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「全くよ、あいつは最初っから気に食わなかったんだ。宿に困ってるってんで店先でくたばってたあいつを、一晩泊めてやろうってのが間違いだった。あいつはあいつ自身がみすぼらしい格好だったくせによ、俺の店が汚いだのなんだの文句を付けて来やがったんだ。そんで俺は一晩だけのつもりだったのによ、恩を返すだのなんだかんだ理由を付けて俺の店に居座りやがったのさ」


 焚き火の火を消さないようにしながら、ルックの反応はお構いなしにジェイヴァーは語った。ルックに聞かせるというよりは、ジェイヴァー自身がただ自分の思いを吐き出したかったのだろう。


「まあ、俺もそんときゃ親が死んだばっかでよ、ちょっとだけあいつがいてくれりゃ寂しくないだなんて思っちまったわけよ。前に言ったよな? 人生なんて失敗と大失敗の連続だってよ。あれは間違いなく俺の大失敗だったな」

「それならどうして結婚なんてしたの?」


 ルックは何度か尋ねたことのある質問をまた繰り返した。いつもは笑ってはぐらかされていたが、この日ジェイヴァーは初めて本当のことを答えてくれた。


「んー、まあな、これはそれほどの失敗じゃなかったと思うんだが、子供ができたんだよ。女の子でさ、まあオードスに良く似た子だったのになぜかこれが可愛くてさ。九年前の戦争で死んじまったが、あの子が生きてたときは俺もオードスもそんなに仲が悪かなかったかな」


 ルックはジェイヴァーたちに子供がいたことも、その子供が死んでしまっていたことも、全く知らなかった。

 ルックのように親を亡くした子供がいたように、子供を失った親も珍しくない。戦争があったのだ。考えてみればそれは当然のことだと思えた。


「そっか。辛かったんだね」


 ルックはそんな一言で言い表せることではないと知りつつ、しかし他の言葉が思い付かずそう言った。


「はは、どうだかな。辛かったんだと思うが、オードスを憎く思ってるうちにそんなことは忘れちまったよ。向こうも向こうで、堂々と、あの子が死んだのが俺のせいだ! なんて言いやがってた。何度首を絞めて殺してやろうかと思ったよ」

「それなのにどうして別れなかったの?」


 ルックはこれも何度かしたことのある質問をした。ジェイヴァーは突然ごろんと仰向けに地面に身を投げ、「なんでかなぁ」と言って笑った。そしてそのまま夜空をじっとにらむように見つめ、続けた。


「自分で言うのはなんだがよ、俺はとんでもなく怠けもんでよ、あいつくらいピリピリした嫁がちょうど良かったんじゃねえのかな! はは、冗談じゃねえや!」


 ルックにはジェイヴァーの心境は分からなかった。やはり悲しんでいるのだろうかと思ったが、細かな気持ちは汲み取れなかった。


 次の日、一晩休んでしっかり体力を回復した一団は小山に入った。

 小山とはいえ一匹の熊を探すのには時間がかかると思ったが、ドゥールがすぐに大型動物の痕跡を見つけた。

 五本足の熊はそれからほどなく見つかった。

 そしてその討伐は、誰も予想しなかった形で、とても呆気なく終わることとなる。


 ルックは奇形の動物をこのとき初めて見た。ルックたちが発見したと同時に五本足の熊もこちらに気づき、後ろ足で立ち上がって威嚇をしてきた。


 ブオォウオーッ!


