⑦
「そうですか、ライト王が」
シャルグが慌てふためいた様子でもたらした報告を、アーティス国首相ビースは、落ち着いて受け止めた。
怪訝そうな顔をするシャルグに、ビースは先日のことを思い返した。
「あ、ビース、今忙しい?」
親しくないわけではないが、彼女から声をかけられるのは珍しかった。
ライト王と会ってきた帰りなのだろう。振り向いた先には王城の廊下にふさわしくない、成人前の少女がいた。
非常に大きな瞳。服装は歳よりも幼く、十になる前の少女が着るような動きやすそうなものだ。もう来年には成人するはずの彼女だが、彼女はアレーで戦士なのだ。彼女の緑の髪をひと目見れば、誰が見てもおかしな服装だとは思わないだろう。
「どうかされましたか?」
少女は忙しいかどうかたずねてきたが、ビースが忙しいのはほとんどいつものことだ。ルーンも当然それを知っているはずだった。わざわざそれでも声をかけてきたということは、大事な用件があるのだろう。
ビースは一見幼く見えるこの大きな瞳が、実は成熟した感性を持っていることを知っていた。
「うん、ちょっとどうかしちゃいそうだから」
とはいえ、こういたずらな笑みを見せるところは、やはり十四の少女なのだ。ビースは柔らかい笑みを返すと、ルーンの言葉の続きを待った。
「たぶんもうすぐライトがシャルグを怒らせちゃうから、ビースはライトの味方してあげてね」
よく分からない発言だが、もとよりルーンには分からせるつもりはないのだろう。それでもわざわざこう言ってきたということは、時がくれば分かるということなのだろう。そしてそのときに気付くことに、必ずなにか意味があるのだ。
ビースは全てを飲み込んだ上で、笑顔のままうなずいた。
「かしこまりました。覚えておきましょう」
「ありがと」
ビースの反応に満足したようで、ルーンは明るい笑顔で礼を言ってきた。
「ビース、知っていたのか?」
ルーンとのやりとりを思い出して苦笑したビースに、シャルグが短く問いかけてくる。
王が突然いなくなるなど、考えてみたらかなりの非常事態だ。あらかじめルーンに聞いていなかったら、国を上げて捜索していたことだろう。ルーンが予想していたことが、これほどの大事だとは思わなかった。
仮にルーンがなにも言っていなかったとしても、ライトは忽然と姿を消したことだろう。
「いえ、知っていたわけではありませんが」
ビースは苦笑まじりに答える。
「シャルグ、あなたはフォルキスギルドに行って、ルーンが今どこにいるのかを聞いて、そちらに向かって下さい」
ビースの言葉にシャルグは一言了解したと述べ、すぐに立ち去った。
執務室で一人になったビースは、にわかに政治家の顔になる。ライトとシャルグ、二人がいない間にやっておいた方が良いことがある。
突然舞い降りたこの状況をあっさりと受け止めた優秀な男は、現状なすべき最善のことをすぐさま考え始めた。
そして優秀な政治家としてではない、情に厚い本来の彼が、これから自分がしようとすることに忌まわしげなため息を吐き出した。
ルックとルーンとシュールは、街を出てすぐ西に向かった。西にはディーキス公爵の本館があり、初日はそこの近くの宿屋で一泊した。
シェンダーの港町はここから西北西にあるのだが、ディーキスの領はほとんどが広大な農地で、館の周辺の村から先は当分の間、宿屋はない。ルーンの体力も考えて本格的な移動は明日にしたのだ。
次の日朝早く出発した彼らは、夜遅くになってから次の町にたどり着いた。
ここはもうディーキスの領地ではなく、ヘイマー伯爵の領地だ。
町の名前はカンマーといい、伯爵領の五つの町の中では最も小さいらしい。街は焼き物の工芸品を主要産業にしていた。しかし工芸品はアーティスではあまり流行らない。町はどちらかと言えば貧しいようだった。
カンマーは伯爵領の最南端で、彼らの向かう西には他に町はなかった。小さな村落は二つ通り過ぎたが宿はない。次の日ルックたちは平原の真ん中で野宿をした。
