場面はあった。正直力任せで、拙い作戦ばかりを立てていた。最初の首都奪還の作戦も、もしカンの第二軍が謎の全滅をしていなければどうなっていたか分からない。

 しかし何はともあれ、一度大戦を乗り切った指揮官であるシュールは、有能な大人たちがほとんど戦死した今となっては、国にかかせないほどの存在になっていた。


 だからこそシュールは名声を得るわけにはいかなかった。

 次の戦争でカン帝国への切り札にするため、または暗殺者から狙われないようにするため、シュールの功績は全てアラレルのものとして発表された。

 身代わりにアラレルには毎月のように暗殺者が送り込まれてきたが、勇者は涼しい顔でその全てを撃退していた。

 その決定をしたのは首相ビースだ。功名心のなかったシュールとシャルグには、その決定はありがたいものだった。現に今そのおかげで、子供を比較的安全に育てることができそうなのだ。


 もしかしたらあの人はここまで見越して決定をしたのかもしれないな。


 ふとそう思ったが、よくよく考えてみるとそれはあり得ないことだった。ライトがアレーだと判明したのはつい最近のことなのだ。

 それでもあの優秀な政治家は、この可能性を考慮していたのではないか。真相は分からないが、根拠もなくシュールはそう思った。


 チームの結成が決まったシュールは、フォルキスギルドへ家を借りるための手続きに来ていた。チームの誰も首都アーティーズに家を持ってはいなかったのだ。

 ドゥールとドーモンは定宿を定めてそこで暮らしていた。シュールとシャルグはほとんど使われていない、二の郭にあるアラレルに与えられた個人宅に間借りしていた。間借りというより、アラレルがほとんど王城前の首相館で暮らしていたので、ほぼ勝手に住み着いていたのだ。

 今まではそれで問題ないと思っていたが、子供を迎えるのにそんなその日暮らしは続けられない。

 なのでギルドから、四の郭にある一階建ての一軒家を、九年間の期限で借りることになったのだ。首相ビースの計らいにより、賃料は無料だった。


「ではこれから職員を掃除に向かわせます。最優先でやるように指示が来てますので、明日には住めるようにしておきますよ」


 ギルドで事務をしている男がそう言って、手続きは終わった。

 それからシュールは、自分の荷物をまとめるため二の郭のアラレルの家に向かった。


 フォルキスギルドのある三の郭から二の郭までは四時間ほど歩く。

 首都アーティーズは扇形の街だ。北に四つ、南に一つの城壁に囲まれた都市で、二の郭に入るための城壁には中央に一つしか郭門がないのだ。大きく回り道をするため時間がかかった。


 歩いている間、シュールは昨日ドーモンが言った子供好きというものに思いを巡らせていた。

 考えてみると、自分は年下の人間と話した記憶がほとんどない。弟もいなかったし、十歳まではシャルグとアラレル以外同じ年の知り合いもいなかった。唯一ちゃんと話したことがある年下の子供は、シャルグの弟くらいだろう。それも数回会った程度だった。

 間違いなく自分は子供好きとは言えないだろう。好きかどうか判断することもできない。

 なんと言うことはない。自分は若すぎるのだ。年長者をチームに入れるという考えは、思った以上に理にかなったものだった。


 アラレルの家に着くと、シャルグはすでに彼の少ない荷物を全てまとめ終えていた。そして珍しいことにこの家の家人がいた。


「アラレル。どうしたんだ?」

「どうしたって、一応ここは僕の家なんだけどな」


 間延びした顔の勇者は、戸惑ったようにそう言った。面白くなったシュールはふざけて言った。


「汚い家だがゆっくりしていってくれ」


 アラレルは「それはおかしい」と首をかしげていたが、シュールは気にせず荷造りを開始した。手の空いているシャルグも無言のまま手伝ってくれた。アラレルもどうやら手伝いのために来てくれていたらしい。


 終戦から一年、好き勝手に暮らしたアラレルの家には、思いのほかたくさんの私物があった。埃をかぶった大量の本が大半で、文具の類も多い。堅い毛先で書き心地が良い筆は二百本近くある。何度も墨を含むと、毛先が折れて駄目になるのだ。予備も五十本ほどあったが、ほとんどがもう使わなくなったゴミだった。本を読みながらかじっていた果実の芯も落ちている。それはすでにマナの恩寵を失い干からびていた。冗談のつもりだったが、本当に汚い家だった。


