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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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 城からの帰りに、ルックは剣の手入れのためヘイベイの鍛冶屋を訪れた。


「ヘイベイ、いますか」


 ルックは御用達の鍛冶屋の引き戸を叩き、そう呼びかける。しばらくすると引き戸が開けられ、無愛想な男が現れた。


「お前か。入りな」


 ヘイベイはそれだけ言うと、さっさと中へ戻ってしまった。ルックは戦争でそれなりに名を上げたが、この鍛冶屋の態度は相変わらずだ。

 ルックがヘイベイの後を追うように中に入ると、すでにヘイベイは自分の作業に没頭していた。


 ルックと仲良くしていたヘイベイの弟子は、先のアーティーズの悪夢の日に亡くなったらしい。ヘイベイは新たな弟子はとらず、一人でこの鍛冶を続けている。

 ルックは大人しく、羽織っていた外套を外してヘイベイの仕事が終わるのを待った。ヘイベイの造っていたのは片刃の剣の刃だ。柄に差し込む部分を濡らしたタオルで何重にも巻き付け持ってはいたが、恐らく熱くないわけはないだろう。ヘイベイの手はハンマーを持つ右よりも、刀身を持つ左手の方が分厚い皮をしている。

 長年火と熱にまみれてきた男は、赤々と燃える火に剣をかざしては、焦れったく思えるほど何度も何度もハンマーで型を整えていた。

 やがてヘイベイは刀を打つ手を止めると、その刀を満足げに眺め、思い出したようにルックの方を振り返った。


「剣を出しな」


 素っ気ない物言いに、ルックは素直に従い、背負った鞘を外し剣を抜いて渡した。


「お願いします」


 ヘイベイはその刀身を眺めると、黙ったままでその剣を持って無骨な石の椅子の上に戻って行った。

 ヘイベイは火に照らし合わせるように剣をさらに検分し、左脇に置いてあった石の水入れから重たい砥石を取り出した。

 ヘイベイはそれで二、三度剣の両方の刃を研ぐと、砥石を水の中に戻し、細い砥石を取り出した。木製の柄杓で水を汲み、軽く剣をすすぐと、その細い砥石で丁寧に刃を撫でつけ始めた。しばらく研いではまたすすぎ、何度もそれを繰り返した後、さらに細い砥石でその二倍の時間をかけて剣を研いだ。

 ルックはその決して手を抜かない仕事ぶりに、ただ魅入っていた。

 ヘイベイは全ての行程を終えると、立ち上がり、ルックへ剣を手渡してきた。


「金はいらない。持って行け」

「え、いらないって」


 ルックはヘイベイの言葉にそう問いかけたが、鍛冶屋は答えず、ルックに背を向け次の仕事に取り掛かり始めた。

 剣の出来映えは、ただ研いだだけだというのに、素人目から見ても素晴らしかった。とてもただでいい仕事ではない。


「ありがとう」


 ルックは再び違う刀身を打ち付け始めたヘイベイに、聞こえるように声を張って言う。しかしやはりヘイベイは答えず、ルックもそれを気にはせず、鍛冶屋を後にした。

 剣の手入れも済ませ、ルックは再び自分の家に帰ってきた。陽はすでに一番明るい時間を過ぎている。昼食を取るにも早すぎない時間だ。


「おかえりー。ルック、これからシュールがご飯作るって」


 家に戻ったルックを、ルーンが迎えた。


「なに作るって言ってた? 少しお腹空いたな」

「だよね、私も空いた。多分ポリッジじゃないかな。シュールがポリッジとポタージュ以外のもの作ってるの見たことないし」

「ははは、そうだね」


 ルックは自分の部屋に入って、市場で買っておいた大きめのリュックを取り出した。

 明日からの旅の支度をするためだ。

 持って行くつもりのものはそう多くない。愛用の大剣と、着替えを少し。着替えも下着の替えと肌着だけで、それほどの荷物にはならない。後は砥石を一つと、小刀を一つ、火を起こすための石と鉄板を一組み。それにルーンに貰ったアニーの宝石を一つ。