「明日にはクランプという街に着くはずだ。そこで食料を買い足しておこうか」
そう言うシュールを見て、ルックは久しぶりにシュールがリーダーらしいことを言ったように思えた。そしてふと、自分たちのチームがもうこの三人だけなのを思い出した。
広大なアーティス平原の真ん中で、ルックは離れ離れになった仲間たちの顔を思い浮かべた。
それから七日歩き続け、三人はシェンダーの手前の町までたどり着いた。
このコルダルという町は、海に流れる大河のほとりに作られている、工業の町だった。この町では船の部品を作り、それをシェンダーに運び込んでいるのだという。
シェンダーは大きな港で、この隣町とシェンダーの間には途切れることなく民家が並んでいる。
その話を聞いたルックは、それならここはシェンダーの一部なのではないかと思った。それにはシュールが丁寧に説明をしてくれた。
「元々ここはシェンダーとはしっかり距離があったらしいんだけどな。シェンダーが大きくなるにつれてほとんど一つの街になってしまったらしい」
無計画に発展した街はごちゃ混ぜなにぎやかさがあった。
シェンダーとコルダルは二つ合わせると、豊かなアーティスでも指折りの人口を誇る街だ。実際に正確な人数を数えたわけではないが、アーティス二十四の街の中でも首都に次ぐ都市だろう。港町なので、特に商業が盛んだ。ルックたちがいるのは工業の町コルダルだが、少し歩けば様々な商店が目に入る。
「ねーねー、ルーメス退治が終わったらさ、少し買い物してってもいい?」
ルーンがはしゃいで町を見回す。
「買い物をするならシェンダーの方がいいだろうな。俺も本を見てみたい。ルックも腕を磨きたいなら、コライに稽古を付けてもらうといい。そうだな。図書館にも寄ってみたいし、依頼を終えたら数日滞在するか」
「コライってそんなに強いの?」
ルックはコライがルーメスを退けたと聞いて、ルーメスの強さが貴族クラスではないと判断していた。しかし考えてみたら、コライの強さは全く知らない。
「強いかどうかで言えばもちろん強いが、シャルグやドゥールほどではないだろうな。ただ独特な戦闘スタイルで、参考になるところが多いと思う」
「そっか。それなら依頼のあとにお願いしてみるよ」
ルックたちはとりあえずコルダルで一泊することにした。明日シェンダーのガルーギルドに寄り、コライと会い、問題がなければそのままルーメス退治に向かう。
「何も問題がないといいね」
ルックは率直に自分の気持ちを述べた。
何も問題がないといい。ルックは昨日そう言ったが、ルーンはすでに大問題が起こるだろうと予測していた。
これはルーンの中に芽生えたあの不思議な感覚によるものではない。持ち前の勘の良さから気付いたものだ。
陽が明るくなってすぐ宿を出て、ルーンたちは談笑をしながらシェンダーへ進んだ。ガルーギルドはシェンダーの中央区にあり、昼過ぎには着いた。
アーティーズのフォルキスギルドの本部は、真面目な造りの木造建築だったが、ガルーギルドの建物は洒落た造りだった。薄いピンクや黄色など、明るい色の色石を組んだ建物で、大きな門が常に開放されている。シェンダーの砦とともに多くの戦士が命を落としたが、戦士でないアレーはまだたくさんいるようで、ギルドの前には色とりどりの髪がたくさん行き来している。
門をくぐるといくつかの窓口があり、窓口の前にはそれぞれの役割が書かれた立て札が置かれていた。窓口の前には人が列をなしている。
呼び出しの声や横入りをとがめる声、それに言い返す声。ギルドの中はとてもにぎやかだった。
「どこに並べばいいのかな?」
ルーンが見た限り立て札は三種類ある。依頼を受ける、依頼をする、依頼の報告をする、といった内容だった。どれもルーンたちの状態には当てはまらない。強いて言えば依頼を受けるかもしれないが、ルックが依頼を受けたのはフォルキスギルドだ。ここで改めてガルーギルドの受付を通す必要はないだろう。
