⑧
二人は執事頭に導かれ、それぞれあてがわれた部屋へ向かった。先ほどの部屋のちょうど真上の部屋で執事頭は足を止め、背の高いドアを引いた。ここがルックの部屋だという。
「ルック、良かったら後で君の部屋へ行っていいかい?」
カイルは仲良くなると、非常に気の利いた男だった。短い移動距離の間に、ユーモアのある話を沢山披露した。そして話し下手なルックに、快活にそう聞いた。
「僕なんかと話して楽しいですか?」
ルックはそんなカイルに少し劣等感を持って、冗談ながらひがみっぽく聞き返す。
「ははは、その物言い、何となく俺の相棒に似ているよ」
じゃあまた後でと言ってカイルは手を振り、執事頭の後ろについて自分の部屋に向かっていった。
ルックの部屋は、彼の家の居間よりも広い部屋だった。白陶石の磨き上げられた床に、擦れてはいるが色鮮やかな赤い絨毯が敷かれている。絨毯は縁取りにふんだんに金や銀を織り交ぜた装飾が織られている。
質素な暮らしが好きな人が多いアーティスには珍しいものだが、公爵ともなれば賓客を迎えることも多いのだろう。その絨毯の上には、太い一つ足に見事な彫刻を施した丸テーブルが置かれていた。黒く塗装のされた木製で、一つの木から切り出したものなのだろう。どこにも釘をあてたり、継ぎ接ぎをしたところが見えない。そしてそこには湯気を立てるごちそうが並んでいた。
黄金色のスープに、香りのいいチーズの薫製。色つやのいいパンに、赤いソースでよく煮込んだ牛肉。
昼から何も食べていなかったルックの胃袋は、その食事を見て盛大に警報を鳴らした。
量は多すぎることはないが、いくら公爵家とはいえ滅多にないごちそうだろう。
ルックは剣を下ろしたり、外套を脱ぐ間も惜しんでその食卓についた。
食事はどれも冷めてはなく、ルックが来るのに合わせて並べられたのだろう。どれも頬の落ちそうなほど美味しかったが、特に黄金色のスープは絶品だった。何の変哲もないスープのようだったが、絶妙な辛みと、微かなとろみとこくのあるものだった。
寒季とはいえ、部屋は暖炉に火が付けられていて、食事を終える頃にはルックは薄く汗をかいていた。さすがに外套を脱ぎ、壁に掛けた。
そこで扉がノックの音を立てた。ルックはすぐに扉に歩み寄り、それを引き開けた。
扉の向こうにはカイルが立っている。彼も鎧をすでに脱いでおり、腰に帯剣をしているだけの軽装だった。
「失礼するよ」
カイルはまず真っ先に、ルックに対して楽な言葉で話してくれと頼んだ。元々丁寧な言葉遣いの苦手なルックは、これまでもそこまで堅苦しく話していたわけではないが、その言葉に甘えて楽な言葉で頷いた。
「何か話したいことでもあったの?」
ルックはカイルのために椅子をひいてやり、そう問いかけた。
「俺の部屋でも豪勢だと思ったけど、この部屋は別格だな。しかも食事の用意まであったのか? ずるいな」
「はは、カイルの部屋にはなかったんだ。僕は夜を食べてなかったからね。気をつかってくれたんじゃないかな。今まで食べた中でも一、二を争うごちそうだったよ」
「ちっ、もう少し早く来るんだったな。ところでルック、もしかしてお前、シュールやシャルグん所で育てられた子供じゃないか?」
カイルの言葉に、ルックは笑って頷いた。
「やっぱりそうか。ヒルドウのことも知ってたみたいだし、あの器用な魔法の使い方とか、シュールみたいだったからな」
カイルは得意げに自分の推測の理由を語った。確かに石斧の魔法を途中で変化させたのは、シュールに教わったマナの細かい使い方を応用したものだ。
カイルが得意げに話しているのは、少し子供じみているようだったが、多分それはルックの年齢を鑑みて合わせようとしてくれているのだろう。ルックはその気づかいが無駄にならないように、自分もあえてそれに乗っかる。
「そう言うカイルは、昔シュールたちと一緒にアレーチームをしてた人じゃない? 前にシュールから聞いたことがあった気がするんだ」
「そうか。シュールはそのときなんて言ってた? どうせアラレル並に頭が弱いとか言ってたろ?」
「シュールが? はは、そんなひどいこと言う訳ないよ。確かかなり腕の立つ人だって言ってたと思うよ」
「へぇ、しばらく会わない内にあいつも丸くなったのかな?」
ルックはそのカイルの言葉に、途端に興味を持った。ルックはあまりシュールの若いときの話を聞いていなかったのだ。
ルックの知るシュールは、自分のことを引き取ってくれてからの、成人した大人のシュールだけだ。自分を育ててくれた人がどんな子供だったのか、ぜひ聞いてみたかった。
「シュールって僕と同じ歳くらいで僕を引き取ったんだよね? それまではずっとカイルたちとチームだったの?」
「いや、あいつは前の前の戦争に師匠の反対を押し切って参加したからな。十三のときチームを抜けたよ。
それから戦争が終わって一年くらいして、新しいチームを組んだって言ってたな。シャルグ以外は知らない奴だったけど、強かったんだろう? かなり噂になってた」
「うん。ドゥールもドーモンも強かったよ。ドーモンは死んじゃったけど、ドゥールは今アラレルと片腕の討伐に向かったんだ」
