⑫
それから一時間ほどでナーファの治療が終わった。
ナーファはまだ意識を取り戻していないが、外傷はなくなっている。ナーファを風呂から引き上げるのを、シュールとライトも手伝った。
けが人はナーファだけではなかったようで、ルーンは引き続き風呂場でけが人の治療に当たった。しかしけが人の中に重傷者はいなく、シュールとライトとシャルグは客間でひと息ついた。
三人で客間のソファーに腰を下ろす。ソファーは一つのテーブルを挟んで二つ置かれていて、ライトはシュールの隣に、シャルグは二人の向かいに座った。
シャルグはライトの無事を確認して安心したのだろうが、だからといってそれでライトを赦す気はないようだ。
ライトもシャルグから静かな怒りを感じ取っているのだろう。目を伏せたまま言い訳の言葉を探していた。
この場はシャルグに任せるつもりでいたシュールだが、あまりに二人の沈黙が長く続くので、あきらめてため息をついた。
「シャルグ、良くライトのいる場所が分かったな」
「念のための確認だが、シュールは今回のことは知らなかっただろうな?」
シャルグの物言いに、思わずシュールは笑いそうになってしまった。もしシュールが知っていたとしたら、さぞかしシャルグにどやされていただろう。
「もちろん知らなかったさ」
シュールは真面目な顔を作って答えた。
「そうか。ビースが予期していたようだ」
まるでビースとシュールを比較するような言い方だが、シュールはすぐにそうではないと分かった。シャルグは先ほどのシュールの問いに答えただけなのだ。
「なるほどな。さすがあの人だ。俺は今回のライトの行動を知って、さぞ首都では騒動になっているだろうと思っていたよ」
シュールが冗談めかして言うのに、寡黙な親友は何も答えなかった。
しかしその目が、シュールの発言にどう思うと、雄弁にライトに向けられていた。
目を伏せたままだったライトも、シャルグの気配を感じ取ったのだろう。萎らしく謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい」
シュールはそれにも笑いを堪えつつ、これを可笑しいと思えることに、内心で感謝した。死人は出てしまったが、厳しい状況をなんとか乗り切れたと言えるだろう。
「シェンダーに行ったルーメスは、シャルグが倒したの?」
シュールから大体のあらましを聞いたルックは、馬車の上でそう聞いた。
「ああ、らしいな。ナーファがルーメスに負けて、土像を用意しようとしてたルーンが追い回されていたらしいんだ。そこにちょうどシャルグが現れたそうだ。ははは。ルーンがまるでグリッド・ウォル・ハンシオンのような登場だったと言ってたよ」
グリッドというのは、有名な騎士の本で語られる主人公の名だ。いつも颯爽とかっこよく現れる正義の味方。シャルグとは大分イメージが合わないので、ルックは少し吹き出してしまった。
「それで、ナーファのやつは無事なんだろうね?」
「ああ。怪我の方はもう大丈夫だ。しかし愛しの姫君のことが心配らしくてな、かなりやきもきしていたよ」
シュールが話の流れからか、騎士の物語になぞらえたような表現をした。
「ふん。お前は相変わらず、あのくだらん本が好きなようだな」
「新作はもう期待できそうにないからな。どうしても古いやつを読み返すことになるのさ」
ルックはそれほどまでシュールが騎士の物語を好きだったのだと、初めて知った。
ルックとライトが良くやる、拳で肩と肩を打つ仕草は、この騎士の物語に出てくるものだ。
もっと小さい頃に、シャルグが子供三人に騎士の物語を読んでくれたことを思い出す。
「ルーンって、興味なさそうに聞いてたのに、騎士の名前まで覚えてたんだね」
「興味なさそうだったか? ルーンも割と気に入ってると思ってたけどな」
ルックとライトは物語の騎士に憧れて、そんな二人をルーンが良くからかっていた。
ルックは子供時代のそんな話を伝えると、馬車を御していたコライが笑って言った。
「私はあの嬢ちゃんの気持ちが分かる気がする。あの物語は、騎士の強さを誇張する場面が多いんだ。うちのガキも騎士に憧れちまってるよ。
だけどあの話には騎士グリッドの、王女に抱く隠れた想いが書かれてるだろ? 女の子っていうのはそっちの方が気になるもんだ。だからルックとライト王が騎士に憧れるのを、子供扱いしてたんだろう」
なるほど、言われてみればそうだったのかもしれない。ライトは騎士の強さに惹かれていた。ルックは騎士の強さより、高潔さや公正さに惹かれていた。ルーンはそれよりも、騎士の想いに目が向いていたのだろう。
騎士の恋心は、はっきりと言葉では書かれていなかった気がする。ルーンは文章の裏を読めない二人をからかっていたのだ。
「それぞれ面白いって思うところが違うんだね。なんか不思議な気がするな」
「あれはそういった、人の価値観の違いを分かって書いてたんだろうな。まあ、私はあの話は好きじゃないが、ビースのそういった哲学的な発想は嫌いじゃない」
話をまとめるようにコライが言った。しかしルックは、なぜコライがビースと言ったのか分からず、問いかけの目線をシュールに送った。
シュールはそれに楽しそうな笑みを見せる。
「ルックには教えていなかったな。シュールは前王に頼まれて首相をやる前、いくつも本を書いていたんだ。あの騎士の物語、『聖なるミルトの騎士』もその内の一つだ」
「そんな! ほんとなの?」
「ああ。ビースから直接口止めをされていたんだよ」
「なんだ? 私は言っちゃ不味いことを言ったのか?」
「いや、ルックにはもう言っても大丈夫だろう。もう秘密が守れない歳でもないからな。ビースが知ってほしくなかったのはライトにだ。いつか公の場で会うときに、やりづらくなると思ったんだろう」
「ははん。なるほどな。なら私も王の前では口を滑らせないようにしよう」
そう言ったコライが、豪快に笑う。
ルックは揺れる馬車の上で、大事な親友に秘密を持ってしまったことを思い、ため息をついた。
それから三人はルーンたちと合流した。本当はルーンの買い物や、シュールのルーメスへの調査や、ルックもコライへ稽古を依頼する予定だったが、その全てがまたの機会に見送られることになった。
何よりもライトを首都に送り届けなければならないのだ。
帰る途中、ルーンが散々そのことでライトをからかった。ライトはシャルグにやり込められていたのもあり、とても申し訳なさそうな表情でいた。
実はその件に関しては、ルーンも多少同罪なところがあるのだが、ルーンは他の誰にもそのことは言わなかった。
どの道城に戻れば、ライトはその話をビースに聞かされる。
ルーンはそのときライトが自分を恨めしく思うことまで考えて、ライトにいたずらな笑みを見せた。
ルックはそんな二人のやり取りを見て、一年前に戻ったような気がした。しかし頭ではそうではないと当然ながら分かっていて、一人困ったような笑みを浮かべた。
ルックが成人を向かえるまで、あと何回こうして仲間といられるのだろう。
ルーン、ライト、シュール、シャルグ。ルックは仲間の顔を順番に見ていった。
彼らと、ここにはいないドゥールとドーモン。
一人ひとりとの思い出を噛みしめたあと、ルックはクリーム色の髪を持つ女性の顔を思い浮かべた。
またリリアンに会ったら、必ずこの素晴らしい思い出を話すだろう。
リリアンはルックの話にどう答えてくれるだろうか。
ルックは早くリリアンに会いたくなった。
そして反面、ここにずっといたいという気持ちを強くした。




