⑨
「ルーン、どうして泣いてるの?」
ルックはこれ以上ルーンを刺激しないよう、優しく聞いた。
「どうして? 決まってるじゃない。私がもっとしっかりしていれば、みんな助けられたんだから」
ルーンの不安は、確信となっているようだった。ルックはそんなはずはないというように、首を横に振る。
「砦を丸ごと崩すような魔法だよ。ルーンに何ができるって言うのさ」
「またルックは私を子供扱いするんだ」
「そうじゃないよ。けど、シュールにも手の打ちようがない状況だったんだ。僕たち子供には何もできなかったよ」
少しヒステリックなルーンの物言いに、ルックは強い焦りを感じた。うずくまるルーンの隣に歩み寄り、しゃがんでルーンの頭をなでた。
「優しくしないで。そんな権利私にはないよ」
「そっか。でもルーンは僕の大事な人を守ってくれたんでしょ? それにルーンだって僕にとっては大事な仲間で、友達だ。優しくしたっていいでしょう」
ルックの言葉に、ルーンは膝に顔を埋めて泣き出した。ルックはそれ以上何と言っていいか分からず、ただルーンの頭をなで続けた。こんなときに気の利いた言葉を言えない自分に、歯がゆさを感じながら、ただただルックはルーンの頭を優しくなでた。
「私一人が死ねば良かった」
ルーンはぽつりと言った。ルックはそれを想像し、胸が縮むような想いを覚えた。ルックはルーンの頭から手を離すと、そっとルーンを抱きしめた。
「生きててくれて良かった」
ルックの言葉に、ルーンはひときわ強く身を震わせて、ルックに抱きつき、また泣いた。
どれくらいそうしてルーンを抱擁していたか、やがてルーンは泣き止んで、それでもルックはルーンを離そうとはしなかった。
赤い岩の上でルーンは小さくありがとうと呟いた。
ルックは顔を離して、ルーンを見た。ルーンは何かを悟っているような目で、ルックの瞳を見返した。
「これが夢でも、最期にルックに会えて良かったよ」
ルーンは言うと、ルックの頬に優しくキスをした。夢の中とはいえ、ルックはルーンのその行動に驚いた。だがそれよりもルーンの言った言葉が問題だった。
「最期ってなんだよ。今生きてるんだから、まだ最期じゃないよ。ライトのところに遊びに行くんでしょ? ドーモンに美味しいパンの作り方教えるって言ってたでしょ? 最期じゃないよ」
「うん、そうだね。けどもうお迎えが来てるの。私の体のことだから、私が一番分かるんだ。皆によろしく言っておいてね」
ルーンは儚げに笑む。死ぬ覚悟は、自分の体に帰空をかけたときからできていたのだろう。迷うようでも嘆くようでもなく、ルーンの目は強く閉じられた。
ルーンの命が非常に危ういものだというのはルックにも分かっている。しかしそれでどうすればいいのかは、全く分からなかった。安易な気休めの言葉は次々と浮かんできたが、ルックはどれも口にすることはできなかった。
ルックが必死で考えを巡らせていると、急に夢の世界が揺らぎ始めた。ゆらゆらと揺らめく世界の中で、ルーンの姿も薄れていった。
ルーン!
ルックは必死で声を上げたが、それも音にはならなかった。
ここはルーンの夢の中だ。それが消えると言うことは、ルーンが目覚めようとしているのか、それとも……
―――大丈夫。
焦るルックの耳に、そんな言葉が聞こえた気がした。
ルックがルーンの夢の中へ渡って行ったことは、実は夢渡りという魔法によるものだった。それは夢の旅人・ザラックの得意としたものだ。盲目のニッツが書いた物語の中では詳しく語られていないが、彼らはそれで仲間と離れて行動していても、互いの意思を確認し合うことができた。
もちろんルックには、この夢渡りの意味することは知らない。不思議なこととは思うも、次第に意識から薄れていくのだろう。
ルックが自分の出自を知るその日までは。
見慣れない狭い宿の一室で、ルックは目覚めた。簡素なベッドが二つ置かれていて、木戸のはめられた窓から、まぶしい光が漏れている。
夢のことは覚えていた。
ルックはにわかに起き上がると、短い廊下の先にあるドアへ向かった。
ドアの向こうにはすぐ階段があり、左右には数部屋が並んでいるようだった。ルックは階段を駆け下りた。どうやらルックの部屋は三階だったようで、階下にも似たようなドアが並ぶ廊下があった。そしてもう一つ下に降りると、そこには酒屋と繋がる宿の受付があった。受付をしていたエプロン姿の大男に、ルックは急いで声をかけた。
「僕と一緒に来た女の子の部屋はどこですか?」
酒場の客と談笑していた宿の男は、話に割ってきたルックにきちんとした対応をしてくれた。
「それなら階段の奥を左に行って、右手の三つ目のドアだ」
「やるねぇ、その歳で女の子の部屋に押し込むってか」
昼間から酔っているのか、客の男がげらげら笑いながら冗談を飛ばしてくる。ルックはそれを無視し、軽い感謝の言葉を言って駆けだした。
目的のドアはすぐに見つかった。ルックはそのドアをノックもせずに押し開ける。
「ルック。あんたも起きたんだね」
がらがらとした声で、コライがそう声をかけてきた。ルックはそれにも答えずに、部屋の奥へと目を向けた。二つ並んだベッドの一つで、夢の中と同じように、うずくまり泣くルーンがいた。シュールが何も言わずルーンの頭を撫でている。
ルックはルーンの側に歩み寄る。ルーンはルックが来たことに気付いて泣きはらした顔を上げた。
「どうしたの、もう泣くことないよ。ルーンは何も悪くないって。それにこうして生きてるんだから」
ルックは優しい声でそう言った。それは夢の中での会話の続きだった。ルーンも夢でのことを覚えていただろうが、首を振ってルックの言葉を否定した。
「そうじゃないの」
泣き声に枯らした喉が、夢の中より悲痛に言った。
「ドーモンが、ドーモンが」
一体どうして知り得たのか、ルーンはルックに、遠くアーティーズでのドーモンの戦死を告げた。
ルックもシュールも、にわかにはそれを信じられなかった。人づてに聞いたことだ。その目で見でもしなければ、当然のようにいた存在がいなくなったなど信じられるはずもない。しかしそれだからこそ、ルーンの悲しみ方は異常に思えた。まるで疑いようのない確信があるかのように泣いているのだ。
「何かの間違いだよ。ドーモンが死ぬ訳ないよ」
ルックは言ったが、そう言うルックも、ルーンの言葉が間違いではない気がしていた。ルーンが死の淵に立たされていたことは確かなのだ。ドーモンの死を知り得たとしても不思議ではない気がした。
しかしルックは、やはり実感が湧くとは言えず、ルーンにただ安い慰めを言うよりほかになかった。