 アニーの宝石は数日前に完成したというルーンの新術が籠められているらしい。


「ルックが絶体絶命のピンチになったら、ルックの少し後ろの地面に投げてアニーを割ってね」


 どんな効果のものかは教えてくれなかったが、そんなふうに言われていた。


 それからルックは、自分の棚にしまっておいた銀の笛を取り出した。手のひらに隠れるほど小さな、ずんぐりとした形の横笛だ。

 ルックはしばらく感慨深げに眺めたあと、それを首にさげ、短衣の下に入れた。


 リュックの中にはまだ大分余裕があったが、それはこの先の旅で予定外の荷物が増えることを想定して、開けておいた。

 ルックが旅支度を整えると、隣の部屋からルーンの呼ぶ声が聞こえた。

 居間へ戻ると、テーブルの上には鳥の丸焼きが置かれた皿と、焼きたてのパンと、大盛りのサラダが置かれていた。

 シュールはあまり料理が得意ではなく、そのシュールにしては豪勢な食卓だった。


「シュールね、笑っちゃうよ。オーブンなんて使ったことないから、せっかくの鳥、焦がしちゃったんだよ」


 どうやらシュールはオーブンの火の止め方が分からず、慌ててルーンを呼んだらしい。ルーンはすぐに火を消したが、鳥の肉は少し焦げてしまった。鳥はオールという食用に飼育される鳥ではなく、野生の鳥だ。非常に大きく、高かっただろう。サラダも様々な野菜が切って盛られている。パンもなんと、シュールが生地をこねて自分で焼いたのだという。ルックの門出を祝ってくれているのだ。


「はは、そっか。でも美味しそうだね」

「うん、どーい。シュールが今日はデザートもあるって」

「おいルーン、それはまだ秘密だと言ったろ」


 台所から出てきたシュールは、不満げにルーンに文句を言った。


「さあ二人とも、座ってくれ」


 ルックは肉汁の滴る鳥肉を切り分けて、ルーンとシュールと自分の皿に盛った。サラダも取り分け、それぞれの皿に添える。

 豪勢な昼食はとても美味しかった。ルックはシュールの深い愛情を感じながら、その料理を噛みしめ食べた。


 昼食を終えたルックは、後片づけを手伝い再び街へ出た。彼が次に向かったのはフォルキスギルドだった。八歳のときに登録した自分の名前を、取り消しにきたのだ。


「ルックですね、確認してくるわ」


 受付をしていた中年の女性は、そう言って二階に上がっていった。

 ギルドは二階建ての建物で、依頼を受けにくるアレーや、しにくるキーネがかなりの人数いた。一階はその受付の窓口で、二階ではいろいろな情報を管理している書類を保管する部屋と、このギルドの管理者であるディーキス公爵の部屋がある。

 受付で女性を待っていたルックに、声をかける者がいた。


「ルックか。久方振りだ。依頼を受けにきたのか?」


 平時であるのに重たい鎧に身を包んだ、中年のキーネだ。角付きの兜は以前に見たときよりも磨き上げられ、立派な風体だった。


「ヘルキス。お久しぶりです」


 彼、ディーキスの息子ヘルキスは、今し方二階から降りてきたところだった。何があったのか興奮しきった後のようで、顔は血が昇って赤らんでいた。


「やはり運命なのだろう。まさか今日この日、お前に会うとは思わなんだ」


 ヘルキスはルックに会ったことを何かとても喜んだ。ルックは少し嫌な予感に駆られつつ、言葉を選んで答えた。


「僕は最近ここには良く来るんです」


 それはヘルキスの運命という言葉をやんわりと否定したのだが、ヘルキスは構わずにルックの元に歩み寄ってきた。


「ルック、お前に栄誉ある任務を与えようと思う。ここではなんなので、外で話さないか?」


 フォルキスギルドから除名しようとしていたルックは、彼の依頼を受けたいとは思わなかった。それにルックは今、明日から始まる未来以外に、何にも興味はなかった。


「僕は今日フォルキスギルドを辞めに来たんです。残念だけど、また今度の機会にしてください」

「なんと、なぜ我がギルドを辞めることがある? ガルーギルドやミストスリ商会よりも、上跳ねも少ない、良心的なギルドであるぞ」


 ルックもヘルキスの言葉を否定する気はない。最近ではギルドは、仕事の少ないアレーに、街の警備の仕事をさせている。そのため街の治安は戦争後だというのにとても良く、目立った犯罪も少ない。それをギルドは全て自腹で行っているのだ。ルックとしても、自分がこのフォルキスギルドの一員であることが誇らしかった。


「旅に出ようと思うんです。僕は大陸のあらゆる所を巡って、自分の見聞を広めたいんです」

「そうか、それは確かに良いことだろう。悪かった。ではこうしよう。たっての願いだ。私にはもう頼るべき者がいないのだ。力を貸してはくれまいか。これは私一人のためではなく、アーティス国民全てのためになることなのだ」


 ヘルキスの目は真剣だった。ルックの心は、それでも大きくは揺れ動かなかったが、話ぐらいは聞いてもいいかもしれないとは思った。


「そっか、分かりました。でも僕は旅に出るから、フォルキスギルドからは除名します」


 ヘルキスはルックの手続きが終わるのを待った。ただ待つだけではなく、何を焦っているのか、受付の女性をせかしすらした。ギルド長の息子にせかされた受付の女性は、哀れなくらいに緊張していた。


 手続きが終わると、ルックはヘルキスを伴ってフォルキスギルドを後にした。

 もっと感慨深い手続きになるかと思っていたルックは、ヘルキスのせいでどこか拍子抜けする思いだった。

 ギルドの入り口の前に立ったルックは、その建物を振り返り、目を閉じ感謝の印を切った。

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