「確かにここが僕の家とは思えなくなってきたよ」


 掃除を兼ねた荷造りをしながら、アラレルがそんな愚痴をこぼした。

 アラレルは間抜けなくらい性格が良くてめったに怒らない。なので昔からしょっちゅう悪ふざけをしてからかっていた。しかし今はどう考えても彼の家を汚した自分が悪者なので、アラレルの発言は無視することにした。

 なんとか荷造りを終え、その夜は近くの店から料理を運ばせ、三人で晩餐をした。


「明日はシビリア教の孤児院に行って、適当な子供を見繕ってくる。今さらだが、アラレルは事情を知っているんだよな?」


 勇者アラレルはところどころで迂闊な一面がある。国への忠誠心は高いが、うっかり秘密を漏らすかもしれない。首相ビースがそう懸念して事情を話していないかもしれないと考えたが、さすがに知っていたようだ。


「うん。向こうは僕を知らないけど、僕はもともとライトのことは知ってたからね。ていうか見繕うなんて言い方良くないんじゃない? その子だって親を亡くした子だろうから、可愛がってあげなきゃ」


 正義感の強いアラレルの指摘はもっともだった。

 ビースがライトの他にもう一人孤児を加入させるように言ったのは、カモフラージュのためだ。ライトが王の血を引く者だと他国に悟られないようにするためだった。しかし考えてみると、その子供は未来の国王の幼なじみになるのだ。ひと角の人物に育てる必要がある。


 やはり俺には子供好きという要素が足りていないようだな。


 アラレルの言葉で、シュールは改めてそう認識した。




 次の日は朝早くにアラレルの家を出て、四の郭にある一人の女性の家に向かった。その女性はシュールの婚約者で、今日は彼女に詳しい事情を話さず、ただ待ってくれるよう言わなければならないのだ。正直気が重かった。

 どのくらい時間がかかるか分からなかったし、その後は孤児院に行かなければならない。そしてそれからすぐにシャルグたちと合流して引っ越し作業だ。今日は時間的な余裕がなかったので、馬車に乗ることにした。アーティーズ四の郭から二の郭を往復する馬車だ。


 道中シュールは昨日見た印象的な夢を思い出していた。今は婚約者とのこれからのやりとりから目を背けたく、他のことを考えたかったのだ。昨日全て荷造りしてしまった本を、一冊残しておけば良かったと後悔した。


 昨日の夢は、今まで見た夢では見たこともないような真っ白な背景の夢だった。夢の中には三人の人間がいた。その内二人の男女はすでに生きていなかった。そして死んだ両親の前で、涙も見せずにぼう然とたたずむ青髪の幼子がいた。

 アラレルに昨日言われたことが内心でかなり響いていたのだろう。突然そんな夢を見た自分にシュールはそう思った。

 両親を失い立ち尽くす子供は、ゆっくりとした動きでシュールを見上げて来た。その目は深い憂いを帯びていて、シュールはどう声をかけていいか分からなかった。

 今考えてみると、優しく頭をなでてやり、慰めてやるべきだったのだろうと思えた。


 いや、まずは名乗って、名前を聞くところからかな。


 そこまで考えたシュールは、たかが夢の話だと思い直して自嘲した。


 四の郭に着き、馬車から降りて東に少し歩くと、立派な三階建ての家が見えてきた。青年会にも参加している優秀な女性アレーを子に持つ、裕福な商人の家だ。

 彼女に説明するのもそうだが、彼女の両親を納得させるのも骨が折れそうだ。

 シュールは意を決してその家の戸を叩いた。




 四時間もかかった。


 婚約者は割とすぐに「お前のことだからそうしなきゃなんないんだろ」と折れてくれた。黒く強気な瞳は愛おしく、彼女を待たせることに深い失望を感じた。

 それから彼女の両親を説得するのに時間がかかった。

 青年会に参加する子を持つ両親だ。この国が再び戦争になることは分かっていただろう。だからこそ平和なこのいっときの内に、婚礼の祝福を娘に贈りたかったのだろう。

 両親のそんな思いを踏みにじる自分が情けなく思え、家を出たときにはささくれ立った気持ちをしていた。

 そんなシュールに、家の前まで見送りに来た婚約者が言った。


「今回は誓いの言葉はいらないよ。二度も聞いたんじゃ飽きちゃうからね。ま、どうせビースのおっさんに何かそそのかされたんだろ? ちゃんと待っててやる。今度は私が誓うよ」


