③
シーシャは最後のとき、ドゥールと行動を共にはしていなかったらしい。シーシャと共にいたのは、ヒリビリアとアラレル、それと治水を覚えた呪詛の魔法師の女性だったという。
彼女たちは片腕を追い、各地に出没するルーメスを倒して回っていた。特にアラレルとドゥールは一人でルーメスを相手にするほどで、旅にはそれほど危険がないように思えた。呪詛の魔法師二人が手持ちぶさたになるほどだったらしい。
だが片腕の情報は入って来るも、なかなかそれに追いつくことは出来なかった。片腕は神出鬼没で、ルーメスの情報は片腕のものに限らず、今この大陸では散乱していたためだ。
彼女たちが片腕に追い付いたのは、今からひと月ほど前の事だった。彼女らはヨーテスの山脈を渡っていた。アーティーズから片腕の情報を追って北上していき、もうじきオラーク国に入ろうかとしていた。
片腕は山間の村に住み着いていた。木々の茂る山に、苦労して開拓した村だったのだろう。だが、村人は誰一人生き残っていなかった。十数戸の家が並んでいたが、そのうち一つの家の前に、無惨な死体の山が積まれていた。人や家畜、森の生き物たちの死体だ。片腕が食料として集めておいたのだろう。
彼女らはここに到るまで、数十体のルーメスを葬っていた。そして、ルーメスの共通する弱点に気が付いていた。硬い皮膚を持ち、並の剣では傷一つ付かないルーメスだったが、喉だけは比較的もろいのだ。それは今までのどの個体でも一緒だった。それを知っていれば、ルーメス以上のスピードで動くアラレルや、ルーメスの攻撃をものともしないドゥールには、それほど恐れるべき相手ではなかった。
しかし、片腕は違った。恐ろしいことに、片腕は子爵クラスである自分の一つ下の位、男爵クラスのルーメスを三体、仲間にしていたのだ。ヒリビリアとシーシャは確かに強かったが、男爵クラスのルーメス相手では援護に回るのがやっとだった。村の外から彼女たちはルーメスの数を知ると、絶望的な気分になった。二体までならドゥールとアラレルで何とかなったかもしれない。だが敵は四体。しかも内一つは子爵クラスのルーメスだ。
アラレルはそこで苦肉の策を提案した。ドゥールに囮になってもらい、敵を二分するというものだ。ルーメスの生態は知らないが、恐らく高位のルーメスならば、下位のルーメスを従えているのだろう。うまくいけば男爵クラスのルーメス三体を、ドゥール一人で引きつけられるかもしれない。ドゥールはもちろん自分が子爵クラスと戦いたがったが、どうにか彼の承諾を得ると、ドゥールに呪詛の魔法師一人を付け作戦に出た。
作戦は最初、期待通りに進んでいった。突然茂みから現れ、不敵な笑みを見せ挑発するドゥールに、男爵クラス三体が駆け寄ってきた。
ドゥールはきびすを返し森の中へ逃げ込んだ。男爵クラス三体も後を追う。
シーシャが見たドゥールの最後の姿はそれだった。
ルックはその話を聞いて、それならドゥールの生存にはかなり希望が持てると思った。
一体だけ残った片腕に、アラレルたちは勝負を掛けた。まずはシーシャが熱流銀でルーメスの足下を狙う。完全な奇襲だったため、さしもの片腕も避けられはしなかった。そして次にヒリビリアが放つ光の輝きを背に、アラレルが一足飛びでルーメスに肉薄した。喉を正確に狙ったアラレルの突きは、しかしルーメスの驚異的な反応に防がれた。残った腕が喉を守り、浅く刺さっただけでアラレルの剣を止めた。
足下には煮えたぎる銀があり、アラレルは刺さった剣を押し返すように腕で跳躍し、下がった。そのアラレルを追い片腕が駆ける。溶けた銀に足を取られ、それほどの速度ではなかったが、片腕のパワーを知っていたアラレルは迷わずそれを避けた。そして二本目の剣を抜く。
ルーメスはかわされたと見るや再びアラレルを追う。アラレルはルーメスの強力な突きを剣で左に流し、足を大きく上げ敵の喉を狙った。片腕はそれを避けきれず、いびつなうめき声を上げた。アラレルは畳みかけるように剣を突く。シーシャの放った鉄槍もルーメスの喉を狙って繰り出される。
そこで突然、ルーメスの立つ地面の周りが爆発を起こした。
ルーメスの魔法だ。鉄の槍と、近距離戦を行っていたアラレルはその爆発に吹き飛ばされた。
ヒリビリアの閃光がルーメスの背を向け放たれる。今アラレルを追われたら一溜まりもない。気を逸らそうとしたのだ。しかし知能の高いルーメスはそれを無視してアラレルに詰め寄った。
