③
「そうだ。この間シャルグが家に戻ってきた日ね、私笑っちゃった」
アーティス城の中庭で、ライトとルーンが二人で話をしていた。無邪気に笑うルーンは相変わらずだったが、気の弱そうだったライトは王になり、顔つきに精悍さが表れ始めていた。しかし世の厳しさを知り始めた彼も、ルーンを前に少年時代に舞い戻っていた。
「なに? 何かあったの?」
「それがさ、シャルグが私に、ルーンは成人したらどうするんだってきいてきたの」
ライトは笑顔で相づちを打つ。
「それで私が、幼い子を育てていくのもいいかなって言ったのね。そしたらシュールが、すごい大変で、良いことばかりじゃないぞって言ったの。そしたらシャルグがね、『お前はなんてことを言うんだ、人でなしめ!』って怒り出してね。あのシャルグがだよ」
「あはは、そんなことがあったの?」
「そうなのそうなの。そう言えば最近シャルグ来ないね。あ、それでね、こないだルックがね」
ルーンは本当におしゃべりで、ライトはルーンの話を笑顔で聞いていた。ルーンの話題は尽きることを知らないようで、ライトはみんなの表情を思い浮かべ、自分もそこにいるような気がしていた。
「それでルーンは、成人したらどうするつもりなの? あと四月だよね」
「どうしようかな。ルックみたいに旅に出ようかな。あ、ライトのお嫁さんにしてもらうのもいいかな」
ルーンは挑発するように上目遣いでライトを見た。
「あはは、それはやだよ」
「ひっどい。私のどこが不満なの?」
ルーンは笑顔でライトをからかう。もちろんルーンは本気で言ったわけではなかったが、ライトは根がまじめなので、その言葉に真剣に答えた。
「不満だよ。ルーンは友達だもん」
ルーンはまだ女性としてのプライドがあったわけではなく、ライトのその言葉にはとても満足したようだった。ふざけてお嫁さんと言ってはみたが、ルーンにとってもライトやルックは、友達という言葉の方がしっくりとくる。
そんな話を続けていると、中庭にルックが現れた。城内への出入り口から、まるで公園でも散歩するかのような気軽さで、ルックは中庭の中央、ルーンたちの方へ歩み寄ってくる。
ルックは二人と目が合うと、和やかな笑みを浮かべた。
「あ、ルック。聞いて聞いて。私ライトに振られちゃった」
ルックは笑顔で言うルーンに、呆れたように笑って言い返す。
「ライトが正しい選択をしたみたいで安心したよ」
ルックとルーンは、特別にライトに会いに城まで入る権限を得ていた。もちろんそれはライトが認めさせたことだ。そのときライトに一悶着あったらしいと聞いてはいたが、ルックもルーンもライトに会いに来たかったので、それは聞かなかったことにしていた。
二人は依頼のないときはよくこの場所を訪れていた。ライトの付き人をまとめている侍従や位の高い文官たちなどは、二人のことを面白くなさそうにしていたが、それもやはり気づいていないふりをした。
「そうだ。ルックに相談したいことがあったんだけど、いいかな?」
「相談したいこと?」
ライトは少し真剣な表情を作ってそう言った。
「私はいない方がいい?」
「ううん、別にルーンに聞いてもらってもいいことなんだけど、最近ね、シャルグとビースの仲があまり良くない気がするんだ。原因が分からなくて、何か知らない?」
「えー。仲良くないって、喧嘩するってこと?」
ルックはルーンの言葉を聞いて、首相ビースに喧嘩という言葉はあまりに不似合いだと思った。
ルックはライトの相談の、明確な答えを知っていた。しかしそれをライトに告げることはためらわれた。
ビースはちょうど、ルックたちがシェンダーでルーメス退治を請け負っていたころ、カンとヨーテスの使者からある訴えを受けていた。馬鹿らしいことのようだが、戦争というのは軍と軍の争いでなければならないのだ。正々堂々と、少なくとも暗殺者が活躍していい場所ではない。彼らはビースが暗殺者を用い、カン・ヨーテス軍の多くの戦士の命を奪ったと責め立ててきた。
もちろん実質的と言われるカン人の性格上、暗殺者を使うことに抵抗などはない。現に、シュールとコライはカンの暗殺者に狙われた。しかし、それは成功しなかったのだ。大成功を収めた青の暗殺者のそれとは違う。
カンは厚顔無恥にも、アーティスの責任を問いただしてきたのだ。
それはビースにとっては予想していたことだった。ビースはそれで自分の首を差しだそうと考えていたのだ。しかし事情が変わり、ビースは死を選ぶことができなくなっていた。
まずビースはライトの命を狙ったヨーテスの女性を引き合いに出した。だがそれにはヨーテスはあらかじめ用意しておいた言い訳を返した。彼女が個人的な恨みや、愛国心で単独行動をしたのだろうと。
