⑨
ルックたちはそれから本当にすぐにシェンダーをたった。
ルーンとナーファは街の南にあるコライの家で待機と決まったので、一行はルック、ライト、シュール、コライの四人だ。
四人の移動は馬車だった。四人とも馬車よりは大分早く走れたが、無駄に体力を消費することになるのだ。馬車は二頭の馬をコライが御していた。
人を運ぶ用の馬車ではないらしく、ルックたちが乗っているのは屋根のない荷台だった。
酒樽を運ぶ馬車なのか、何も荷物を乗せていないのに、酒の匂いがこびり付いていた。
「あはは、酔っ払っちゃいそう」
ライトが楽しげに笑っている。
首都のことは心配だったが、やっぱりライトがいてくれるのは嬉しかった。戦闘力を期待してのことではなく、ルックは昔に戻ったような錯覚を持ったのだ。
「ああ、うちは代々酒屋だからな。このおんぼろにも染み着いちまってるんだろ」
コライがそんな説明をしてくれた。
「そういえばコライ、子供は元気にしてるか?」
シュールの問いに後ろ向きのコライがうつむき加減で首を振る。
シュールは一瞬嫌な予感を覚えたのだろう。表情を固くした。
「全く、元気すぎて手に負えないよ」
しかしコライの言葉に、シュールはにわかに安堵を顔に浮かべ、苦笑した。
「それはなによりだ。今いくつになったんだ?」
「六つだよ。ったく、信じられるか? 六つのガキがこの間、うちのじじいと酒盛りをしていたんだぞ?」
「コライって結婚してたんだ?」
ルックは二人の話に興味を持って聞いてみた。
「意外だとか言ったら蹴落としてやるぞ」
「え、言わないよ」
ドスを効かせるコライに、ルックは少ししどろもどろに答えた。言われてみると確かにコライは恋愛に興味などなさそうで、意外に思えたのだ。
シュールがそれにくくと笑いながら、会話を続ける。
「ちなみにさっきのナーファは、例の前ギルド長か?」
「ああ、まあ、そうっちゃそうだな」
歯切れの悪いコライの答えに、シュールはにやにや笑いを浮かべる。そこにライトが口を挟んだ。
「あれ? ガルーギルドの前のギルド長って、もっと年上だと思ってたけど?」
ライトは国王になって、国の主要アレーギルド、ガルーのことも学んでいたのだろう。
「ああ、それは十年前のグリッダ婆だろ? 十年前の戦争のあとあのばばあはすぐに私に仕事を押し付けて、隠居しやがった。それから二年か三年して、私が妊娠して、その間ギルド長をやってたのがナーファなんだ」
「そうなんだ。それはちゃんと知らなかったなあ」
ガルーギルドの長とはいっても、コライが出産をするほんの数月だけでは、大した仕事もしていないだろう。ライトがこのことを教えられていなかったのは当然だった。
ルックはそのことよりもシュールのにやけた笑いの方が気になっていた。
「シュール。なんでナーファは『例の前ギルド長』なの?」
「ああ、彼は一時期、国中で話題になった人なんだ」
説明をくれようとしたシュールに、コライが厳しく釘を刺す。
「シュール。笑い話にしようってんなら、ただじゃ済まさないからな」
「ははは。ナーファは国で一番不幸な男だって言われてたんだ」
「そうなの? どうして?」
凄むコライを無視してシュールが続ける。心臓が悪いとは聞いたが、ナーファはそう陰鬱な雰囲気はなかった。
「当時ナーファはコライに言い寄られて、泣く泣く結婚をしたと言われていたんだ」
「え? ナーファがコライの旦那さんなの?」
「どうしてナーファは泣く泣く結婚したの?」
シュールの説明にルックとライトが続けて聞いた。ルックの問いにはシュールが軽く頷き、ライトの問いにはコライが答えた。
「別に泣く泣くなんてわけじゃないさ。私はガルーギルドの長だったし、ナーファは有名な商家の長男だった。どっちもそれなりに有名人だったんだ。だから面白おかしく噂されたんだろ。
私はすこぶるつきの醜女だからね。洒落てて垢抜けたナーファと釣り合わないように見られたんだ。それで私が無理やり奴を口説き落としたことにされたんだよ」