 彼女の言葉はシュールの心に刺さった。シュールは彼女に笑みを返して、自分に「仕方のないことだ」と言い聞かせ、荒れる心を無理やり押さえ込んだ。


 しかし、それから孤児院に着いたシュールは、そこにいた一人の少年を見て、なんとか落ち着かせたはずの心臓をドクリと跳ねさせた。

 昨日の夢で見た印象そのものの少年がそこにいたのだ。夢で見たときは三歳か四歳くらいに見えたが、今は六歳ほどだろうか。混じり気のない青一色の髪で、歳の割に落ち着いた雰囲気の子供だった。


「俺はシュール。お前はなんて名前だ?」


 とっさに夢の中では言えなかった言葉をかけると、少年はシュールに目を合わせ、笑顔を見せて「ルック」と名乗った。




 ルックを迎え入れる事を決めるのに、シュールはほんの一瞬も迷わなかった。


 六歳で生まれ年もライトと同じだ。孤児院の修道士に話を聞くと、戦闘教育にはあまり積極的ではないとのことだった。しかしライトの隠れ蓑にするために引き取るのだ。特に問題はなかった。


 ルックを引き取ると、シュールはルックを連れてすぐに三の郭の郭門に向かった。そこには三台の借り物の荷車に引っ越しの荷物を乗せた仲間三人が待っていた。

 それから五人で新しく借りた家に向かい、荷ほどきをした。ルックも黙々と手伝いをしてくれた。頭の良い子供のようだったが、知らない大人たちに囲まれて緊張しているのだろう。

 考えてみれば、このチームの自分以外の大人は子供心には怖く見えるのかもしれない。


 一人は影のような黒服の長身で、表情は厳しく無口だ。

 一人は狂ったような目をした筋肉の塊だ。

 そして最後の一人はその二人が小さく見えるほどの大男だ。


 まあ、こればかりは慣れてもらうしかないな。


 シュールはそう考えてちらりとルックの様子を見た。

 戦闘に興味がないということだったが、本が好きなのか、少年はシュールの本を見て一瞬顔を輝かせた。しかしまだ遠慮をしているのだろう。その表情をすぐに引っ込めた。

 暖炉の火の番を頼むと、本を一冊荷物から抜き取り、黙って読みふけっていた。子供が読むには難しすぎる本だと思ったが、夢中になっているようだった。


「あの子、頭いい。文字読める」


 ドーモンがそんなことを言ってきた。本を読んでいるのだから当然だったが、シュールは言われて初めてそれに気付いた。確かにルックはまだ子供が文字を覚え始めるくらいの年齢だ。本当に賢い子なのだろう。


 手の掛からない子供だったのだと思ってシュールは内心安心したが、それはすぐにそうでもないと分かった。

 ルックが家に来て三日目の夜、ルックにあてがった部屋から必死な叫び声が聞こえてきたのだ。

 慌ててルックの部屋に行くと、ベッドから跳ね起きたルックが息を切らして辺りを見回していた。


「怖い夢を見たのか?」


 シュールは恐る恐るそう問いかけた。難しい心の傷を持つだろう少年に、どう声をかけていいか分からなかったのだ。


「ごめん、起こしちゃった」


 シュールの問いかけにルックはすぐに正気を取り戻し、健気に謝罪をしてきた。


「いや、まだ寝ていなかったよ。寝られそうか?」


 シュールの不慣れな問いにルックはうなずくと、布団をかぶって目を閉じた。

 シュールがしばらく様子を見ていると、ルックは寝息を立て始めた。

 しかしすぐにまた表情が険しくなり、辛い夢を見ているのだろうと知れた。

 シュールは慌ててルックのベッドの隣に寄って、眠る少年の頭に手を置いた。


「大丈夫だ」


 なんとも無責任な慰めだと思ったが、何度も何度もそう声をかけた。




 夜にうなされることがあるのは心配だったが、それよりもシュールは、ルックが一切泣かないことが不思議だった。幼い彼が辛い夢を見たのだから、もっと泣いてもいいと思ったのだが、まだ遠慮が抜けきらないのだろう。彼は一度も弱音を吐かなかった。


 翌日、シャルグ、ドゥール、ドーモンが仕事に出かけ、シュールは家でルックと二人になった。

 ルックは大人しく手のかからない子で、シュールの部屋で本を読み始めた。

 シュールは少しなら大丈夫だろうと思い、ルックに家を空けることを伝えた。


 昨日、孤児院からルックの荷物が届いた。少年は私物はないと言っていたが、本人にまだ持たせられないからと孤児院が預かっていたものがあったのだ。

 それは父親の形見だという大剣だった。ひと目見たときは宝剣の類かと思ったが、それにしては刀身があまりに実用的だった。シュールはその剣を検分に出すため鍛冶屋に持って行くことにした。

