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ルックはそのころ、ドゥールの付き添いで近くの農家の湯浴み場に来ていた。農家の湯浴み場は広く、六人が一度に浸かれるほどの浴槽があった。浴槽は地面に直接穴を掘り、その穴を煉瓦で覆ったものだ。ルーメスに最初に吹き飛ばされた四人とドゥールが、そこで治水の魔法に浸かっていた。ドゥールの怪我は軽くなかったが、三人がかりの治水の効果は絶大で、命に別状はなさそうだった。
「ルック、お前は軍に戻れ。恐らくすぐにカンを追いに進軍を始めるだろう」
「カンを? あのルーメスじゃないの?」
ルックはドゥールの言葉に意外そうな顔をしたが、少し考え、ドゥールの発言が正しそうだと思い直した。
「そっか、分かった。ドゥールはくれぐれも怪我が治ってもあのルーメスを追おうとはしないでよ。ドゥールにはルーンを慰める役目があるんだ」
ルックは少し、育ててもらった恩を忘れたような発言になってしまうと思いながら、しかし迷わず言い切った。ドゥールに最も効果的なことが、これだということは間違いないのだ。
「ああ、そうだな。気をつけよう」
ドゥールは自らにもそう言い聞かせるようだった。ルックはもう二言三言ドゥールと会話をし、農家を出、進軍を始める軍の最後尾についた。
軍はやはり西北西へ向かっていた。カン軍との距離はまだそう離れていない。キーネの多いカン軍に追い付くことなど造作もないと思われた。
ヒルティス山を右手に置き去り、軍の進行は順調に進んでいった。
半日ほどそうして進んでいくと、軍全体に停止命令が出た。
「追い付いたのかな?」
近くにいたアレーがルックにそう話しかけてきた。ルックは首をかしげる。おそらくは斥候に出ていた者が戻り、敵軍が近いと報せたのだろうが、曖昧な発言は控えた。
その日アーティス軍は、その場で野営を張った。
敵軍が近いためあえて火は焚かず、皆で冷たい兵糧を分け合い食べた。敵軍はどうやら前方の丘を越えたところで、やはり野営を張っているようだ。
あくる朝、軍の中心でライトが宣言を始めた。
「カン軍は近い。敵のあの大将軍ももういない。今日の内にこの戦争にけりを付ける。キーネの魔装兵はなるべく生け捕りに、アレーには情けをかけるな!」
軍全体に轟くようなときの声があがる。皆武器を抜き放ち、ライト王の次の言葉を待った。
「行くぞ!」
台本通りの宣言だったが、その声は高く勇ましく、ときの声の上に華々と響いた。
軍は一斉に駆けだした。小高い丘の向こうに、カン軍の姿が見えた。敵もすでに臨戦態勢だ。丘を駆け下り、二つの軍は衝突した。
ディフィカのいないカン軍は、三十中頃の赤毛の男が指揮を執っていた。敵のアレーは軍の前方と後方半々に分かれている。数に勝る敵軍は、覆い込むようにアーティス軍の左右にも広がった。
軍の後方にいたルックも、右に広がり、敵兵を迎え撃つ。大剣を操り、次々と向かい来る鎧姿を打ち倒していった。魔装兵だけでなく、数人のアレーもルック前に立ちはだかったが、ルックの魔法の早打ちに、なすすべもなく倒された。
前線に立つアラレルの力はやはり非常に強大で、息つく間もなく敵の兵士を斬っていった。敵はアラレルに近付こうとはせず、長柄の武器で囲い込もうとした。しかしアラレルは敵の包囲が完成する間もなく縦横無尽に駆け回っていた。
軍の左方ではまばゆい光が何度となく輝き、その度に敵兵が数人吹き飛ばされる。ヒリビリアの危険さを理解した敵兵が彼女に群がる。しかしヒリビリアは敵を恐れず手を高く天に掲げた。好機と見た敵兵が殺到する。しかしヒリビリアの体を鉄のドームが覆い隠した。そしてそのドームの天井から、まるで大蛇のような輝く縄が乱舞した。ドームが消えるのを待機していた魔装兵たちがその光る大蛇になぎ払われる。
金色の剣が主に敵のアレーを切り捨てていく。その風のような攻撃に、ほとんどのアレーが手も足も出ない。黄金の戦士に近付こうとする勇敢な敵兵は、黒い影が放つ音のない投擲に打ち倒された。
一体何人の兵士を倒しただろうか。ルックが気付くと、敵軍に立っている者はほとんどいなくなっていた。
まだ走れる敵兵は、次々と武器を捨て逃げ出した。
千五百いた敵兵のうち百人ほどを取り逃がした。五百名ほどを捕虜にした。残りのほとんどは戦場で死体となって転がった。アーティス軍にも五十ほどの被害者が出たが、誰がどう見てもアーティス側の勝利だ。
誰かが雄叫びを上げる。それがアーティス軍に波紋のように広がっていった。
屍が覆う草原で、ルックも彼らと同じ高揚と、それと同時に狂気に包まれる戦場への恐怖を感じた。
後にアーティーズ第二次大戦と呼ばれる戦争は、こうして幕を下ろした。終わってみればたった二月も経っていない、短い戦争だった。しかしアーティスにも、カンとヨーテスにも、それは甚大な被害をもたらした。
アーティスは捕虜とした五百の兵士の解放と引き替えに、カンとヨーテスから多額の賠償金をもらうことになるだろうが、とてもアーティスの受けた傷を癒しきることはできないだろう。
結果として、誰一人として得るもののない戦争だった。いや、戦争というものはいつでもそういうものなのだろう。得るものよりも、失われるものの方が遥かに多い。
戦争の終わったこの日は、この惨状とは我関せずと、空がとても澄んだ青をしていた。くしくもこの日は、ルックが十四の誕生日を迎える前日だった。
とても長く感じた戦争が終わったが、問題はまだ山積みだった。そしてルックに真実の青という呼称がつくのもまだ先の話だ。
真実の青の物語が次に動き出すのは、これからちょうど一年後になる。
この部分は短くなってしまいましたが、ここで第2部が完結です。
次は幕間を挟んで第2部に入ります。
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この先もルックの物語にどうぞお付き合いお願いします。




