『戦争の終わり』①
第二章 ~大戦の英雄~
『戦争の終わり』
ルーンたちの生還を知らないライトは、自室で一人泣いていた。ドーモンに次いで、ルーンやシュールにも何かあったらと思うと、重い不安に耐えられなかった。
王の部屋とは思えない質素な部屋の質素なベッドで、ライトはただただ何もできないことを嘆いていた。
そんな折り、ライトの部屋にノックの音がした。ライトにもいつまでも泣いているわけにはいかないことは分かっていた。シャルグかビースが呼びに来たのだろう。ライトは袖で涙を拭くと、ベッドから起きあがり、靴を履いてドアへと向かった。
「どうぞ」
ライトは言って、自らの手でドアを引いた。来訪者にドアを開けさせないというのは、アーティスでは当然の礼儀だ。そしてどんな位の者でも、礼儀は守られねばならないというのは、シビリア教の教えの一つだ。
ライトはそのとき、完全に油断していた。王城にはこの間のようなことがなければ、危険はないと考えていた。アーティーズは四重の防壁に囲まれている上に、王城自体も厳重な警備体制がしかれている。そして質素な部屋でも、王の部屋だ。ドアの外には二人の門番がいる。
涙に濡れた顔を隠すため、俯き加減でドアを開いたライトの目に飛び込んできたのは、血溜まりに倒れる二人の門番の姿だった。
「!」
驚いて顔を上げたライトに、見知らぬ女が蹴りを放った。
戦闘態勢をまるで整えておらず、丸腰のライトは、その蹴りを腹に食らった。辛うじて後ろに飛んで威力を抑えることはできたが、上手い着地はできず、背中をベッドの縁で強かに打った。
痛みは腹と背中だけでなく、全身に走った。すぐに離れなければ、女の第二撃で、確実に殺される。そう分かってはいたが、どうしても一瞬体が言うことを聞かなかった。
しかし女はすぐには追い打ちをかけてこなかった。倒れていた門番が、死に物狂いで女の足を掴んだのだ。名前も知らない門番に、ライトは命を救われた。女は門番に手にしていた短刀を突き刺し、とどめを刺した。ライトはそれを見て、強い自責の念に襲われた。女はライトに向き直り短刀を構えた。鋭い目でライトを根目付けるも、すぐには事を起こそうとはしない。
ライトは素手のままだったが、戦闘態勢を取っていた。そしてライトはこの一瞬で、あらゆる覚悟を決めていた。
仕掛けたのは、ライトの方からだった。身を低くして突進し、拳を横に薙いで敵の足を狙った。女はライトの動きに全く付いてこられなかった。足払いは見事に決まり、女は一回転して床に打ち付けられた。
短刀対素手だ。正面からでは短刀の方が有利だっただろう。そこで足下を迷わず攻撃したのは、ルックにはない格闘のセンスによるものだ。ライトの体術で身を打たれた女は、床に打ち付けられたときに意識を失っていた。足はひと目で折れているのが分かる。勝負は確実についていた。
そのとき、門番が倒れているのを見たのか、シャルグが慌てた様子で部屋へと入ってきた。シャルグはライトの無事を確認すると、落ち着いて状況を見た。
「怪我はないか?」
「背中とお腹を強く打った。痣にはなってると思うけど、大したことないよ。それよりシャルグ、この門番の人に何かしてあげられることはないかな」
ライトの言葉を聞いたシャルグは、息のない門番の男を見て、心の底から彼に感謝をした。ライトを助けてくれたことを悟ったのだ。
「彼にも家族はいただろう。王の命を救った者として、最高の栄誉を送ることはできるだろう」
「うん」
ライトは非常に落ち着いた声で言う。
「分かった」
「それではその女はヨーテスの方なのですね」
「ええ、ヨードラス領って所の出らしくて、領主の暗殺を企てたアーティスに、個人的な恨みがあったということです」
ビースの執務室で、青い鎧のカイルが、ビースにそう報告していた。
