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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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『伝説へと向かう一歩』①

   第三章 ~陸の旅人~


『伝説へと向かう一歩』




 ルックがディーキスの館を出たときには、日は最大限に輝く時間で、平均的な一日の活動時間の折り返し地点を迎えようという頃だった。二十時間ある一日の内、八の刻にあたる時間だ。

 今からならばまだ今日中にリリアンとの待ち合わせ場所に間に合うが、さすがにルックもシュールたちに何の挨拶もなしにここを離れるつもりはなかった。もちろんこれきりもうここに戻ってこないわけではないので、湿っぽくお別れをするつもりはないが、何も言わずに旅立つわけにもいかない。


 ルックはディーキスの館を出ると、急ぎ足で四の郭にある自分の家に向かっていった。

 一の郭には白石でできた建物が多いが、二の郭、三の郭に行くにつれ、ほとんどの家は木造の家になっていく。

 そして四の郭の、フォルキスギルドの家が建ち並ぶ一角に入り、程なく自分の家の前に着いた。今日このときまでの自分の家だ。

 ルックが扉を開けると、小さな玄関のすぐ先にある居間で、ルーンとシュールが座って話をしていた。


「あ、ルック。お帰りー。聞いたよ。大変だったんでしょ?」


 街中に友達の多いルーンは耳が早く、事のあらましをすでに知っていたようだ。と言ってもヘルキスの所に攻め入った話ではなく、ルーンが言っているのはルックが連行されたことについてだろう。


「うん、大変だったよ。できれば二度と体験したくはないね」


 ルックは正直な気持ちを吐露した。家に戻って、やっとひと心地着いた気がした。カイルはまだ話しやすかったが、知らない人たちの前だとどうしてもルックは緊張してしまう。ルーンの能天気な口振りは、ルックを心底安心させた。


「はは、俺もさすがに牢屋の中には行ったことがないな。疲れたろ。昼は食べたのか?」

「あ、まだ食べてないよ。何かあるの?」


 ルックは言われ、自分が意外に空腹だったと気が付いた。


「でもとりあえずはお風呂に入りたいな。剣の手入れもしないと」

「戦闘があったのか?」


 シュールが心配そうに問う。ルックは彼を安心させるように笑んだ。元より、シュールにでも事の事情を話すわけにはいかないのだ。


「そう言えばカイルに会ったよ。シュールと同じチームにいたんだって言ってた。いろいろシュールの昔話を聞いたよ」

「あはは、それは気になるな。じゃあ私はルックのご飯を用意しといてあげる。その間にお風呂済ませちゃってね」


 カイルの話しに、少し気まずそうにしたシュールを見て、ルーンがからかうようにそう笑って言った。

 ルーンは立ち上がると、台所へと向かっていった。


「シュールたちはこれからどうするの? ルーンはまだ成人してないし、これからのことを余り考えてなかったみたいだけど」


 ルーンの背中を見送ると、ルックはシュールにそう問いかけた。気になっていたことで、前にも一度聞いたことがあったが、そのときは検討中だと言われていたのだ。


「今ルーンとも話をしていたんだが、この家はライトが成人するまでの約束で借りていたから、三月後には引き払わないとならない」

「そっか。ここもなくなっちゃうんだね」

「いや、だがギルドに掛け合ってみたところ、破格の値段で継続して借りられることになった。だからもう少し俺はここにいるつもりだ。ルーンもまだ心配だしな。仲間を集め直して、チームを続けようと思う」


 ルックはどこか安心したような気がした。しかしそのチームに自分がいないということに、寂しい気持ちも感じた。


「そうなんだ。それじゃあカイルはどうかな? 今ルーザーっていう人と一緒にやってるみたいだけど」

「カイルとルーザーか。はは、ビースには恨まれそうだが、ありなのかもしれないな。今度打診に行ってみようか」


 ルックは自分の部屋に戻って、外套と剣を下ろし、血を浴びた服を着替えた。そして風呂場に向かった。

 風呂場は台所の奥にある。それほど広さはなく、水はけを良くするため網目状に組まれた木の床が少し贅沢といえば贅沢だ。アーティーズは非常に裕福な上、文明的な街だったので下水道がある。流れた水は最終的に街の外に流れて行き、海へと帰る。大陸中でもなかなか優れた街だと言えるが、フィーンの帝都などは上水施設もあるそうで、アーティスのようにわざわざ井戸に水を汲みにいく必要はないという。

 ルックはそんな些細なところから、まだ見ぬ世界への憧れを強めた。

 風呂場には浴槽もおかれているが、ほとんどそれは水を汲み置いておくための物だった。ルックはその浴槽の冷たい水で身を清め、居間に戻った。


 居間ではすでに食事が並べられていた。アーティスでは十五から人は死に近付くのだといい、十五歳からの誕生日を祝うという風習はないが、今日は特別だった。台所をのぞいたときにも気付いてはいたが、ルーンが用意した昼食は、ドーモンが腕によりを振るったもの並に豪勢だった。そして食材もどれも高価な値を張るもので、ルックは二人の心遣いを心から嬉しく思った。


「旅の途中でまた近くに寄ったら、いつでも戻ってこい。お前が旅先で出会う仲間ともども、歓迎するぞ」

「そのときはシュールじゃなくて私が料理を作ってあげる」

「おいおい、そんなに俺の料理が嫌だったのか?」


 食事は最初から最後まで楽しく、ルックには後ろ髪を引かれる想いがあった。しかし一度決めたことだ。それには決して迷わない。ルックは心にそう決めていた。

 食事が終わり、ルックは部屋に戻った。外套を羽織って前でしっかりと止め、剣を背負った。準備していた旅のための用意を肩に引っさげ、居間へ戻ると、シュールとルーンが立ち上がってルックを迎えた。


「それじゃあ、行くね」


 シュールは一度としてルックの旅に反対もしなかったし、引き止めもしなかった。しかしルックはシュールの目を見たときに、シュールの本当の想いを感じ取った。


 黙ったまま頷くシュールと、はばからず涙を流すルーン。

 二人の愛が感じられた。それを自分はいつどこにいても誇れるだろう。もうここにはいない優しい巨漢を想った。先に旅立っていった狂ったような目をした優顔を思い出した。同じアーティスとはいえ、ライトとシャルグももういない。そして自分も、……


 しかしルックは、彼らの思い出に背を向けた。玄関の戸を開け、外の世界への一歩を踏み出した。一度も振り返らずに後ろ手でドアを閉じたルックは、その場で少し立ち止まった。けれどもそれも少しの間で、すぐに強い歩調で歩き始めた。

 そして物心ついて初めて、ルックの頬に涙が流れた。ルックはそれに驚いて、しかし嫌な気持ちはしなかった。むしろこの場面で涙を流せた自分が誇らしかった。

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