片腕というのはライトに腕を切り落とされた子爵クラスのルーメスのことだ。逃げ出した後も多くの目撃証言があり、数多くの人がそれに殺されている。
「それは大したものだな。それじゃあ片腕の話を聞かなくなる日もそう遠くなさそうだ」
「うん、きっとね。シュールは昔は口が悪かったの? 今は丁寧な口調だけど」
「ああ、口調は昔から丁寧だったな。けど言うことが生意気だったんだ。何かにつけて俺とアラレルは馬鹿にされていたな。正直俺はあいつが苦手だった」
「へぇ、やっぱ想像つかないな。僕が子供のときからシュールは優しかったけど」
「そりゃあ子供にまであんな嫌味ったらしかったらどうかと思うぞ。ちなみに師匠、あ、俺らを見てくれてた大人のアレーなんだけど、その人の前でだけは、非常にいい子だったな」
ルックは想像とは全く違う、子供らしいシュールの子供時代に微笑んだ。
「そっか。シュールにそんなときがあったなんてなんかおかしいな」
ルックとカイルは、つい一時間前に真剣勝負をしたことなどすっかり忘れ、楽しげに笑い合った。
それからも話は盛り上がり、カイルが自分の部屋に戻ろうとするときには、ルックは少し寂しいとすら思った。
「じゃあ明日」
「ああ、お互い大事がないことを祈ろう」
「いいからお前は帰れ!」
「嫌だねっ。どうして父さんと兄さんがいがみ合わなきゃならないんだ? まして皆の雰囲気、まるでこれから一戦を交えようって感じじゃないか」
二の郭、ディーキス公爵の別邸で、重鎧を外したヘルキスと、十代半ばの少年が喧嘩をしていた。
部屋は三階にある、公爵家に相応しい王の間を模した大広間だ。
「ラ。言うことを聞くんだ。お前の言う通り、もうすぐここは戦場になる。父上はここにいるものを皆殺しにするよう命じているだろう。お前などすぐに屍になり転がることになろうぞ」
ヘルキスの弟ラキスは、兄の威厳の籠もった物言いに怯みを見せた。しかし決して退こうとはせず、歯を食いしばって兄を睨んだ。
彼は桃色の髪をしたアレーだった。ディーキスが五十中頃に授かった子で、腹違いの兄ヘルキスを、非常に慕っていた。
ラキスは今度のことの事情を知らず、年相応の無闇な自信に溢れていた。そのため兄を慕ってはいたが、決して従順にはなりきれなかった。
「もしもここが戦場になるなら、俺も誇りをかけて戦う覚悟だ」
「ならん。お前は戦闘というものを何も知らんのだ。末子が長兄の言うことを聞けないというか!」
「ああ、聞けないね。俺だってアレーだ。実戦経験はなくとも、試合では同年代の奴らに負けはしない」
ヘルキスはラキスを鋭い目つきで睨んだ。ラキスは上に十五人もの兄弟がおり、キス公爵家を継ぐ可能性はほとんどない。そのため公爵家でアレーではあったが、比較的甘やかされて育ってきた。ヘルキスも自分の子供とそう歳の変わらない弟に、これほど強い口調で叱りつけたことはない。
ヘルキスは意を決したように立ち上がる。
「ラ。お前はアレーであるが、弱い。キーネのこの俺とて、お前に負ける気はしない。お前の誇りを傷つけるようではあるが、あえて言おう。お前のごとき弱卒がいては足手まといだ」
ラキスは兄のその発言に傷ついた顔をした。そこまで言われるとは思ってもいなかったのだろう。だが傷つけられた誇りは、すぐに怒りに取って代わって、ラキスは鋭い目つきで兄を睨んだ。
ヘルキスはそれを見ると、すぐ脇に置いておいた両刃の斧を手に取った。
「ラよ。剣を抜け。お前の驕った幼さを、今ここで叩き直してくれよう」
公爵家の長兄の持つ威厳は相当のものだ。ラキスはまた怯みつつも、ゆっくりと腰に差した刀を抜いた。細身の片刃剣だ。ラキスはそれをひっくり返し、刃のない方で構えた。
「俺が勝ったら、こんな無益な争いはやめて、父さんと仲直りをしてくれよ」
すでに勝つ気でいるのだろう弟の言う言葉に、それがすでに実現しないと知っていた兄は、しかし静かに頷いた。
「はっ」
気合いのかけ声と共に、ラキスが駆けた。剣を振りかぶり、キーネには真似のできない速度で斬りつける。しかしヘルキスはそれを冷静に見切り、左に跳んでかわした。ラキスはすぐに追い打ちを掛ける。刀を横に構え直し、駆けながらヘルキスに横なぎを入れる。ヘルキスは大斧でその斬撃を受け止めた。
けたたましい音が鳴る。少年とはいえ、アレーの力はキーネが押さえきれるものではない。しかしヘルキスの筋骨たくましい体は、ラキスの剣にびくともしない。それどころか全身の筋肉が膨れ上がり、ラキスの剣を押し返した。旋風斧と呼ばれる斧は、ラキスの剣を弾き返すと急激に空中で逆方向に跳ね、ラキスの無防備な胸に向かっていった。
「!」
ラキスは慌てて身をひねり、転がるようにそれをかわした。しかしそこでまた旋風斧が向きを変える。
ヘルキスはその斧に体を持って行かれないよう鍛えているようだった。斧の速さは決してキーネの力で振るったものではない。握り方一つで向かう向きを変える、旋風斧はかなり特種な魔法具なのだ。
ヘルキスの握る旋風斧は、避けようとするラキスの背中でぴたりと止まった。
「我が愛弟ラキス。お前はその名の示すとおり、幸せになれ」
ただそれだけで良いのだと、ヘルキスは沈んだ声で言った。