コライの説明に、ルックはずいぶんひどい話だと感じた。といっても過ぎた話だし、事実が異なっていただろうことは、コライの態度からも、ナーファと話した印象からも分かりきっていた。だからただただ呆れるだけだったのだが、ライトはルックよりも数倍過敏に反応した。
しきりに批判の言葉を並べ、シュールに対しても咎めるように言った。
「シュールもこんな話を笑い話にするなんて、どうかしてるよ!」
シュールはライトの幼い苛立ちに苦笑しながら、それでも楽しそうに弁解を始めた。
「俺がおかしく思ってたのは、その噂にじゃないんだ。俺はもともとコライとは十年前の戦争より以前からの知り合いで、戦争のあとも手紙のやり取りをする間柄だった。
コライはとても頭がいい。政治のことや哲学、経済、軍略、様々なことを教えてもらっていたんだ」
「そうなんだ。それならコライはシュールの先生だったの?」
ルックは自分を教え導いてくれたシュールに、コライが教えを説いていたことに強い関心を持った。
「それほど大した話はしちゃいないさ。政治や経済のことは当時からシュールの方が分かっていたくらいだね。あんときはまだシュールは十代半ばだろ? 恐ろしいガキだと思ったね」
「俺にはコライだけじゃなく、ビースやディーキスも教えてくれていたからな。子供の頃に組んでたチームの大人も、博識な師だったんだ。恵まれた環境にいたんだよ」
「それで結局シュールは何を面白く思ったの?」
ライトが機嫌を直し、興味深げにシュールに尋ねた。
「ああ。最初はそんな堅苦しい文面をやり取りしていたのに、あるときから突然、手紙の内容が恋愛相談になったんだ」
ルックはなるほどと思いながら、シェンダーに置いてきたルーンが喜びそうな話だと思った。
「ちっ。一つ断っておくが、堅苦しい話は何十通もやり取りしていたんだ。その間私とシュールは一度も顔を合わせてない」
ライトがコライの断りに、それがどうしたのだろうと首をかしげてくる。ルックもそれに首をかしげ返した。
ただルックはコライの言わんとすることについては分かっていた。コライは年下のシュールに相談をしたことへ、言い訳をしようとしているのだ。しかしシュールがコライをからかおうとしているのはその点ではなかった。
シュールは、コライが政治も哲学も忘れて恋愛に溺れたと言おうとしていた。恐らくコライの子供の話をしたところから、その結論へ持って行こうとしていたのだろう。
だからルックはコライが言い訳をするべきところは違うと、疑問に思ったのだ。
「シュールは毎回、まるで老獪な政治家みたいな文面を寄越してきたんだ。確かに恋愛相談はしたが、その頃にはもう私は、シュールが成人したばかりの青二才だとは忘れていたんだ」
コライはシュールよりかなり年上だ。コライの正確な歳は聞いていないが、ルックとシュールより年齢差があるだろう。
「あはは。シュールって時々おじいさんみたいなこと言うもんね」
ライトがからかうようにシュールに言って、コライが前を向いたまま肩をすくめた。
ルックはその動作で気づいた。そして同時に思わず吹き出してしまった。コライは今、勝ち誇った顔をしているのだろう。
今コライが肩をすくめたのはシュールに対してだ。シュールも苦笑いをしている。
コライは先ほどの言い訳で、話の矛先をシュールに向けさせたのだ。二十四の若さでおじいさんと言われたのでは、さすがにシュールも気にするだろう。
シュールは遠くの話題から逃げ道を塞ぐように外堀を埋め、回りくどくコライをからかおうとした。そしてそのからかいにルックとライトを巻き込もうとしていたのだ。しかしまんまと反撃にあい、味方にする予定のライトを取られた。
自分とルーンとのやり取りに比べ、シュールとコライの応酬はとても高度だった。
「全く、どっちが老獪なんだ」
シュールが楽しそうに笑って言ったのに、ライトが不思議そうな顔を向けていた。