 行きつけの鍛冶屋は剣などの武器の製造だけではなく、武具の修繕や、日用品の金物を扱っている。そして伝手があるらしく、魔法剣の検分も受け付けていた。

 そこはヘイベイという厳めしい顔をした愛想の悪い鍛冶職人のいる鍛冶屋だ。いまだに直接名前を呼ばれたこともないが、仕事は丁寧で重宝していた。


「剣としては不格好で、出来はそこそこだな。魔法剣としての性能は数日待て。もしかしたら古の魔剣かもしれん」


 ヘイベイは無愛想にルックの大剣と銀貨一枚を受け取った。


 家に戻ると、ルックは物理学に関する比較的新しい本を読んでいた。

 シュールの部屋にある本は大抵古びた本で、それが一番手に取りやすかったのだろう。


「驚いたな。そんな難しい本を読んでいるのか?」


 シュールは疑問の声をかけた。ルックはまずいことをしたと思ったのか、慌てて本を閉じてシュールを見上げた。シュールは自分の失敗を悟って、意識して優しい目を作った。それはなんとか成功したようで、ルックは落ち着いて答えた。


「うん、あまり意味は分からないけど」


 ルックの回答に、それはそうだろうと思った。しかしこれはルックとの距離を縮めるいい機会だと思って質問を重ねた。


「分からない言葉はあったか?」


 ルックは恥ずかしそうに、シュールの問いに黙って本を開いて、文字を指さすことで応じた。


「ああ、それは慣性という言葉だ。ルックは走っているときにすぐには止まれないだろう? その勢いのことだ」

「そっか」


 ルックはそれから十ページほど戻ったところのもう一つの言葉を指さした。


「はは、それはたぶん到達だろう。誰かがこの本を原書から移すときに、綴りを間違えたんだ。他には分からないところはないか?」


 シュールはさらに話を膨らませたくて質問をしたのだが、再びの質問にルックはゆっくり首を振った。


「後は大体分かった」


 ルックの言葉はシュールを驚かせた。その本は市場で特に何の気なしに買った物で、確かにシュールの読んでいた本の中では簡単だった。しかし六歳の子供が一つしか分からない言葉がないとは思えない。

 シュールはルックの興味がそがれてしまったのかと思い落胆した。


「回転している物に働く遠心力っていうのも、慣性と関係あるの?」


 しかしシュールはそこで、ルックが他の子供よりも数年は頭のいい子だったのだと知った。





「明日、ギルド長の元へ行く」


 ルックが家に来てからさらに数日がたち、シャルグがそう告げた。ライトを迎え入れる準備が整ったのだ。


 ライトは目を見張るような美形の少年だった。柔らかな金の髪がよく似合う気品のある顔立ちだった。

 王族だと知っていたからそう思ったのではなく、事情を知らないルックもライトをひと目見て絶句していた。

 心配していた未来の王への態度も、誰に対しても態度を変えないシャルグを見て、何も考えず普通に接することに決めた。

 しかしその普通にシュールは何度も頭を悩ませた。


「マナは体の中と、空気の中にあるんだ」


 子供に話をするのは難しく、マナを使った体術について教えようと思ったが、分かりやすく説明するにはどうしたらいいのかが分からなかった。


「俺たちアレーは感じたマナを操ることができる。それが体術や魔法だ。

 体術はそうだな、筋肉と一緒かな。体の中のマナを使うんだが、なれてしまえば自在に使いこなせる。

 まず体内のマナを感じてみろ。空気中のマナを感じるよりは簡単なはずだ」


 なるべく簡単な言葉で簡潔に言えたつもりだったが、ライトがこくりこくりとし始めて、ルックの肩に寄りかかって眠ってしまった。

 どうしたら良かったのか、シュールには答えの手がかりすら見えない難題に思えた。


 ルックも難しい言葉はすんなり理解してくれたが、別の意味でシュールを困惑させた。

 ルックが強い戦士とは何かを聞いてきたのだ。

 ルックの質問は大人でもすぐに答えられないほど難解なものだったのだ。

 ルックは強さに関心がないのかと思っていて油断をしていた。辛い夢にも泣かないルックには「泣かない子」だとか簡単なごまかしをするわけにもいかず、ドゥールと二人でまとまりのない話をするだけになってしまった。