 熊は山の木々が震えそうなほど、獰猛な雄叫びを上げた。その体躯はドーモンよりも大きく、緑の体毛にこびり付く赤黒い血痕がおぞましかった。しかしその様は威風堂々としており、どこか荘厳な雰囲気を持っていた。


 熊の雄叫びにはアラレルすらも一瞬怯んだようだ。

 ルックは腰を抜かしそうになりながら自分の役目を思い出し、ドゥールを見た。ドゥールは狂ったように目を輝かせ、マナを集め始めていた。確実に他のアレーの立ち直りを待たずに戦闘を開始するつもりだ。

 ルックは慌ててマナを集め始めた。剣にマナを溜めておかなかった自分のお粗末さを呪った。

 しかしドゥールが動き始めるより前に、ジェイヴァーが吠えた。


「この糞やろぉがぁっ!」


 そしてジェイヴァーは誰も制止をかける暇もなく、一足飛びに巨大な魔獣に飛び込んだ。

 手にした棍棒が熊の胸を叩いた。しかし熊の胸筋は分厚く頑丈で、棍棒の激しい一撃に全く動じなかった。そして二本の左腕でジェイヴァーの頭を殴り飛ばした。


 マナで速さと力強さを強化するアレーだが、体の作りは普通の人と変わらない。巨大な熊の一撃にただの人間が耐えられるはずはなかった。あらぬ方向に首を曲げられて、生きていられるはずもないのだ。

 その一瞬でジェイヴァーが死んだことは、誰の目にも明らかだった。


 このときのルックの感情はとても言葉では言い知れない。怒りでもあり、絶望でもあり、悲しみでもあり、喪失感でもあったが、そのどれとも違う感情だった。


 昨晩ジェイヴァーの心境が分からなかったルックだが、このときようやく彼の気持ちを理解した。

 決して平坦ではない人生を歩んできたジェイヴァーは、オードスの死に落ち込んでいたのではない。ただただ耐えようのない怒りを感じていたのだ。戦争や奇形の理不尽に、身を焦がすほどに激怒し、それを理性で押し込めていたのだ。

 そして彼は雄々しく叫ぶ五本足を見た途端、たがが外れた。理性では抑え切れないほどの激昂が溢れ出したのだ。


「お、おい、どうなってんだよ」


 討伐隊のアレーの一人が言った。本当に一瞬のことだった。

 ジェイヴァーの死を全員が認識した瞬間、五本足の熊の腕が弾け飛び、頑丈な胸を大剣が貫き、頭が大岩に潰されていた。

 そして騒音を立て倒れる熊の横に、目に見えそうなほどの黒く重たい気配を纏い、無表情でたたずむルックがいた。




 ルックは自分が起こした現象についてしっかりと理解していた。そして自分もまた普通ではなかったのだと、虚しさの支配する胸中で思った。

 それからルックは、周りの大人たちがルックに恐怖していることに気付いた。皆言葉を失っているようだったが、気味悪げな目線を感じた。

 ルックの身に纏う気配や、人の引き起こした現象とは思えない熊の死に方を見たのだ。大人たちの反応は当然に思えた。


 そんな中、チームの仲間のドゥールとドーモンだけはいち早く行動を再開した。


 ドゥールは殺されたジェイヴァーに駆け寄ると、万が一にでも助かりはしないかと声をかけた。しかしジェイヴァーの死は明らかで、優しい手つきで目を閉じてやり、首の角度を元に戻した。


 ドーモンは迷わずにルックのもとに歩み寄ると、大きな体を沈み込ませるようにしゃがみ、後ろからルックのことを優しく抱きしめた。

 ドーモンがルックのやり切れない思いに気付いてくれたのだと分かった。


 ルックはドーモンの腕の中で身をよじり、体の向きを変え、とても抱えきれない巨漢に抱きついた。

 その仕草は当たり前の少年のもので、それを見た周りの大人たちもルックに恐怖することを控えた。





「正直驚いたぞ。一瞬のことだった。俺たちですら何が起こったのかさっぱり分からなかった」


 家に帰ると、筋骨たくましいドゥールがリーダーのシュールに事の次第を報告した。


「そうか、それならもしかすると、あの戦争のとき、カンの第二軍を全滅させたのは……」


 ルックはシュールがどう反応するのか恐れていた。しかしシュールはルックの引き起こした現象には悪感情を持たなかったようだった。ただ別のことに気付いたようで、そんなことを言った。


