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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第三章 ~陸の旅人~
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 そこはどこまでもどこまでもただ暗いだけの場所だった。

 古い鉱山跡だろう。自然ではない洞窟の奥深くだ。

 壁には灯りを灯すための燭台が並んでいるはずだが、どれも今は使われなくなって久しい。天空に浮かぶ巨大なマナの光も、この場所には届いたことはないだろう。

 生命を育む陽の光が届かない場所では、生物は育たない。動物はもちろん、苔の類もここにはない。人の目には見えない小さな精霊も、ここまでマナのない場所では存在できないだろう。


 そう、陽の光が差さないここには、生きるのに必要なマナがないのだ。

 そのマナがなければ水や食糧があったとしても、この世界の生き物は寄り付かない。本能が近付くことを避けるためだ。

 このような場所に来るものは、本能を抑える知能を持つ者だけだ。

 そして知能を持つ者はこの場所を薄気味悪いと感じる。従って結局この場所に生物が来ることはない。人に有益な資源が取り尽くされたこの廃坑は、ただ闇が住むばかりの場所となっていた。


 だからこそなのだろう。

 今ここに四人の人間がいる。

 そのうちの三人は、この重苦しい闇の中にいてなお、さらなる闇を感じさせる人間だった。


「やはり効果は薄いようですね」


 最も深い闇を持つ一人が言った。落ち着いた壮年の男性の声だ。それにもう一人が鼻を鳴らして応じる。

 壮年の男性はその態度をとがめた。


「そのような顔をしたところで、事態は好転しないでしょう」


 そのような顔とはどういった顔なのか、最後の一人、クロックは精一杯目を凝らしてみたが、やはり何も見えない。

 クロックはあの戦争から抜け出したあと、母とダルクに導かれてここにやってきていた。


 大陸の地図と照らし合わせるなら、ここはヨーテスの最東端に位置する山の中だ。かつてここがフィーン帝国の勢力圏だったときには、フィーン帝国はこの山から岩塩を掘り出していた。その時代は坑道のほど近くに大きな街があったらしい。しかしフィーン帝国が衰退し、この山から岩塩が掘り尽くされると、街は廃れ、他にめぼしい資源や恵みのないこの地は辺境となった。

 そこに目を付けたのが、闇の大神官クラムだ。

 クラムは元々その廃れた街の出身だったらしい。

 長いキーン時代を生き抜いたクラムは、人も寄り付かないこの場所を自らの城とし、時の無常に抗う儀式を始めた。

 本来ここにはクラムに従う神官二名がいるが、今その二人はルーメス狩りの旅に出ていない。


 今ここにいるのは、三人しかいない闇の大神官全員と、その内の一人の子、クロックだ。


「幸い私たちの他にもいくつもの力が歪みに手を加えているようです。それらと打ち合わせればもう少し効率的にやることもできるでしょうが……」


 この廃坑の主が言う。それに一切の感情を感じさせない声が答える。


「それは悪くはない考えだ。しかし効率を上げたとして、もはやこの崩壊を引き戻せはしないだろう」

「そうね。どうやらダルク、あなたの案を採用するしかないようよ。ふん、さぞ満足だろうね」

「満足か不満かで言えば、私としては現状に不満だ」


 感情のこもらない声は、不満と言いつつも淡々としている。しかし卑屈な発言をしたディフィカはそれに反論はしなかった。非常に分かりにくいが、ダルクの言葉は正直な思いなのだろう。


「どの道」


 クラムが暗いため息をつく。


「行動を起こすのはまだかなり先の話になるでしょう。できればテスのメスが望ましい」

「今年のその日には間に合わないだろうね。そうすると来年かい?」

「ええ。あまり遅くするわけにも行かないでしょうし、急いてより事態を悪化させたのでは、もう打つ手はございません」


 クロックには大神官たちの話は半分も理解できなかったが、今この場で意味をたずねる勇気はない。陽のない坑道の中に響く三種の暗い声が、重たく沈黙する。

 その沈黙を淡々とした声が埋める。


「限界まではできる限りのことをしよう。その間に他の力の使い道も考え、最後の手段にまで及ばないように努力をするのが良く思える」


 前向きな発言のため、よりその言葉はクロックの不安を掻き立てた。

 もう彼らには分かっているのだろう。彼らの力ではこの事態を収拾できないだろうことに。母がもたらしたこの滅びへの流れは、幾千もの命を奪い去る。それは決して母やクラムの望むものではないはずだ。ダルクですらこの状況を不満と言った。