 それからさらに半年が過ぎ、遠出の仕事に出ていたドーモンが少女を連れて戻った。


「ルーン、拾った」


 拾うなよと言いかけたが、二人も三人も変わらないだろうと思い直した。

 ルーンは魔法に強い興味を持ったようだった。マナ学や魔法学というのもまだまだ分かっていないことの多い学問なので、それを分かりやすく説明するのには頭を悩ませた。


「魔法は体内じゃなく、空気中にあるマナを集めて使うんだ。ルックは青髪だから大地のマナを感じられる。ルーンは緑色の髪だから呪詛だな。感じたマナを決まった形にしていくと、魔法になるんだ」

「じゅそって?」


 ルーンが大きな目でシュールを見上げて聞いた。子供には大人が当たり前に使う言葉も難しいことがあるのだと知った。


「呪詛は呪いのことだ。物にマナを籠めることができる魔法だ。元々は封印の魔法と言われていたんだけどな、むかーしむかしこの魔法を作った人が、不幸な死に方をしたんだ。だから呪詛の魔法と呼ばれるようになった。

 ルーンも呪詛の魔法が使えるようになっても、絶対人にマナを籠めないって約束だぞ」


 できる限り子供に伝わりやすい口調を選んだが、まるで自分の口から出た言葉ではないような気がして、少し気持ちが悪かった。




 ルックたちが八歳になったころ、遠方の知人から手紙が届いた。剣の稽古をしていた空き地から、彼らの家までちょうど半分ほど歩いたときだ。若い女性の声が彼らのことを呼び止めた。


「すいません。この近くにシュールっていうアレーの人の家があると思うんですけど、どこか知りませんか? 灰色の髪の人だそうですが」


 三人で振り返ると、そこには桃色の髪に緑の帽子をかぶった女性がいた。見覚えのない女性だったが、彼女がどういった人間なのかはすぐに分かった。


「それなら知っているもなにも、俺がそのシュールですよ。何か届け物がありましたか?」


 シュールは愛想よく笑みを浮かべて言った。女性は荷物などを運ぶ仕事を請け負う、旅のアレーだった。肩から斜にかけたカバンは、アーティス西部の街で荷運びの仕事の際に渡されるカバンだったのだ。


「はい。手紙なんですけど、何か身元の分かるものってありますか?」


 荷運びの仕事は旅のアレーに任されることが多い。実入りはそれほどではないが、旅のアレーにとって道中の小遣い稼ぎにちょうどいい仕事なのだ。

 シュールは外套のポケットから銅貨を二枚とギルドの登録証を取り出した。ギルドの登録証は、薄く切られた木の板で、名前が書かれているのと、フォルの資格を持っている証明の印が捺されている。


「へぇ、その年でフォルの資格を持ってるんですね。確かに本人だって確認しました」


 シュールは銅貨二枚を女性に渡し、代わりに樹紙にびっしりと文字の書かれた手紙を受け取った。

 シュールは今年で十八になったので、フォルの資格を持っていても珍しい年ではない。しかし女性にはシュールが年より若く見えたのだろう。


 女性が立ち去ってから、シュールは歩きながら樹紙の手紙を読み始めた。

 その日は曇り空で薄暗かったが、シュールは器用に頭上へ火の魔法を生み出し、明かりを取った。


「誰からのお手紙だったの?」


 ライトがシュールを見上げながら尋ねる。シュールは読み終えた手紙を丁寧に丸めてポケットにしまい、それに答えた。


「ちょっと知り合いからなんどけどな、子供が産まれたらしいんだ。歳がいってからの子供で心配していたんだが、母親も子供も元気だそうだ。ちょっと厳しい人なんどけど、文字が珍しく踊っていたよ」


