『平凡な青年』①
第三章 ~陸の旅人~
『平凡な青年』
この大陸で英雄として名を残した人物の中で、ルックは少し特殊と言える。
例えば開国の三勇士は、強い怒りと使命感に燃え、力を付けて大帝国に向けて剣を取った。
例えば夢の旅人・ザラックは、神からの信託を得、果てしのない決意を固めて旅に出た。
ルックの生きたおよそ四百年後に生まれる緑の守人シリナは、自らの夢のためにその短い生を捧げた。
その千年後に英雄譚を残した魔討ちのカジャイは、愛した人を守るために伝説を打ち立てた。
後の世で伝説として語られるだろう私も、言わば世界のために、大陸に住む人々のために、絶望的な敵と対峙した。
全員に共通して言えるのは、皆がみな強い意志を持って自らの伝説を築き上げたということだ。
しかしルックは違う。
ルックだけは成り行きで、世間の意見に流されながら、必要に迫られながら数々の伝説を築く。
彼が強くなろうとしたのは、弟のような少年への見栄だったり、憧れた女戦士の足を引っ張らないようにするためだったり、そのときそのときで理由は違った。
彼が各地で成し遂げた偉業は、お金のためだったり、仲間への付き合いだったり、ただそこに居合わせただけだったり、とても歌になるような勇ましいものではなかった。
それでも彼は確かに伝説となった。だからとてもおかしな話だが、この大陸の伝説となった人間で、彼ほど普通だった人はいないだろう。
戦争が終わって一年、ルックはついに明日、成人を迎える。その日をもって、シュールのチームは解散をする。
ルックは誕生日の前日の朝、とても早くに目が覚めた。三つ並んだベッドは、右はとてもきれいに整えられている。左にはまだ静かな寝息を立てるルーンがいた。
ルックは音を立てないように壁に立てかけていた大剣を持って部屋を出た。寝癖のついた癖毛から覗く目には、強い決意が見えている。そしてその目は、これから迎えるまだ見ぬ世界を思い、光り輝いていた。
ルックは暖炉の消えた冷え冷えとした居間に入った。暖炉の隣のドアを開け台所に入る。
そこにはもちろん、いつも朝食を用意してくれていた巨漢の姿はない。ルックはこの一年ですっかり手慣れた、朝食の用意をし始めた。新鮮な野菜を洗い切り分けて、昨日汲みおいていた水に漬ける。小刀で天井に吊されていたあぶり肉を切り出し、小麦粉と調味料をまぶす。ドーモンのに比べて随分簡単な朝食だ。ルックはそれで下ごしらえを終え、家を出て近くのパン屋へ向かった。
悲哀の子に甚大な被害を受けた街だが、すでにその事件は人々の心には昔のことになりつつあった。早朝だったが、井戸に水を汲みに行く者や、ルックと同じくパンを買いに行く者、早起きの老人、戦争前と変わらない、平和な町並みがそこにはあった。
ルックの家は住宅地にあり、パン屋までは歩いて五クランほどの距離があった。ルックはその道中、見知った顔に出くわした。
彼女は意外にルックたちとは住んでいる場所が近かったらしい。戦争の後、ルックはたびたび顔を合わせていた。
「ミーミーマ」
ルックは彼女に親しげに声をかけた。ミーミーマはやはりルックと同じくパンを買いに出ていたようで、手には取っ手に花柄の布を巻いたかごを下げていた。長丈の紫色のドレス姿で髪は簡単にだが結い上げられている。
「おや、ルック。今日も早いね」
「ミーミーマこそ。そのかご、また新しく作ったんだ」
ミーミーマはビラスイの部隊では一、二を争うほど強かった。しかし、彼女は先の戦争で右足の腱に重大な傷を負った。それは治水の魔法にも治せないもので、彼女はフォルキスギルドを辞め、小物を作って売り、細々と生活していた。戦争に参加したアレーには多額の報酬が与えられた。小物づくりはミーミーマの趣味のようなものでほとんど稼ぎはないらしいが、彼女一人が生きるには何の不自由もないそうだ。
「ええ、なかなかの自信作よ。そうだ、ルック、後でよかったらうちに来ないかしら。あなたそろそろ十五になるでしょう」
何か見せたい新作でもあるのかと思ったが、ミーミーマはそこでまじめな目でルックを見つめた。
「話しておくべきことがあると思うの」