「そっちのことは知らんが、まさかこの子がルードゥーリ化をするとはな」


 ドゥールが言った。

 ルックにもそれは意外なことだった。そしてルックはその日、あの戦争のときどうして自分だけが死ななかったのかを理解した。幼子だったルックは激しいショックで曖昧にしか覚えていなかったが、敵兵は保護されたルックのそばで全滅していたらしい。それは他でもないルックがしたことだったのだ。

 ルックは自分自身の中にそんな力があったことに驚いた。そしてそれと同時に恐ろしくもあった。


 ルードゥーリ化。それを引き起こす人は一時代に二十名程度しかいないと言われている。そしてそれは常識外れの現象だった。

 伝承に伝わる生命体、ルードゥーリ。理を超越すると言われるその伝説上の生命体が乗り移ったかのように、莫大な力を発揮すること。それがルードゥーリ化だ。

 それを起こす人間は非常にまれな存在だ。また引き起こす理由もその人それぞれで、事例も少ないため、ほとんどそれが何であるかは分かっていない。


 ルックは自分自身が怖かった。それから、そんな自分を見るシュールや仲間の目が変わるのではないかと恐れた。

 しかし彼らのチームの誰も、そのことを少しも気に止めはしなかった。

 ルックがこのチームに来て六年が経ち、彼らの間には深い絆が出来上がっていたのだ。


 真実の青の物語では決して表に出てこない、深い絆が。




 多くの真実の青の物語は、ルックが十三になり、カン帝国が再びアーティスを侵略しようというときから始まる。


 しかしまずは、「私」がどこの誰で、どうしてルックを見ているのかを話しておこう。


 私はルックたちとは違う世界の中にいる。そして私は自分のことを「傍観者」と呼んでいる。私から彼らに干渉はできないし、彼らが私に気付くこともない。

 私のいる世界に物質は存在しない。空気も水もなければ、私自身も存在していない。


 どうして私はここにいるのに、ここに存在していないのか? これは神学や魔法学に明るい私でもほとんど理解できていないことなので、上手く説明することはできない。ただこの世界にあるのは、「マナ」と「時」だけなのだ。

 私はこの世界を「時」の世界と考えている。幾度か神と対話をした際に、その世界が存在することは聞いていた。


「時の世界は他の全ての世界に時を流し込み、それ故に世界に時は存在する」


 ひと柱の神がそう言っていた。


 私はルックたちと同じ世界の、どこにでもいる普通の人間だった。しかしある魔法によってこの世界に迷い込んだ。

 時の中には全ての時が存在している。どの時代に起きた出来事であっても、それが記録にも残らないような些細な出来事であっても、私はここから覗くことができる。


 だから私は、大陸の数々の伝説を傍観してきた。それは私のある望みを叶えるためだった。


 大賢者ルーカファスに始まり、鉄人ミリスト、深淵の魔法師デラ、狂人カスカテイドダスト、開国の三勇士、夢の旅人・ザラック。


 数々の物語を織りなした彼らは、過大に誇張され伝えられ、しかし伝説を凌駕するところも数多くあった。

 だがその誰も、私の望みは果たさなかった。それでも時の中には時間だけは無限にある。彼らの数十年を渡り歩いて二百年ほど時が経過したが、私の寿命は尽きていない。

 けれど、どの伝説も私の声に気付きすらしない。私の望みは神々にも叶えることができなかった。いくら伝説に名を連ねる者であっても、これは当たり前のことなのだ。ただ、そう分かっていつつも少し落胆しながら、私はザラックの伝説の傍観をやめた。


 そうして私が次に訪れたのが、真実の青・ルックの伝説だった。

 ルック自身も伝説に名を残す存在だったが、彼の旅の仲間もまた特別な力を持つ者たちだ。


 旅の女戦士、呪われた少女、鉄の舞姫、異端者、導きの陰法師。


 私は少なくない期待を持って、真実の青・ルックの傍観者となった。……

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