 ただ知り合いと言ったが、一時期青年会でとても世話になった相手だ。口元には自然と安堵の笑みが浮かんだ。母子ともに健康だというのが嬉しかった。


「そっか。いい報せだったんだね。けど歳を取ってるとお母さんになるのは心配なの?」


 ルックの問いかけに、シュールは出産というものの危険性について詳しく説明することにした。

 シュールも実際に出産に立ち会った経験があるわけではないが、学問としての知識はあった。統計的な観点で、分かりやすく二人に子供を産む大変さを語った。


 家に帰ると、チームのもう一人の子供ルーンが出迎えてくれた。

 ルックとライトが剣の稽古をする間、ルーンは一人で留守番をしていたのだ。


「おかえりー。あ、今日もライトが負けた顔だ」


 ルーンもルックたちと同じ八歳だったが、感心するくらい勘が鋭い。シュールにはライトの表情はいつもと同じに見えたが、ルーンはすぐに試合の勝敗を見抜いた。


 ルーンの髪は緑色で、茶色の瞳が大きな可愛らしい少女だ。剣には興味がなく、シュールとシャルグから魔法と文字の読み書きを教わっている。

 ルックとライトが剣の稽古をしている間は魔法の練習をしていたはずだが、今日はチームの大人が誰もいなかったので、真面目に練習していたかは怪しい。魔法の練習は剣の稽古よりも消耗するもので、ルーンは少し元気すぎるように思えた。


「ルーン、ちゃんと魔法の練習はしていたのか?」


 シュールは質問というよりはもうたしなめるような口調でそう言った。

 ルーンはシュールの問いに、悪びれもせず「今日はお休みなの」などと言い、あっけらかんと笑っていた。

 とは言えシュールもそれ以上はとがめることをしないで、ため息一つでルーンを許した。


 二年前の終戦時、シュールはもう成人になる年を迎えていた。四つだったルックたちよりも戦争の悲惨さを理解している。

 だから強さを身に付けたルックたちが戦争に巻き込まれるのを不安に思っていた。


 四人はそれから夕飯を食べた。長テーブルを四人で囲って、シュールは自分の作った美味しくない料理に辟易していた。


「シュールのお手紙ってどんなどんな?」


 食事が終わる頃、ルーンが内緒話をするように声をひそめてそう尋ねてきた。めったに見ない手紙というものに興味を持ったのだろう。この内緒話をするような声は、最近ルーンが気に入っている話し方だ。

 アーティスは識字率の高い国だが、手紙をしたためる樹紙や皮紙というのはそれなりに値が張るものだ。このチームの稼ぎなら金に困るようなことはなかったが、わざわざ贅沢をする習慣もない。


 ルーンだけでなく、ルックも興味を持ったのだろう。

 手紙の返事を書こうと自室に戻ると、しばらくしてルックが入ってきた。


「シュール、邪魔じゃない?」


 シュールはドゥールとの共同の部屋に、一つ机を置いている。窓の下に置かれたその机についていたシュールは、ルックの声に振り向いた。


「あぁ。ルックなら邪魔じゃないな」


 少し冗談めかして、賑やかな緑色の髪の少女を思い浮かべてそう言った。

 シュールはもう一つのいすをとなりに置くと、そこにルックを手招いた。

 となりに座ったルックの頭に、シュールは優しく手を置いた。

 最近では遠慮の取れたルックは、こうして頭に手を置くと自然に甘えてくるようになった。鮮やかな青髪がぴたりと肩に寄りかかってくる。


 シュールにとっては、ルックは一番気がかりな子供だった。

 ライトとルーンは年相応の無垢な子供で、愛情に対しては素直に愛情を返してくれる。

 しかしルックは他の二人よりも少し大人びた少年で、シュールや他の大人たちからの愛情を、いつも遠慮がちに受け止めていた。


 どうしてだろうかとは、彼を引き取ってから、毎日のように考えていた。

 ライトやルーンは親の記憶がほとんどないのに対して、ルックは自分の親が敵国に殺されたことを覚えている。そのことが関係しているのだろうか。

 純粋に自分たちに気を許していないのかとも考えたが、たまにこの子もこうして甘えてきてくれる。

 肩に寄りかかってきたルックは、無表情のままシュールの書く手紙を見ていた。


「シュールの字って読みづらい」


 シュールはルックにそう言われ、ルックの子供らしい字を思い出して苦笑した。キーン文字というこの大陸の文字は、字体を崩したり、装飾を付けたり、大人になればなるほど遊びが加わるもので、自分も子供のときは大人の字を見てそう思ったことがよみがえった。


「そうか? ルックも大人になったら、こういう字を書きたくなるさ」


 シュールはそう答えてから、ルックの頭を軽く叩いた。

 それから手紙を書くのに集中しだし、気付くと結構な時間が過ぎていた。これはシュールの悪いくせで、何かに夢中になると時間というものを忘れてしまうのだ。

 シュールは筆を置いて、墨の入ったボトルにふたをした。いつの間にかルックが寝てしまっていたので、起こさないように慎重に片付けを済ませた。

 久しぶりに、また辛い夢を見ているのだろう。ルックの顔は険しく歪められている。


 シュールはルックの肩を優しく抱いて、頭を撫でながら「大丈夫だ」と何度も繰り返した。我ながらなんとも根拠のない慰めだとは思うが、こうするとルックの表情は少し和らぐ。