アラレルはすでに戦えるような状態ではなかった。爆発の衝撃で飛ばされ、民家の塀に背中を強打していた。目の焦点が合っていない。そのアラレルにルーメスはとどめを刺そうと拳を繰り出した。
シーシャの放った鉄壁が、辛うじてその攻撃を防ぐ。その期にヒリビリアがルーメスの元に駆けつける。ヒリビリアは剣の腕も並のアレーを遙かに凌ぐ。だが、子爵クラスのルーメス相手に通用するものではなかった。
振り向きざまに放ったルーメスの回し蹴りが、ヒリビリアの腹を打つ。まるでヒリビリアの体にルーメスの足が食い込んだように見えた。ヒリビリアの息はあった。だが、見なくても分かるほど重傷だ。
その間にアラレルが何とか気力を振り絞り、ルーメスから距離を取った。そしてシーシャに鋭い視線で指示を与えた。後方に控える呪詛の魔法師の元に下がれというのだ。ヒリビリアの傷は誰が見ても一刻を争う深刻なものだ。シーシャは否応なしにその指示に従った。ヒリビリアに肩を貸し、治水を張った近くの水場まで後退した。
呪詛の魔法師にヒリビリアを託すと、すぐにシーシャは廃村に戻った。ヒリビリアのためにも、アラレルを死なせるわけにはいかない。
シーシャが村に戻ったとき、しかしそこにはアラレルの姿も、片腕の姿もなかった。戦闘の場を森に移したのかと思ったが、すぐにそれが違うと分かった。
残してきた呪詛の魔法師の女性が悲鳴を上げたのだ。一体どこですれ違ったのか。片腕はそちらに向かっていたのだ。
女性は旅の途中で身重になっていた。元々強いアレーではなかったが、あの状態ではうまく逃げることも出来なかっただろう。そしてそこには重傷を負ったヒリビリアがいた。絶望的な思いを抱きながら、シーシャは森を駆け戻る。悲鳴は一度聞こえたきり、聞こえてこない。心の中で光の神に強く祈った。
水場にたどり着いたシーシャは、急ごしらえの濠に浸かった血まみれのヒリビリアと、首をあらぬ方に折り曲げ、明らかに絶命している女を見た。ルーメスは自分かドゥールを探しに行ったのだろう。どこにもいない。
シーシャはヒリビリアの元に駆け寄った。治水が張られていたため、ヒリビリアにはまだかすかに息があった。だが治水の効力は、維持する魔法師がいなくなったため、徐々に薄れていく。ヒリビリアの傷を癒しきることはもう無理だろう。
シーシャの胸に芽生えたものは、絶望と言うにはあまりに壮絶すぎた。シーシャがその場でヒステリックにわめき散らさずにいられたのは、ヒリビリアの口がかすかに開かれたためだ。シーシャは必死に自制し、ヒリビリアの口元に耳を寄せる。
「シーシャ。このようなことになって申し訳ないわ。お願い。私を今すぐこの治水から出して。そしてあの子のお腹を裂いて、赤ちゃんを治水に浸けなさい。私は無理でも、まだ子供は助かるかもしれないわ」
ヒリビリアはすでに自分の死を覚悟していた。それがシーシャの死に繋がることも、彼女は後悔していたのだろう。
シーシャは咄嗟にかぶりを振りそうになったが、何とか思い直した。妹の思いを汲んでやりたいと思ったのだ。死んだ女の腹の子は、アラレルの子なのだ。出産の時期は近かった。確かにまだ助かる可能性はある。ヒリビリアに、自分の孫を見せてあげたかった。
シーシャは迅速に行動した。ヒリビリアを治水から上げると、女の腹を裂き、中から真っ赤に塗れた赤子を取り出した。へその緒を切り、祈りを込めて治水の水に赤子を浸けて、体を洗った。血の洗い流された赤子は、とても凛々しい顔をして見えた。けれど髪の毛のないしわくちゃの顔は、水に浸けてもうんともすんとも言わない。
「光よ、どうか」
息も絶えだえにヒリビリアが言った。闇の少女の祈りは届かなかったが、光の少女の祈りは聞き届けられた。
赤子は周りの惨事などつゆ知らず、元気な声で産声を上げた。
シーシャはヒリビリアを見た。ヒリビリアにもその声は届き、死を間近に迎えた顔に笑顔をたたえた。
「シーシャ、その子は私だけじゃなく、アラレルや、あの人の血も継ぐ子よ。どうか無事に、あの人の元まで連れて行ってね」
シーシャはヒリビリアの言葉にすぐには頷けなかった。自分もここでヒリビリアと死んでしまいたい、そんな衝動が強く胸を突いた。
だがそこに、ルーメスの雄叫びが響いてきた。独特な節で長く続くルーメスの声は、その接近をシーシャに報せた。迷っている暇はなかった。シーシャは断腸の思いで立ち上がり、ヒリビリアの最期を見届けることもなくその場を去った。