窓口の奥には待合所があり、そこではギルドからの応答を待つ人がいたり、共同で依頼にあたる人がいないか探す人がいた。さらに奥には二階へ続く階段がある。建物の中はこれで全てだ。
ルックも周りを見回して、ルーンと同じ事を考えたようだった。
「うーん、とりあえずギルドで働いてる人に声をかけたいね」
もちろん普通に並べば職員を捕まえることは簡単にできる。しかしどの列もなかなかの混み具合で、並んで待つのは時間の無駄な気がしたのだ。
「先に本買っておけば良かったね」
ルックがからかうようにシュールに言って、シュールがそれに声を上げて笑う。
ルーンはそんな二人を尻目に、手近な人に声をかけてみた。
「少しいいですか?」
ルーンの声に振り返ったのは、依頼者の列でのんびりと順番待ちをしていた女性だった。
「私たちアーティーズのフォルキスギルドから、ルーメス退治の依頼を受けて来たんですけど、誰にお話したらいいですか?」
四十くらいのキーネで、ふくよかな人好きのする見た目の女性だ。突然のルーンの問いかけにも、真剣な目で応じてくれた。
「へぇ、お国のギルドの人。遠いところまでご苦労様だね。そういったことなら二階に直接言いにいっていいんじゃないかい? 奥の階段を上って左に行くと、ここの職員の休憩室があるから、誰か取り合ってくれるさね」
女性は気安い口調だった。ルーメスが出たにしてはのんきすぎる口調な気がした。
「まあ無駄足かもしんないが、頑張っておくれよ」
礼を言って階段に向かおうとした三人に、ふくよかな女性はそう声をかけてきた。
待合所を抜けて階段を上がる途中、ルックがシュールにたずねた。
「無駄足ってどういうことだろ?」
「さあ、どうだろうかな。まあ俺としては無駄足なら楽でいいけどな」
「うーん、それはそうなんだけど」
力試しをしたいルックをからかうような発言に、ルックが曖昧な返事を返していた。それを聞きながらルーンは、女性の言った意味をなんとなく分かっていた。
もし自分の予想が当たっていたら、シュールは決して楽にならない。
ほくそ笑むルーンに気付いたルックが、問いかけの目線を投げてくる。
ルーンが答えようかどうか迷っているうちに、階段が終わって、左手から声がかかった。
「シュール! お前が来たか! 来てくれて良かった」
ドアのない大部屋の中から、聞き覚えのあるしゃがれた女性の声がする。
三人が目を向けると、昼時過ぎだからだろう。大部屋の中はかなり空いているようだった。
大部屋には三人のアレーがいた。
一人は見知らぬアレーで、五十後半ほどの歳だろう。背が高くはないがすらりとした細身で、黄緑色の髪をオールバックに固めている。きっちりとした服装に身を包んでいるが、腰には剣を差している。
もう一人は三十代の女性だ。赤紫の髪を無骨に伸ばし、太い眉の間には濃い皺が刻まれている。化粧気のないあばた面の顔は、隣の洒落た年配の男性とは対照的だ。
見るからに機嫌の悪く見える顔は以前見たときもそうだったが、今は本当に機嫌が悪そうだ。
コライの機嫌が悪いわけはすぐに分かった。
コライと年配のアレーに挟まれて、明るい笑顔で手を振ってくるもう一人。
金色の髪。神々の彫像のように整った顔立ち。歳の割にあどけなさを見せる表情は、楽観的で前向きな彼の性格がそうさせているのだろう。
コライはその少年をどう扱っていいのか分からず、機嫌が悪くなっているのだ。
笑顔で手を振り返すルーンに対し、ルックとシュールは困惑に固まっている。
「遅いよ。僕は昨日には着いてたよ? ルーメスが出たんだからもっと急がないと」
いたずらな笑みでそう言ってくる少年に、コライが匙を投げるような目線を投げてくる。
しかしそれに答えるべきシュールは、あまりのことにまだ言葉を発せないでいるのだった。