 考えてみれば、ルックの前で手紙の送り主が母親になった話をしてしまったのだ。それでルックは自分の両親のことを思い出してしまったのかもしれない。

 シュールは難しい心の傷を持つ少年を抱きしめ、何度も何度も同じ言葉を繰り返した。




 子供を育てるというのはとても難しいことだった。毎日何かしらに後悔し、困惑をしていた。

 ルーンはわがままでよく熱を出したし、ライトは泣き虫で一度泣き出すとずっとぐずぐずと泣いていた。そしてルックの心の傷に、自分は何をして上げられるのか、どれほど考えても頭を痛ませるだけだった。


 しかしほんの些細なことに、生涯忘れられなくなるほど感動することもあった。


 ルックはよく他の子供二人に寝物語を語っていた。その物語はシュールが敬愛する著者の小説で、居間で依頼表を見ていたシュールは子供部屋から聞こえてくる声に耳を傾けていた。

 賢い子ではあったが、まだ八歳のルックに物語全てを理解することはできていなかった。所々忘れて飛んでしまっていたり、あとで気付いて無理やり辻褄を合わせたりしていた。そして騎士たちの使う難しい言葉は、子供らしい表現へと変わっていた。

 しかしそれが同じ歳の子供たちにはちょうど良かったのだろう。ライトもルーンもルックの話を楽しみにしているようだった。


「それで騎士グリッドは、助けた子供に言ったんだ。えっと、『俺が来たことを知ったら、悪い敵は逃げ出すはずだ』って。騎士は将軍を捕まえる使命だったから、子供は『それじゃあ敵が逃げちゃうよ』って言って心配したんだ。だけど騎士は言うんだ。

 『大丈夫だ』って」


 騎士の物語「聖なるミルトの騎士」には、そんな台詞は出てこない。少なくとも騎士グリッドはそんな言葉を使わない。

 しかしシュールはルックがなぜその台詞を使ったのかを理解した。


 それはほんのささやかな出来事だった。しかしシュールはこの出来事で、自分がルックたちと家族になったのだと強く感じた。




 強さに興味を持って熱心に学ぼうとするルックだが、アレーとしての才能はそれほど高くなかった。大人になっても、せいぜい中の上といった強さに落ち着くだろう。アラレルはもちろん、このチームの大人たちにも遠く及ばず、腕利きや実力者と呼ばれることはないだろう。

 ライトも剣技の才能は高かったが、魔法を使えないことを考えると最上位のアレーにはならないと思われた。

 戦士になろうとは全く考えてもいなさそうなルーンは言うまでもない。

 しかしシュールはそれで良いと思っていた。今でもたびたびアラレルは刺客に命を狙われている。強いということは、それだけ危険が身近になることでもあるのだ。それなりくらいがちょうどいい。そう思っていた。


 だからルックが史上三番目の若さでフォルに合格したのには驚いた。

 そしてフォルになったからには、ある程度危険な仕事もさせなければ不自然だと気付いた。どこからライトが王の血筋だと感づかれるか分からない。最近では元々の目的を忘れかけていたが、事は重大だ。最大限用心をしなければならない。

 シュールは慎重に依頼を選りすぐり、不自然ではないようにルックに仕事をさせつつ、危険から遠ざけようと腐心した。


 しかし安全だと思っていた依頼で、シュールとルックは盗賊のアレー四人と戦うことになってしまった。

 ルックが子供と侮られることは計算に入れていたが、盗賊が自分のことまでただの若造と決め付けてきたのは誤算だった。

 シュールは万が一にもルックに危害が及ばないよう、少しの手加減もせず彼らを殺すことに決めた。

 普段ならこのくらいの相手は命まで取ろうとは思わない。戦時には盗賊ですらこの国の貴重な戦力なのだ。しかし今はわずかな隙も作りたくなかった。子供の前で残酷な行いをすることにためらいはあったが、仕方がないと割り切ることにした。