 それほどの状況だ。

 まるで想像できないが、母が自責の念を抱いていることは間違いがない。


 クロックの胸は暗澹たる想いに沈んだ。

 そしてダルクの発言には、母とクラムからも異論は上がらなかった。

 再び闇の中には重たい沈黙がのしかかった。




 シェンダーの港町でルックが消えたのには驚いた。ふと目を離したときに消えたのではない。面と向かって話している途中に、前触れもなく忽然と消えたのだ。

 同じテーブルで食事をしていたシュールとコライも目を丸くしていた。

 しかしルーンは驚きながらも、自分の中にある何かが驚いていないことを感じていた。


 ルックは喚ばれた。


 何の根拠もないのに、ルーンはそう確信していた。

 そしてシュールとアーティーズに戻ってルックと再会し、ルックの口から光の織り手・リージアの話を聞いた。ルックはリージアに喚び出されて首都に帰っていたのだ。

 不思議なことだった。

 ドーモンが死んだことも、遠く離れたシェンダーで知り得たのだ。自分に何か特殊な力が宿ったのだろうか。とても不思議なことだった。


 しかしルーンはすぐにそのことについて考えるのをやめた。

 家に帰ったらそこにドーモンの亡骸がいて、他の事を考える余裕がなくなったためだ。

 ドーモンはルーンを拾ってくれた恩人だった。もう動かない巨体を前に、ルーンはドーモンと会ったときのことを思い返した。


 なぜそのとき自分がそこにいたのかは知らない。ただ長いことそこで人の往来を眺めていたことは確かだ。

 道行く人たちは誰もルーンに気付かなかった。見てみぬふりをしていたのだろう。子供が一人道にいる。近くに親はいない。下手にかまえば面倒ごとに巻き込まれるのが明らかだ。

 色んな人がいた。

 商人や旅人、吟遊詩人、大人も子供もいた。近くに町でもあるのか、老人もいる。何かの仕事へ向かうのだろう、アレーもしばしば見かけた。


 その中のアレーの一人が、よろめきながらルーンの目の前で倒れた。二十前後の女性だ。緑色の髪で、幼い顔立ちのアレーだった。

 行き倒れた女性は、そのまま動かなくなった。

 その後も何人もの人が通ったが、その女性のこともみな見て見ぬふりをして通り過ぎていった。

 どれくらい時間が経っただろう。その女性の前にしゃがみ込み、たどたどしい口調で祈りを口ずさむ巨漢が現れた。女性の体を右肩に背負い立ち上がる。彼女をどこかへ連れて行ってくれるのだろう。

 見ず知らずの女性だったが、長い間見つめていたルーンは情が移っていたのだろう。ほっとしたのを覚えている。

 女性の体を持ち上げると、大男はふとルーンに気付いたようで、垂れた瞳を見開いた。


「お前、いつからそこいた?」


 聞き取りにくい声だった。それにルーンは答えを知らなかった。一体いつからここにいただろう。

 大男は亡くなったアレーとルーンを見比べ、二人が親子だとでも勘違いしたのだろう。優しい声で問い掛けてきた。


「俺、ドーオン。一緒に来るか?」


 ルーンはこくりと頷いた。大男が手を伸ばして来たので、ルーンも手を伸ばしてその手を握り返した。自分の手が思っていたより小さかったのを覚えている。


 ドーモンの葬儀を終えると、すぐにドゥールがルーメスの討伐に行くことが決まった。アラレルの推薦もあったし、本人が行く意志を固めていたのだ。


「行っちゃうの?」


 アラレルがルーンたちの家に立ち寄り、その話を伝えて帰ったあと、ルーンはドゥールの部屋でそう聞いた。シュールとルックはアラレルを見送りに行っていていない。


「ああ。お前たちもじきに成人するしな。もう俺がいなくても平気だろう?」


 平気じゃないもん。


 喉元まで出かかった言葉を、ルーンは綺麗に飲み込んだ。


「私は平気だけど、ルックはまだまだ子供だからなー、ちょっと心配」


 ドゥールはおどけるルーンに声を出して笑った。


「ははは。ちなみになルーン、シュールもしっかりして見えるがまだまだ子供だ。特に生活能力はひどいものだぞ。俺がいなくなったらこの部屋もさぞかし荒れ果てることだろう」