ルックは直感的にそれがなんだか分かった。ルックもミーミーマに聞こうかどうか迷っていたことだ。聞きたくないような気もしたが、やはり聞かなければならないことなのだろう。
「分かった。じゃあ朝ご飯を食べたらすぐ行くよ」
ルックはそれから棒状のパンと丸いパンをそれぞれ三つ買い、家に戻った。居間へ入ると、すでにシュールが起き出していて、静かに古い本をめくっていた。
「おはよう、シュール」
「ああ、おはよう。昨日はよく眠れたか?」
ルックはシュールの言葉に曖昧に笑んだ。実を言うとここ最近は興奮してなかなか寝付けないでいたのだ。
「何の本を読んでるの?」
ルックはシュールの手にある、紺の背表紙の古本に目を向ける。
「これは太陽風とルーメスの出現の関連性について書いた、キーン帝国大学の研究書の写本だ」
「うわ、長い名前。難しそうだね」
「いや、どうも難しい言葉を使って、無理のある仮説をもっともらしく見せてあるだけの物だな。あまり読む価値もなさそうだ」
「そっか」
シュールは戦争の後からほとんどの時間を、ルーメスについて調べるのに費やしていた。最初はドゥールやアラレルたちのためだったが、今はそのためだけではない。ルーメスはいまや、この大陸で最もありふれた災害になっていたのだ。
アラレルたちのように討伐に向かうものや、シュールのようにルーメスの研究をするものは今大陸では少なくない。
だが現状、各地に出現するルーメスに有効な手立てを見つけ出したものはいない。子爵クラスの片腕のルーメスも、アラレルたちが向かってしばらく経つが、未だに被害が聞かれる。
「こうも大陸中で起こってるってなると、シュールが言ってたカンの陰謀説は間違いだったみたいだね」
「そうだな。正直ここまで調べてみても、全く原因がつかめない。仮説すら立てられない状況だ。後は全てを知る者にでも聞くしかないかな」
全てを知る者というのは、フィーン帝国のオルタ山地にいると言われる賢人だ。ほとんど民話のような存在だが、そんなものにも縋りたくなるほど、世界は危機的な状況だった。
ルックはそれから台所に向かい、下ごしらえをした肉を一口大に切り分けて、火を起こし、それを鉄板の上で焼いた。元々が炙られている肉だったので、軽く火を通すだけだ。その間にルックは野菜を水切りし、皿に盛り合わせる。
温められた肉を皿に載せると、ルックはそれを食卓に運んでいった。両手と右腕に器用に皿を乗せ、三人分の食事が並ぶ。買ってきたパンをそれぞれの席に置き、台所に戻ってコップを三つ運んできた。
それから彼は寝室に戻り、まだ静かな寝息を立てているルーンを起こす。
前に一度、いつかの仕返しに鍋蓋を叩いてルーンを起こしたことがあったのだが、その朝中ルーンが口をきいてくれなかったので、優しく揺すって起こしてやった。
三人が食卓に着くと、シュールが厳かな口調で朝の挨拶を始めた。
「天の高みにおわすシビリア神に敬意を、大地を育むシビリアの母ケーシアに感謝を、大いなる海を司るシビリアの父ファダリアに畏敬を。今日一日が平穏無事に過ぐることを祈りつつ、人らしく生きることを三方に誓う」
シュールは敬虔な素振りでそう言うと、「食べようか」と軽く笑いながら言う。それを合図に、三人は朝食を食べ始めた。
「そうだシュール、僕が全てを知る者のところに行って聞いてこよっか」
ライトがよくしていたように、ルックは三人のコップにお茶を注ぎながら言う。
「なになに? なんの話?」
ルーンは言って炙り肉を一口頬張る。
「ははは、ルックにルーメスの大量発生の話をしていて、原因が分からないから、全てを知る者にでも聞こうかと言ってたんだ。そうだな。じゃあ大陸を巡る旅の途中に是非聞いてきてくれ」
「あはは、ルックそんな大根伝説信じてるの? まるでお子さまだね」
「ルーン、あるかないかが分からないことをないと決めつけるのは、進化を否定するのと同義だよ」
ルックはルーンのからかいにそう応じる。にやにやした顔で、さもありなんと言いきった。
「それは新説ね。初めて聞いた」
二人のそんなやりとりが、子供時代から二人を見てきたシュールにはどこかおかしかったのだろう。声を立てて笑い出す。
シビリア教の教えにかなう、終始明るい食卓だった。