 しかし想定外は重なった。いつも冷静だと思っていたルックが突然怒り、盗賊の女を斬り殺したのだ。


 ルックは自分の行いに深く落ち込んでいるようだった。

 自分も大戦のときに初めて人を殺した日は、なんともやりきれない気持ちだった。

 今日この日、ルックは本当に戦士の道に足を踏み入れたのだ。


 シュールはこの日のことを深く反省した。


 ルックはまだあの戦争以来、人の死にすら立ち会ったことがなかった。それを突然、敵の命を奪うという形で目の当たりにしたのだ。

 それは自分の甘さが引き起こしたことだと思った。


(あの人も俺たちを戦争に向かわせたくないと言っていたが、今になってようやくその気持ちが分かるな)


 シュールはかつて戦争に参加することを決めた十三の日、ビースが自分たちに向けていた思いを知った。

 わずかでも戦力がほしいはずの戦況で、首相ビースはアラレルや自分の戦争への投入を躊躇したのだ。

 あのときのビースの甘さは、結果として前王や多くの国民の命を奪った。だからビースの気持ちが分かった今でも、彼の迷いは誤りだったと思う。


 つまりそれは、今ルックを慰めたくて仕方ない自分が、彼と同じく間違えているのだろうということだ。

 ルックは自らこの問題に立ち向かい、答を導いて行かなければならない。


 そんな気がした。


 このときの経験から、シュールは自分の名前が売れていないことに問題があると気が付いた。

 戦士として死と付き合っていくことは避けられない。それは仕方ないと思っている。しかし名前が売れていれば、より子供たちを守れるのだと気が付いたのだ。ライトはもちろん、ルーンも治水というとんでもない魔法の開発をした。子供たちは分かっていないようだったが、その魔法はアラレル以上に次の戦争で役に立つと思われるものだった。もしこの魔法の存在が他国に知られれば、ルーンの身にも暗殺の手が伸びるかもしれない。


 功名心など欠片も理解できないと思っていたが、子供たちを守るため、自分の名前を世に知らしめたいとシュールは望んだ。


 そのためシュールは、その一年と十二月後に開催される、ティナのトーナメントに参加することにした。

 トーナメントでは当たりがよく、決勝までシャルグやアラレルのような苦手な戦闘スタイルとは戦わずにすみ、準優勝という望外の結果を得た。


 しかしそのシュールの努力もむなしく、ルックがこのチームに加入してから、最大の事件が起こってしまった。

 以前からルックと親しくしてくれていたジェイヴァーという商売人が、奇形の熊に殺されたのだ。

 そして目の前でジェイヴァーを殺されたルックは、ドゥールやドーモンですら、さらに後で確認をしたところ、あの勇者アラレルですらも見えない速度で、奇形の熊を切り刻んだというのだ。


 ルードゥーリ化。それはこの広い大陸でもごくまれな現象だ。もちろんこの目で見たことはない。しかし存在することは確実で、数々の書物がその現象についてを語っていた。それらの書物は全て、その現象は強い感情が引き金になると指摘していた。状況から見て、ルックのルードゥーリ化の引き金になったのは、大事な人の死に対する感情なのだろう。怒りなのか、悲しみなのか、それとも名前も付いていない感情なのか。


 あぁそうか。そうだとしたら、俺がルックを引き取ったのは運命だったのかもしれないな。


 ドゥールからの報告を受けたとき、シュールは第一にそんなことを考えた。

 九年前の戦争でシュールたちは敵の第一軍を奇襲した。それは敗色が濃厚だったアーティスが上げた、反撃の狼煙だったと言われている。

 しかし奇襲を仕掛けたとき、第一軍はもともとどこか浮き足立った様子だった。後になって、こちらの撹乱を計り三の郭を火の海にしたカン第二軍が、謎の全滅をしていたのを知った。


 カン第一軍は第二軍の全滅を知り、動揺していたのではないか。


 そしてもしあのとき第二軍が健在だったら、第一軍の全滅を教訓に対策を立て、彼らはシュールたちの前に立ちはだかっただろう。十数名まで数を減らしていた第二軍だが、もともとそれは少数精鋭の三部隊からなる軍だった。一人ひとりの兵士が、最上級の戦士だったらしいのだ。

 反撃の狼煙は野火とはならずに潰えていたかもしれない。


 そんな物思いにふけっていたシュールは、ふとなぜか怯えた様子でシュールを見ているルックに気付いた。

 シュールはすぐに、ルックが何に怯えているのかに気が付いた。


 馬鹿な子だ。


 いつもルックに感じているのとは真逆の言葉を頭に浮かべ、シュールはルックの頭に手を置いた。

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