 今度はルーンが大笑いした。

 ドゥールの旅立ちまでは少し時間があった。ルーンはできるだけドゥールといる時間を作った。

 そうこうするうちに、すっかりルーンは自分の中に起こった不思議な何かを忘れてしまった。

 それを思い出したのはドゥールが出て行ってしばらくしてからだった。


 ルーンは約束通り、王になったライトに会いに行っていた。それもほとんど毎日だ。王城の中庭でライトと二人で話をしていると、遅れてきたルックが現れた。ルックは朝ご飯のすぐあとにギルドへ新しい依頼を受けに行ったのだ。


「ルック、良さそうな仕事はあった?」


 ライトが明るく問いかけると、ルックもにこやかに頷いた。


「うん、ちょっと遠いんだけど、シェンダーでルーメスが出たんだって。コライにもあいさつしておきたいし、ちょうどいいからしばらく行ってくることにしたよ」

「あー、また危ない仕事だ。シュールを慰めるの大変なんだからね」

「またって、そんな危険な仕事ばっかりしてるの?」


 そういえばライトは、この間ルックが一人で盗賊団を壊滅させたのを知らないのだ。十一人のカン軍の生き残りを、たった一人で倒したのだ。

 そのことをライトに説明すると、ライトがルックに怒り出した。

 しばらくルックがしぼられるのを笑って見ていたが、ルーンは自分の中の何かが不安を感じているのに気付いていた。

 胸の中でざわつくのは、ドーモンの死を確信したときや、ルックが喚ばれたことに気付いたときと同じような感覚だった。


「ねールック、その依頼私も付いて行っていい?」


 ライトの小言が一段落着くと、ルーンはそう提案した。

 ルックはライトに言われるまでもなく、この間の無謀な行為を反省していた。だから断られないだろうと思っていた。しかしルックは首を振る。


「だめだよ。そしたらシュールを慰める人がいなくなっちゃうよ」


 冗談めかした口調だったが、ルックが本当に来てほしくないのだと直感的に悟った。しかしルーンもここは譲れなかった。


「ならシュールも連れてみんなで行こうよ。もし怪我したりしたら、私の治水は役立つよ?」


 今度の提案には、ルックはしばらく考えを巡らせていた。その隙にライトが問いかけてくる。


「ルーンはルーメスを見たことあるの?」

「ないよー。できれば一生見たくないよね。ライトはドゥールたちが追いかけてったルーメスの片腕を斬ったんだよね? どんな感じだったの?」

「僕の剣は役立ったけど、アラレルの剣が傷一つ付けられなかったんだ。ルーメスは怖いよ」


 考えがまとまったのか、ルックが会話に参加してくる。


「あのときのルーメスは特別なんでしょ? 子爵クラスなんだってヒリビリアが言ってたよ。今度のルーメスはそこまで強い個体じゃないと思う。一度シェンダーの街に現れたときに、コライともう一人のアレーでなんとか追い払えたらしいから。

 今度のルーメスは住処を決めたらしくて、それがシェンダーの南にあるんだって。場所は大体分かってるんだけど、今シェンダーにはまともな戦士がコライともう一人しかいないらしいから、首都まで依頼が回ってきたんだって。

 ルーン、すごい危ない仕事だから、絶対戦闘に参加しないって約束できる?」


 依頼内容を詳しく語り始めたのだから、連れて行く気になったのだろう。ルーンはルックの念押しに笑顔で頷いた。それを見たルックも笑顔を向けて来て言う。


「じゃあ帰ったらシュールにも話して、三人で行こ」


 話がまとまると、ライトが気づかう言葉をかけてきた。


「気を付けて行ってきてね」


 ルーンはライトの口振りからあることに気付いたが、あえて口に出しては何も言わなかった。

 ルーンの心の中で芽生えた不安は急激になくなっていた。

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