『家宝の大剣』①
第三章 ~陸の旅人~
『家宝の大剣』
魔法について詳しく語ろう。
この世界の全てにはマナという力が宿っている。マナ使いや奇形の動物などだけではなく、キーネや、草花や、石や、人の作り出した金属や、形のない熱や影や音などにも。
マナにはいくつもの種類があるが、大陸中に恵みを降らす太陽のことも、全ての命が持つ魂のことも、病や魔法、時には運命のことも、人は全てを一緒くたにしてマナと呼ぶ。
そしてあらゆるマナは、何もない空中にも存在する。仮にそれを空気中のマナと呼ぶなら、アレーや奇形の動物やジジドの木などは、空気中のマナに浸食された生物だ。
浸食というのは、マナを語る上では耳慣れない言葉だろう。普通ならば人はそれを恵まれると表現する。
しかし正しくは浸食なのだ。マナ自体に意志はなく、恵みをもたらす存在ではないのだから。
だからアレーというのは、空気中にあるマナに浸食され、それを支配できるようになった人間のことだ。
空気中に特に多いマナは、熱、水、大地、植物、金属、光源、影、心、活力、界の十のマナだ。これは普通の常識とは少し異なる。特に心と活力と界については、まだほとんどの人間は存在すら知らないだろう。そして呪詛や封印と呼ばれるマナは存在しない。
魔法というのは、これら空気中のマナを集め、そのマナで何かの現象を引き起こす技術だ。マナを感じ取り、それを操る知恵を持つ生物が可能にしているものだ。
広く知られているものでは、魔法で引き起こせる現象には三つのパターンがある。
一つは石投や水魔や火蛇のように、何か形を生み出す魔法だ。これはマナを固めて形を作るので、生み出してからしばらくするとマナに帰る。
一つは掘穴や水操や抑影など、それぞれのマナを多く宿す物質や現象を操る魔法だ。これらはマナで物理的に物を操る場合が多く、マナを与えなくなっても形を戻すことはない。
最後の一つは鉄皮や加熱や水鏡など、マナを与えたものの性質を変化させる魔法だ。これは継続的にマナを与えなければ、やはりしばらくすると効力が切れる。与えたマナが自然に空気中に戻って行くのだ。
さて、こうした魔法だが、行使するためにはマナを構成する必要がある。マナを使って現象を引き起こすための絵を描くと言えば、想像が付きやすいだろうか。
絵で例えるなら一筆書きの絵だ。線の長さがマナの量となる。単純な形の絵もあるが、複雑な形の絵もある。それぞれの絵で引き起こされる現象は違う。そしてその絵を正確にイメージして描けなければ、魔法は発動しない。どのような絵がどのような魔法を生み出すのかは、様々な研究者が大昔から究明しようとしているが、それほど多くの成果は上がっていない。
空気中のマナを使う魔法に対し、マナを使った体術というのは体内にあるマナを使う。
これは非常に単純なもので、絵を覚える必要はない。体内にあるマナを体に添わせ、マナで体を動かすだけのことだ。体内にあるマナを操るのに少しコツがいるが、アレーなら知ってさえいれば誰でもできる。これだけでアレーは野生動物並みの腕力や脚力を使えるようになる。
フィーン時代以前は動物や自然の力を借りて日々を営んでいた人間は、この魔法という技術を得たことによって大きく変わった。暮らしは豊かになり、戦争は悲惨さを増した。
昔から魔法は人には過ぎた力だと言うものも多い。
大陸の長い歴史を見てきた私は、魔法とは便利で危ういものだと感じている。
決して使い方を誤らないでほしい。
魔法とは一歩間違えれば、世界を滅ぼしかねないものなのだ。
彼女も自分の魔法が世界を危機に陥れるとは、微塵も考えていなかっただろう。
暗く深い闇をたたえる廃坑。光の射す場所から遠く遠く離れ、アーティーズトンネルよりもなお暗いのではないかと思われるほどの深い闇。そこには闇の中でもなぜか姿を消さない三人の男女がいた。