ビースもそれではと言うわけにはいかない。しかし、言わないわけにもいかなかった。
「左様でございますか。確かにそれでは責めるべきは国ではなく、あの女性と言うことでしょう。彼女はもう、自らが犯した罪に罰を受けております。青の暗殺者ヒルドウにも、それ相応の罰を受けて頂きましょう。匿いはいたしません。彼はこの度の咎故に国外追放といたしましょう。後はあなた方のお国が、お好きになさればよろしいでしょう」
女性の犯した罪は、アーティスが処理をした。ヒルドウの罪も、それぞれの国で罰せよと言うのだ。ビースがヨーテスの刺客を引き合いに出したのはこのためだ。
ビースは、罪を着せたヒルドウの命を奪わないため、一計を案じた。しかしそれでも、血を分けた兄弟を引き離すことは防げなかった。
シャルグは仕方がないと頭では分かっていても、ぶつけようのない怒りのため、ビースを避けていたのだろう。
「そっか、なんでだろうね」
これは決して、まだ純朴なライトには内明かせないことだった。ルックは全ての事情を聞いていたが、ライトには結局何も話さなかった。
「けどライトが不安に思うことはないよ。きっと二人が何とかするから」
「そうね、二人とももう大人なんだし、ほっとけばいいのよ」
ルーンは大人ぶって言う。ルックはそれに苦笑いしつつ同意した。
ライトはルックとルーンを見送った後、ビースの執務机で首相の仕事を手伝っていた。手伝っていたと言っても、ビースから渡されたのはとても簡単な案件や陳情ばかりで、しかもビースはそれを見極めるために一度それに目を通している。
部屋の隅には護衛としてシャルグが佇んでいる。仕事に没頭すると存在を忘れてしまいそうなほど、彼は物音一つ立てない。
ライトは文字だらけの書類の束にいい加減目が疲れてきていた。アラレルに教わった目の技法も、書類に目を通すのには役立たない。
しかしライトはここ最近、常に目の技法を使っていた。物音を立てない黒い影も、一時も気を緩めず護衛の任に集中していた。
それはここ最近の三月で、ライトが二度も命を狙われていたからだ。それもカンやヨーテスではなくアーティス人と思われる刺客にだ。そのせいでシャルグは一時もライトのそばを離れようとはしない。
ライトにはまだ慣れない城でシャルグがそばにいてくれることは嬉しかったが、そろそろシャルグにも休暇を与えたいと思っていた。それにどうしても、会話のないビースとシャルグの仲が気になっていた。
ライトはシャルグを振り返って見た。シャルグはそんなライトにすぐに気づいて、優しい視線を返してくれた。
「少し休憩にいたしましょうか」
ライトの集中力が切れたことに気付いたビースが、書類の束を脇に置き、そう言った。
ビースはライトの目から見てもとても頼もしい優秀な人だ。一体いくつ目があるのか、自分の仕事をしながらも、常に周りの様子に気を配っていた。
「うん、疲れた。あ、僕お茶入れてくるね」
ライトがまめまめしく動くのは王となっても変わらない。最近では少し世の厳しさを知っては来たが、まだまだ彼は素朴な少年だった。
ライトがお茶の葉を取りに隣の続き部屋へ行くと、シャルグとビースの間には沈黙が訪れた。
「シャルグ」
そんな沈黙を嫌ったのか、ビースは静かに言った。
「明日にでも一度家に帰られてはどうでしょうか。ルックが旅立つのでしょう」
「できない」
シャルグは言葉少なに断った。ビースはそれでもなお、シャルグの方を見つめた。
「今日の内にも、あの件の片は付きそうです。行っていただいてよろしいのですよ」
シャルグは黙っていた。まるでビースの指示に従うことが不服だと言うように、無言のままにビースに視線を返した。その目は、先ほどライトを見つめたときとは違い、深い迷いのある目だった。
ライトはお茶の粉を取り、戻ってこようとしていたが、二人の会話が聞こえて足を止めた。しかしあまりにも沈黙が長く続くので、思い切って扉を開けて二人の待つ部屋に戻った。
「ライト、休憩が終わりましたら、次はコール王国の使者との面会がございます。その後はまたリカーファ男爵が訪ねてきているのですが」
「それはどっちもやだな。コールはきっと縁談の件でしょ? 僕まだ成人してないのに。リカーファは何が望みなのかいまいち分からないし、爵位を上げてあげちゃだめなんでしょう?」
「ええ、リカーファのような男の爵位を上げれば、他の貴族たちも黙っていないでしょう。あっという間に我が国は公爵だらけになりますよ」
ライトはせっかくのお茶がまずくなった気がした。ライトにとって王というのは、ただ面倒な事柄が連続していくだけの、割に合わない仕事に思えた。