「ジルリーの差し金でしょうが、随分と忠誠心の高い方のようですね。それとも本当に彼女自身の意志だったのか」
「両方なんじゃないですかね。それで、あの女はどうします?」
カイルの問いに、ビースは暗い目をする。自らが生んだ恨みによるものだと言うことが、ビースの胸を苦しめているのだろう。
「処刑せざるを得ないでしょうね」
「それは何とも慈悲深い」
ビースの答えに、カイルは刺々しく言う。
椅子に座していたビースは、カイルを見上げて言った。
「怒っていらっしゃるのですね」
カイルはビースの問いに、無表情のまま答える。
「当然でしょう。ヒルドウは世間というものを知らないから、自分が犯した罪の重さを知らないんでしょう? それにあなたは、勝手に一人でそんなことを決めて、ヒルドウを捨て駒にするような人じゃない。つまり、」
カイルはそこで言葉を切って、ため息を吐いた。諦めたような目でビースのことを見つめると、また一つため息を吐く。
「まあ、考えるのは俺の仕事じゃないし、シュールやルーザーのようにはよく分からないですがね」
言葉を濁すようにカイルは言った。ビースの目から何を読み取ったのか、それ以上カイルはビースのことを責めようとはしなかった。
しばらく言葉をなくした二人の元に、アラレルが訪れた。彼はのんきな顔で手を頭の後ろで組みながら、ヒリビリアとシーシャの到着を告げた。アラレルの後から少し遅れてやってきた使い走りの少年が、役目をアラレルに奪われたとも知らずに、元気な声で同じ内容を告げる。
「久しぶりだね、元気だったかい」
「ああ、お前こそ、良く戻った」
アラレルとカイルは、幼い頃に同じアレーチームにいたことがある。二人は楽しげに話を始めた。
ビースはそんな若い二人を好ましげに見つめると、部屋を辞し、ヒリビリアたちの元に向かった。
長い廊下は、ビースを物思いに耽らせるに充分な時間を与えた。彼は本当にこの戦争で身を引く覚悟をしていた。リリアンに話した、自分の首を他国への示しとするというのも、紛れもなく本気だった。
しかしリージアの語った話がビースに迷いを与えている。また次の戦争があるときに、自分がいない国で、はたして勝利が得られるのか。ルーザーは非常に切れ者で、国の中心に置けば正しい判断を下してくれるだろうが、いささか自信過剰なところがある。シュールはとても優秀な指揮官で、全てにおいて釣り合いが取れているが、アラレルの話では、生存が危ぶまれる。どの道爵位すらない二人の身分では、国の中心に置くことは難しい。
「するとなると」
足音を立て廊下を歩くビースは、独り言を呟いた。自分が退いた後に国を任せられる人間は非常に少なく思えた。ライト一人ではまだ確実に無理があるし、血筋に問題はないが、アラレルでは論外だ。爵位の高さではいくらでも思い当たる人物がいるものの、戦争が近くなってから首都に近付こうとする者はほとんどいない。そんな忠誠心の低い者たちには自分の後を任せることはできない。首都に残った貴族は、わずかに二人だけだ。
ビースは様々な考えを巡らせたが、答えは見えてこなかった。とりあえずはこの戦争を終わらせなければならない。先のことを考えるのは、その後でも良いだろう。
ビースがそう考えを締めくくったのは、ヒリビリアとシーシャの待つライトの部屋に着いたからだ。部屋は先の事件のため、前の物よりも一回り大きな部屋になっている。続き部屋でシャルグの部屋と隣部屋だ。
ビースは護衛の兵士に自分の来訪を告げ、護衛の兵士がまず中に入り、それを部屋の中に報告する。そうしてから初めてビースは部屋へ通された。
ライトはこの仰々しい手間を嫌ったが、あんなことのあった後では仕方がない。ビースから見ればこれでもまだ足りないくらいだ。
部屋にはライトとヒリビリア、シーシャ、そしてシャルグがいた。ひと目見た瞬間に、ビースはヒリビリアが何かに腹を立てていることに気が付いた。