一人は重たい皺の刻まれた壮年の男だった。黒い髪にさらに黒を塗り立てたような黒髪。その髪よりもなお深い黒を湛えた瞳。闇の中を見えない威圧感が蠢いていると錯覚するほど、非常に重たい雰囲気を持っている。少しも身じろぎせずにたたずむ男には、世を捨て、長い時の果てに世のことを思い出すこともなくなってしまったような、退廃とした気配があった。
一人は短く切られた黒髪に、見る者の魂を吸い尽くすかのような、そんな想像をさせられる深い碧の目を持つ男だ。引き締まった顔つきは浅黒く、顔にはいかなる表情も浮かべていない。と言って虚ろなわけではなく、ただその身に負う闇の深さが伺われるような、そんな顔だった。
そして一人はやはり黒髪で、艶のない髪を太股のあたりまで伸ばしている。女で、三十過ぎに見えるが、その年齢からは想像できない、何度も何度も繰り返し上塗りされた憎悪が滲み出てくるような雰囲気を持っていた。眉間に深い皺を刻み込み、美しいはずの顔におぞましさを漂わせ、その低い背には可愛らしさは微塵もなかった。
闇に包まれた洞窟の中で、三人の姿が浮かび上がって見えるのは、彼らが周りの闇よりなお深い闇をたたえているためだろうか。
「これまでのようですね。ダルクの案を試さざるを得ないでしょう」
最も年かさに見える男が丁寧な口調で言う。丁寧な口調ではあったが、その声にはへりくだるような様子はない。むしろその深い闇を持つ他の二人に対しても、目下の者に語るような威圧感がある。男の言葉に答えるように、鎖をこする音がジャラリと鳴って、ダルクと呼ばれた男が答える。
「問題なのは、誰がやるかということ」
端的で、一切の感情を感じられない声だった。事態の深刻さを危ぶむようでもなく、事実のみを淡々と告げたようだ。それに、しわがれた不服そうな声で女性が応じる。
「ふん、私以外に誰がやるって言うのさ。ダルク、あなたはもう半ば狂っているじゃない。それにクラムにしても、こんな闇の中にいなければ自我を保てないときているわ」
「私についてはその限りではありませんが、確かにここはディフィカがやるべきでしょう。言うまでもなく、このことを招いた張本人はディフィカです」
「ふん、小憎らしい言い方ね。本当に言うまでもないことよ」
クラムの口調は非難をするようだった。ディフィカは憎々しげに呟いて、クラムの言葉を肯定する。
闇に沈んだ洞窟は、まるで彼らの心を表している様だった。三人で向き合っているにも関わらず、彼らは互いに気を許しているようではない。だが自棄を起こしたようなディフィカに、クラムはどこか悲しげな目をした様に見える。
ディフィカはそんなクラムの目を見ずに、ダルクの方に顔を向ける。
「それじゃあダルク。あなたの言う問題は片付いたわ。他には何かあるかい?」
「いや、ないだろう。だが忠告するべきことはある」
「なんだい?」
「私には儀式が終わった後に、お前が正気を保っていられるようには思えない。心残りを片付けるべきだ」
ダルクの忠告はとても冷たかった。表情のない顔と声が、余計に彼の冷たさを強調していた。彼にとっては、世界が滅びようとも、ディフィカの身に何が起ころうとも、どうでもいいというのだろうか。
「ふん」
ディフィカはそれを鼻で笑った。しかし鼻で笑いつつも、瞳は遠くを見つめるように一点で止まり、何か思案しているようだった。彼女の最愛の息子クロックが、ここにはいないのだ。恐らくそれを思っているのではないだろうか。
しかしディフィカは結局何も言わずに、服をはためかせる音を立て、彼ら二人に背を向け消えた。本当に唐突に、闇に呑まれるように見えなくなった。
「私も用意をするため、去ろう」
言うが早いか、ダルクの体も闇へと消えた。残された男は、その場で目を閉じ長い祝詞を唱え始めた。闇に包まれる洞窟に、絡みつくかのように這う声だ。聞く者は皆、不快な想いを覚えるだろう。それは彼らの神、邪神・闇へと捧げられる祝詞だった。




