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「良く戻ったわね、シーシャ。なんて暗い顔をしているの。せっかく綺麗な顔をしているのが台無しよ」
リージアの口調はとても優しかった。心の底から人を安心させるような、深い慈しみが感じられる声音だ。それほどリージアはシーシャの心持ちを心配していたのだろう。シーシャはそんなリージアの声を聞くと、はばからず、年甲斐もなく、しぼるような声で大泣きを始めた。
リージアはまるで子供をあやすように、何度も何度もシーシャの頭をなでた。だがシーシャの悲しみは終わらず、次第に声が嗄れていく。
シーシャの胸中はルックにも察することが出来た。シーシャの喪失感はとても筆舌には尽くしがたいだろう。
シーシャは闇の少女だ。闇の少女は近くに光の少女がいなければ、大きな災いを呼ぶ存在になる。闇の少女は常に光の少女のそばにいなければならない。もしそれが不可能になれば、闇の少女はすぐに処刑される。
それはルックがリリアンから聞いた、森人の森の厳格な規律だ。つまり今、シーシャのそばに光の少女ヒリビリアがいないという事は、ヒリビリアの身に何かがあったという事だ。
ずっとそばにいた。さらにシーシャとヒリビリアの場合、二人は血を分けた双子だったという。シーシャの涙は、処刑されるべき身を嘆いてのものではないのだろう。
シーシャとヒリビリアは、アラレルたちと共に片腕の討伐に向かっていたはずだ。ヒリビリアがおそらくは死に、シーシャだけが戻ったという事は、アラレルたち他の一行はどうなったのだろうか。その中には、ドゥールもいるのだ。
「リージア、教えてください。シーシャを助け得る術はないのでしょうか?」
剣を突きつけていたアレーの一人、緑色の髪の男性が言った。その発言からも、彼の表情からも、シーシャを処刑したくないという気持ちが強いのが分かる。
しかし森人の民の大半はすでにシーシャの命を諦めているようだった。そうしないわけにはいかないだろう、しきたりだ、一刻も早く、と、周りで見物をしていた森人たちの話し声が聞こえてきた。
ルックは正直彼らの正気を疑った。少しだけだが森人と行動を共にしたルックは、闇の少女がどれほど慕われていたかを知っていた。口数が少なく、決して社交的ではないシーシャだが、仲間思いで、周りの仲間が傷つかないように、常に辺りに気を配っていた。
そんなシーシャを殺すべきか否かなど、ルックにとっては考えるまでもないことだ。だが森人たちは、シーシャに同情する素振りすら見せていない。
ルックはリージアも自分と同じ思いでいることに気が付いた。周りから早く殺すべきと声が聞こえるたび、リージアの目は見るからに冷たくなっていった。
「あなたたちがなんと言おうと、私がシーシャは殺させないわ」
そして、リージアが発した声も、先ほどシーシャに優しく語りかけた声と同じものとは思えないほど冷え冷えしていた。
これにはかなり驚きの声があがった。シーシャですら、泣き声を抑え、意外そうな目でリージアを見た。
「私を誰だと思っているの? 私はただの光の少女じゃないのよ。例え世代の違う闇の少女でも、私がいれば、彼女が起こす災いの種をことごとく摘むことが出来るわ」
リージアの声は自信に満ちあふれていたが、恐らくそれはある程度虚勢だろう。ルックがそう考えたように、周りの森人たちにもなお不安を述べる声は多かった。
「しかしリージア」
その不安を代表するようにして、もう一人のアレーが声を出す。
「あなたはその、もうかなりのお歳だ。申し上げづらいことだが、シーシャの命運も、その」
「ふん、それほど長くないと言いたいのね。まったくなめないでほしいわ。少なくとも私はあなたより長生きをするつもりよ」
百を越える老婆が、三十後半の男に言える発言ではない。しかしそれには、先ほどよりも強い、確信めいた響きがあった。事実を聞かされていたルック以外にも、その発言は説得力を感じさせたのだろう。先ほどよりも無茶がありそうなそれには、誰も反論しようとはしなかった。やはりそれほどリージアという存在は森人にとって大きいのだ。
「シーシャ。あなたの気持ちは痛いほど分かるわ。けれどもう泣きやみなさい。あなたの妹は、ただ無惨に逝ったわけではないのでしょう?」
占うように、リージアは言う。シーシャはまだ涙を流していたが、目に焼き付くヒリビリアの死に様を思い出したのだろうか。強く口元を引き締め、泣くのをやめた。
リージアの意見が通り、皆シーシャのことを認めようとしていた。闇の少女を生かし続ける。ルックは知らないことだったが、それは情に流された森人が何度も犯してきた過ちだった。光の少女の抑制力を失った闇の少女は、決して正常な生を全うできない。ある者は世を恨み、ある者は光を抜けて闇に堕ち、ある者は狂い、ましな者でも自らの命を絶っていった。
リージアがその闇の少女の危険性を知らなかったわけはない。災いの種をことごとく摘むとは、闇の少女が災いを生もうとするのを防ぐということではない。
だがリージアは一時も迷うことなくシーシャを守った。決して無責任ではないリージアのことだ。もしものときは、自らの手でシーシャを処刑するつもりだろう。もし仮にリージアがシーシャの災いを抑え切れたとしても、リージアはシーシャが死ぬまでこの森に拘束される。さすがにリージアが百二十、三十となっていけば、リージアのことを疑い出す者も出てくるだろう。それら全てを覚悟の上で、リージアの瞳は優しくシーシャを見つめるのだった。
リージアとシーシャ、それにヒリビリアが住んでいた家は、今し方通り過ぎた一際大きな家だった。
リージアは集まった森人たちを解散させると、改めてルックのことをその家に招待した。
「全く気付きませんでした。まさか今日、あなたがここを訪ねてきているなんて」
シーシャはルックの存在に気付くと、まだ少し儚げな声ではあったが、薄く笑みを見せ、ルックのことを歓迎してくれた。
「あの、辛いことだとは思うけど、良かったらドゥールたちのことを話してもらえるかな?」
ルックはどう聞いていいか分からないが、どうしてもそのことが気になっていた。不器用な質問のしかたで、そう問いかける。
シーシャは頷くと、ルックのために花茶を用意し、旅の話を語ってくれた。
話を聞くうちに、ルックの心に暗澹とした想いが広がった。




