③
顎の細い男で、釣った目をしている。肌の色がとても白く、肌艶が良く、生気に満ちあふれていた。客の女性が虜になるような色男ではないが、格好はなかなか洒落ていた。
紫色の髪は襟足が長く、他は少し短めに揃えられていてる。ラフな黒いチョッキの下は、ヨーテス民族の着るような、袖口の大きい生成の服だ。広がる袖の部分は大きく刺繍が施されている。ズボンは革製の動きやすそうなゆったりとしたもので、上下のバランスが良い。腰の黄色いベルトも地味な色合いに花を添えている。そしてその腰ベルトには、アレーには珍しい短弓が下げられていた。
「お会いしたことはないですが、僕はあなたを知っている気がします」
「おっと、俺と話すんだったらそのむずむずするような話し方はやめてくれ」
ルックは珍しくきれいな口調で言えたと思ったが、キルクにはそれはどうやら不快だったようだ。
「なんだ、せっかくうまく言えたのに。じゃあこんな感じでいい?」
「ああ、上等だ」
初めて会った男だが、ルックは彼とはすぐ打ち解けられそうだと思った。キルクの直接的な物言いは、不快な感じは全くしない。それに何よりルックは、彼の姿を何度も思い浮かべたことがあったのだ。もちろん予想とはかなり違うが、不思議と初めて会ったという気はしない。
「俺はそんなに名をあげた覚えはないが、人違いじゃないのか?」
「ううん。きっとそうじゃないね。キルクはダットムの農園の生まれでしょ?」
「これは驚いた。何で知ってる?」
さして驚いた風でもなく、面白がるような目つきでキルクは聞いてきた。ルックはその回答を聞いて、やっぱりと深く微笑んだ。
「一年くらい前、僕はダットムの農園に寄ったんだ。キルクはあそこに帰らないの? みんなずいぶん心配していたよ」
「そうか。お前あそこに行ったのか。はは、笑えるな。あいつら旅の奴に片っ端から俺のこと聞いて回ってんのか? あそこにころころ太った婆さんがいたろ。婆さんが焼くパンは絶品でな。旅は好きだが、それを食べられないのだけは俺もいつも心残りだったんだ」
ルックを久し振りに故郷を語れる相手と見てだろう。キルクの口調は一気に弾んだ。店員がそこに酒杯を持ってきたが、二人が会話をしているのを見ると、邪魔しようとはせずすぐに下がった。
「そのお婆さんは、……」
店員が去ると、ルックは話を続けようとしたが、しかしどう話していいか分からずに口ごもった。
「そうか。まあ、覚悟していたことだ。ダットムはまだ元気なんだな。まあ、俺の方が先にくたばらないようにしなきゃならねえな、あのじじいの場合」
キルクの祖母は、数年前になくなったらしい。それを悟ったキルクは寂しげな目をしたが、すぐにそれを引っ込めて、明るい口調で話題を変えた。
「そうだね。ダットムは元気だったよ。あ、でもそれで思い出した。僕、彼らにキルクがあの戦争に参加してるって言っちゃったんだ。やっぱりキルクは一度顔を見せた方がいいよ。きっとすごい心配してる」
「ちょっと待てよ。何でお前、俺が戦争に参加してたって知ってんだ? 占い師かなんかか?」
キルクはそこで初めて面食らった顔をした。少し気味悪げにルックを見てくる。
「あ、そうじゃないんだ。キルクはリリアンと一緒に旅をしてたんでしょ? ちょっとリリアンに縁があってね」
「あ! まさかお前ルックか? リリアンから何度か聞かされてたが」
ここで二人が会った偶然には、ルックもかなり驚いたが、キルクもやはり目を丸くしていた。
「そっか。リリアンはちゃんと覚えててくれたんだ。そうだよ、僕はルックだ」
ルックが何度もキルクの姿を想像していたのは、キルクがリリアンと旅をする者だったからだ。それはつまり、自分とも旅をすることになる人だと言うことだ。
キルクもルックとの出会いを喜んで、馬鹿でかい声を出し、ルックの分の酒を頼んだ。
「呑めないって言ってたが、一杯くらいは付き合わせるぞ」
ルックは口を付けたこともない酒というものに、少し緊張した。その様子に気付いたキルクが、可笑しそうに吹き出した。
あわただしく働く女性の店員が、ルックの分のグラスを持ってきた。気を利かせたのか、ついでにキルクの新しい酒も用意してくれた。
「それで、リリアンにはもう会ったのか?」
キルクは妙に期待の籠もった感じで尋ねてくる。ルックはそれにまだだと告げて、グラスに注がれている赤茶色の蒸留酒を見た。ルックは意を決しグラスを手に取り、それを口に運ぼうとしたが、未体験の匂いにむせた。
「はは、ここの酒は強いからな。慣れてないとなると辛いかもな」
「慣れてないどころか、今まで呑んだこともないんだ」
「その歳でか? それは良くねえな。そんなんじゃとても世界を見て回れないぞ」
キルクの言葉にはもちろん何の根拠もないが、旅をしたことのないルックはそれを信じた。匂いを嗅いだだけでとても飲み物とは思えなかったが、そう言われたら呑むよりない。勇気を持ってルックはそれに口を付けた。
「げほっ、げほっ」
蒸留酒を喉に流すと、ルックの体はかっと熱くなり、喉が灼けるようだった。毒でも入っているのかと思ったほどだが、キルクはからかうように楽しげに笑っている。
「不味いだろう。俺も最初呑んだときは後悔したな」
ルックは人の悪い笑みを浮かべる男を恨めしげに見た。
「それならもっと早く言ってよ。こんなに強烈なものとは知らなかったよ」
「ははは、それじゃあ楽しみが半減しちまう」
ルックはあきれたように天井を見やった。なるほど一筋縄ではいかない人のようだ。
「ところでキルクは、もうリリアンとは旅をしてないの?」
ルックは一口だけでもう酒を飲もうとは思わなかった。きっとこれからも呑むまいと心に誓ったほどだ。それは実際そうはならないのだが、少なくともルックはこのときは本気で思った。
そしてルックはそれ以上口を付けない言い訳も兼ね、話題を変えた。
「ん? ああ、あの戦争の後からな。もう一人の仲間があの戦争で死んじまったんだ」
ルックも一年前に終わった戦争で、ティナの軍がどのような目に遭ったのかは聞いている。ほとんど壊滅寸前の状態だったという。リリアンとトップが生き延びたという事は聞いていたが、その状況では仲間が死んでしまっていたとしても驚かない。
ルックも半ばそれを予想いていた。可能性としては頭の隅にあった。
「ティナ軍がどうして壊滅したかは知っているか? たった一発の魔法だったんだ。それで俺らは壊滅的なダメージを受けた。俺らの仲間はな、ウィンっていう奴だったんだが、トップを庇って、その魔法に身を投じたんだ。絶望的な魔法だとは分かってただろうな。決して儚い奴とかじゃなかったんだが、それほどトップを愛してしまってたんだ」
「そっか。つくづく、……ね」
初めて会ったキルクにそう言うことはどこか滑稽だったが、キルクはルックが言外に込めたものを正しく読みとった。
戦争なんてという意味だ。
軽々しく口にできるほど、重みのない言葉にしたくなかったので、ルックはあえてそんな言い方をしたのだ。それはあの戦争を体験したアレーには、大抵は共通した想いだった。




